次元オバケのカメラマン

この作品はR-15です

「ナーガーレーっ、起きてるかー」
 友達の声が聞こえて、私は目を覚ました。今日のお出かけのタイミングは完全に彼に任せていたので、すっかり眠り込んでしまった。小さな手のひらが顔に触れ、くすぐったい。
「おはよう、オルフェ、今起きたよ」
 ゆっくりと起き上がり、ふらつく頭をゆっくりと覚醒させていく。目を開ければ、小さな友達が自分の顔をまじまじと見つめている。ピカチュウという種族の小さな黄色い体は、ネズミのように騒がしい。
「今日は村長のところで稽古つけてもらうんだって言ったろ? しかも今日が最後なんだから。ぼんやりしてるとボコボコにされるぞ」
 彼の言葉は呆れが半分、心配が半分といったところだろう。この島に流れ着いて三ヶ月が経つが、まだまだ馴染めない文化がたくさんある。今日の用事も、その一つだった。
「あんまり気が進まないなぁ」
「ダメだって」
 冗談半分に言ってみると、不機嫌そうな声が返ってきた。あまりからかい過ぎると電撃を使ってでも連行されそうなので、ほどほどにしておくことにする。早く早く、と先走るオルフェに手で合図して、寝床代わりの脱出ポッドから降りる。

 脱出ポッドに乗って宇宙を漂流し、悠久の時を経て私は目覚めた。漂着したのは、多種多様な知的生命体の暮らす惑星だった。住民の姿はトカゲに似ていたり、ウサギに似ていたり、とにかく千差万別で、一言では言い難い。その多くが不思議な力を持ちながら、驚くほど平和に暮らしている。あまりに牧歌的で、おとぎの国に迷い込んだのかと錯覚するほどだった。
 彼らが友好的に接してくれるのはありがたいことだった。異星人に友好を示す手段は学んできたつもりだったが、実践となるとセオリー通りにはいかないこともある。どのようにこの星の住人に受け入れてもらおうか考えてはいたが、ほぼその必要は無かったと言える。脱出ポッドから出た時、私に向けられたのは新しいものに対する期待に満ちた視線だった。彼らはこちらが名乗るよりも先に、私のことを「ナガレさん」と呼んだ。流れ星に乗ってやってきた流れ者、という意味らしい。折角なので、今もそう名乗っている。
 海に落下したポッドを陸地まで引き上げてくれた、村の皆さん。ポッドを家代わりにできるよう、庇と階段をつけてくれたドテッコツのギルさん一家。服が必要な自分の為に編んでくれたハハコモリのジョイスさん。島の優しい方たちの好意を受け取りながら、穏やかな日々を過ごしている。
 ピカチュウのオルフェは私の良き話し相手になってくれた。私の故郷の星のことにとりわけ興味があるようで、暮らしぶりや面白かったことなどを沢山話した。色々な話をするうちに、彼とは一番気の置けない関係になった。
 彼の一家は漁師で、彼らの漁の手伝いをさせてもらうこともある。そんな日はたくさんの魚をお裾分けしてもらっている。取れた魚は、焼くとうまい。内蔵は捨てた方がいいもの、小骨の多いものなど、食べ方についても多くを教えてもらった。
 この日も朝は彼らの漁を手伝っていた。日が昇り気温が上昇する頃には仕事も一段落した為、帰ってオルフェが呼びに来るまで一眠りしていた、という訳である。
「あの時はびっくりしたなぁ。まだ昼間だって言うのに、空が光ったんだ」
 砂浜を歩きながら、オルフェは語る。自分の乗るポッドが落ちて来た時の話だった。
「とんでもない速さで、あっちからこっちまで飛んで行ってさ、見えなくなったなーと思ったら、その日の夜にドーン! っておっきな音がして、島のみんなで見に行ったんだよ。そしたら、ナガレの乗ってた家が沖合いに浮かんでた。ちょうどあの辺にさ」
 オルフェは沖の方を指差して、ぐるぐる腕を回した。この浜辺を通る度に、彼はこの話をする。話を聞いていると、ポッドは真っ直ぐ地上に落下したのではなく、この星をぐるっと一周して、この場所に落ちたと言うことなのだろう。
「まだその頃は中で眠っていたから、衝撃とかは感じなかった」
「そうなの?」
「ああ。出てくるちょっと前くらいになって、ようやく起きた」
 色々なケースを想定して、頭と心臓が弾け飛びそうだった。目覚めてから一番命がけだった瞬間だと、今でも思う。
「みんな優しくて、よかったよ」
「だろ?」
 へへへ、とオルフェは笑う。ははは、と私も笑う。

 話しているうちに、村長のいる離れ島が見えてきた。本島から少し離れてはいるものの、潮が引いている時は歩いて渡ることができる。立ち入る時間帯が限られていることが、なおさら島の神秘性を高めているように感じる。
 浜辺から伸びる白い道が島まで伸びている。道は広く、まるで自分たちに開かれているようだ。
 離れ島に砂浜はほとんど無く、岩の階段を上ると、すぐに木々の中に入っていくことになる。中の空気は外とは打って変わってひんやりと涼しく、風が吹き抜けると心地良い。
「ああ、いい風だなぁ」
 オルフェは全身を広げて、空気を味わう。
「空気が外と全然違うね。まるで別の次元にいるみたいだ」
「ははは。でも、それもあながち間違いじゃないぜ」
 そうなのか、と聞くと、彼はうん、と頷いた。
「この場所はやっぱり特別だから」
 この島に立ち入ると、とても静かな気持ちになる。冷たい空気は、厳かながらもどこか包み込むような優しさを持ち合わせていた。私たちの声はしゃらしゃらと鳴る葉っぱの音にかき消されて消えていく。それに合わせて私たちは喋るのを止め、自然と前を向いた。離れ島のちょうど中心に、一本の大木が伸びている。大樹の麓にはたくさんの陽が降り注いで、気が付けば引き寄せられていく。そうして進んでいくうちに、植物が綺麗に刈り取られた広間に辿り着く。
「村長、来たよ」
 気さくにオルフェは呼びかける。ご無沙汰してます、と私は頭を下げる。
「よく来たね。今日もいい天気だ」
 背高のっぽの黄色い生き物……デンリュウという種族の男が、かがんだ姿勢から起き上がり、こちらに向いた。手に持った沢山の雑草を見るに、草むしりをしていたようだ。彼が、島にいくつかある村の一つを治めている村長である。揉め事や特別な出来事があった際に取り仕切る役目を負っているが、普段はこの島の手入れをして過ごしているという。自分には彼らの年齢のほどは見た目では分からないのだが、彼に限ってはオルフェや他の島民に聞いても歳のほどは分からないのだとか。一つ言えるのは、彼は根っからの祭好きであるということだ。ただ、この島の祭は少々野蛮なニュアンスを含んでおり、私としてはあまりいい気はしていない。
「さて、二人とも。祭までの最後の稽古だ。頑張ろう」
 村長は短い腕を伸ばして高く掲げる。ガッツポーズのつもりなのだろうか。オルフェもつられて拳を天に突き上げた。
「どっちからやる?」
 全身を逸らせて準備運動をしながら、村長は尋ねた。はいっ、はいっ、と横から大きな声が聞こえる。唐突に静寂を破られ、思わず心臓が跳ね上がってしまう。村長はゆっくりと頷くと、広場の中央までゆっくりと歩いていき、振り向いた。
「そしたらオルフェ。全力で来なさい。遠慮はいらないよ」
 と、優しく微笑む村長の瞳は、閃光のような輝きを放っていた。
 触発されるように、オルフェが弾丸のような速度で飛び掛かる。
 オルフェと村長が頭と頭でぶつかり合い、ばちっ、という破裂音と共に閃光が飛び散る。その光景が目の奥に焼き付いたかと思うと、次の瞬間には残像となった。次に見えたのは、こちらへ吹き飛ばされるオルフェの姿。顔の横をふっと掠め、耳元で風が起こる。くっそ、と呟いた声が聞こえた。彼の姿を確認しようと顔を向けたが、既に黄色い姿はそこには無い。またしても、村長の胸元へと突撃していた。村長はひらりと身を翻し、弾丸と化したオルフェの攻撃をかわした。勢い余って、オルフェは地面に転がる。
 この島の住民たちは大抵、バトルと称して己の力をぶつけ合うことを好んでいる。デンリュウもピカチュウも、電撃を操ることに長けており、ぶつかり合う二人の周囲のあちこちで文字通りの火花が散っている。その度に驚き、身体がびくっとしてしまう。私には、彼らのバトルと喧嘩との違いが良く分からない。暴力ごとには変わりがないような気がしてしまうのだ。ましてや、これを自分もやらなければならないと思うと、猶更である。
「だぁぁぁぁ~、ダメだ、当たらねえ。村長ってばずるいよ」
 気が付くと、オルフェは息を切らして倒れていた。
「いやぁ、上出来、上出来」
 対して、けらけらと笑う村長は全く疲れている様子を見せない。オルフェの攻撃は打撃も電撃も全ていなされてしまっていたようだ。
「では、次はナガレさん、やりますよ」
 にやりと笑う顔が見えた。やれやれ、諦めるしかない。私は立ち上がり、足取りの重さを隠しながら歩く。
 村長がこれほど熱を入れて村の若者を鍛え上げるのには理由があった。明後日に開かれる祭では、島全体の住民が集まって大バトル大会が開かれる。島にはもう一つ村があるが、その住民のほとんどが一同に会するのであるのだから、相当な規模である。そのバトル大会の参加者として、自動的に自分も名を連ねることになってしまっているのだ。
「どうもナガレさんは優しいところがあるようだね。バトルでも相手を傷付けるのがいやだと見える」
 以前、徹底的にやり込められた記憶が蘇る。攻撃せよと言われても、相手を傷付けることをためらっているうちに電気を纏ったパンチを数発もらってしまったのだ。そして今回の稽古でも手を出すことが出来ないうちに尾で足払いを喰らい、転んでしまったのであった。

