とある双子の話

女装男子、蕩れ
「波音」「マスク」「神経衰弱」
 有名になると言うのは困り物だ。顔が売れれば良くも悪くも、そして望む望まざると目立ってしまうものだ。
 俺としては、荒事も何事も無く、平穏に済んでくれれば良いと思っていた。喧嘩は何処ぞの都市の華、なんて詩ってくれる必要はない、平穏に、穏便に済んでくれれば良い。
「じゃあどうしてこうなるのですか?」
 溜息混じりに彼女は言った。
「おいおい、溜息吐きたいのはこっちの方だぜ?」
 やや大袈裟に肩を竦めて見せる。右肩に寄り掛かったグレイシアがやれやれと言いたそうにしている気がしたが、それが誰に向けてなのかは思慮しない事にする。
「なるほど、じゃあそこで半冷凍されたような青ざめた表情で死屍累々と転がされている生徒の方々やポケモン達は、お兄様とは無関係なのですね? そこのお兄様が腰を掛けていらっしゃるギルガルドも」
「いや、俺がのした」
 主にグレイシアの氷の技で。そっちに転がってるアリアドスも、そこで地面に突っ伏してるニドキングも、俺の下でベンチフォルムになっているギルガルドも、その他イキッていた男子生徒三名含みまとめて全部だ。
「だって先に喧嘩売ってきたのはこいつらだぜ? 三人掛かりでいきなり仕掛けて来やがったのも」
 ちょっとやり過ぎたかなとは思ってるけど、吹雪に巻き込まれたのは俺の責任ではない、と思う。たぶん。きっと。
「とりあえず保健室に運びますので手伝ってください、お兄様」
「全部氷付けにしてカーリングみたいに滑らせて行けば楽そうだな」
「怒りますよ?」
 既に怒ってるじゃんか。確かにやり過ぎたのは俺とグレイシアだ。だけどよう、売られた喧嘩を買っただけで別に悪いことはしてないんだぜ? それで俺が怒られるっておかしくないか?
「なんて口答えしたら怖いだろうな……」
「何か言いました?」
 おー、怖い怖い。俺やグレイシアなんてまだ可愛く見えるような眼で睨んできた彼女に従い、俺は素直に負け犬一から三号を保健室まで届ける事にした。

 この学校には、放課後になると現れる謎のポケモントレーナーがいる。この学校の制服を着ているからには、この学校の生徒には間違いないはずなのに、正体はわかっていない。
 わかっているのは、男子生徒だと言うこと、男子にしては髪が長く、背の高さはそこそこ、痩せ型でスマート、喧嘩っ早くちょっと煽られただけでキレる、パートナーのグレイシアとのコンビネーションは抜群で、バトルの腕は学校内では負け無し。
「そしてカッコいいから女子には人気よ」
「へ、へぇ……」
 あたしはリアクションに困り言葉を濁した。
「そっか、あんたまだ見たことなかったんだっけ?」
「うん、それに親が厳しいからバトル部の方は行き難いし」
「あー、東花んち、女の子がポケモンバトルなんて野蛮だー、なんて言ってバトルビデオも見せて貰えないんだっけ?」
 お母さんは私に「女の子らしく華やかなポケモンコンテストをやりなさい」なんて言うくせに、お父さんはお兄ちゃんに「男はやっぱりポケモンバトルだろ」なんて言ってバトルをやらせたいらしい。
 ちなみにお兄ちゃんは内気で喧嘩一つ出来ない弱虫だ、ポケモンバトルなんて出来る訳がない。
「東花も大変だね、あ、今度うち来る? この間の国際リーグ戦、録画してあるよ」
「行く、ナイス咲々芽、やっぱり持つべきものは友達よね」
 逆に、私はポケモンコンテストなんて興味はなく、ポケモンバトルに首ったけな訳なのだけど。
 本当に、お兄ちゃんが妹で、あたしがお兄ちゃんだったら良かったのに、と思わない日はない。

