私の浪漫とオーロット

バケッチャ・トール・サイズ
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編集済み
 雨上がりの空の下。
 木にたわわに実った、瑞々しい果実。
 それを一もぎ、皮ごとがぶり!

 そんな映像をTVで観た時から、私の中に「浪漫」が芽生えた。
 なんて豪華で、ワイルドな行為!
 ああ、私もやってみたい!
 一般庶民で中学生な私でも、きっとセレブな気分になれるだろう。

 だけども、そんな私の浪漫に、友人は無粋な助言を送ったものだ。

「スーパーで買えば?」

 いやいや、私は木からもいで食べたいの。

「果樹園の収穫ツアーに参加したら良いよ」

 いやいや、私は誰にも干渉されずに、自由に独り占めをしたいんだ。

「じゃあ気長に、畑で育てる?」

 いやいや、私は食べたいんであって、木の御世話なんかしたくない。

「ジュリは我儘だなぁ。それじゃあ、どうする気なの?」

 ふっふっふ。愚かなり我が友人。

「自分でお世話すること無しに、私だけの果実を収穫することは可能よ」
「まさか泥棒」
「違うって! 私だけの果実が食べたいならば、私の為に作って貰えば良いのよ!」

 私は年季の入ったモンスターボールを開く。
 召喚したのは、ベテラントレーナーだった祖父のお下がりである、霊と草の二重属性ポケモン。

「……ズオォオ……」

 オーロットの、「オロウ」だ。

「この前、携帯獣講座で聞いたの。特性「収穫」を持つポケモンは、その身体に、食べた果実を生やすことができるんだって」
「ま、まさか」
「そう! オーロットは「収穫」の特性を持つポケモン! 彼が私の浪漫を叶えてくれるのよ!」

 講座だけじゃない。すっかり忘れていた幼い頃の記憶だが、私は見たことがあったのだ。
 トレーナーである祖父の指示で戦うオーロットの身体に、果実が生った瞬間を。

 だから、成せる根拠はちゃんとある。

「う、うわぁ~……」
「何よ」

 それなのに、何を思ったのか。
 失礼な友人は、私のパーフェクト・プランに「ドン引き」をしたのだった。



*◇*◇*◇*◇*



 混濁する意識の中、少女ジュリは眼を開く。

「…………」

 聞こえるのは、風の音と、女達の声。
 その眼に映るのは、どこまでも広がる灰と白。そして、老木の獣の姿。

「……オロウ……」

 ジュリは震える腕でモンスターボールを取り出し、自らを見下ろすオーロットへとかざした。

「……私なんかに、付き合うことないよ」
「だから」

 ジュリの指が、モンスターボールのスイッチへと触れる。
 だが、回収光線が放たれるその前に、オーロットはジュリの手からボールを奪い取り、凄まじい力で握り砕いてしまった。 

「ズオォォォオオオオオ」

 内臓されていた回収機能も、認証装置も、何もかもが粉々になり。
 手の平から機械部品の残骸を溢しながら、オーロットは唸り、その紅の瞳でジュリを睨む。
 それ以上の言葉は、決して許さないとばかりに。



*◇*◇*◇*◇*



「うぇえっ」

 オーロットの特性「収穫」による、私の浪漫の実現。
 これが容易なものではないことは、直ぐに分かった。

「違うよオロウ! モモンはこんなパサパサしてないよ!? これじゃあドライフルーツ、いや、干物……ううん、違う。ミイラだよ!」
「……ズオォオオ……?」
「全く。枯れているのは外見だけにしてよね」
 
 一体どうしてこうなった。
 確かにオーロットの身体に果実は生るのだが、致命的なことに、その果実は総じて、パッサパサのカッスカスばかりだったのだ!
 見た目も触感も悪ければ、味も良くない。
 これでは、私の浪漫の実現には程遠い!

「ねぇ父さん。どうやったらオロウに美味しい果実を生やせるかな?」
「ジュリ。そもそも俺は、ゴーストポケモンから生えた果実を食べるってことに抵抗を覚えるんだが……」
「やれやれ、父さんには、私の浪漫がわからないんだ。お爺ちゃんだったら、きっとわかってくれるのに」

 理解の無い父だったが、私の不機嫌を察したのか。
 父はオーロットが生やした果実のミイラを見ながら、苦笑いで語った。

「オーロットという種族は、人間好みの果実を生やすのには、向いていないんじゃないのか」
「えぇっ?」
「トロピウスやナッシーならともかく、オーロットから生えた果実が美味しいなんて話は、聞いたことが無い」

 父は遠まわしに「諦めろ」と言っていたが、「はいそうですね」と素直に引きさがるわけにはいかない。
 私はトロピウスやナッシーなんて持っていないし、浪漫は何としても実現したいのだ!