 村長との組手が全く形にならず、諦めてオルフェと交代した。小さな体で縦横無尽に飛び回り、まだ立ち上がれるその体力は凄まじいものを感じる。自分にはないものだ。
 休憩がてら、島の奥を散歩して回ることにする。
 大木の裏側には、離れ小島のもう一つの神秘が存在する。大木の裏側に隠れた、小さな池である。
 池の水は暗く、空の色を反射しているようにも、透明にも見える。かと言って、塗りつぶされたような色合いでもない。景色の一部として見るとそこに水が張っていないように感じられ、底を覗き込もうとすると途端に見えなくなる、不思議な池である。この池は、この村で亡くなった者の亡骸を沈めているのだという。この池を通じて死者は「つぎの次元」に行けるのだ、とオルフェは言っていた。そして、また帰ってくることが出来るとも。
 池の水をじっと見つめる。奥を見透かそうとすると、途端に池は扉を閉ざしてしまう。それでも、私は池を見つめる。この地に来るまでに失ったものも、沢山ある。離れ離れになってしまった人たちも、この池を抜ければ安らかに眠ることができるのだろうか。目を閉じて、大事な人を思い出す。どうすることもできなかった過去に思いを馳せて、一人問いかける。この時間が、自分にとっての慰めであった。
 ふと、ポケットに忍ばせていたものを取り出した。デジカメである。私にとって大切な時間が切り取られている、思い出の品だ。完全にバッテリーが切れているのか、故障しているのかは分からないが、どのボタンを押しても起動はしない。きっとあまりにも長い時間が経ってしまったのだろう。使えないのにも関わらずこうして持ち歩いているのは、ただお守り代わりにするためだった。
 この池に来ると、デジカメを沈める想像が脳裏をよぎる。死者を沈めて弔うのであれば、このデジカメを沈めることで、過去の自分の思いも浮かばれるかもしれないと思った。だが、どうしてもできない。もう恐らく戻ることのできない故郷をまだ諦められないでいる自分に、力なく苦笑するしかなかった。
「……る」
 ふいに、地面を揺るがすような声が響いた。反射的に、顔を上げる。
 巨大な頭と茶色の瞳が、こちらを覗き込む。私は思わず、目を見開いた。島の中心の大木は、ドダイトスという背中に木の生えた亀のような種族が、長年かけて成長した姿だと聞いている。言葉だけでは想像できなかったが、いざ目の前にすると、それがどういうものなのかが分かったような気がする。とにかく、大きい。今の地鳴りのようなものも、この島の主のものと言うのなら納得である。
「悪い客が、来る」
 今度ははっきりと彼の言葉が聞こえた。あっけに取られているうちに、彼は目をつぶり、また島と同化してしまった。しばらく待ってみたものの、もう一度巨木の本体が目覚めることはなかった。すっかり自問自答を繰り返す気分ではなくなり、そろそろ広間に戻ることにする。
 悪い客が来る。胸の中で、彼の言葉をもう一度繰り返した。予言めいた響きだと思った。何の事かは分からないが、ただ確実に何かが起こる。そういう説得力を持った言葉だった。
「はい! もっと素早く! そこで電撃! スキを突く!」
 広間に戻ると、村長の大声が聞こえた。集中しているのか、オルフェは全くの無言だ。白熱しているなぁ、と眺める。ふと、カメラを取り出し、シャッターを切るポーズを取ってみる。黄色い竜と黄色いネズミが、電撃を飛ばし合いながら組手を行っている。自分の故郷では、絶対に見ることのできない光景だ。
「あれ?」
 ふと声に出して呟いた。デジカメの液晶が白く光ったかと思うと、目の前の景色が画面の中にぱっと映し出された。ちゃんと起動している。なぜ今になって電源が入ったのかは分からないが、とりあえず一枚。
 カシャリ。わざとらしい音が鳴り、目の前の景色が切り取られる。村長とオルフェが電撃をぶつけ合う光景。この星の生き生きとした活動が記録された。

「ナガレ~、そろそろ帰ろうぜ」
 顔を上げると、オルフェの姿がそこにあった。今日の稽古は終わりらしい。
「何見てるの? 前言ってたやつ?」
「あぁ。これね」
 私はデジカメを少し高く掲げた。二人のバトルの様子を収めた後、データを確認している時に気付いたのは、昔の写真が全て消えてしまっていたことだ。メモリがやられてしまったのかもしれない。どうして消えてしまったのか、復元する方法がないか、色々試しているうちに結構な時間が経ってしまっていたようだ。
「デジカメ。壊れてるって思ったけど、回復したみたいだ。丁度さっき一枚撮ったところなんだけど、見るかい」
 画面を操作し、オルフェに見せる。二人の電撃がぶつかりあう瞬間が、画像として写し出される。おおぉ、と興奮した声を上げてはしゃいだ。後ろで村長も、感心したように画面を見つめている。
「すごい! これおれと村長? どうなってるんだこれ」
「こうやって使えば、写真を撮ることが出来るんだ。やってみるかい」
 私はオルフェにカメラを持たせた。自分には片手で持てるサイズでも、彼にとっては両手でしっかりと掴まなければいけない。少しだけ起動の手助けをしてやり、シャッターさえ押せば撮影できる状態にする。
「すげえ」
 画面の中と外の様子を見比べて、あちこちを見渡す。シャッターボタンを指で示して、ここを押すよう指示する。彼は短い指を何とか届かせると、音と共に画面が白く光り、風景が切り取られた。驚いたように、また声を上げるオルフェ。
「面白いなこれ」
 画面越しに風景を見つめながら、歩き出す。ふいに振り返ると、こちらに向かってカメラを構えた。しばらくすると、画面を確認し、納得した様子で戻ってくる。
「見てみて」
 カメラを手渡された。画面を見ると、大木をバックに、小さな自分と村長が並んだ姿が写っている。特にポーズも何も取っていない、自然体の二人がそこにいた。
「どう?」
「うん。上手く撮れてる」
 後でズームのやり方とか教えてやろう。そんなことを思いながら、オルフェにまたカメラを手渡す。すっかり気に入ってしまったようで、あちこちを回ってはシャッターを切っている。これはしばらく手放しそうにないな、と苦笑した。
「楽しそうですね」
 私は村長に話しかけてみた。
「オルフェって、いつも元気が有り余っているみたいだ」
 村長はゆっくりと頷く。
「小さいころから、あの子はいつも無邪気だね。大変なこともあったけど、いつだって彼は素直な心を忘れない。あの子のいいところだよ。それに、君が来てから彼はより楽しそうになった」
「そうなんですか」
「そうだとも」
 満足そうな瞳が、こちらに向けられる。少し照れくさくて、目をそらす。
「僕はまだ、この島に来てから助けられてばかりです」
 気が付けば遠くへ走って行ってしまうオルフェの姿を見ていると、微笑ましい気持ちが沸き上がる。そうやってはしゃぐオルフェにも、悲しみや苦しみがあったのだろうか。
「そういえば、村長さん」
 ふと思い出し、話を変えた。
「さっき池の方に行ってたら、声が聞こえたんです」
 もしかすると、大事なことかもしれない。彼に話すのが得策だろう。
「その声は、何と?」
「『悪い客が来る』。そう言っていました」
 緩んでいた村長の顔が、急に引き締まったような気がした。すっと立ち上がると、私にも立ち上がるように促した。
「ありがとう。君は大事な伝言をしてくれた。君たちもそろそろ帰るといい。私もこれから本島に行くから、一緒に行こう」
 理由は説明されなかったが、彼にとってこの言葉はとても重要な意味を持っていたようだ。深刻そうな表情を見ていると、これ以上何かを聞けるような雰囲気ではないと悟り、黙って後を付いていく。早足で島の出口へと歩いていく村長の姿に気付き、オルフェもカメラから目を離す。
「オルフェ。今日はもう帰りなさい。帰り道で誰か見かけたら、『悪い客が来る』ことを伝えてくれ」
「えー、この時期に来るの? やだなぁ」
 嫌悪感たっぷりにオルフェは言う。
「ナガレさんが聞いてくれたそうだ。お礼はちゃんと言うんだよ」
 二人が振り返り、自分の顔を見つめる。状況が飲み込めず、きょとんとしてしまう。すぐに村長は振り返り、島を出て行こうと歩みを進める。
 オルフェは足を止め、自分を待ってくれている。近づくとカメラを差し出し、自分に返してくれた。ありがとう、と伝えると、どういたしまして、と返ってくる。その表情は笑ってはいるが、どことなく覇気がなかった。やはり予言のような言葉のことが気がかりなのだろう。
「池を眺めていたら、ふいに『悪い客が来る』ってあの大木の主が喋ったんだ。あれは一体、なんだったんだろう」
 歩きながら、オルフェに尋ねてみる。
「そっか、言ってなかったっけ」
 オルフェは言う。話を聞いていると、どうやら私の聞いた声は本当に予言の類のものらしい。ドダイトスは危機が訪れるのを察知すると、島の誰か一人にだけ、予言を伝えるそうだ。その内容は決まって、『悪い客が来る』なのだという。一緒にいる時間の長い村長が聞くことが多いが、予言のタイミングによっては別の誰かが伝言役となる。伝言役となった者は他の島民や村長に伝え、村長が島全体に予言があったことを広める。
 悪い客の正体は、大抵の場合は嵐だ。七日後か十日後か、はたまた三十日後か。明日すぐに来る、などとという事はほぼないものの、とにかくドダイトスが喋った時は近いうちに大きな嵐が来る。彼らにとって、ある種の天気予報という認識のようだ。その予言を受け、島の住民は家を補強したり、仕事で使う道具を整理したり、食料を蓄えたり、雨風に備えるのだ。