「どうした西汰?」
「……妹から連絡」
 友達の家に寄ってくから制服持ってってくれない、と言う内容だった。僕は短く「わかった」とだけ返信すると携帯をポケットに突っ込む。たぶんバトルビデオでも見せてもらいに行くのだろうけれど、制服での寄り道は禁止されている。東花は寄り道したいが為に学校に私服を持ち込むような妹なのだ、根本的に間違っているような気がするけれど。
「妹って東花ちゃんか、お前より背の高い」
「二卵性の双子だし、妹って言っても都合の良いときだけの妹だよ」
 僕の言うことなんてほとんど聞きやしない、と愚痴る。弱気で内気だから舐められているのだろうか、東花の方が強気で活発だから仕方がないのかもしれないけれど。
「それより昨日の話聞いたか?」
「どの話?」
「二年の不良が例のグレイシア使いに〆られた話」
「……聞いたけど」
 意図的に声のトーンを一つ下げた。
「なんだよ、乗り気じゃないな、そっか、お前バトル好きじゃないんだっけ? 今日もグレイシア使いが出て来ないか見に行ってみようと思ってたんだけど、同じグレイシア持ちとして気にならないのか?」
「予想してると思うけど、雅之一人で行ってきなよ」
「そっか、まぁ嫌いなもんは仕方ないよな、じゃあまた明日な」
 また明日と別れてから東花の制服を受け取る為に僕は校外へと急ぐ。ちょうど良いことに学校のすぐ裏手に小さな公園がある、そこにある男女共同の小さなトイレで着替えた制服を受け取る事になっているのだ。
「……グレイシア使い、今日は来ないと思うって言い忘れたな」

 公園のトイレからそっと外の様子を窺います。誰もいないのを確認して、私は外へ出ました。
 誰も居ません、当然お兄様も居ません。一人きりで、と言うのはちょっと不安でドキドキします。一度深呼吸して、それから私は学校へと戻りました。
 校外へと出ていく生徒達とすれ違う度にバレていないかと心配しましたが、そんな事はないようです。さすが生徒数地方一の学校です、きっと同級生の顔も全員は把握していないのかもしれません。
 無事に潜入成功しました。なので早速、ポケモンコンテストの練習場を探してみようと思います。
 道はわかっているのでコンテスト部まで辿り着くのは簡単でした。どうやら今は本番形式の練習を始めるようです。しかし、これでは本番とは言えません、ポケモンコンテストは四人でやるものですが、ステージにモンスターボールを投げ込んだのは三人だけです。
 一人足りません、そう思ったら居てもたってもいられませんでした。気が付いた時には、私はモンスターボールをステージに投げ込んでいました。
「ステージオン、リーフィア、よろしければ私も混ぜて頂けませんか?」
 これでは私も道場破りのようではないですか、誰彼構わずバトルして回るお兄様をバカには出来ませんが、少しだけ、お兄様の気持ちがわかったような気がしました。

 新ヒロイン誕生、コンテストステージに舞い降りた謎の美少女、謎のリーフィア使い。
 あたしの携帯にもそんな速報が舞い込んできた。曰く、昨日の放課後、正体不明の美少女コーディネーターが現れ、コンテスト部の生徒達を鎧袖一触に蹴散らして行ったのだとか。
「昨日凄かったらしいよ、しかし、謎のグレイシア使いに続いて今度はリーフィアね、そう言えば東花の手持ちもリーフィアじゃなかったっけ?」
「そうだけど、私は昨日咲々芽と一緒に居たじゃない、それに美少女って柄じゃないわよ」
 確かに私のポケモンはリーフィアだけど、私には決定的なアリバイがある。それは目の前の彼女が証明してくれるはずだ。
「まぁ確かに東花は結構背高いしね、小柄で愛らしい美少女って感じじゃないし」
 あっはっは、渇いた笑い声を上げて彼女の頭を鷲掴みにしてやった。
「自分で言うのは良いし、可愛くないのは自覚してるけど、他人に言われると超腹立つわ」
「ごめんごめんって言うか痛い痛いから」
 マジごめんと平謝りする咲々芽をようやく解放してあげる。
「もうちょっと加減してよ、痛いんだから」
 彼女が本当に涙目になっていたのでちょっとやり過ぎたかなと反省する。
「ちなみに、そのリーフィア使いってどんな子?」
「直接見てないけど、写メ送ってもらったから見る?」
「見せて」
 携帯に写っていた少女は、確かに私より小柄だった、そして腹が立つ事に私より可愛い。つぶらな瞳、愛らしい口元、艶やかな黒髪……はまぁいいや。そして全体的な印象は、私にも似ているのに、向こうの方が愛らしい気がするのにまた腹が立った。

