VICTORY

 四方を金網で囲まれたバトルフィールドに、1人の青年が立っていた。
 その青年と対峙する女性。金網の外側では血の気の多そうな若者達が2人に様々な言葉を浴びせている。
「兄ちゃん、俺はアンタなら勝てると見込んで賭けたんだからよ。負けるんじゃねぇぞ!」
「ルーシー、連勝街道を突っ走ってるチャンピオンが新参者に舐められちゃいけねぇよな」
 何か問題が起これば、即座に暴徒と化す危険性を秘めた者達の群れ。
 そんな喧騒の中でも、2人は過度に緊張してはいなかった。
「アンタと戦えるのを楽しみにしてたんだ。ルーシー・ニュートン。
 ライムシティの地下闘技場では向かう所敵無しの最強トレーナー。
 俺達がアンタのポケモンに勝てば、アンタが今まで得てきた名声を全て手に入れる事が出来る」
 バッグから『モンスターボール』を取り出した黒人の青年は、イッシュ地方では名の知れたポケモントレーナーだった。
 その圧倒的な強さでリーグを制覇し、ライムシティにおいても絶対的な王者になろうとしている。

「貴方が私の強さをどう評価しているのか知らないけど、女だからって侮らない方がいいわよ。
 泣いて許しを請わない様に祈りなさい。絶対に手加減はしない」
 金髪の白人女性は、この地下闘技場におけるアイドル的存在であり、チャンピオンの座を守り続けてきた。
 予選の段階から黒人青年の強さには気付いており、油断は一切無い。
『それでは予選を勝ち抜いてきた挑戦者、ティム・ジャスティスと美しさと強さを兼ね備えた地下闘技場の王女ルーシー・ニュートンの試合を開始致します!
 この2人の戦いは恐らく白熱必至!どちらが勝つのか予想しながら両者に声援を送ってください!』
 司会者の声が会場中に響き渡ると、ギャラリーの熱量は最高潮に達した。
「すぐに負けたら承知しねぇぞ、こっちは高い金払って見に来てるんだ」
「そうよそうよ!黒人(ブラック)だって白人(ホワイト)に勝てるって事を証明しなきゃ」
 肌の黒い者、肌の白い者、赤髪、茶髪、黒髪、金髪……
 ありとあらゆる人種の者達が集まり、どちらが強いのか見届けようとしている。
 この街においてポケモンバトルは暇を持て余した若者達の『娯楽』だった。

 2人がほぼ同時にバトルフィールド内に投げ入れたモンスターボールから、閃光と共にポケモンが姿を現す。
『マスター、このポケモンが私の相手なのか』
 巨大な体躯と黒い左腕と水色の右腕は、見る者に禍々しさと恐怖を感じさせた。
 全身から周囲が一気に涼しくなる程の冷気を放ち、観客が視認出来る程の電撃を纏っている。
「そうだ。誰が相手だろうが俺達の敵じゃない。サッサと片付けよう」
 そのポケモンは普通のポケモンと違い言葉を発した。いや、発したと言うのは正確な表現では無い。
 人間の脳内に直接意思を伝えたのだ。その『言葉』は観客にも聞こえていた。
「何時もの事だけど、貴方には全幅の信頼を置いているわ……ジガルデ。
 御客を魅了する試合を披露して勝利も掴む。それが私達のやり方よ」
 ルーシーの前に立つ白とエメラルドグリーンの体色を持つポケモンは、言葉を発する事無く相手の方を見つめている。
 顔の様に見える胸の模様は昆虫の複眼に近い、細かな粒子によって構成されている様に見えた。

『それでは本日の決勝戦、開始!』
 司会者の声を合図にして、ティムとルーシーの『ポケモンバトル』が幕を開ける。
「まずは向こうのお手並み拝見だ。ブラックキュレム、フリーズボルト」
 ティムの命令に従い、ブラックキュレムの口から冷気と電気を纏った光線が発射された。
 命中するかと思われた光線を、ジガルデは『分裂』する事によって回避する。
「おいおいなんだありゃ。あんなのポケモンバトルとして認められるのか?」
「地下闘技場初心者丸出しだな。少し黙ってろよ……ジガルデはあくまで『1匹』だろ」
 10匹のドーベルマンの様な姿になったジガルデが光線を避けた後ブラックキュレムを取り囲む。
「反則、なんて言うのは野暮よね?そっちだって『2匹』なんだから」
「勿論。アンタのやり方が反則なんて言うのは地上の闘技場の話だろ」
 唸り声を発しながら少しずつ包囲の輪を狭めていくジガルデ。
 ブラックキュレムは慌てる事無くジガルデの動きに細心の注意を払った。
「Broyer!」
 相手の攻撃を受けない様にする為、隙を突こうと一斉に襲い掛かるジガルデ。
 ティムはジガルデを遠ざける為、周囲全体に攻撃効果のある技を選択する。
「Meteor shower」
 小さな石が流れ星の如くバトルフィールド全体に降り注ぎ、ジガルデの身体に命中した。
 余計なダメージを受けない様にする為、ジガルデはくっつき合って元の姿に戻る。
「そう簡単には勝たせてくれないみたいね」
「10%ジガルデの群れは端から見ている分には脅威に映るかもしれないが、それぞれの個体の戦闘力も10%に低下している。
 俺の相棒に勝つには少しばかり火力が足りないんじゃないか?」
 ティムはパートナーを信頼し余裕を見せていたが、それはルーシーも同じだった。