 帰り道、とん、とん、と小さな太鼓を打ち付ける音が聞こえた。その音はゆっくりとこちらに近付いて来る。やがて派手な装飾に身を包んだ一団の姿が見えた。隣村のお偉いさんかな、とオルフェが話した。この村で祭を開く以上、住んでいる場所が遠い人は泊りがけで移動することもある。前々日の日中とは少し早い気もするが、上の立場の者ならば当日の打合せということもあるのだろう。
 彼らもまた、装飾など無くとも様々な姿をしており、背の高いものから足で踏みつけてしまいそうなほど小さなものまで、多種多様であった。そのうちの一人に、私とオルフェは視線を釘付けにされた。
 オルフェと同じ、ピカチュウである。
 そのピカチュウはオルフェより少し小柄で、ギザギザの尻尾の先が僅かに二股に分かれていた。毛並みはオルフェと違って艶があり、朱いスカーフのようなものを巻いていた。布には黄色い刺繍が施されており、端には小さな宝石が数珠状に連なっていた。他の者たちと区別をつけるかのような高貴な装いと、少し潤んだような瞳が印象的であった。
 すれ違う僅かな時間の殆どを、そのピカチュウはオルフェに視線を向けることに使っていたことに、私は気付いた。様々な姿を持つ者達が暮らすコミュニティの中で、同じ種族に出会うことが珍しいのかもしれない。
「あ、あのっ」
 オルフェが声を上げる。
「『悪い客が来る』って。だから、気を付けて」
 なにっ、そうなのか。オルフェはそのピカチュウに向けて言ったつもりだったのだろうが、大きく反応したのは周りの者たちだった。ある者は空を見上げ、ある者は小さな声で話し合った。概ね不安げな様子であったが、そのピカチュウに動揺した様子は無かった。ただ何かを伝えようとして口を開こうとしたが、別の者の声に遮られてしまった。
「ありがとうな、ボウズ。祭はどうなるか分からないけど、お前の活躍を楽しみにしてるぜ」
 軽い挨拶を交わし、その一団は通り過ぎて行った。しばらくの間、オルフェはその一団の行く先をじっと見つめ、歩き出そうとはしなかった。
「……なぁ」
 最後の一人が見えなくなりそうな頃、オルフェは口を開いた。
「あの子、すげぇ可愛かったな」
 一瞬何の事か分からなかったが、さっきのピカチュウのことなのだと思い至る。
 そして、微動だにせず立ち尽くすオルフェの姿を思い出す。なるほど、そういうことか。その結論に思い至った時、私は大笑いしそうになるのを懸命にこらえた。オルフェは今も、彼女と目が合ったあの一瞬を何度も繰り返しているに違いない。そして、これから悶々とすることだろう。私の想像を悟られないよう、できるだけとぼけたような返事を選ぶ。
「あの子……女の子だったのか」
 あのピカチュウが女性であることに気付かなかったのは事実である。
「ええっ!? そりゃないよ、ナガレ」
「残念ながら、その辺りの見分けはまだ全然つかないのが実情でね」
 私は肩をすくめた。
 帰りの道中、私はひたすらオルフェからたった一度見ただけの女性の美しさを力説された。ひたすら夢中になる彼を見るのは、やっぱり面白い。もしものことがあれば一肌脱いでもいいかもしれないな、などとぼんやり考えているうちに、太陽が沈んでいく。今日という一日が終わる。

