ハートのエースが出てこない

かきのたね
「波音」「マスク」「神経衰弱」
編集済み
 ユキとルカリオが椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合う。ユキはお年頃の女子高生、ルカリオは見たまんまルカリオだ。二人を隔てるテーブルの上には、裏返しにされたトランプが規則正しく等間隔に並べられている。
 神経衰弱である。
 行儀悪く頬杖をつき、何とも嫌味な顔でニヤニヤしつつ、ルカリオは相対するユキがカードを取るのを今か今かと待っている。眉を顰めていかにも嫌そうな顔をしながら、ユキがちらりとルカリオを見る。するとどうだろう、どうぞどうぞ、おさきにどうぞ、と言わんばかりの憎たらしいツラをして見せた。
「ムカつくやつ。」
 ユキは嫌々ながら、並んだカードへ手を伸ばす。
 カードが揺らめいて音を立てる。ああ、やっぱり。ユキが小さく息をつく。これは本当に『起きている』ことじゃない、そう理解していても、心のざわつきは抑えられない。ざわざわと鼓膜を揺らす波の音、聞かないふりをしてカードを続けて取る。めくった二枚はクラブのクイーンとダイヤの2。もちろん外れで、ユキはすごすごとカードを元の位置へ戻す。
 ルカリオはしめしめと両手をわざとらしくこすり合わせ、無造作に二枚カードをめくる。ハートの8とクラブの8、あっさり組ができた。ユキへこれ見よがしに見せつけると、その後もどんどん組を作っていく。まずはクラブのクイーンにスペードのクイーン、お次はハートのジャックにダイヤのジャック。あれよあれよと言う間に五十二枚のカードを表返し、二十六の組を作ってしまう。
「それ、毎回わざとやってんの?」
 最後に作ったハートのエースとスペードのエースの組をひらひらとちらつかせて、ルカリオは一際嫌味な笑みをユキへ向けた。ゲームはルカリオの勝ち、ボロ勝ちである。ルカリオはいつもこうだ。先手をユキに譲ってから、後手ですべてのカードを取ってしまい、最後はこうやってハートとスペードのエースで組を作って見せびらかしてくる。ボロ負けしたユキはジト目でルカリオを見ながら、大したことのない悪態をつくのが精一杯だった。
 勝負が付いたところで満足したのか、ルカリオは超能力でもってトランプをあっという間にまとめてしまうと、トントンと形を整えてから、馬鹿丁寧にゆったりと箱へしまう。箱の口を閉じてから、箱の隅をツンツンと指差して見せる。
「は? 何?」
 ユキがダルそうに箱を見ると、そこには「Nintendo」のロゴが。任天堂製のトランプはお値段が張る代わりに良い品だと知られている。見せびらかしたいようだ。だからなんだっていうんだ、とユキが目を伏せる。このルカリオは毎度毎度こんな具合だ。真面目に相手をしていると日が暮れてしまう。
 口笛を吹きながら椅子を降り、台所の蛇口を勝手にひねって水で手を洗い、ついでにテーブルの上にあったフルーツバスケットからバナナを一本失敬して、ルカリオはこれまた馬鹿丁寧に玄関からドアを開けて出ていく。履いていたスリッパを脱いできっちり揃えるのも忘れない辺りが却って腹立たしい。最後に振り返って、嫌らしい笑みとセットでユキに手を振ってみせる。本当に腹の立つやつだ。トムとジェリーに出て来るネズミのジェリーを数億倍性悪にすると、あんな感じになりそうな気がする。
「神経衰弱、マジで嫌い。」
 そう吐き捨てると、腹癒せにルカリオが脱いでいったスリッパの向きを元通りに直してやった。
 ユキが立ち上がると同時に、閉まったばかりの玄関のドアが開いた。
「ただいま、ユキ。」
 入ってきたのは母親だった。もう帰ってきたのか、そう思って外を見ると、空がすっかり暗くなっている。あいつのせいで本当に日が暮れてしまった、とユキが心の中で舌打ちする。仕事終わりに買い物をしてきたのだろう、大きな紙袋を抱えていた。
「お帰り、お母さん。」
「留守番ありがとう。誰か家に来たりしなかった?」
 母からの問いかけに、ユキは感情のこもらない声で返す。
「来てないよ、誰も。」
 ルカリオは「誰か」じゃない。あいつは「何か」だ。
 ユキは心からそう思うのだった。
  