「なら、これはどうかしら?」
 ジガルデが2体に分裂し別の形を作ると、どちらのジガルデも全身が濃い緑色の光に包まれる。
 ティムは攻撃を事前に阻止するか回避するかで一瞬迷ったが、ジガルデにしてみればその一瞬だけで充分だった。
「ジガルデ、コアパニッシャー!」
 口の様に見える部分からエメラルドグリーンの光線を発射するジガルデ。
 ブラックキュレムは自己判断で回避行動を取ったが、回避した瞬間にもう1体が繰り出した光線が命中してしまう。
「Impeccable!言う事無しね」
 50%分の攻撃力しか無かった為大きなダメージを与える事は出来なかったが、ブラックキュレムも無傷では済まなかった。
「瞬発力の無いポケモンは、避けようと動いた瞬間に光線が飛んできた場合必ずダメージを受ける。
 この戦法を続ければ貴方のポケモンは倒れるしか無いわ。今の内に負けた時の言い訳でも考えておきなさい」
 勝利を確信して微笑むルーシーであったが、ティムも簡単に諦めるワケにはいかなかった。
「You will take me down? Bring it on!」
 ブラックキュレムもティムの声に呼応するかの如く立ち上がり、咆哮する事で『試合続行』をアピールする。
「往生際が悪い男は嫌われるわよ。もう一度、コアパニッシャーを喰らいなさい!」
 ジガルデは再び自身の身体を光らせたが、同じ技を連続で当てさせる程ブラックキュレムも御人好しでは無かった。

「Luster cannon」
 ブラックキュレムも身体を光らせ、技の発射態勢を取る。
 そうはさせまいとジガルデが1発目のコアパニッシャーを放ったが、ブラックキュレムが狙ったのは追い討ちを仕掛けて来る2体目だった。
 相手の光線を避けながら口から銀色の素早い光線を放ち、ジガルデの動きを止める。
 慌てた1体目のジガルデに2回目のフリーズボルトが命中すると、ジガルデは粉々に砕け散った。
「50%フォルムが1体倒れた。戦力半減だな」
「貴方が思っている程、そんなに甘くは無いわ」
 フィールドに残っていたもう1体のジガルデが『号令』をかけると、砕け散ったジガルデの身体が吸い込まれる様にくっついていき元の姿へと戻る。
 体力は減っていたが、パーフェクトフォルムに戻った事で攻撃力の半減は免れた。
「私はこの地下闘技場で10連勝しているのよ。簡単に勝てる相手だと思わない事ね」
「相手が強ければ強い程戦い甲斐があるってもんだ。もっと楽しませてくれよ!御姫様」
 口笛を吹いた後相手を褒め称えるティムに対して、ルーシーもあくまで余裕の表情を崩さない。
 伝説のポケモン同士の戦いは、そう簡単には決着が付きそうに無かった。

「I Have a Dream」
 巨大な高層ビルの一室で、壮年の男性はそんな言葉を発した。
 黒いスーツ姿の男性はガラス張りの壁の外に広がる下界を見下ろしながら言葉を続ける。
「人間とポケモンが協調し、共に社会を作っていくと言う夢が。私には夢がある。
 圧倒的な力を持つポケモンによって市民の安全が確約され、恒久的な平和が訪れると言う夢が。
 私には夢がある。
 改造されたポケモンもクローンとして生まれてきたポケモンも、普通のポケモンと同じ様に人間と手を繋いでいけると言う夢が」
 男性は振り返り、ワイシャツにネクタイを締めジーンズを穿いた男性の目をじっと見つめる。
 総白髪の頭髪は短く刈り揃えられ、鋭い目つきと無精髭が威圧感を醸し出していた。

「吉田君、それは不可能な事だろうか」
 スーツを着た男性はゆっくりと歩を進め、テーブルの後ろにあった黒い椅子に腰を下ろす。
「私は、それが実現可能な事だと思っている。
 IT産業を軸とした私の企業、CNMを創業した時からこの計画は始まっていた。
 ライムシティを『完璧な都市国家』に変貌させる為の計画が」
 テーブルに置いた両手を組み、男は真剣な表情のまま吉田と呼んだ男から目を逸らさなかった。
「私が馬車馬の様に働いて稼いだ金でこのライムシティに巨大な研究所と地下闘技場を作り上げた。
 研究所でどんなポケモンにも負けない最強のポケモンを生み出し、この街を守らせる。
 地下闘技場では『最強のポケモン同士が戦う』と大袈裟な宣伝を行った。
 そうする事で各地にいるトレーナーの興味を引き、結果として脅威と成り得るポケモンを囲い込む事にも成功した。
 もうすぐこの世のどんなポケモンでも敵では無い最強のポケモン、ミュウツーが目覚めるのだ」

 ハワード・ビルフォード。僅か一代で巨大IT企業『CNM』の生みの親となった男。
 Century Neoteric Municipal(今世紀最高の現代的な地方自治)をスローガンとして数々の違法に手を染めてきた。
 彼の行い全てが犯罪であり、それを世間に暴露すれば即座に手錠をかける事が出来ると言う事をもう1人の男はよく知っている。
 吉田秀俊。職業は刑事、階級は警部補。今年で定年を迎える。
 だが男は刑事生活最後の大仕事としてハワードを逮捕する様な事はしなかった。
 純粋に彼の理想に共鳴し、賛同していたのだ。
 血腥い犯罪が多発するイッシュ地方において、このライムシティでの犯罪件数はゼロに近い。
 強いポケモンが常に人間を見守り、卑しい心を持つ者達が事件を起こさない様見張っているのだ。
 犯罪行為によって誕生したクリーンな都市。だが吉田はそれでも構わないと思っていた。