 翌日、オルフェ一家の漁の手伝いを終えた後、祭の会場の準備に参加していた。この島の住民のおおよそは自分より小柄なため、力仕事を任されることが多い。おおよその舞台は完成しているが、細かい装飾などで決まっていない部分や急な変更も多く、その対応に追われていた。
「いやーナガレさんが色々やってくれて助かるわぁ」
 ひと段落したところで、傍に座っているヌオーのおばさんに声をかけられた。私は微笑む。
「これくらい、お安い御用ですよ」
「明日はあんたも出るんでしょう? 活躍期待してるからねぇ。はい、お水」
「さあ、そっちはどうでしょうか。ありがとうございます」
 私は苦笑し、水の入った器を受け取る。
 その時、丁度オルフェが近付いてきた。
「ナガレっ、今ヒマかー?」
「うん。休憩中」
 汗を拭い、配られた飲み物に口をつけて答える。ココナッツのような果実から取れる液体は、ほんのり甘い。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
 オルフェはバツが悪そうな顔をする。一体どうしたんだ、と聞いてみても、言葉を濁すばかりで要領を得ない。
「あー、何て言うか……とにかく、付いてきてくれよ。頼む」
 一体どうしたというのだろう。そそくさと立ち去るオルフェを見失わないように気を付けながら後を追う。やがて一つの建物が見えてきて、そこが集会所であることに気付いた。この島では標準的な、高床式の建物である。今はちょうど、デンリュウの村長や隣村の上役達が明日の祭の打合せを行っている最中だった。入口の階段前には見張りが一人立っており、物々しい雰囲気を伺わせる。
 こんにちは、とオルフェは見張りに挨拶し、建物の横を通り過ぎていく。私も彼に習い、何食わぬ顔で挨拶を交わす。彼(彼女かもしれない)は声を出さず、こちらを一瞥して頷くだけだった。オルフェの時もそうであり、職務に忠実なのかもしれないな、と思いながら建物を横切る。
 オルフェは建物の裏で立ち止まった。彼に追いつくと、オルフェは声をひそめた。
「ファインプレーだったぜ、ナガレ。あの見張りに気付かれるとまずいんだ」
 彼の用事は、出来るだけ素早く済ませる必要があるらしい。私は一瞬、見張りの方を見やった。オルフェも周囲を警戒する。自分たちを見ている者は誰もいない。建物の中からは話し合う声が僅かに漏れてくる。彼の真意は掴みかねているが、正直なところ、彼の行動に興味があった。壮大な計画を練るかのような、子どもの頃に戻ったかのようなわくわくした気持ちが沸き上がる。
「何をして欲しいんだ」
 私はしゃがみ、オルフェに顔を近付け、率直に聞いた。
「この中にあの子がいるんだよ。この集会所、結構壁がオンボロじゃん。その隙間から覗けば、もしかしたら見られるかもしれない。だから、肩を貸してくれ」
 彼の言う通り、集会所の壁にはいくつか隙間がある。場所によっては、隙間というよりもはや穴と呼んでもいいほどの大きさである。加えて、その穴は自分の背丈よりも少し高い位置にある。オルフェが私の肩に乗れば、中の様子が伺えるかもしれない。
「分かった。乗りな」
「ありがとう」
 オルフェを肩に乗せ、私は立ち上がった。穴の位置まで移動し、オルフェが覗きやすい高さに調整する。もう少し下げて、とオルフェの声が聞こえ、僅かに膝を落とす。ここでいいのか、と確認を取ろうとしたが、返事はない。恐らく上手くいったのだろうと判断し、その姿勢を維持する。
「しかし、一日や二日で来ることがないとは言え、もし嵐が来てしまったらどうするのです」
 中の話し声が聞こえてくる。悪い客のお告げのことらしい。
「参加する方々には申し訳ないが、こちらに泊まっていただくのがよろしいかと」
「やり過ごす方が安全でしょう」
「パネマのこともございます。この子に何かあったらと思うと私は心配で……」
「しかし、今回に限ってはそうでない可能性もある。現に本土の方からこうして警察の方が来てくれたこともありますし」
「警戒は十分にすべきですな。特にパネマ様、御付きの者から離れないように」
 耳を澄ませているうち、あっ、とオルフェが声を漏らした。そのまま、彼は硬直する。そして何か身体を動かしたが、降りようとはしない。気付かれた訳ではないらしい。そのまま、どれくらいの時間が経ったのだろうか。足がそろそろ辛くなってきた頃、明らかに先ほどまでと違った調子の声が鼓膜を直撃した。
「パネマ、一体どこを見ているんだい?」
 気付かれた。
 心臓が跳ね上がる。
 オルフェも同様で、とっさに私の肩から飛び降りる。
「逃げるぞ、ナガレっ」
「おう」
 ささやくようなオルフェの声に応えて、建物が見えなくなるまで走る。
 振り返って見たものの、特別な動きはない。追っ手は来ていないらしい。息を切らして、近くの木を背にしゃがみ込んだ。オルフェもその場に倒れて、空を仰いだ。
「あの子、パネマって言うんだな」
 オルフェはつぶやく。
「君にとっては、願ったり叶ったりじゃないのか」
 祭のバトルに勝つことは島の住民にとっての名誉だが、今回に限ってはもう一つ、褒美がある。
 優勝者には、隣村の村長の第三女と結婚する権利が与えられる。
 つまり、あのパネマというピカチュウと。
「親父にもさ、そろそろ結婚のことは考えろって度々言われてる」
 オルフェは絞り出すような声で呟いた。
「でも本当はさ、この島を出てみたいって思うこともあるんだ。海の向こうには、大陸があって、とてつもなく大きな街がある。この村よりももっと沢山の人がいて、広い世界があるんだ。そう思うと、憧れてしまって止まらないんだ。でも、ここにいるみんなのことも大事だから、置いてはいけない。どうしたらいいんだろうな、俺」
 海を見つめて、その表情は見えない。
 脱出ポッドが入手した地理情報から、海の先に街があることは知っている。恐らく、この星の中でも有数の大都会だ。この島は、そこからさほど遠くない位置にある。海を渡る手段さえあれば、オルフェにも街の地面を踏むことは出来るだろう。だが、今までの自分を全て捨てて、新しい世界に足を踏み入れることは簡単なことではない。本人の覚悟が問われることだろう。
「明日、決めればいいさ」
 私は答えた。
 結婚もしたい。バトルで成果を残したい。だが、新しい世界を求めている自分もいる。
 同時には叶えられそうもない願いを抱いた時には、過去の行いと咄嗟の行動に聞いてみるしかないのだ。
 私は、彼がどれだけバトルに励んできたのかを知っている。

 祭の当日。
 朝一番から会場は賑わい、とりわけバトル会場の周囲には銘々色とりどりの衣装を身に纏っている。頭に花飾りを付けている者、ふわりとした真っ赤な布を腰に巻いている者、それぞれが思い思いの形で周囲を彩っていた。この日の為に沢山用意された祝いの料理も、あっという間に数が半分になっていた。作った人たちも呆れながら苦笑している。この島の人たちにとっては、自身に宿るありあまる超常の力を発揮する最大の機会なのだ。スポーツ、或いはダンスのようなものなのだろう。騒がしさに紛れているうち、自分も楽しくならずにはいられない。
 高台にデンリュウの村長と隣村の村長(あれは確か、キュウコンという種族だっただろうか)が上ると、促されるようにして後から一人のピカチュウ……パネマが隣に並んだ。
「みなの者。今日はお集まり頂きまして、ありがとうございます」
「皆もご存じの通り、もし今日のバトルで最後まで勝ち残った者が未婚の男性の若者だった場合は、私の三番目の娘、パネマと結婚することを許します」
 彼女が畏まった様子で頭を下げると、周囲から興奮に湧く声が上がる。めっちゃかわいいじゃん。あの子とケッコンとかサイコーだね。野性的な呟きもちらほらと聞かれる。楽しそうな会話のする方を見やると、あまり品の良い奴らではなさそうだ。姿を見たことはないが、彼女を知らないと言うことはこの村の者だろうか。自分が勝負に勝てる気は全くしていないが、彼らにはあの子を渡したくないな、と思った。少し潤んだ瞳が、周囲をゆっくりと見渡している。村長の娘にふさわしい、毅然とした立ち居振る舞いだ。一体何を思って、彼女はあの場に立っているのだろう。親に生涯を共にする相手を決められると言うのは、あの子の気持ちに沿ったものなのだろうか。そんなことを考えてしまうのは、よその惑星の全く別の文化からモノを見ているからなのかもしれない。
 二人の村長の説明が終わり、いよいよ宴もたけなわ、バトル大会本番の始まりである。
「それでは、第一戦を始めます。オルフェ対ジョアン。前へ」
 審判はデンリュウの村長が務めるようだ。張り上げた声に従って、オルフェと、ジョアンと名乗るリングマが踊り場へと上がる。二足で歩く熊のような生物はこの星の住人にしてはかなり大柄な種族のようで、彼の背丈は自分よりも高い。オルフェからすれば、もはや巨大な戦艦のようなものだろう。一見、まるで勝ち目がないように見える。
 オルフェは至ってのびのびとした様子で舞台の中央へと歩き、パネマの方を見やった。そろそろ始まると言うのに、相手を見もしないでそんなに悠長にしていていいのだろうか。胸の内に焦燥感が募る。
「それでは、始めっ」
 掛け声と共に、ばちっ、という音が周囲に響いた。
 オルフェの身体が電撃を纏った弾丸となり、リングマの腹を直撃したのだ。
 なんという威力だろう。
 熊の巨体が吹き飛んで、舞台から転げ落ちたではないか。
「勝負あり。オルフェの勝ち」
 村長が叫ぶと、周囲から大歓声が上がる。気が付けば、私も声を上げて手を叩いていた。あいつ、こんなに強かったんだな。村長と手合わせしているところしか見たことがなかったが、ピカチュウの小さな身体に秘められた力がどれほどのものだったのか、初めて目の当たりにした気がした。思わず笑いが止まらない。
 舞台の上で倒れ込んでいたオルフェは身体を起こし、頭を痛そうにさすりながら会場に手を振った。
「お疲れ」
 用意された水を貰い、戻って来たオルフェに駆け寄った。水を手渡すと、彼は一気に飲み干した。
「あー緊張した。どうだった? ナガレも見てくれてた?」
「見てたよ。凄いじゃないか。あんなに大きい相手を一発で倒してしまうなんて」
 傍から見ていたら緊張している素振りなんて全くなかったんだけどな。オルフェの背中をばしっと一発叩いてやった。
「そうだろそうだろ。まだまだ始まったばかりじゃん。負けてらんないぜ」
「次も頑張れよ」
「おう。ナガレもな」
 そうだった。この戦いには自分も参加するのである。オルフェの鮮やかな戦いぶりにすっかり忘れそうになっていた。
「とにかく、やれるだけやってみるよ」
「応援してるぜ! ナガレは三つくらい後だろ。そろそろ準備しとかないとな。それじゃまた後で」
 解放された笑顔で去っていくオルフェとは対照的に、私の心は縛り付けられるような思いだった。
 後に続く闘いを見ていたが、彼らにとって体格差はそれほど大きいものではないらしく、己の持つ超常の力を以て小さい者が大きい者に互角の闘いを演じることは珍しいことではなかった。
「それでは、次の試合を始めます。ナガレ、ナダ、前へ」
 やがて自分の名前が呼ばれる。ナダと呼ばれた相手は、クチートという種族だった。
 背丈は低く、オルフェより二回りほど大きい程度。クリーム色をした人形のような姿は、攻撃をためらわせる。
 何とかしてあまり相手を痛めつけずに勝つ方法はないだろうか。あらかじめ聞いた話によると、場外に押し出すか戦闘不能にさせるかギブアップを宣言させることが出来れば勝ちらしい。場外くらいなら相手が小さければ持ち上げて投げ飛ばすくらいは出来るかもしれない。
「始めっ」
 上手く立ち回る算段を練っているうちに、開戦の合図が叫ばれる。
 持ち上げて場外へ投げ飛ばそうとクチートの方へ近付いたが、その瞬間彼女の頭の房がこちらを向き、牙を向いた。
 それから一体何をされたのか、皆目見当もつかなかった。
 牙で噛まれた後は、ただ途轍もない騒がしさでじゃれつかれただけのように感じた。その中に攻撃を織り交ぜていたのであろう。全身が右へ左へと揺さぶられ、気が付けば場外へ吹っ飛んでいた。
「勝者、ナダ」
 目が回る。やっぱり、体格差なんてあったものではない。