 半分くらい目を閉じたまま、ユキはぼんやり歩く。ぼけっと歩く。ぼーっと歩く。右を見ても左を見ても一緒に歩く仲間はいない。世に言うぼっちというヤツだが、ユキにはこの方が性に合っている。時折眼鏡を直す仕草をして、ぼてぼてと重い足取りで歩を進める。
 ユキの特徴は頭におっかぶせた馬鹿でかいヘッドホンと、口をすっぽり覆うでっかいマスクだ。外に出る時はこうやって顔のほとんどを隠すのが常だ。外からの音をシャットアウトして、ついでに自分の口もシャットアウト。音となるべく距離を置くのがユキのスタンスでスタイルだ。
 学校まで来ると、陸上部が朝練をしているのが目に留まる。イキイキと体を動かす部員を見る。自分も空手やってたなあ、と昔のことを思いだす。そのノリで体を動かしたくなるけれど、やめとこう、と思い直してやめた。今は静かに暮らしたいのである。
(頭痛い。)
 授業。授業は常に頭痛との闘いである。あっちからざわざわ、こっちからざわざわ。ひっきりなしに音が聞こえてきて、気が休まるということがまるで無い。教科書を見ても頭が痛く、黒板を見ていても頭が痛く。耳を塞ぐわけにも行かず、とりあえず眼鏡を直して誤魔化して。
 音が聞こえていても聞こえないふりをするのも中々にしんどいことだ。眼と違って耳は簡単には塞げないから尚更。それでもあんまりソワソワしていると怪しまれるから、なんでもない風を装っている必要があり。
(ああ、厄介だ。)
 人としてのマスクを被るというのは、厄介で、面倒で、大変なことなのだ。
 鬱々悶々としつつ全部の授業をこなすと、教科書とノートとその他諸々を突っ込んだカバンをヒョイとぶら下げて、足早に教室を、校舎を、学校を後にする。授業の内容は頭に入ってこないものの、テストではいつも満点に近い点数を取っているのでさして問題はない。早く帰って静かな部屋で寝たい、ユキの心にあるのはそれだけだ。
 行きと同様にぼんやり歩いていると、不意にしとしとと雨が降るような音が聞こえてきた。空を見上げると、暗くなりつつも雲一つない空が広がっている。雨が降ってきたわけではないようだが雨の音がする。うーん、と思いながら、左手に目を向ける。
「またお前か。」
 どうも、と言わんばかりのツラをしてルカリオがすまし顔で歩いている。ポケットもないくせにポケットに手を突っ込むような仕草をしているのが実に腹立たしい。ぷい、と無視して早足で歩いて突き放そうとするが、十分に距離が空いたと思ったところで「しんそく」でシュッと間合いを詰められてまた隣に付かれてしまう。
「こんなことでしんそく使ってどうすんのさ。」
 どうも、と言わんばかりのツラをしている。ムカつくことこの上ない。ぐだぐだやっているうちに結局家までついてきてしまう。ユキより先に堂々と家に上がると、勝手に手を洗ってキッチンまで歩いていく。
 さも当たり前のようにトランプを取り出してテーブルの上に並べる。また神経衰弱をさせる気だ。
「神経衰弱、嫌いなんだけど。」
 自分は嫌いじゃないよ、とでも言いたげな顔をするルカリオ。人の神経を逆なですることにかけては右に出る者はいないかも知れない。ユキはしぶしぶ席に座ると、嫌々ながらカードに手を掛ける。
 ざわわ、と波の音が届く。前よりハッキリ聞き取れて、カードごとに波に「強さ」と「形」があることまで分かってしまう。強さは数字、形は色。裏返されたカードが何の数字とスートを隠しているか教えようとしている。
(聞こえない、聞こえない。)
 ユキは心の耳をふさぐ。波の音全部を無視してカードを取ると、見当はずれな組になった。カードを元の位置へ裏返して戻す。ルカリオはまったくもって嫌味な笑みを見せながら、ひょいひょいとカードをめくっていってまた二十六の組すべてを作ってしまった。
「だから、ハートのエースとスペードのエースを最後に残すのはなんなのさ。」
 見せつけるように二枚のカードをちらつかせるルカリオ。またユキのボロ負けである。馬鹿でかいため息をつくユキを、ルカリオは余裕たっぷりに見下ろしていた。
 手土産とばかりにリンゴを一つとって出ていく背中を見つつ、げんなりした顔のユキが呟く。
「バスケットに渋柿でも放り込んどいてやろうか。」
  