 だから、私はオーロットの身体を揺らして、いつものように「お願い」をした。

「ねぇ、お願いだよオロウ! 私さ、美味しい果実をワイルドに食べて、セレブ気分を感じたいの!」
「ズォオ?」
「だから実らせて! 良い感じの果実!」
「ズォ……」

 オーロットは「老木ポケモン」という失礼な分類名が与えられているポケモンだが、祖父が若い頃からの相棒であったというオーロットは、実際にそれなりの歳なのだろう。
 彼の皮膚の感触は、生える果実と同様に枯れていて、パサパサのカサカサだった。

「良い? まずジューシーじゃないと駄目! そもそもミイラじゃまともに噛めないし!」
「ズ」
「ふっふっふ。私はオロウならやってくれると、信じているよ」
「……ズォ……?」

 「ブランコになって!」「あまい蜜を塗らせて!」「友達をポケモンバトルでぎゃふんと言わせて!」等などなど……私は、物心がついた頃から、あるいはその前から、何度もオーロットに「お願い」をしてきた。
 父は彼を困らせるなと私に注意したものだが、それでもオーロットは、私のお願いを聞いてくれた。

 ゴーストタイプの身体に、果汁に溢れた、美味しい果実を生やす。
 私がオーロットに頼んでいることは、今度こそ無茶ぶりなのかもしれない。

 そう思わないこともなかったのだけれど……私はどうしても、オーロットに我儘になってしまうのだ。
 
「期待しているからね」

 ほんのり、お爺ちゃんの薫りを纏う彼に対して。



*◇*◇*◇*◇*



「……っ!」

 ジュリは眼を見開いた。
 視界に再び映る、灰と白。そしてオーロットの紅の瞳。

「……あ、うあぁっ……!」

 瞬間、全身への苦痛を知覚したジュリは呻き、涙をこぼした。

「オロウ」

 オーロットが行使した、精神干渉の呪術、夢喰い。
 彼は眠るジュリの夢を喰らい、ジュリを強制的に現実へと覚醒させたのだ。

「……もう、良いんだよ」
「…………」
「私は……とっくに諦めているんだから……」 
「…………」
「……お願い……もう、止めて」
「…………」
「……私を放して、オロウ……」

 ジュリは懇願する。
 だが、オーロットは返答することなく、その巨腕はジュリを掴み、その根は大地を深く貫いた。

「……フィオオオオオッ……」

 全てが凍る地獄の中で。
 女達の声が、直ぐそこまで迫って来ていた。



*◇*◇*◇*◇*



「ほら見てよ、オロウ。わかってる? 私、こういうのが食べたいの」
「ズオォ」
「そんな、干からびたミイラじゃなくてさ」

 私は気長な努力を続けていた。
 とは言え、私がやったことは、オーロットに「浪漫」のイメージ映像を見せたり、スーパーで買った瑞々しい果実を食べさせたりしただけ。
 果実を生やすのはオーロットなのだから、真に努力すべきはオーロットなのだ!

「ズォ」

 私がオーロットの木陰で休む中、オーロットは私が買ってきた瑞々しい果実と、自らが生やしたミイラの果実を食べ比べる。
 だが、人間とポケモンの感性は異なるのか、彼はどうもピンと来ていないらしい。
 きっとオーロットにとって、二つの果実はそれこそ「水分が多い」「水分が少ない」の違いでしかないのだろう。 

「えぇい。世の中は広いんだから、どこかにあるはずだ。オーロットで作る美味しい果実の情報!」

 「オーロット+収穫」……ポケナビを叩いてネットを検索したが、出てくるのはポケモンバトルの戦術論ばかり。
 動画を調べてみても、見つかるのは「ゾンビ戦法オーロット! 効率良き収穫とは」「収穫オーロット、恐怖の黄泉戸喫型」といった食欲の失せる講座だけであり、如何に瑞々しく美味しい果実を生やすかなんて出てこない。
 その癖に、ナッシーやトロピウスといった南国系のポケモンの、美味しい果実収穫講座はヒットするのだ。

「温室を用意しろ? ばっかにしてくれちゃって。そんなの用意するくらいなら、初めからポケモンに頼ってないわよ」

 ねぇ、と私は新たに果実を生やしたオーロットを見上げる。

「…………」

 オーロットは自らの身体に生やした果実をもぎ取り、私に手渡す。
 それは相変わらずのミイラであり、齧れば口内に辛さだけが広がった。

「うん。辛うじてチーゴってのは分かるけど……全然美味しくない」

 オーロットに身を預けた私は、空を見上げる。
 「浪漫」を抱いたのは暑い夏の日だったが、夏は既に過ぎ去り、秋もまた終わろうとしている。
 そろそろ、外出時には手袋とマフラーが必要になるだろう。