 自分の試合も終わり、残りは観戦に徹することができた。
 オルフェは相変わらず素早い身のこなしで終始相手を圧倒し続け、勝ち星を増やしていた。周囲では優勝候補の一人と囁かれ始めている。
 そういえば、デジカメを持ってきてなかったな。折角電源が入ったのだから、彼らの闘いの様子を記録しておくのも良いかもしれない。そろそろ夕方も近い時間になっており、撮影の機会は残り少ないかもしれないが、ないよりはマシだろう。
 脱出ポッドの家は祭の会場からそれほど遠くはない。今から戻れば歩いて帰っても次のオルフェの試合には間に合うはずだ。
 自宅周辺まで来ると、流石に誰もいない。先ほどまでの喧噪との落差で、周囲がひどく静かに感じる。既に祭が終わった後のような寂しさがあった。
「あれ」
 デジカメが、家の階段前に落ちている。
 普段は寝る前にポッドの決まった位置に置いている。祭の準備に疲れてポケットの中に入れたまま眠ってしまい、朝出掛ける時に落ちたのだろうか。いや、確かに昨晩は定位置に置いた記憶がある。
 祭の雰囲気に飲まれて興奮した村の子どもが勝手に入り込んで、私物を漁ったか。あり得なくはない話だ。昨日、風景を切り取る不思議な機械は色んな人におもちゃにされた。恐らくそうだろうな、と溜息をつきながら、カメラの電源を入れる。写真の履歴を見れば分かることだ。
 だが、取られた写真を見て、私は驚愕した。
 ピチューという、ピカチュウの幼い時の姿が写っている。彼はの表情は途轍もなく焦った様子で、何処かを指さしていた。まるで、この写真に何かしらのメッセージを込めているように。
 他にも何かが写っているのかもしれないと思い、ボタンを操作して一つ前に戻す。
 写っていたのは、同じ風景と、私と同じ地球人の男だった。
 まさか、自分以外にも。撮影された時間と時計機能の現在時刻の差は約十五分。殆ど入れ違いのようなものだった。だが、先ほどのピチューの少年の焦りようは一体何だ。二つの画像を交互に見比べてみる。そのうち、一つの事実に気付く。
 写真の男が手にしているものは、銃だ。
 嫌な予感がして、ポッドの中に駆け戻った。今まで使う必要が無かったが、ポッドの中には護身用の銃が一丁備え付けられている。まさか。まさか。手の震えを抑えながら、収納されている場所を確認する。
「やっぱり……無い」
 全身から、冷たい汗が吹き出した。


「勝者、オルフェ!」
 ふう、と大きく息を吐いてオルフェは周囲を見渡した。歓声が上がる。勝ち星を増やすごとに、黄色い声の数が増えていっているような気がするのだが、気のせいだろうか。
 ここ数試合、ナガレの姿が見えない。折角の活躍をあいつにも見て欲しかったのだけれど。デジカメを取りに家に戻っているのかもしれない。そういえば朝から写真を撮ったりはしていなかったし。
 ここまで全戦全勝、次が最後の闘いだ。これに勝てば、あの子と一緒になれる。あの子のことを知ることが出来る。せめて出番が来るまでには、ナガレには戻って来て貰いたいものだ。
 そういえば、と審判側を見てふと思い至る。そういえば、途中からあの子の姿も見えないな。


 私は写真の中のピチューが指差す方向へ急いだ。祭が行われているのとは別の方角であり、大勢の人が知らないうちに何かが起こっていてもおかしくはない。
「あっ、ナガレのお兄ちゃん」
 子どもの声が聞こえる。反射的に顔を上げると、すがるような表情で私を見上げている。
「助けて、ベベウ姉ちゃんが、ベベウ姉ちゃんが」
「分かった、今行く」
 子どもたちに促された先の木陰にいたのは、腕から大量の血を流して衰弱しているフタチマルという種族の少女だった。持ち出された銃で、撃たれた傷としか思えなかった。呼吸が荒い。放っておけば命に関わる。私は彼女の腕を押さえつけて、子どもたちの方を向いた。
「君は救護の人……メディさんを呼んできて。祭の会場の休憩所に行って、メディさんはどこですかって聞けば分かってくれるはずだから」
 呼びに来た子どものうち一人に指示を出す。不安げな表情ながらも頷き、分かったと行って祭の会場の方へ駆けだした。
「君は誰か一人か二人、違う大人を呼んで来てほしい。俺の家の場所は分かるね? 大人を連れて、赤い十字のマークがついた箱を探すんだ。それなりに大きいから、必ず大人の人と一緒にやるんだ。君のお父さんでもいい。会えなければ、最初に会った大人でもいい。この子がケガしてるって伝えれば、きっと手伝ってくれる。出来るね?」
 うん、と応えて、もう一人の子も駆け出した。
 力強く、血が流れ出ないように傷口を手のひらで握り続けた。下手にこの子を動かすわけにはいかない。かわいそうに。痛かっただろうに。
「恐かったね、もう大丈夫。必ずみんなが助けてくれる。ベベウ、もう大丈夫だよ。君は必ず助かるんだ」
 私は声をかけ続けた。もはや彼女には頷く気力もない。毛並みの艶が消え、ぼさぼさになった全身を見たくは無かった。どこを見ればいいか分からず、ただ必死に彼女の血が流れ出ないよう、強く腕を押さえ続ける。
「お兄ちゃん、メディさん連れてきた!」
 叫び声が聞こえた。私は顔を上げて呼びかける。
「ありがとう、こっちです」
 メディさんは、タブンネという癒しの力を持つ種族だ。かつてその力を見せて貰ったことがあるが、小さな怪我程度なら一瞬で直してしまえるほどのもので、彼はもっと大きな傷を塞いだという実績もあると聞いている。
「手を離すと血が溢れてしまいます。このままお願いします」
「分かった」
 メディさんが頷くと、その手を傷口にかざした。緑色に淡く光り、少しずつ傷が塞がって行くのを感じる。
「道具箱、持ってきた! これの事かな?」
 もう一人の子が大人と一緒に戻って来た。困惑した表情で、箱を大事そうに持っている。
「そう、これだ。ありがとう、その箱はこちらに置いて下さい」
 私は自分のそばに箱を置くように促した。タブンネの癒しの力は凄まじく、もう手を離しても致命的な失血にはならなさそうなほどまで傷口は塞がっていた。傷口を押さえたままもう片方の手で救急箱の蓋を開け、必要なものを取り出す。手を離し、出来るだけ素早く、傷口に軟膏を塗りガーゼを被せ、テープで止めた。溢れるような血の流れはもうない。
「大分血が止まったみたいだね。素晴らしい処置だった」
 メディさんは言う。
「こちらこそ、この子を助けられてよかった。あなただけが頼りでした。ありがとうございます」
 そう言いながら、私は立ち上がる。
「何処へ行くんだい」
 メディさんの質問に、振り返っている暇はなかった。
「もしかしたら、同じ目に合う子が他にも出るかもしれません。みんなは、出来るだけ一人にならないようにって島のみんなに伝えて下さい。僕は奴を止めに行きます」
 私は走り出した。とにかく時間がない。説明が不十分だったかもしれないが、後は彼らを信じるしかない。
 気が付けば、陽は沈みかかっていた。夕焼けの赤が今は血に染まっているように見える。足元が見えなくなる前に、写真の男を探しださなければ。周囲を見渡す。それらしき人影は見えない。ダメだ、と首を振った。闇雲に探し回るだけでは、体力を使い果たすだけでしかない。手掛かりらしき手掛かりも思いつかず、足が止まる。
 足元に、何かが落ちる音がした。デジカメだった。拾い上げると、カメラがひとりでに起動した。画面にはピチューが写っている。驚いてカメラから目を離してみると、さっきまでいたピチューの姿はそこにはない。だが、カメラ越しには彼の姿がはっきりと映っている。彼の姿は、どうやらカメラ越しにしか見えないらしい。
 姿の見方を把握すると、彼は小さく頷いた。そして、ついてきて、と言わんばかりにある方向を指差し、走り出した。