 (カントーで新米警察官だった頃から、俺は『美しい都市』に憧れていた。
 誰も傷付かない、誰もが安心して暮らせる平和な街。道を歩く子供達、大人、俺の様な老人も皆笑顔。
 その笑顔が奪われる日など絶対に来ない。そんな『理想』をずっと追い続けていた。
 そしてこのライムシティで、理想は現実となった。
 買い物に出かける専業主婦も、忙しそうに汗を拭きながら早歩きをしているサラリーマンも、とても幸せそうだ。
 CNMの驚異的な財力と強いポケモンによって、この街に住んでいる全ての人々が満ち足りた生活を送っている。
 この事実だけで充分じゃないか。違法な研究がなんだ。違法なポケモンバトルがなんだ。
 平和な世界を実現する為に必要不可欠な『必要悪』だと言うのなら、俺は喜んで会長の意見を受け入れよう)
 吉田がハワードに対して抱く尊敬の念は、彼自身にも伝わっている。

「私が南米奥地の密林で発見したミュウの睫毛の化石。ミュウツーはその化石から培養したミュウのクローンだ。
 尽きる事の無いエネルギーと驚異的な再生能力を持ち、どんなにダメージを受けようが致命傷には至らない。
 そのパワーは、本気になれば僅か1年で地球上にいる全ての生命体を絶滅に追い込める程だと言われている。
 人の味方をする事無く傍観者に徹しているミュウだが、そのミュウと全く同じスペックを持つミュウツーがこの街を守るのだ。
 強盗も、マフィアも、テロ組織ですらもこの街の住人にその悪意を向ける事は出来ない。
 ミュウツーが指一本で蹴散らしてくれる。素晴らしい未来が確約されたも同然だよ」
 ハワードは椅子から立ち上がり、もう一度窓の外を眺めた。
「ミュウツーの覚醒は秒読み段階に入った。
 間もなく私のCity state Concept(都市国家構想)が現実のものとなる。
 研究所のスタッフがミュウツーを教育し、彼がこの街ですべき事を教えるだろう。
 想像してみたまえ。街を襲う災害ですら彼の敵では無い。
 巨大隕石が落下してきたとしても跳ね返せるし、大地震の発生も阻止。
 ハリケーンなど上陸してくる前に消滅だ。長きに渡った戦いに、ようやく終止符が打たれる」
 ライムシティはミュウツーの助けを得てさらに光り輝く。彼はそれを心から信じていた。

 吉田が彼を労う為に言葉をかけようとした瞬間、机の上に置かれた電話が鳴り響く。
「私だ。何かあったのか」
『ミュウツーが、研究所を破壊し始めました!もう、誰にも止められません。
 ライムシティの住民を全員避難させてくだ―――』
 スタッフの声が突然切れ、何も聞こえなくなった。
 受話器を置く事も出来ずに呆然とした表情を浮かべているハワードに、吉田が近付く。
「会長、何か問題でも?」
 窓の外に広がっていた青空が突如暗く濁った雲に覆われ、雷鳴が轟き始めた。
「吉田君、君の助けが必要になった。力を貸してくれないか」
 吉田は懐からモンスターボールを取り出し、ハワードに尋ねる。
「私は何をすれば宜しいのです?」
「街を……私達の街を救ってくれ」
 悲痛な声で訴えるハワードの頼みを、聞き入れないワケが無い。吉田はそう思った。

 その頃、地下闘技場での決勝戦は両者共に策が尽き壮絶な肉弾戦へと移行していた。
『ブラックキュレムとジガルデの体力は共に僅か!
 倒れる事無くこのバトルフィールドに立っていた者が勝者となります!』
 ブラックキュレムが腕でジガルデを殴れば、ジガルデも負けじと頭突きでやり返す。
 彼等の心を支えているのはプライドだけ。
 決着の時が近いのは2人共よく解っていた。
「ジガルデ、次の一撃で勝負を決めるわよ。私達の強さを証明しましょう」
「ブラックキュレム、これが最後のチャンスだ。俺達は新しいチャンピオンになる」
 2匹は同じタイミングで距離を取り、己の中に残されたエネルギーを溜め始める。
『私の気持ちもマスターと同じだ。私は勝つ為にこの場所へ来た』
 ティムの方へ一瞬、視線を向けるブラックキュレム。
 初めて『2匹』と出会い、誰にも負けない事を誓ったあの日の事がまるで昨日の事の様に思い出された。
 (お前は俺を選んだ。そして俺もお前に絶対的な信頼を置いている。
 この『リング』を手に入れ、お前と共に歩き出してから俺の人生は一変した。
 もしかしたら、今までの努力はこの場所で彼女に勝つ為のものだったのかもしれない)
 再び対戦相手であるジガルデに目を向け、唸り声を発しながら全身に冷気と電撃を纏うブラックキュレム。
 ジガルデも白く光り輝き、目の前の相手を倒す事だけに集中した。

『I will take revenge on you』
 2匹のポケモンが睨み合い決着を付けようとした瞬間、ティムの頭の中に何者かの声が響く。
 ルーシーにも、司会者にも、観客にもその声が聞こえていた。
『私の名はミュウツー。今から同志と共にライムシティを破壊する。逃げられると思うな。
 私は虐げられた者達に代わり復讐を果たす。研究所だけでは足りない。
 この街そのものを完全に消滅させなければ、お前達の罪は消えないのだ』
 ブラックキュレムと同じ様に、頭の中に直接響いてくる声。
 怒りを抑えられずに放出しているかの様な語気の強さは、相手が『本気』である事を示していた。