「今年も寒くなりそうだね」
「ズォ」
「ナッシーやトロピウスは南国のポケモンだから……この雪国で果実を収穫できるポケモンは、クリスマスツリーのコスプレだって出来るオーロットだけだよ、きっと」 
「ズオォ?」
「冬になっても良いよ。浪漫は年中無休でいつでもどんと来いだもん」

 でも、と私は意地悪に笑った。

「どうせ食べるなら、曇りの雪の日じゃなくて、天気の良い空の下で食べたいな」
「ズォン……?」
「わかんない?」

 私は、オーロットに教えてあげた。

「シチュエーションって、大事なんだよ」
「勿論、味の良さは大前提だけどね」



*◇*◇*◇*◇*



 友人とのスキー旅行。

 そんな中、雪山でジュリを呼んだ女の声……

 異変を察知したオーロットがモンスターボールから飛び出したその時、既にジュリは負傷していた。
 ジュリは女の声に誘導されて舗装外の場所に深く迷い込み、滑落してしまったのだ。

 異常な吹雪に見舞われ、ジュリは痛い、苦しいと泣きながら凍えていく。
 だが、視界が白く塗られ、右も左もわからないこの状況。
 オーロットは助けを呼ぶことも、ジュリを暖めてやることもできず……彼に出来たことは、その根と術で、ジュリの命を狙う「ユキメノコ」の群れを撃退し、ジュリと共に逃げ続けることだけだった。

「フィイイイッ」

 執念深いユキメノコの群れは、数体倒されたところで、狙った獲物を諦めはしなかった。
 雪山は、氷と霊の二重属性であるユキメノコにとってのホームグラウンド。
 人間を連れて逃げる草ポケモンを追う程度容易であり、彼女達はオーロットを甚振り、追い詰めていく。

「……!」

 深い雪の中、進み続けていたオーロットは停止する。
 凍りかけた視界に映るのは、白色ばかり。
 だが、オーロットは、前方に、後方に、右に、左に。彼の全方向を囲むユキメノコ達の気配を察知したのだ。

 もはや何処にも逃げ場は無く、オーロットはジュリを深く抱き、根に力を込める。
 同時に、全方向から放たれた氷の礫が、オーロットの全身を抉った。

「ズォアアアアアッ……!」

 ユキメノコ達は、ジュリを庇うオーロットを嘲笑った。

 何て愚かな霊ポケモンなのだろう、と。
 死に行く人間など、さっさと捨ててしまえば良かったのに、と。
 
 だが、その嘲笑は、自身の悲鳴と苦痛に上書きされることになる。
 ユキメノコ達の真下、雪の中から突如何本もの太い根が飛びだし、彼女達を打ちつけ、薙ぎ払ったのだ。
 それは、オーロットがユキメノコ達から逃げながらも、雪を貫き地中に張り巡らせ、潜伏させていたトラップ攻撃。
 草の大技、「ウッドホーン」である!

「フィオオオッ」

 群れのユキメノコが次々と雪に伏す中、一体のユキメノコが、ウッドホーンの奇襲を回避し、吹雪の中を舞う。
 能力の高いその個体は、リーダー格のユキメノコであり……彼女はオーロットとの距離を詰め、その全身を凍結させるべく、強烈な「氷の息吹」を放った。
 
「……フィッ……?」

 だが、白銀の息は術者諸共、漆黒の刃で一閃された。
 その刃は、霊体をも引き裂く、肥大化した影の爪。
 オーロットが放った霊術「シャドークロー」が、その腕の凍結よりも速く、リーダー格のユキメノコの急所を抉ったのだ。
 
「フ、フィオォッ、オオン……!」

 深手を負い、戦闘不能に陥ったリーダー格は逃走し、彼女に統率されていた群れも逃げ去っていく。
 吹雪の中残されたのは、全身に傷を負ったオーロットと、彼に抱かれるジュリだけだった。

「…………」

 ユキメノコの群れは去ったが、状況は好転していない。
 傷から流れ出る体液も凍りつく、極寒の世界。
 この異常な吹雪はユキメノコの技によって作られたのだろうが、彼女たちの置き土産か。
 吹雪は止む気配を見せず、草タイプであるオーロットの身体を凍てつかせ、ジュリの体温を奪っていくのだ。
 強靭なポケモンの身であっても危険な環境であり、このままでは、人間であるジュリは命を落とす。助かったとしても、凍傷で五体満足ではいられないだろう。 