「そういやおまえ、写メ取られてたぞ」
 俺は友人から送って貰った写真を彼女に見せた。
「嘘!? あ、本当だ……」
「しかも大暴れだったらしいじゃん? コンテスト部のメンバー蹴散らして来たんだろ?」
「蹴散らすなんて、ちょっと混ぜて貰っただけです」
 混ぜて貰っただけって、悪意がなさそうに言うから質が悪いよな。終いの方なんて心が折れて演技をする気力すらなかったらしい。
「俺も結構無茶苦茶するけど、おまえも大概だよっと、挑戦者かな?」
 この学校に四ヶ所あるバトルフィールド、その中でも普段はあまり使われる事のないポケモンバトル部の第四バトルフィールドに小さな噂がある。普段は鍵が掛けられたそのバトルフィールドの鍵が開いている時、そこに最強のトレーナーが現れる、と言う噂だ。
 まぁ俺が広めたんだけど。氷で作った合鍵で俺だけが勝手に侵入出来るバトルフィールド、お誂え向きな戦場、と言うわけだ。
「じゃあ私はもう行きますね」
「コンテスト荒らしか、いってら」
「荒らしじゃありません、お兄様も、トレーナーの方は巻き込まないようお気をつけください」
 彼女と入れ違いに入ってきた男子生徒は一人だけだった。こいつは正々堂々一対一の勝負をお望みって事かな、この間みたいな乱戦も嫌いじゃあないが、やっぱり燃えるのはこっちの方だ。
「中から鍵掛けな、邪魔が入ったりしたら白けるだろ?」
 挑戦者の男子は頷いて鍵を掛ける。
「勝負は一対一、もちろん俺はグレイシアだけどな、さぁ、始めようぜ!」

 さて、お兄様もお楽しみのようなので、私も少しだけ楽しんで来ようと思います。しかし、お兄様の第四バトルフィールドのように都合の良いコンテストステージはありません。
 この学校にコンテストステージは二ヶ所、しかしどちらも普段から練習に使われています。私が昨日混ぜて貰ったのは第二ステージの方です。今日は第一ステージの方を見に行ってみようかと思いましたが、やはり昨日と同じ第二ステージに向かう事にしました。
 今日もやはり練習中です。それに混ぜて貰おうにもフィールドには既に四体のポケモンがいます、ポケモンコンテストは普通四体が最大です、ですのでそこに割り込むのは良くないと思います。なので暫く隠れて様子を窺う事にしました。
「昨日の子、今日は来てくれないのかな」
 ここにいるんですけど。はしたないと思いながらも聞き耳を立ててしまいました。
「そう言えば昨日は三人でやってる時に来たんだよね、メンバーが足りないとやってくるとか?」
「そんなまさか、ってかどんな怪談よそれ」
「せっかくだし試してみる?」
 ステージの演技が一段落し、ステージ練習に立つポケモン達が入れ替わるようです。しかし投げ込まれるボールの数は三つだけ、メンバーが一人足りません。
 これは私の参加を期待されているのでしょうか、参加しても良いのでしょうか。少しだけ待ってみても、ステージのポケモン達も、舞台袖のコーディネーター達も、演技を始めようとはしませんでした。
 きっと参加しても良いのでしょう、私は嬉々としてボールを投げ込みます。
「ステージオン、リーフィア、よろしければ私も混ぜ……」
 その瞬間喝采が上がりました。突然の事でしたのでビックリしましたが、どうやら歓迎されているみたいです。少しだけ安堵しました。
 ところで、お兄様の第四バトルフィールドの噂、七不思議みたいな感じであまり好きではなかったのですが、困った事に、今度は私が七不思議のような噂を作ってしまう事になりました。
 曰く、第二コンテストステージでステージに欠員が出ると、何処からかリーフィアを連れた謎のコーディネーターが参加してくる、と言う怪談にしか聞こえない噂です。