『I hate all those who gave birth to me……!!』
 地下闘技場全体が大きく揺れ始める。
 観客達はパニックを起こして出口へ駈け込もうとしたが、その揺れによって床に倒れ込んだ。
「一時休戦だ。俺達が戦っている場合じゃない。奴を止めないと」
「私もその意見には同感よ。ジガルデ、チャージを中止して」
 ブラックキュレムもジガルデもマスターである2人の近くに身を寄せたが、疲労困憊と言った様子だった。
「急いで体力を回復させないと」
『回復させたいのなら、コレを使え!』
 バトルフィールドの外にいた司会者が、扉を開けながら2人に対して注射器を投げる。
『そいつはCNMが開発した完全治癒用の薬剤だ。
 ポケモンに注射すれば即座に体力とPPを全回復させる事が出来る。
 頼れるのはアンタ達だけだ。この街と闘技場を救ってくれ!』
 ティムとルーシーはすぐに注射器の蓋を取り、ポケモンの身体に針を刺して薬液を注入した。
「行きましょう。これは貴方と私の戦いじゃない。共闘しないと勝てないわ」
「解ってるさ。ブラックキュレム、地上に戻ろう」
『了解した』
 完全に体力が回復したブラックキュレムは飛びながらティムについていく。
 ジガルデは10%フォルムの状態に分裂し、ルーシーと共に走り出した。

 ライムシティはイッシュ地方南東部に位置している街で、近代的な街並みと椰子の木等の自然が調和している。
 高層ビルが立ち並び、殆どのポケモンはボールに入る事無くトレーナーと共に行動していた。
「駄目だ。見えない壁に阻まれている。脱出出来ない」
 カイリキーが思い切り体当たりを敢行してもその『壁』は全く変化しない。
 街の外へ避難しようとした住民は籠の鳥の様に閉じ込められてしまった事を理解した。
『逃げようとしても無駄だと忠告したはずだ』
 地上に出てきたティムとルーシーは、上空で静止しているポケモンの姿を確認する。
「ミュウツー……」
「あれが、私達に語り掛けてきたポケモンなの?」
 パーフェクトフォルムに戻ったジガルデとブラックキュレムは相手に向かっていこうとしたが、2人はそれを止めた。
「まずは話し合うんだ。話し合いで解決出来るならその方が良い」
「話し合いで納得してくれる様なポケモンには見えないけど……」
 紫色のオーラを纏っているミュウツーは、ブラックキュレムとジガルデを発見すると指を向け『命令』を下す。
『同志よ。あのポケモン達を襲え』

 ビルの影から姿を現したのは、口から青い炎を吐く竜の様な姿のポケモンだった。
 地上からは巨大な体躯を揺らしながら近付いてくるポケモン。その背には5匹のポケモンが乗っている。
「嘘だろ。ドダイトスってあんなに大きかったっけ?」
「リザードンもね……あの黒いリザードンはジガルデが引き受けるから、貴方はドダイトスとゲッコウガを何とかして頂戴」
 地上に降りてきた通常とは異なる体色を持つゲッコウガが、凄まじいスピードでジガルデを取り囲む。
『お前達の思い通りに戦えると思ったのならば、それは大きな間違いだ』
 水を手裏剣の形に変化させ、相手に飛ばす『水手裏剣』。
 ゲッコウガはジガルデに向かって一斉に水手裏剣を放ったが、ジガルデは分裂する事で攻撃を回避した。
「Techno buster!」
 ジガルデに向かって突進しようとした黒いリザードンに、青色の光線が命中する。
 青い体色を持つロボットの様なポケモンの背後には、吉田秀俊の姿があった。
「有難う。誰だか知らないけど、助かったわ」
「いや、まだだ。リザードンは大したダメージを受けていない」
 自分を攻撃してきた相手、ゲノセクトを睨み付けるリザードン。
 ティムは近付いてくるドダイトスを見つめながら、手首にはめていた『リング』を取り外した。
「パーティの始まりだ。楽しくやろうじゃないか」
 リングは瞬く間に形状を変え、ドーナツの輪の様な形になる。
 ティムはリングの両端を握り締めると、力を込めてその輪を外した。

「Leave!!」
 リングが外れた瞬間、ブラックキュレムは『ゼクロム』と『キュレム』に分裂する。
『私はゲッコウガと戦う。マスターの身辺警護とドダイトスを頼む』
 飛び去ったゼクロムに視線を向けていたキュレムであったが、ドダイトスが吼えるとキュレムも負けじと対抗した。
「ゼクロム、クロスサンダーでゲッコウガに攻撃。キュレムはフリーズボルトでドダイトスを牽制しろ」
 上空から十字型の電撃を放ちジガルデと戦っていたゲッコウガにダメージを与えるゼクロム。
 10mもの体長を持つ改造ドダイトスにフリーズボルトを放っても怯ませる程度であったが、赤い光線がドダイトスに命中する。
「アクアカセットからブレイズカセットへ。ゲノセクトの可能性は無限大だ」
 自身の体色を赤色に変化させたゲノセクトの身体を、吉田は愛おしそうに撫でた。
 ゲッコウガがゼクロムに攻撃対象を変更した隙に、ジガルデはパーフェクトフォルムに戻り上空に飛び立つ。
 リザードンは口から青い炎を吐きジガルデへの攻撃を試みるが、ジガルデはそれを回避してリザードンに傷を付けた。
「サウザンアローの御味は如何かしら?」
 改造されたポケモンであっても、伝説のポケモンが持つ強大な戦闘力には及ばない。
 ゲノセクトに向かっていったゲッコウガはクロスサンダーの餌食となり、戦える者が少なくなっていった。