 どれほどの時間、彼の姿を追い続けただろうか。気が付けば砂浜は見えなくなり、坂を上り、山道へと入っていった。太陽も沈み、今度は月が煌々と周囲を照らす。満月に近いのは有難かった。目さえ慣れれば、周囲の様子ははっきりと見える。
「待てっ、その子を離せっ」
 叫ぶ声が聞こえた。それがオルフェのものだと、すぐに分かった。咄嗟に顔を上げ、声のする方へ近付く。
 オルフェは、写真の男と思しき、細長い二足歩行の生物と対峙していた。
「うるせえ! 何を喋ってるんだか分かんねんだよ。これ以上近付くんじゃねえ!!」
 男は怒鳴った。目を凝らし、状況を把握できた瞬間、戦慄が走る。
 片方の手でピカチュウを脇に抱え、もう片方の手で彼女の頭に銃口を突きつけている。パネマが人質に取られている。
「オルフェ」
 私はしゃがみ、ピカチュウの身体に目線を近付けて小声で呼びかけた。彼は驚いて振り返る。
「ナガレ、どうしてここに」
「あいつを止めに来た。人質に取られてるあの子はパネマか」
「うん。でも気を失ってるみたいだ。助けなきゃ」
「そうだな。絶対助けるぞ。隙は必ず作る。だからまずは、俺と交代だ」
「分かった。……頼む」
 オルフェが真っ直ぐ私を見つめる。私は頷いた。
 そして立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
「大丈夫ですか!」
 私は故郷の言語で彼に語りかけた。男ははっとした様子を見せ、こちらを見た。
「あんた……俺の言葉が分かるのか」
「ええ、分かります。あなたも、地球人ですね」
 彼は泣きそうな声でぶつぶつと言葉にならない何かを呟いた。声が途切れた頃合いを見計らって、声色に緊張が滲み出ないよう、なるべく優しく、柔らかい口調で次の言葉を投げかける。
「私とあなたは恐らく同じ国の出身でしょう、名前をお伺いしても、よろしいですか」
「種田だ」
「種田さん、ああ、やっぱりそうなんですね」
「あんたの名前……聞いてもいいか」
 私は地球で暮らしていた時の名前を告げた。
「そっか、良い名前だな……本当に、言葉が通じるってのは久し振りだ。いいなあ、会話が出来るっていうのは」
 彼は心底嬉しそうに言った。
 彼の境遇について、私は得心した。私がこの星の住民と難なく言語コミュニケーションを図ることが出来るのは、脱出ポッドに搭載された自動言語学習装置のおかげである。周囲の知的生命体の言語を拾いデータ化し、冷凍睡眠中の搭乗者に睡眠学習を行うというもので、これさえあれば使用者はポッドから出た瞬間から原住民と同じ言葉で意思疎通を図れるというものである。ただ、この機能自体はまだ新しく、古い宇宙船などには搭載されていないものも多い。彼がこの星に漂着した際に乗っていた船には、この機能が付いていなかった、ということだ。
「私も、故郷の言葉で話すのは久し振りです」
「本当に嬉しいよ。こんなケダモノだらけの星に一人で来てさ、寂しかったんだよ。俺は。ずっと。人間みたいなやつなんていやしない。きいきいぎゃあぎゃあ、奴らの声を聞いてるだけで気が狂いそうだった」
 同情を求めるような口調で、彼は語る。
「……そうですね。種田さんの苦労、お察しします」
「ケダモノのくせして、まるで人間みたいな街で暮らしてやがる。こんな野蛮な連中をのさばらせて見ろ、いずれ俺たち人間まで見境なく殺すに違いない」
「彼らの文明レベルが低いのでしたら、きっと地球にさえ届きませんよ」
 彼を落ち着かせる為に話を合わせようとしたが、同意しかねる部分が多すぎる。気が付けば、右の拳をぎゅっと握りしめていた。だが、焦ってはいけない。彼の手には、まだパネマがいる。咄嗟に右手を後ろに隠した。
「違いないな」
 ははは、と彼は笑った。
「種田さんは、どうしてこの島へ?」
 私は話題を変える。
「あまりにしつこく絡んでくる奴がいたもんだからよ、一匹殺っちまった。そしたら奴らの仲間、俺を追ってくるじゃねえか。だから足が付かねえように、海を渡って来たってワケ。この星はすげえぞ、背中に人を乗せて運ぶ船みたいな生き物がいるんだ。街の連中と違って、ちょっと小突いたらすぐ言うこと聞いてくれるいい子だったぜ。あんたも探して捕まえてみな。分かり易い青い身体してるから、見たら分かる」
「へえ、凄いですね」
 種田は私に気を許したのか、饒舌になっていた。
「そうだ、あの脱出ポッド、あんたのだろ。すげえな、色々俺の乗ってたやつとは大違いだ。悪いけど銃借りてるぜ。何かあった時の為に、自分の身を守れるようにしときたかったんだ」
 それで、自分の姿を見られたから、何の罪もないベベウを撃ったのか。私は思わず目を見開いた。いけない。すぐに思い直し、心を落ち着かせる。出来るだけ多くの情報を引き出さなければ。
「ところで、どうしてその黄色いのを?」
 パネマを人質に取るまでの経緯を聞くことにした。案の定、彼はぺらぺらと自慢げに、あるいは言い訳がましく自分の行いを話し始めた。
「ああ、ちょっと隠れる場所を探そうと思ってた時に見られちまってな。三匹いたんだが、うち二匹はマトがデケぇから上手く撃ってやったんだが、こいつには当てられなくてな。弾を切らしちまった。応援呼ばれてもマズいから、殴ってやったんだよ。そしたら気ぃ失ったもんで、目が醒めてもアレだしここまで連れて来たんだ。そうだ、ちょっとこいつの首シメるの手伝ってくれねえか」
 私としては、もう我慢の限界だった。言葉が通じないからこの惑星の住民と分かり合うことができず、拒絶していたのだと思いたかった。だが、話を聞けば聞くほどに、嫌な予感は核心に変わっていった。言葉が通じようが通じまいが、この男には関係がなかったのだ。多様性を受け入れそれぞれの得手不得手を活かしあいながら生きる、誇りある彼らをケダモノと呼び、さらにはその命まで奪おうとする。そのくせ、生々しい感触と苦労を味わうようなことには尻込みする小心者。それがこの男の本性だったのだ。
 強い風が、びゅうと吹いた。これ以上、この男と話すことはない。種田の後ろに、小さな影が待機しているのが見えた。種田に気付かれずに背後に回り込むことに成功したようだ。
「オルフェ、今だっ!」
 私は叫んだ。
 種田が振り返るよりも早く、オルフェは弾丸のごとき速度で電撃を纏ったタックルを食らわせる。がはっ、と情けない声が漏れる。すかさず私も駆け寄り、脇に抱えたパネマを強引に奪い返す。だが勢い余って後ろに放り投げてしまった。
「大丈夫、やっちまえ、ナガレっ」
 オルフェが叫ぶ声で迷いが消え去る。固く握った右の拳を振りかぶり、容赦なく種田の顔に叩きつけてやった。
 鈍い音がした。
 拳が砕けるかと思った。痛くて涙が出そうだ。それでも、最後まで殴り抜ける。
 種田の身体は頭から地面に落ち、僅かな距離を擦った。
「ぐっ、痛っ、ってぇ……てめぇ……」
 種田は起き上がろうとするが上手くバランスが取れず、二度、土に這いつくばった。やっとの思いで起き上がったものの、足取りはおぼつかない。
「そうか……てめぇもグルだったって、わけか。許さねえ、お前、ぜってえ許さねえからな……」
 こちらを睨みつけるものの、その足はフラフラと横に身体を運んでいく。
 これ以上は、こちらから何もする必要がなかった。千鳥足は種田の身体を山道の端へと運んでいき、
「なっ」
 という声と共に、ついには崖に近い急斜面を転がり落ちていく羽目になった。断末魔の叫びが、彼がもう助からないことを端的に示していた。
 ふと我に返り、背後を振り返る。私が誤って投げ飛ばしてしまったパネマの身体は、オルフェが身を呈して緩衝材となってくれたようだ。