 グレイシア使いとリーフィア使いの噂は学校中の話題だった。噂と言うか実際にどちらも実在しているのだから噂と言う言い方は可笑しいかもしれない。
「そうだ、東花、これ」
 僕は鞄の中から一枚のプリントを取り出して東花に渡した。僕達が通う学校でももうすぐ文化祭が開催される、そのお知らせの一つだった。
「そうだ、あたしも西汰、これ」
 代わりに東花も一枚のプリントを僕にくれた。東花は普段僕をお兄ちゃん等と呼んだりはしない、僕をお兄ちゃんと呼ぶのは、都合良く利用したい時くらいだ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
 まぁそう来るだろうね、そのプリントを渡す前に予想は出来ていた。
「ポケモンバトルロイヤルだって、これ出たいんだけど」
 今回は僕の方も完全に利害が一致している訳で拒否するつもりもなかった。
「じゃあ当日は、手持ちと制服交換って事で」
 僕は文化祭コンテストのチラシを見ながら、そう答えた。
 僕と妹は結構似ている、内面の話ではなく外見の話だ。性格は一ミリもカスッていないのに、さすが双子、二卵性と言えども双子は双子だ、顔立ちなんかは意外と似ているのだ。
 中性的な顔、加えて僕は華奢な方だ、背も低い。東花の方は、面と向かって言ったらきっと殺されるけれど、胸がない、あと僕より背が高い。
 僕は化粧して女子制服を着込めば普通に女の子に見えてしまうし、東花も化粧をして男子制服を着込めば整った顔立ちの男子に見えてしまうのだ。
 つまり、コンテストがやりたい僕は妹の制服を着て変装して、バトルがやりたい東花は僕の制服を着て変装して、お互いやりたい事をやっている、と言う訳だ。
 僕はお母さんにコンテスト用として鍛えられた東花のリーフィアを連れて、東花はお父さんにバトル用として鍛えられた僕のグレイシアを連れて。
 別に僕は女装する必要ないんだけど……
「男子に化けてバトルやるから制服貸して」
「制服貸してって僕は何を着れば良いのさ?」
「あたしの制服貸したげる」
「やだよ、なんで女装なんて」
「はい決まり、いいよね、ね」
「だから嫌……」
「良いよね、答えは聞いてないからね」
「……はい」
 まぁコンテスト部が男子と仲が良くないらしく、近付きやすくなると言う利はあるにはあったのだけど、僕の方だけデメリットが大きすぎるような、そんな気はした。
「ところで西汰、女装してる時の方が迫力あるような気がするんだけど、もしかして気に入った」
「絶対にそれはない」
 ないはずだ。だけどもし、女の子の姿の方が迫力があるとしたら、それはきっと、兄は妹には勝てないと言う長年の刷り込みから、兄に扮した東花より妹化した僕の方が上と言う思い上がりなのかもしれない。
 それはそれで嫌だ。

 文化祭当日、あたしはクラスの出し物に適当な理由を付けて抜け出した。謎のグレイシア使いが実は男装したあたしでした、なんて言えるはずがないので、それっぽい言い訳を付けたのだ。
 お兄ちゃんと合流して制服を交換、化粧もして、あたしは俺になる。
「そう言えば南ちゃん、いや南ちゃんて」
 俺は必死に笑いを堪えていた。バトルロイヤルも、コンテストも、事前の参加登録が必要だった為、一度変装してちゃんと参加登録をしてきたのだが、その際に名前が必要だったのだ。その時に西汰が使った偽名が南だった。
 西と東が既にあるから南って安直過ぎないだろうか。
「そう言う東花だって、北斗ってなんなの?」
 所詮兄妹、人の事は笑えない。けれど努めて冷静に返す。
「え、かっこよくない? あとそのかっこの時はちゃんとお兄様って呼ぶように」
 これはお互い変装している時の決まりで、自分のことは俺と呼ぶし、お互い名前は呼ばない、妹として扱うし、俺の事はお兄様と呼ぶ、お兄様と呼ばせるのは俺の趣味である、俺も可愛い妹が欲しかった、おまえ可愛くないじゃんとか言われそうなので黙っておく、言ったら言ったで普通に殴るけど。
「まだ着替えてないからセーフだよ」
「あっそ、ところで今後はそのかっこの時は南って呼べば良いよな? あ、俺は当然お兄様ね」
「訳がわからないのですが……」
 あ、南ちゃんになった。
「妹は兄の言うことを聞くもんだぜ」
「普段は兄の言うことを聞いてくれない妹がいると思うのですけど」
 墓穴だった、この話は止めよう。
「まぁいいや、さっさと化粧済まして行こうぜ」