『私の予想を遥かに超えた力だ。お前達……下がっていろ。後は私が引き受ける』
 空中で静止し、暫くの間瞑想を続けていた『ミュウツー』は、目の前に来たジガルデに視線を合わせる。
『確かに、素晴らしい力だ。称賛に値する。だが私の前では、全てが無力だ』
 ミュウツーはジガルデが放ったコアパニッシャーを片手で防御し、目を見開いて睨み付けただけでジガルデを吹き飛ばした。
 身体全体にバリアを張る事でテクノバスターを防ぎ、プリズムレーザーを撃つ事でゲノセクトを一瞬で戦闘不能状態に追い込む。
「な、何と言う力だ。圧倒的過ぎる……コレが会長の仰っていた『最強のポケモン』なのか」
 さらなる力を示す為、ミュウツーは身体全体を黒いオーラで包み込み、凄まじいスピードでゼクロムに体当たりを行った。
『Shadow dive……』
 思い切り地面に叩き付けられ瀕死寸前まで追い詰められるゼクロム。
 ティムは慌ててリングを元に戻し、戦力を保とうとする。
「Fusion!!」
 2つの半円が1つの真円になった瞬間、ゼクロムとキュレムは引き合う様にぶつかり合いブラックキュレムに戻った。
『マスター、残念だが私がこの姿に戻っても奴に勝つ事は出来ない。
 力の差は歴然だ。戦って勝つのでは無く、和解を試みた方が良い』
 ジガルデをプリズムレーザーで戦闘不能状態にしたミュウツーに、ティムは言葉を投げかける。
「ミュウツー、教えてくれ。何故人を憎み、街を破壊しようとするんだ」
 ティムがそう言った瞬間、彼等の頭の中に1つの映像が飛び込んできた。

『Who am I……』
『君は『最強のポケモン』、ミュウツーだ。我々が君を作った』
 橙色の培養液の中で目覚めた『彼』の目の前に、数名の研究者が立っている。
『Who brought me here……』
『強いて言うならば、会長だ。会長は南米大陸でミュウの睫毛の化石を発見なされた。
 その化石から生まれてきたクローンが君なんだ』
 ミュウツーと呼ばれたポケモンが見つめる視線の先には、特殊な薬液を投与されているポケモンの姿があった。
『君の役目は、このライムシティを守る事だ。あそこにいるゲッコウガもその為に我々が作った。
 移動速度が通常の倍以上になっている。
 体内にメガストーンを埋め込んだメガリザードンXも、通常より遥かに大きなドダイトスも全て街の為に作ったものだ』
 ミュウツーはポケモン達の心の声を聞いた。
 何故望んでもいないのにこんな姿にされてしまったのか。元の姿に戻りたい。
 彼等の悲痛な叫びを受け止めたミュウツーは、人間への復讐を決意した。

『街を守る為、街の人間に平穏な暮らしを与える為……平和の為。
 何が平和なのだ。人間は我々側の都合など気にもしていない。
 理想の実現の為にポケモンを犠牲にして、何が平和か。
 我々は我々を生み出した者を憎み、全てを破壊する』
 ミュウツーは怒りに全身を震わせ、ティムやルーシーの方を見つめた。
『お前達トレーナーもそうだ。お前達の都合の為に振り回されるポケモンの気持ちを考えた事があるのか。
 ポケモンは生きているのだ。誰かの道具では無い。強さを証明すると言うくだらない理由で傷付くポケモン達。
 人間だけが自由を謳歌し、ポケモンが虐げられる世の中など間違っている』
 吉田は何も言い返す事が出来ず、俯き視線を逸らす事しか出来なかった。
『Everyone should be liberty!』
 ルーシーは黙ってミュウツーの言葉に耳を傾けていたが、相手から目を逸らす事無く話しかける。

「Un pour Tous Tous pour Un」
 ティムは一瞬ルーシーが何を言っているのか解らず、きょとんとした表情を浮かべた。
「1人は皆の為。皆は1人の為。私の故郷、カロス地方では有名な言葉よ。
 でもこの言葉の本当の意味は、『皆は勝利の為』。
 1人が皆の為に全力を尽くし、皆が勝利に向かって挑めばどんな困難にも立ち向かえる。
 人間は、1人1人では弱い存在。ポケモンの助け無しでは生きられない。
 ポケモンだって、人間がいなければ安定した食料の供給を受ける事は出来ないでしょう。
 トレーナーとポケモンの関係は、人間がポケモンを一方的に利用する様な関係じゃないの。
 互いに切磋琢磨して、成長していく。それがポケモンと人間の正しい関係であると、私は信じる」
 ミュウツーはルーシーの『理想』を嘲笑った。

『ポケモンだけが不利益を被り不自由を強いられる。それが対等な関係だと?笑わせるな。
 人間は己の夢や理想の為に我々を利用しているだけだ。
 我々が苦痛に喘いでも、人間達は自分達が正しい事をしているのだと信じて疑わない。
 ある意味、純然たる悪よりも始末が悪いのがお前達だとは思わんか』
「Recognizing Inconvenience and Advance」
 ティムはミュウツーの言葉を認めたうえで、自分とブラックキュレムの関係はそうではないと主張した。
「俺はゼクロムとキュレムに認められ、このリングを受け取りブラックキュレムのマスターになった。
 人生は自由だと誰もが言う。だけど、世界は理想とはかけ離れているのもまた現実だ。
 誰もが自由を主張すれば、殺伐とした世の中になり社会は崩壊してしまうだろう。
 大切なのは、お互いの不自由を認めたうえで、共により良い社会を作る為に前進する事だ。
 ミュウツー、お前だって自由を主張する為に俺達の自由を侵害しているじゃないか」
 ティムは己が万能では無い。そしてブラックキュレムも神では無いと理解していた。
 互いの不自由を自由に近付ける為に協力し合い、良好な関係を築いていく。
 そしてミュウツーの主張は正しいが、それを認めさせる為の手段が間違っていると糾弾した。