 休日は平日に輪を掛けてボーっとする、それがユキのスタイルでスタンス。波の音のしない静かな場所で、消耗した体力を回復させたいのだ。自室にこもって何をするわけでもなく、もう百回は読んだろう古い雑誌をパラパラめくる。雑誌はタイムスリップにまつわる映画の特集を組んでいた。どれも観たことはない、が、筋書きは大体わかる。
 昔に戻れたらいいなあ、と思うことが無いでもない。何も知らず何も聞こえなかった頃に戻って、無邪気に遊べたらなあと考えることも無くはない。ただ、そう思ったり考えたりするだけのことだ。
「こうやって人が寛いでる時に限って、あのアホが来たりするから困る。」
 と口にした直後、しとしとと雨が降るような音が聞こえてきた。例によって外は晴れていて雨の音ではない。そういう音を立てる波の持ち主がやってきたのだ。雑誌を閉じてベッドへ上がると、布団を目深に被って無視しようとする。無視しようとするけれど、結局無視を貫徹できずに布団を蹴飛ばしてしまう。
 あの野郎マジでただじゃおかない、とユキはイライラしながら階段を下りる。波の音は庭の方から聞こえてきた。庭は母が手入れをしていて週末になると朝からよく草を引いている。力仕事の類も全部やってしまうのが母だ。他にする人がいないから、だとか。
 確かにそうだ、とユキは思う。
 庭にはそれなりに大きな樫の木が植えられている。この家が建てられる前からここにあったらしい。かなり年季が入っているに違いない、ユキはそう考えた。今まで見聞きしたことを全部覚えていそうな風貌だ。ここで身じろぎ一つせず鎮座して、自分たちを見ている、見つめている、見守っている。
「お行儀が悪い。」
 その樫の木の下で、ルカリオが頬杖をつきながら横になっていた。例によって人をなめきった顔をしている。ユキが近付くとちらりと片目を開けて、また例によってどこからともなくトランプを出してきた。ユキの口からはため息が出た。
 ひゅっ、と無造作にトランプの入った箱を放り投げると、瞬く間に縁側にカードが並べられる。見ての通り神経衰弱をするつもりのようだ。付き合わなければいいものを、ユキは毎回律儀に付き合ってしまう。
 ユキが並んだカードを睨みつける。カードから聞こえる波の音はやたらハッキリしていて、自分はスペードの6だとか、ダイヤのジャックだとかと訴えかけて来るかのよう。聞こえていないわけがないのに、ユキは聞こえていることを認めたがらない。わざと違うカードの組み合わせをめくって、手番をルカリオに回す。
 自分の意志でわざと違うカードを手に取った時点で、カードの波音を聴いているのは明白なのに。
「分かってんだったらもっとさっさとめくりなさいってば。」
 ああでもないこうでもないと指先をふらふらさせるルカリオのあざとい仕草が癪に障る。なんだかんだですべての組を作ってしまって、ご多分に漏れずハートのエースとスペードのエースを最後にめくって見せた。見せなくていい、とユキが突っぱねると、ルカリオはカードを先程とはうって変わって鮮やかな手つきで片付けてしまう。
 ルカリオは庭にある樫の隣にあるオボンの実を付けた木までひょいひょいと歩いていくと、枝をしならせている果実を一つ採る。ちらり、とユキを見つつ、もう一つ果実を採ろうとしている。
「そんなの食べない。」
 ぷい、とそっぽを向くユキ。「つれないねぇ」とでも言いたげな顔で見つめて、ルカリオは果実から手を離す。
  