 開始時間はコンテストの方が遅いようでしたので、私はお兄様と一緒にバトルロイヤルの会場へ足を運ぶことにしました。普段からお兄様と呼び慣れていないと、咄嗟の時に呼び間違えそうで怖いので、やっぱりお兄様呼びです。
「南、おまえもなんか飲む?」
「私は大丈夫です」
「あっそ」
 せっかく奢ってやろうかと思ったのに、と少し不貞腐れた様子で話すお兄様に少しだけ笑ってしまいました。
「後で言っても遅いからな」
 お兄様はそう言いながら缶ジュースのフタを開けて……
 最初の感想は冷たい、でした。良くわかりませんが、何か冷たい物を掛けられたのです。それが、お兄様の持っていた缶ジュース、炭酸のジュースだと気付くのに時間が掛かりました。
「お、ちょ、ちょま、これ」
 お兄様の姿を見てようやく事態を把握します。缶ジュースを開けたら炭酸が吹き出して顔面直撃してしまったようです。堪らず缶を遠ざけましたが噴出は止まりません。缶を遠ざけようとして前に向けたら、当然前方にいた人に掛かります、噴出は止まってないので当然です。
 そして、不幸にも前方に居たのが、私だった、と言う事のようです。
「おい、大丈夫か?」
 声を掛けてくれたのはバトルロイヤルの実行委員の方のようでした。びしょ濡れになった私とお兄ちゃんを控え室の方に案内してくれました。
 着替えは予備のジャージを用意して頂けたようです。お兄様が妹を着替えさせたいからと人払いをしてくださいましたが、勿論、理由は別でしょう。
 私、いや、僕も東花も顔面に炭酸を受けて化粧が落ちてしまっていた。今の僕はどうみても南ではない、女装した西汰で、北斗も何処にもいない、そこにいるのは男子制服を着た東花だった。
「東花、化粧道具って……?」
「ない、教室に置いてきた」
 呆然となった。とりあえず濡れた女子制服は脱いでジャージに着替えると、南は影も形も残されていなかった。それは北斗も同様である。
 正直な話、僕も東花も化粧さえしていればバレないだろう、制服を着ている必要はない。
 しかし、今はその化粧は剥がされてしまっている。西汰や東花と言う正体を隠す、南と北斗の仮面は何処にもない。言ってみれば、カードがすべてひっくり返った神経衰弱だ。誰が見ても西汰と言うカードと南と言うカード、そして東花と言うカードと北斗と言うカードを繋ぎ合わせるのは造作もない。
「ねぇ西汰、遺憾な事に、身体のラインとかは制服着てなくてもわかんないよね?」
「え、たぶん……」
「……否定くらいして欲しかったけど、もう仕方ないわね、これで行くわよ!」
 半ばやけくそ気味に東花はそう叫んだ。

 ポケモンバトルロイヤルの発祥は何処かの遠い南の島らしい。そこで君臨していたチャンピオンはなんとマスクを被った覆面レスラーだったそうだ。
「噂のグレイシア使い北斗選手、今日はバトルロイヤルらしく、マスクを付けての登場だー!」
 俺、超遺憾。あれ、今制服来てないし化粧もしてないからあたしで良いのかな、でも一応北斗としているから俺の方が良いのか? あぁもう、どうでも良い。
 もやもやして集中出来ない、いっそ頭でも抱えたいくらいだ。そうしている内にゴングが鳴っていた。
 反応が遅れた、でもさすがグレイシア、開幕からの集中攻撃を指示を受けなくても凌いでくれた。
 安堵するのも束の間、強いトレーナーとして注目されていたあたしは、バトルロイヤルの集中攻撃の対象となっていた。実質一対三、雑魚が相手ならともかく、こんな大会の場に出てくるトレーナーが弱いはずもなく、形成は一気に不利へ傾く。
 それでも、普段通りに指示が出せれば負けない自信があった、グレイシアを信頼していた。しかしそれが出来なかった。突然のアクシデントでの動揺もある、でも最大の障害はそこではなかった。
 マスク、見辛い、集中できない!
 反応が遅れる、反応が遅れれば指示も遅れる、指示が遅くなればグレイシアの対応も鈍る。グレイシアも自身の判断で上手く対応してくれるけど、それにも限界がある。
 勿論、それを解消する方法は酷いくらい簡単だ。マスクを脱ぎ捨ててしまえば良い。
 しかしそれは、北斗と言うカードと、東花と言うカードを繋ぎ合わせるようなものだ。
 バトルロイヤルで集中攻撃の不利な状況、負けても仕方がない、北斗とグレイシアの無敗記録に土が付くけれど、一対一じゃないし、これはもう仕方ない……
「なんて、言えるか!」
 あたしは吼えた。マスクを引き千切り地面に叩き付ける。
 突然の出来事に会場が一気に静まり返っていった。波紋が拡がっていくように、沈黙が人の波を飲み込んでいく。あたしの荒い呼吸だけが、妙に大きく聞こえた。
 やがて、漣が押し返すようにざわざわと音の波が戻ってきた。それを掻き消すように吼える。
「グレイシア、挽回するよ!」
 あたしの宣言に、会場は歓声の津波に飲み込まれた。