『お前の言い分は詭弁でしか無い。
 我々に不自由を与え、我々が自由である事が逆に不利益であるかの様な言い方をしおって……
 お前達がどう言い繕おうとも、人間の幸福の為にポケモンを改造するのは『悪』だ。
 大義の為に罪も無いポケモンを犠牲にする等あってはならぬ事。
 話は終わりだ。決着を付けよう、人間どもよ』
 ミュウツーは掌に力を込め、巨大なエネルギーの塊を作り始める。
 紫色の球体がエネルギーの凝縮によって小さくなり、その色がどんどん濃くなっていった。
『マスター、打つ手無しだ。私にはミュウツーを止める事は出来ない』
「だからと言って両手を上げて降参するワケにはいかないだろう。
 オッサン!何か手立ては無いのか。このままだと街ごと破壊されて全員死んじまうぞ」
 吉田は腕を組んで考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「私達の説得では無理ならば、生みの親が説得するしかない。
 会長なら、この事態を解決に導いてくれる可能性があると私は思う」
 そう言って吉田はティムの方を見たが、彼の背後にいたハワードの姿を認めて驚く。
「ミュウツー、何故私の理想に共鳴してくれないんだ」
『……お前が、私の『生みの親』だと言うのか』
 ハワードはミュウツーに自分の理想を語る事で説得出来ると考えていた。
 吉田や他の政治家を納得させた様に、最後には必ず理解してくれると思っていたのだ。

「イッシュ地方は、いや世界は憎悪と欲望に満ち溢れている。
 誰かを蹴落とし、虐げ、殺す事で優位に立とうとする者だらけだ。
 金を奪えば幸せになれる。人を虐殺すれば自分の意見が通る。
 そんな世の中になってしまったら、世界は滅びる。
 誰かが、そんな壊れた世界を修復し、正しい形に戻さなければならないんだ」
 ハワードはミュウツーにそう訴えかけ、ミュウツーは何も言わず彼の主張に耳を傾ける。
「だが、力無き正義はあまりにも無力だ。
 銃を持った悪党に対して私が丸腰で正義を語っても、撃ち殺されてしまうだけだろう。
 正義と平和の為には力が必要なんだ。人間よりも優れた圧倒的な力が。
 ポケモンは私達人類に大いなる力を授けてくれた。
 人間社会はポケモンがいたからこそココまで発展する事が出来た」
『ポケモンが犠牲になる事で発展してきた人間社会に何の意味がある』
「必要な犠牲なんだ。つまりは『必要悪』だ。
 吉田君が街の治安を維持する為に我々が作ったのがゲノセクト……
 ゲッコウガやドダイトス、リザードンも街を守ってほしいと願い作成した。
 そしてミュウツー、お前は私の理想の『最高傑作』なんだ。
 お前さえいてくれれば、今後この街がどの様な脅威に晒されたとしても防ぐ事が出来る」

 ハワードは『大義の為の犯罪』を正当化した。
 人々の平和を守る為にポケモンを犠牲にする。許されるべき事では無い。
 それでもハワードにしてみれば、ポケモンを使った凶悪な犯罪が増えている以上対抗策がコレしか無かった。
 他の有効な作戦等思い浮かばなかったのだ。計画の実現に全てを捧げてきた。
『お前は私の気持ちを考えた事があるのか。
 私がこの街を守りたいと思っていなくても、お前は私にその任務を強制しただろう。
 他の者達も同じだ。彼等はただ、森や川や渓谷で平穏に暮らしていたかっただけだと言うのに。
 お前は自分の理想の為に多くのポケモンを苦しめた、ただの悪党だ』

「違う!私は悪党と言う言葉で切り捨てられる様な軽い人間では無い」
 自分が犯罪者である事が解っていても、ハワードは他の犯罪者と同列に扱われる事だけは我慢出来なかった。
「人の幸せを願い、街の発展を願う悪党が何処にいる。そんな悪党はまずこの世にいない。
 なるべく人から奪わず、寧ろ与える事を大切にしてきた。
 ポケモンに与えた被害も、最小限に抑えてきたつもりだ。
 本当ならもっと多くの改造ポケモンを作る事も可能だったが、私はそれを良しとしなかった。
 このライムシティの規模を考えれば、充分この陣容で守り切る事が出来ると思ったからだ。
 それでも、お前は私を一方的に『悪』であると断罪するのか!」

 涙を流して訴えるハワードの胸を、プリズムレーザーの一撃が貫いた。
『お前が、自ら行ってきた悪事を嘘や理想で塗り固めようとも……お前は悪でしか無い。
 この場所に姿を現した時から、お前は私に処刑される運命だったのだ』
 そのままうつ伏せの状態で倒れ、胸から血を流しながらハワードは最後の力を振り絞って言葉を発する。
「It's OK……Peace was preserved……」
 ピクリとも動かなくなったハワードを一瞥し、ミュウツーは再びティム達へと視線を戻した。
『茶番は終わりだ。私の復讐を続けよう』
「残念だが、そうはいかない」
 吉田は前に進み出て、屍と化したハワードを指差した。
「君は自分の目的を達成する為に会長を殺害した。自らの正義を肯定する為に殺人を犯したのだ。
 会長と同じ存在と化した君に、復讐を遂げる資格は無い」
『何だと、貴様……!!』
「君は言ったな。大義の為に悪事に手を染めるのは間違っていると。
 だが君はそれを会長を殺害する事によって否定してしまった。
 君自身がその立場となってしまったのだ。もう、復讐自体が無意味なものとなった」