 ユキが部屋の学習机でひたすら本の虫になっている。歩いて三十分の図書館で一人当たりの限界まで借りてきたのだ。図書館自体は人が多くて耳障りで集中できないが、図書館にある本は読みたい。なのでこうして部屋にこもって本のページを繰っている。本を読むのは好きだ。年に五百冊くらいは余裕で読んでいて、一度読んだ本はかなり細かい部分までしっかり覚えている。
 今読んでいるのはサイバーパンク物の海外小説だ。人間がポケモンの体に意識を投影して、ネットワークから大きな政府に反乱を起こすという筋書きだ。ポケモンを「端末」とはっきり言い切る姿勢が好きで、邦訳小説にありがちなちょっとまどろっこしい文体も気にならない。情景が脳裏にハッキリと浮かぶ。
(シンオウ神話全集、貸し出し中だったな。)
 図書館に行くと何度も借りてしまう本がある。「シンオウ神話全集」がそれだ。ユキのいるシンオウ地方には昔から妙に多くの神話が伝わっている。時を司るだの、空間を操るだの、スケールのでかい能力を持つ神様がうようよしているそうだ。そんな風なので人間は神様に憧れて、神様へ近づこうとした。
 神の子と結ばれた人間も、中にはいたと言われている。
(そんなことしたってどうにもならないのに。)
 それはそれとして、いいところで上巻が終わってしまった。続けて下巻を読もうとしたところ、横から下巻がスッと出てきたではないか。
「まーたあんたなの。」
 出てきた方を見ると、ルカリオがなんとも白々しいすまし顔で本を差し出している。渋柿を食べたような顔をしたユキが、のっそりと下巻へ手を伸ばす。
 と同時に、「しんそく」で持って下巻がトランプにすり替えられてしまった。結局神経衰弱をやることになるわけである。
「たまには他の遊びしたら?」
 ユキの提案にルカリオは首を振る。あくまで神経衰弱にこだわるようだ。
 気が進まないながらも並んだカードを見る。波の音は今や無視することなど到底無理なくらい大きく、明瞭に聞こえてくる。人のマスクを被るのにもそろそろ疲れてきているのを自覚している、だがおいそれと外すわけにはいかない。何が自分をそうさせているのかは分からない。ただ意地を張っているだけのようにも思う。
 カードの波音を無視して――本当は聞いたうえで頓珍漢な組み合わせでめくるユキを、ルカリオはニヤニヤしながら見ている。何度見てもムカつく面構えだ、ユキはそう思わずにはいられない。ルカリオはくそ馬鹿丁寧に時間をかけてカードを取っていき、結局すべて取り上げてしまった。
「もういいって、ハートのエースは。」
 毎度毎度毎度毎度見せつけて来るハートのエースとスペードのエースを振り払いながら、ユキはしかめっ面をして学習机に戻る。
 不意に雨のような音が途絶えたかと思うと、ルカリオは姿を消していた。
  