 マスク、超恥ずかしい。
 実況の人にも何でマスクなのと聞かれてしまった。せっかくの舞台なので友達にお化粧して貰ったんだけど、ちょっとしたアクシデントで化粧が崩れて酷い顔になっちゃたので、と言い訳しておいた。嘘ではないけれど苦しい言い訳だった。
 それでもなんとか勝ち上がり、決勝まで勝ち残ったのだけど、僕の羞恥心の方が限界だった。
 あと少しだから頑張れと、自分に言い聞かせる。そんな時だった。
「南、勝ったよー」
 それは東花の声だった。何時もよりお気楽そうな声。振り向くと、そこにはジャージ姿のまま、グレイシアを連れた東花の姿があった。手には優勝トロフィー、当然だけど、マスクはしていない。
「……え?」
 当然の反応だと思うけれど、少し呆然とした。勝ったのは、まぁ噂は聞いていたし東花とグレイシアなら優勝出来るかもしれないとは思っていた、いや優勝して欲しいと思っていたんだ。
 でも、マスクせずに優勝トロフィー持ってたら、誰が見ても北斗が東花だってバレるんじゃ?
「うん、バレたって言うか、バラしちゃった」
 東花は笑いながらそう言った。何処かそう、スッキリとした笑顔だった。
「でさ、あたしだけバレたの恥ずかしいから、一緒に正体バラそ、お兄ちゃん」
 お兄ちゃん、その発言に会場が波打つようにざわめき出す。いや、当然だ。だって会場の人達は、みんな僕を南だと、つまり女の子だと、思っていたはずだ。それに、これまでポケモンコーディネーターとして女装した姿を何度も晒してきている。
 まるでそれは、いきなり横から裏返しのカードを全部ひっくり返して行ったような感じで、あぁ、本当にこの妹はなんて事をしていきやがる。
 ざわめきの波音はどんどん大きくなっていく。
「何でバラしちゃうんだよバカァー!」
 僕の悲鳴は、水面に拡がる波紋がもっと大きな波音に掻き消されるようにざわめきに飲み込まれていった。


 これは、後日談になるんだけど。
 あたし、東花は今、堂々とポケモンバトルに身を置いている。世界には女性の身でチャンピオンまで登り詰めたトレーナー達だっているのだ、あたしだって、ううん、あたしとグレイシアならきっと出来るはずだ。
 それから、やっぱり有名になるのも困ったもので、北斗の正体をバラしてから毎日のように告白されるようになった。そう、女の子にモテるようになってしまった。
 女の子にモテるのは別に構わないけど、どうせならかっこいい男子にモテたかった、それと北斗様と呼ぶのは辞めて欲しい。
 おまけに女の子の取り巻きが出来てしまった為、素敵な恋人が出来るどころか、最近は男子に避けられている気がする、自分よりかっこいい女子とか付き合いたくないって。
 もう一つ困ったと言えば、お兄ちゃんの事だ。なんか訳がわからないんだけど、お兄ちゃん自身も訳がわからないとか言ってたけど、なんかあたしより男子にモテていた。
 元はと言えばあたしが強要したような気がするけれど、それは棚に上げて変態女装男子とかバカにしてやろうと思っていたら、男子達からあたしより南の方が可愛いと総攻撃された、可笑しくない? だって男だよ?
 まぁ女の子からも女装してデートしようなんて誘われてたから指差して笑ってやった、本気で泣いていたから大目に見てやろう。
 それから、今度はコンテストの大きな大会に出るそうだ。もちろんリーフィアと一緒に。

 今は別の誰かなんて仮面は被らずに、自分の事を偽らずに、あたしもお兄ちゃんも、そのままの自分で頑張ってる。