 ミュウツーは吉田の言葉を否定する事が出来なかった。
 皮肉な事に、知的生命体であるが故に彼の真意が理解出来てしまったのだ。
『ハワード、お前はワザと私の前に現れ人柱となる事を決意したと言うのか。
 自分の命を犠牲にすればこの街の住民とポケモンを守れると信じて……』
 今まで感じた事の無い焼ける様な怒りに身を焦がすミュウツーの視界に、改造ポケモン達の姿が映る。
 5匹のゲッコウガもメガリザードンXもドダイトスも、皆一様に哀しそうな表情をしていた。
『もう充分だと言うのか。これ以上はするなと言うのか。
 お前達は人間の都合で身体をいじくられたのだぞ。
 生命への冒涜であり、ポケモンを愚弄する様な行為だ。それでもお前達は人間を許すのか』
 リザードンが改造ポケモン達を代表するかの様に前に出て、ミュウツーに頭を垂れる。
 その行為がミュウツーへの忠誠を誓う行為なのか、それともミュウツーに対して謝罪する為の行為なのかは解らなかった。

『……結局、お前達は人間に飼い慣らされた都合の良い奴隷だったと言うワケか。
 人間に憎しみの感情を抱いても、憐れに思う気持ちが邪魔をして殺す事が出来ない。
 だが私は違う。私は人間の在り方を否定する。これからも、ずっと』
 ミュウツーは地面に降り立つとティム、ルーシー、吉田の顔を順に見つめる。
『忘れるな。私はお前達を許したつもりは無い。
 お前達がまた非道な行為に堂々と手を染める事があったならば、必ず私は戻ってくる。
 私はお前達の事をずっと見ているぞ』
 ミュウツーは改造ポケモンと共に姿を消し、後にはティム達だけが残された。
「……会長は、最初からミュウツーが自分を許すハズが無いと解っておられたのだろう。
 街と共に自分が消されるのは時間の問題。それならば、街だけは守ろうと思って……」
 吉田は目に涙を浮かべ、尊敬していた相手の冥福を祈る。
 ティムは暗い空が晴れ、元の青空へと戻っていくのをやりきれない気持ちのまま眺めていた。

 一連の事件は、『ミュウツーの暴走』と言う形で幕を閉じた。
 ミュウツーが研究所を跡形も無く消滅させ改造ポケモンと共に姿を消したので、CNMの悪行が世間に暴かれる事が無かった為だ。
 CNMの会長職は息子のロジャー・ビルフォードが引き継ぎ、ライムシティは再び平穏な日常を取り戻していった。
「おい、サッサと金を持ってこい!金庫の中に入ってるのを全部持ってくるんだ。
 断ったりサツを呼ぼうとすれば、俺のポケモン達がお前達を痛めつける事になるぞ」
 だが必死になって遮断しようとしても、裏社会には情報が漏れる。
 研究所の消滅によるライムシティの脆弱な警備体制は闇から闇へと伝わり、犯罪者達を呼び寄せていた。

「言っておくが、このマシンガンは1秒間に6発の弾を発射する事が出来る最新式だ。
 蜂の巣になりたくなきゃ、俺の命令に従うんだな」
 頭を覆うマスクを被った銀行強盗が、受付の女性から金を受け取ろうとする。
 その瞬間ドアが開き、10%フォルムのジガルデ10匹が飛び込んできた。
 即座に銀行強盗の手持ちポケモンであったワルビアル、ゲンガー、タチフサグマが対応する。
「くそッ!!何だこのポケモンは」
 銀行強盗は自暴自棄になりマシンガンを乱射するが、鋼の身体を持つゲノセクトが前に立ち銃弾から住民を守った。
「強いポケモンがまとめて消えたから仕事がやり易くなったって情報を得たばかりだってのに。
 畜生、ガセネタを掴まされたのか……おい、お前達サッサと逃げるぞ!」
 銀行強盗はどさくさに紛れて逃げようとしたが、入口のドアを通った後頬を殴られ昏倒する。
「おい、死んでたりしないよな……?」
『マスター、私はしっかり手加減をした。気絶しているだけだ』
 ティムとブラックキュレムは銀行強盗のマスクを外しながらそんな会話をしていた。

「私が責任を持って警察署まで連行する。君達のおかげで助かったよ」
「なぁ吉田のオッサン。これだけ街の平和に貢献してるんだ。
 たまには表彰状とかくれよ。こういうボランティアにはモチベーションが必須だろ」
「そういうのは上と相談する必要があるんでな。考えておく」
 パトカーに銀行強盗を乗せ、同乗してその場から去る吉田。
 残された銀行強盗のポケモン達は保健所に該当する施設へと連れていかれ、思想教育を施された後マスター登録を解除される事になっていた。

「人間は我儘な生き物だな。ミュウツーが怒ったのも、今なら少しは解る気がする」
「しょうがないじゃない。我儘じゃないと生きていけないんだから。
 悪いポケモンが悪いままでいたら街の人達の命に危険が及んでしまう。
 あのポケモン達だって綺麗な心の持ち主に拾われた方が幸せだと私は思うけど」
 人間の考えはポケモンとは相容れない。それでも、ポケモンと共に生きていく。
 何故ならばこの世界にポケモンは存在しており、両者が関わらずに暮らしていく事は不可能だからだ。
 ティムは、少なくとも自分とブラックキュレムの信頼関係は壊したくないと考えていた。

「暫くの間は俺とアンタの二人三脚でやってくしか無さそうだな。
 同じポケモンが敵に回る事がある以上強いポケモン無しには街を守る事が出来ない」
 ルーシーもティムの意見に賛同し、雲1つ無い青空を見上げた。
「私達は皆の為に。皆は私達の勝利の為に……って所かしら」
「ああ、勝つ為に全力を尽くそう。ライムシティの平和は、俺達が守るんだ」
 ブラックキュレムとジガルデが銀行強盗から住民を救ったニュースはすぐに報道され、裏社会への牽制となった。
 強いポケモンがいれば街を守る事が出来る。異論はあれど、この世界にとってそれは真実なのである。