 ヘッドホンとマスクを装着したまま、ユキがひとり部屋にこもる。ベッドに横たわったまま、ただ惰性で息をするばかりで。
(『波の音』は他の子には聞こえてない。自分にしか聞こえてないんだ。)
 あらゆる人や物から波の音が聞こえる。それは聞きたくなくても聞こえてきて、ユキに絶えずストレスをもたらしてしまう。波の音は音源の状態をつぶさに伝えてきて、やはり知りたくなくても分かってしまう。ユキが外でヘッドホンを手放さない理由はそれだった。それはマスクも同じ。不用意なことを口走らないための安全装置だ。
 ユキが被っているのは、形のあるマスクだけではなかったけれど。
 ふと母のことを思いだす。ユキは母と二人で暮らしている。父はいない。顔も見たことも無い。母とは仲が悪いわけではなく、普通に話はしている。自分のことも分かっていて、波の音が聞こえることも知っている。母はそれをおかしいということも無い。むしろ自然なことだと言っていたことを、ユキは覚えている。
 この家に父がいない理由を、波の音が聞こえる理由を、ユキもまたユキなりに理解している。
(あいつ、お母さんが帰ってくるとすぐどっか行っちゃうんだ。)
 ルカリオは母の気配を察するとさっと姿を消してしまう。母に会いたくないのか、それとも気を遣っているのか。普段なら波の音を聞いて分かるようなことも、ルカリオは自分の波の音をコントロールしてユキに悟られないようにしている。耳を傾けても、ただしとしとと雨の降るような音しか聞こえない。あの雨の音を聞くと、訳もなく心がざわつく。ユキはそう思わずにはいられない。
 自分の心中も、いつだって雨降りだったから。
(ちょっとだけ、ルカリオ。それが自分。)
 全部が全部人間でもない、ちゃんとしたルカリオでもない。どっちつかずのバケモノ、それが自分だと、ユキは考えていた。
 自分がバケモノの子だと気付いた時、どうすれば分からなかった。ただ、自分が嫌で仕方がなかった。なぜ嫌なのかは分からない。嫌なものは嫌だからだ。
 あいつはなんで自分に構うのか。ニヤニヤしながら付き纏ってムカつくけど、ユキを傷付けるようなことは決してしない。ただ側にいるだけだ。ユキに何かするように、或いはしないように共生しているわけじゃない。
(嫌いなのかな、そうなのかな。)
 ルカリオのことが嫌いかと言われると、実のところ割とそうでもない。目を合わせる度にうざいと思いつつ、二度と来なかったらどうしよう、と考えていることも自覚している。そんなことはなくて、日を跨ぐとまたどこからともなく湧いて出てくるのだけど。
 あいつが自分を見ているのは、きっと「自分のことをもう少し好きになってもいいじゃん」とか、そういうことを言いたいのだとユキは思っていて。
 そろそろちゃんとした方がいいのかな。ユキがそんなことを思う。自分の手のひらを見つめて、グーパーグーパーと握っては開いてを繰り返す。自分から逃げても自分は自分で自分だからずっと一番近くにいて、逃げ場なんてありはしないことは分かっていた。
 逃げられないものから逃げるのを止めて、前を向いてみるのも悪くないかも知れない。マスクとヘッドホンを置いて、素の自分を風に晒す勇気を持ってもいいかも知れない。
(前に進むのは悪いことじゃない。)
 うつ伏せになって寝ていたユキがヘッドホンとマスクを外して、ころんと横に寝返りを打つ。するとベッドの横から、ぬーっと何かがせり上がってきて。
「ディグダじゃないんだから。」
 いつの間に部屋へ入り込んだのか、ルカリオが屈んでベッドの側面に隠れていた。ディグダよろしく顔だけ出した状態で、毎度おなじみのにやけ顔を見せている。もちろんわざわざ言うまでもなく、トランプもしっかり持っている。
「受けて立とうじゃない。」
 フローリングの床へカードを並べているルカリオに、ユキがふんと小さく鼻を鳴らして見せた。
 床に座り込んでユキとルカリオが対峙する。おさきにどうぞ、と先手を譲ってきたルカリオの目を上目遣いで見つめる。もう逃げないんだから、腹を括ったユキが、カードから聞こえる波の音に耳を傾けた。
 クラブの8、ハートの7…裏向けにされたカードがどの数字を隠しているのか、驚くほどはっきりと分かる。意を決して二枚カードを表返す。ダイヤの6とクラブの6、正しい組だ。ユキがカードを手に取って左手に持つ。
 いつものルカリオのように、ユキが次々にカードをめくっては組を作っていく。波の音が聞こえる、これが自分だ。一度受け容れてしまえば案外どうってことはない。他の人に怖がられたらどうしよう? そんなことを怖がる必要なんてなかったんだ。
(ほんと、いっつもニヤニヤしてる。)
 少なくとも目の前にいるルカリオは、自分のことを分かってくれると思うことができたから。
 二十五組のペアを作って、残るはあと一組。もう波音を聞かなくても勝ちは決まっている。ユキがカードをめくると、スペードのエースが姿を現す。クラブのエースとダイヤのエースはもう取っている。裏返っているカードは、必然的にハートのエースになるはずだった。
 けれど、ユキはその手をピタリと止めた。聞こえてくる波の音が、ハートのエースのそれではなかったからだ。どういうことだろう、疑念を抱きながら、ユキがカードをひっくり返す。
「ジョーカー…?」
 露わになったのはジョーカーだった。ハートのエースではない。ハートのエースが出てこない、一体どこへ行ったというのか。
 思わず顔を上げたユキの目に、胸に手を当てるルカリオの姿が飛び込んできた。手には一枚のカードがあった。それは他でもない「ハートのエース」で。
「あんた、それ。」
 ルカリオが己の胸に手を当てて目を閉じる。ずっとにやついていたルカリオが見せた、初めての神妙な面持ち。ハートのエースが胸に当たって、カードが何かを主張しているかのよう。
 そういうことか、とユキはすべてを理解した。
 とてもとても長く感じられる、ほんの一瞬の時間を置いて、ルカリオはハートのエースをユキに手渡した。今の今までずっと意地の悪いにやけ顔ばかり見せていたのに、こういう大事な時に限ってちょっと恥じらっている。やんちゃなくせに可愛いやつだ、ユキがカードへ手を伸ばした。
 ハートのエースを橋渡しに、ユキとルカリオが手をつないだ。はっきりと、しっかりと、がっちりと手をつないだ。
「まあ、そういうことだから。これからもあんたと――。」
 カッコよく締めのセリフを言いかけたユキだったが、そこで不意に目を見開く。息が止まる、声が止まる、時が止まる。
「あ…あんた…。」
  
  
  
  
  
  
  
「女の子だったのぉぉおおおぉおおぉぉぉぉおーーーーーーっ!?」