「すまない。恐かっただろうに」
 オルフェの背中に乗ったままのパネマをそっと下ろし、オルフェの身動きが取れるようにする。
「この子の方が、よっぽどだと思うぜ」
「そうかもしれないな」
 慣れない力を使ったせいか、心臓の高鳴りが収まらない。
「ナガレも手から血のにおいがする。まさか、怪我したのか」
「俺の血じゃないよ。あいつにやられた子を助ける為には仕方がなく、ね。一時は危なかったけど、もう無事さ」
 血まみれになった手のひらをまじまじと見つめて、ぎゅっと握った。
「ところで、そっちは何があったんだ」
 私はオルフェに聞いてみると、ゆっくりと状況を思い出して説明してくれた。
「最後の勝負の前くらいからかな。この子の姿が見えなくなって、ちょっと気になったんだ。ナガレも全然戻ってこないし。それで探しに行ったら、あいつがパネマを殴って攫っていったんだ。街の方から来た警察の人と、昨日会議中に見張りやってたあの人が凄い怪我してて。救護の人呼んで、慌てて追いかけてたらいつのまにかこんなところまで来ちゃってた」
 一通り喋り終えると、何か不都合なことを思い出したように動きが止まり、不安そうな表情を浮かべた。
「最後の試合、すっぽかしちゃった。ヤバいよ、どうしようナガレ」
 声が震えて、ズボンを滅茶苦茶に引っ張る。電気が漏れて彼が触れた部分が痺れる。さっきまでとはまるで別人のように狼狽する姿がちぐはぐで、思わず笑ってしまった。
「大丈夫だよ。オルフェ、君は自分が本当にやりたいと思ったことをやったんだ。胸張っていいんだよ」
 さあ、皆のところへ戻ろう。そう言いかけた時、頬に大粒の雫が落ちた。気が付けば、風は更に強くなっている。周囲の木々は大きく揺れ、これからの天気を伝えている。空はいつの間にか、途轍もなく狭くなっていた。
 悪い客が、来る。
「ナガレ、まずい、嵐だ。思ったより早かったみたい。今すぐ戻ろう」
 オルフェが言葉を言い切るのを待たず、大量の雨水が周囲を襲う。バタバタバタと、地面や葉を打ち付ける音が響き渡る。
 悪い客とは、普段はこういった嵐のことを指す言葉だ。だが、種田という男も、この島の住民にとって悪い客であったことは疑いようがない。ドダイトスは彼を予言していなかったのだろうか。ドダイトスの予言を聞いた時を細かく思い出す。
「そうか、そういうことだったのか」
 私はこの時、予言の全てを理解した。ドダイトスの予言は、二回あったのだ。
 最初の一回を聞き取れず、私は地鳴りか何かかと思った。あれこそが、一つ目の予言だった。ドダイトスは、種田のことも、この嵐のことも予言していた。
 思わず目を閉じ、顔を擦るが、とめどなく打ち付ける水滴は容赦ない。目を開けているのが困難だ。足元を見下ろすと、既に水たまりがそこかしこに出来ている。手にこびり付いていた血を流し落とすと、パネマの身体を抱きかかえた。
「戻るのは危険だ。地面がぬかるんでいて、足を滑らせかねない。下手したらあいつの二の舞になる。どこか雨宿り出来るところを探そう」
「それなら、もう少し上だ。ちょっと開けた場所に、でっかい木がある。そこまで行こう」
 オルフェの提案に頷き、目的地を目指す。雨は相変わらず強く打ち付けているものの、風は少しずつ弱まっている。台風の目に入りつつあるのかもしれない。徐々に雨も弱まっている。今のうちにと、目的地へと急ぐ。
「ここだ。この木の下なら、雨を凌げる」
 大きく傘のように枝葉の広がった大樹を差し、オルフェは言った。これなら、確かに大丈夫そうだ。大樹の幹に寄りかかり、腰を下す。脇にはパネマを抱えて。
「オルフェ、こっちに来な。身体が冷えるといけない」
「ええっ、でも」
「いいから」
 私はもう片方の腕でオルフェを引き寄せ、脚の上に座らせた。じんわりと、二人の温度が伝わってくる。人間よりも体温は高いようだ。
「パネマが、近い。凄くドキドキするんだけど」
「そんなこと、言ってる場合じゃないだろう」
 私は呆れた。呑気なものだ。
「なぁ、オルフェ。この子に見覚えはあるか」
 しばしの沈黙のあと、私はデジカメを取り出して、ピチューの映った写真を見せた。ただ何となく、同じ種族だからという理由で、それ以上のものではなかった。もし知っていたら儲けもの、くらいの気持ちで聞いたつもりだった。だが、オルフェは目を見開いて私の方を振り返った。
「何で、こいつが」
「いつの間にか、この子が写っている写真が取られていた。この子が、俺をオルフェとあの男のところまで連れて行ってくれたんだ」
 私はありのままを説明した。告げると、オルフェの身体が、震え出した。
「こいつさ、俺の死んだ兄貴なんだ。俺も兄貴もまだピチューだった頃に、嵐で折れた枝が突き刺さって死んじゃった。兄貴、いつも俺がそそっかしいって心配そうにしてたんだ。そっか、俺、まだ心配かけてたのか」
 オルフェは肩を揺らした。私の胸に顔を押し付け、服をぎゅっと握っていた。嗚咽はやがて、堰を切ったような泣き声へと変わった。私は二人を強く抱きしめた。
 やがて、再び雨足は強くなり、夜は更けていった。

 朝が来て、空は呆れるほど穏やかだった。
「はっ」
 パネマが目を覚ましたようで、声を上げた。
「あ、起きた」
「おはよう、まだ痛むところはないかい」
 一瞬彼女は自分の顔を見上げて、ぎょっとした顔になったが、こいつが助けてくれたんだ、とオルフェがフォローを入れてくれた。
「いや、オルフェの助けが無ければどうなっていたことか。まあいずれにせよ、あなたを襲った人は僕らで何とかしたので、安心して下さい」
 自分がこの星の住民の見分けがついていないように、彼女からしても私とあの男の見分けられていない可能性は大いにあり得る。何とか別人であることを分かってもらおうと、説明する。
「そう、みたいですね。あっ、他の人たちは……」
「多分大丈夫。助けを呼んだから」
 オルフェは何とか明るく取り繕おうとした。心配なのも無理はない。しばらくして、パネマはようやくほっとしたような表情を浮かべてくれた。私は腕をほどいて、二人を膝から下した。
「あぁ、いい天気」
 パネマは木陰の外に出て陽の光を浴びながら、うんと伸びをした。その後をゆっくりとオルフェが追う。
「本当だね。見て、虹も出てる」
「きれい」
 交わした言葉はまだほんの少しなのに、並び立つ二人の背中はよく似ていた。これはお似合いかもしれないな、とぼんやり考える。
 顔を綻ばせていると、急に頭の上に固いものが降って来た。何かと思って確かめると、黄金色をした柑橘類のような果実だった。
「あっ、オボンじゃないか」
 オルフェの声がして、上を見上げると、沢山の実が成っていた。
「これ、食べれるのか」
「うん。皮とかはミツ漬けにした方がうまいけど、中身はすぐ食べれる。電撃で落とすから、受け取ってくれないか」
「分かった」
 正確な指向性の放電で、きれいに二つ、果実を落とす。落とさないように、私はそれを受け取り、それぞれに手渡した。皮を千切り、中の実にかぶりつく。渋味と辛味、それから苦味。最後に訪れる、甘酸っぱさ。喉を通ればすぐに身体全体に染み渡るような、不思議な味だった。