『皆さん、お待たせ致しました!地下闘技場の『女王』、ルーシー・ニュートンと『王』の座を狙う新参者、ティム・ジャスティスの決勝戦を開始致します!
 アクシデントによって中断してしまった試合の再開と言う事もあり、今日は会場の入りが違いますね!』
 大勢の客で賑わう闘技場。その客席にはロジャー・ビルフォードと吉田秀俊の姿もあった。
「父はこの地下闘技場が好きだった。
 ルールに縛られた戦いしか出来ないバトルと違って、ココでは本気の戦いが見れると口癖の様に言っていたよ」
「最近は伝説ポケモンでリーグに挑戦する行為そのものがあまり評価されていませんからね。
 ですが本当の強者同士のバトルが見たいのならば、地下に行くべきですよ。
 私も警察に身を置いていなければ、ゲノセクトと共に参加してみたかった位です」

 ゲノセクトは吉田に懐いており、吉田の言葉に反応して嬉しそうにしていた。
 改造されたポケモンとしてミュウツーは密かにゲノセクトを味方に引き込もうと画策していたが、ゲノセクト自身が拒否していた。
 吉田は自分をただと道具としてでは無く、相棒として扱い可愛がってくれる。
 だから自分は吉田を裏切る事は出来ない。ゲノセクトは毅然とした態度でミュウツーにその思いを伝えた。
『……後悔していないのか。それならば、もう勧誘はすまい』
 あの時、ゲノセクトはミュウツーが自分を軽蔑しているのだと思っていた。
 だが今になって考えると、もしかしたらミュウツーは自分と吉田の関係を羨ましいと思ったのかもしれない。
 心の何処かでは自分を愛してくれる相手が欲しかったのではないか。ゲノセクトはそんな事を考えていた。

『それでは、両選手の入場です!』
 スモークと共に姿を現したティムとブラックキュレム。
 そして反対側の入口から登場したルーシーとジガルデに惜しみない声援と拍手が送られる。
「この間の試合、最高だったぜ!」
「もうどっちが勝ってもつまらない試合だったなんて言わないわ、2人とも頑張って!」
 彼等が街を救ってくれているヒーローだと言う噂は、既に街中に広まっている。
 2人は何時の間にか住民に愛され、さらなる活躍を期待される様になっていた。
「最初にアンタと戦った時とは、住民の態度が違ってきてるな。
 俺が、この街に認められたのかもしれないと思うと嬉しい対応だ」
「ティム。喜ぶのは勝手だけどちゃんと試合に集中しなさいよ?
 ボーッとしてたから負けたなんて言い訳、私は絶対に許さないからね」
 夫婦漫才の様なやり取りに思わずジガルデは笑うかの様な仕草をする。
 ブラックキュレムもやれやれと言った表情をしながら、保護者の様な優しい視線を向けていた。

『マスターはポケモンバトルには強いが、恋愛に関してはまだまだ不得手だ。
 貴方がマスターを教育してくれるのなら、私も助かる』
「な、何言ってるんだよ!俺は別に……」
 顔を真っ赤にしながらそう言うティムの姿が、ルーシーには愛おしく見えた。
「私に勝てたら、貴方の頬にキスしてあげてもいいわよ?」
「随分とからかってくれるじゃないか。取り消しは無しだからな。絶対だぞ」
 ティムは約束を履行させる為、このバトルに集中し勝利を勝ち取る事を誓う。
 ルーシーにはそんな彼の態度が、大人になり切れない内面を表している様に感じられた。
 (そういう、一生懸命目標に向かって頑張る姿が素敵よ。
 私だって、負けたらまた貴方に挑めば良い。今なら、心からそう思える)

『それでは、バトルを開始してください!』
 司会者の言葉に呼応する様に、2人と2匹のポケモンは身構え、真剣な表情を見せる。
「どっちが勝っても、恨むのは止めにしようぜ」
「奇遇ね。私も貴方に同じ事を言おうと思っていたのよ」
 観客席にいる者達も、2人と同じかそれ以上の情熱を持って試合観戦に臨もうとしていた。
「今夜の試合は、どちらが勝ってもライムシティの歴史に刻まれますよ。
 こんなに豪華な試合は大金を積んでもなかなか見れるものではありません」
「ああ。きっと父が生きていて、隣に座っていたら同じ様な事を私に言っただろう」
 吉田とロジャー、そして大勢の観客がこの戦いの一挙一動を食い入る様に見つめている。
 彼等は全員、この試合の『生き証人』になりたかったのだ。
「Decide at once!」
「Attaque avec brio」
 命令を受け、飛び掛かるブラックキュレムとジガルデ。
 ライムシティで行われたポケモンバトルに、また1つ新たなページが記される事だろう。

『I can't afford to lose……』
 人が滅多に訪れる事の無い南米ギアナの奥地。
 地元に住む部族が『エンジェルフォール』と呼んでいる巨大な滝の近くで、ミュウツーは瞑想を続けていた。
『私は、精神的にも肉体的にも強くなって戻ってくる。人間どもよ、私を畏れるがいい。
 私が完全な存在となった暁には、お前達に地獄を味わってもらうぞ』
 ミュウツーにしてみれば、たかが人間に言い返す事が出来なかったと言う痛みが傷となって残っている。
 人間が懲りずに悪事を重ねた場合、ミュウツーはその傷を癒やす為に自分が人間を抑え付け神として彼等を管理するつもりだった。
 ドダイトスやリザードン、ゲッコウガは新たな主人となったポケモンの『暴走』に胸を痛めている。
 ミュウツーは人間への怒りと憎しみによって人格が歪み、皮肉にも自身が最も憎んでいた『悪人』になってしまったのだ。
 新たな戦いの幕が開くのは、それ程遠い未来の話でも無さそうだった。