 山を下ると、村では大騒ぎだった。
 隣村の村長はパネマの姿を見るやいなや、途轍もない勢いで彼女に飛び込んだ。キュウコンの身体はピカチュウの倍以上の大きさがあり、パネマが押しつぶされていないか心配になる。
「お騒がせして申し訳ありません。パネマさん、無事につれて帰りました」
 オルフェはぺこりと頭を下げた。
「おお、君がか、ありがとう」
 隣村の村長の取り乱しようは凄まじかった。それも無理からぬことだろう、と思った。自分の愛娘が突然一晩いなくなり、その上にあの嵐だ。下手をすれば、取り返しの付かないことになっていたかもしれない。
「私の方からも礼を言わせて下さい」
 灰色のワニのような頭部を持った、ゴーリキーという種族の者が話しかけて来た。彼が街の方からやって来た警察のようだ。
「もしかして、街から凶悪犯が逃げ出したことを伝えてくれた……」
「そうです。しかし、奴の持っている奇妙な武器に撃ちぬかれてしまい、逃がしてしまいました。この島の方々がいなければ、私の命も危なかった。本当に、ありがとう」
 彼は深々と頭を下げる。
「して、もし良ければ、何があったのか御聞かせ願えませんでしょうか」
 私は頷き、彼に顛末を話した。パネマを攫い、山の方へと逃げ込んだものの、山道から足を踏み外し、落下した、と。彼に手を出した上での結末であったことは、言う必要はないだろう。
「きっともう、無事ではないでしょう」
「何と……署に戻って、危機は去ったとお伝えしなければ。住民の命を守って下さったこと、感謝致します。本当に、ありがとう」
 いえいえ、こちらこそ、と私も頭を下げた。
 警察との話を終えると、隣村の村長はようやく少し落ち着いたようだった。頃合いを見て、恐らくオルフェからは話しにくいであろう話題を振ってみる。
「そういえば、祭の結果はどうなりましたか。最終戦だけ、まだ行われていないとのことでしたが」
 投げかけた質問には、傍で見ていたデンリュウの村長が答えてくれた。
「最終戦のオルフェの相手は、パネマさんの警護に当たっていた人だったのだが、警察の方と一緒に怪我してしまってね。片や不在、片や戦闘不能。そして、そのうち片方がパネマを見つけて帰ってきたとあっては、どちらがパネマの結婚相手にふさわしいかは自明、というものじゃないか、ねぇ」
「そうだとも!」
 キュウコンの村長も、大きく頷いた。対戦するはずだった相手も同様だった。オルフェは口をぽかんと開けて、二人の村長を代わる代わる見つめた。
「えっ、それじゃあ、もしかして」
「そうだ。パネマと結婚する権利は、オルフェ、君にある」
 デンリュウの村長は、にっこりと微笑んだ。
「さあ、どうする」
 周囲の視線が、オルフェとパネマに集中する。
 オルフェは居心地が悪そうに狼狽したが、やがて覚悟を決めたように大きく深呼吸をした。
「パネマ、結婚してください。村長さん、パネマさんとの結婚を、お許し下さい」
「ああ。娘を、よろしく頼みます」
 その瞬間、大歓声が上がった。パネマは嬉しそうに涙を流している。
 デンリュウの村長は手を叩くと、話を纏め始めた。
「それなら、早速結婚式の準備をしよう。奇しくも同じピカチュウ同士だ。それなら、このような作法がある」
 何やら耳元でその作法とやらを二人に吹き込んでいるようだ。オルフェは多少慌てたものの、パネマはまんざらでもないように見える。
 式の準備は村人総出で行われたこともあって、あっという間に終わった。
「おめでとう、オルフェ」
「緊張するなあ」
「そんなもんさ。頑張ってこい。折角の晴れ舞台なんだから、胸を張らなきゃ。写真、とっておくよ」
 私は笑った。
 結婚式の流れとしては地球人の感覚としても割とライトなもので、永遠に二人が添い遂げることを誓うと言うものだった。壇上の二人の晴れ姿を、皆で見つめている。
「それでは、パネマ、オルフェ。誓いのキスを」
私はカメラの電源を入れた。足元には、ピチューの姿が映った。とても幸せそうな顔をして、私に頷く。オルフェはもう、大丈夫だね。そう語りかけるようだった。
 緑色の宝石のような石が、二人に手渡される。それを口に含み、互いに肩を寄せ合って、そっとキスをした。
 その瞬間、二人の姿がまばゆく輝き始める。
 ピカチュウの身体は倍ほどの大きさになり、尾は細長く伸びていく。光が消えると、体毛も黄色から橙色へと変化していた。彼らの言葉で「進化」と呼ばれる、成長現象だ。ピカチュウからライチュウへ。オルフェとパネマは今、大人への第一歩を踏み出したのだ。
 私は何枚も、シャッターを切った。彼らの晴れ姿がいつまでも残るように。そして、オルフェの兄が安心できるように。

 その夜、私はデンリュウの村長のいる離れ小島へと足を踏み入れた。
「あれ、ナガレさん。あの子たちはもういいのかい」
 村長は先に帰っていたようで、ふと呼び止められた。
「そりゃまぁ、折角一緒になれたんですから。二人きりにさせてあげないと可哀そうですよ」
「ははは、それもそうだねえ」
 村長は笑っている。
「して、何かこの島に用があるんだろう」
「はい。このデジカメを、オルフェのお兄さんに渡そうと思って」
 オルフェの、と村長は言葉を繰り返した。
「これって、動力は電気なんです。元々電源が入らなかったのに、この島の裏手の池に近付いたことをきっかけに電源が入った。それから度々、ピチューの姿が映るようになった。あいつに聞いてみたら、お兄さんだって言ってました。このデジカメにあの子が憑りついたから、このデジカメは動いていたんです。彼がこのデジカメから離れたら、また電源は切れてしまうでしょう。僕が持っているくらいなら、彼にあげたい。オルフェが立派な大人になった証拠を、つぎの次元へ持って帰って欲しいんです」
 なるほどね、と村長は呟いた。
「ちょっと、聞いてもいいかな」
 何でしょう、と私は答える。
「君はどうして、オルフェをあんなに気にかけてくれたんだい」
 村長のまなざしは優しい。話したくなければ、話さなくてもいいという雰囲気を持っている。だが、そんな村長だからこそ話したいと思った。
「私にも、婚約者がいたんです」
 思い出せば、辛い記憶だ。
「私はかつて、惑星開拓の作業員をしていました。お金を貯めて、結婚しようって。もうすぐ結婚するっていう時に、その星の原住民の反乱が起きてしまいました。あっという間に我々の住居は侵略され、脱出を余儀なくされました。あの人を探している時間なんてないほど、あっという間の出来事だったんです」
 目を閉じれば、あの日のことは鮮明に思い浮かべることが出来る。冷凍睡眠装置の眠りの中では、永遠の時間も一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。私の中では、まだ塗り替えることのできない、つい最近のことなのだ。
「私が流れ着いたこの島は、本当にたまたま、みんな優しかった。だから、できるだけ恩返しをしたい。そう思ってるんです。そうすることでしか、あの日を忘れることが出来ないんです」
 気が付けば、私は泣きそうになっていた。
 村長は短い腕で、そんな私を抱きしめてくれた。私がオルフェにしてあげたように。
「ありがとうね。きっと君にも、いいことがある」
 私は細い胸の中で頷いた。ここに来てから、ずっといいことばかりです。

 ドダイトスの裏に回り込み、池に近付く。それに伴って、ピチューの姿がカメラ越しで無くても見えるようになってきた。真夜中はあの世に近い時間帯なのかもしれない。
 池の前に、私は腰を下した。最後に、オルフェの兄と少し話をしてみたかったのだ。暗闇にぼんやりと、半透明の黄色い小さな身体が浮かんでいる。
「君がいてくれたから、オルフェを助けることが出来た。教えてくれて、ありがとう」
 私は頭を下げる。ピチューは少し申し訳なさそうな顔をしていた。
 それもそうだ。いくら悪人だったとは言え、間接的に私は同郷の者を一人殺めてしまった。そのきっかけを、彼は作ってしまった。
「不可抗力……と言ってしまうには重すぎるね」
 あの時殴りぬけた右手の感触は、正直未だに残っている。これから一生、ずっと抱えていくことになるだろう。だが、消えなくても時間と共に薄まっていくと信じている。守りたいものを守ったという思いが消えない限り、私は重さを忘れることが出来るだろう。
「大丈夫。僕は負けない」
 私はデジカメをピチューに差し出した。彼は両手でしっかりと受け取った。
「後は任せて」
 私の瞳をじっと見つめて、彼は納得したように頷いた。そして、池にぴょんと飛び込むと、水面に僅かな波を立てて消えていった。
 私もいつか、つぎの次元へ。永い眠りに付くときは、ここで眠りたいと思う。

「話は出来たかい」
 広場に戻ると、村長が待っていてくれた。
「はい」
 私はにっこりと微笑んだ。そうか、と村長はゆっくりと頷いた。
「そう言えば、警察の方が何かお礼をしたいって言っていたよ。私の一存で勝手に決めてしまったが、街へ行くラプラス便のチケットを三枚、もらうことにした。オルフェとパネマ、そしてナガレさんの分。みんなで街を見てくるといい」
「本当ですか。きっと、オルフェも喜びます」
 私は笑った。なんて幸運な男なのだろう。何だかんだ言って、オルフェは欲しいものを全て手に入れてしまったのだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 祭のあとも、日々は続いていく。明日彼に伝えたらどんな顔をするだろうか。考えるだけで、面白くなってきた。
 満天の星空の下、私は砂浜を駆け抜けた。