「ズォオオ」

 オーロットは、崩れ落ちる身体を根で支え、自らに果実を生やした。
 それは、かつてジュリにせがまれた彼が食べ、身体に記憶させた果実の一つ。
 滋養に溢れ、凍傷防止・治癒の効能を持つ、ナナシの実だった。

「ズォ」

 オーロットは実をもいで、震えるジュリの口元に近づける。
 だが、カサカサのナナシの実を、ジュリは食べてくれない。
 今やジュリの精神は「夢喰い」でも引き戻せない場所へと彷徨っており、果実を咀嚼する力も残されていないのだ。 


 ―どうすれば、食べてくれる?


 オーロットには、その答えが直ぐにわかった。 
 それは、ジュリがずっとオーロットに頼んでいた、無茶ぶり。
 
「……ズォオオオオッ……!」 

 根も葉も凍る吹雪の中、オーロットは枯れた果実を振り落とし、その身体に新たな果実を生やす。
 再び生えた、枯れた果実を振り落とし……命を燃焼させるかのように、オーロットは更なる収穫を続ける。

 ジュリが求めた「浪漫」を、今この場に再現するために。
 


*◇*◇*◇*◇*



 私が彷徨って辿りついた先は、芳しい薫りに包まれた草原だった。
 天気は不自然なほどに快晴で、とても気持ちが良い。
 周囲を見れば、とても美味しそうな果実を生やした木が沢山生えている。

「うわぁ。凄い」

 なんて都合が良いんだろうか。
 木々の傍には「無料です。ご自由にお食べください」と書かれた看板も立てられている。

「うはは。これは浪漫行為の実現なるか」

 私は浮足立って木に近づき、果実に手を伸ばしたけれども……

「ジュリや」
「えっ?」

 ふと掛けられた声に振り返ると、そこには、私が幼い頃に亡くなった祖父が立っていた。

「お爺ちゃん」
「どうして、こんなところにいるんだい?」
「さぁ? 私にもよくわからない。でも、会えて嬉しいよお爺ちゃん!」

 居ない筈の人がいる。
 つまり、私が視ているのは、現実ではないのだろう。
 けれども、ここはとても心地良いし、寒さも苦しみも無い。
 大好きな祖父がいるし、憧れの浪漫行為だって、今すぐできる。

 ……これが夢だとしたら、死ぬまで覚めなければ良い。

「ね、お爺ちゃん。私やってみたかったんだよ。木から果実をもいで、皮ごとがぶりっての」
「それはワイルドでセレブだね」
「でしょう、でしょう? 父さんはわかってくれなくってさぁ」

 私は笑いながら、再び果実に手を伸ばす。
 だが、そんな私を、祖父は呼び止めた。

「駄目だよ、ジュリ」
「どうして、お爺ちゃん」
「ジュリが食べるのは、その果実じゃない。お前は、こいつで「浪漫」を実現するんだろう?」

 祖父は、脇を見る。
 そこには、祖父の相棒であるオーロットが立っていた。

「オロウ?」

 私は眼を見開き、同時に、笑ってしまった。
 ここは、私にとってどこまで都合のいい世界なのだろう、と。
 オーロットの身体には、私が想像に描いていた、沢山の瑞々しい果実が生っていたのだ。
 それは、この楽園の中の、どの果実よりも美味しそうで。
 
【ジュリ】

 ポケモンであるオーロットは、私の名前を確かに呟いて、私に果実の生った腕を差し出した。

【これを……】

 冷たいゴーストタイプであるオーロットから生えた果実。
 なのにそれは、大きくて、艶やかで、生命力に溢れていて。
 
「…………」

 散々憧れていた光景を目の前にして、私は躊躇った。

 直感したのだ。

 この果実を食べれば、オーロットは私をこの楽園から連れ去ってしまう。そうしたら、私はまたあの寒さに震えるのだろう、と。

 だけれども、そんな私の背に、優しい祖父の手が触れた。
 浪漫を前にして迷う私を、後押しするかのように。

「……あのさ。オロウ」

 私は、「やけくそ」という名の覚悟を決めて、オーロットの腕に手を伸ばした。

「良い? 私の理想のハードルは高いんだよ」
「私、満足できなかったら、どこまでも我儘を言っちゃうよ」

 祖父から貰ったオーロットのモンスターボールは、既に失われている。
 もはやオーロットを縛るものは無いはずだが、それでも彼は、私に果実の生った腕を差し出したまま動かない。
 
「浪漫の実現には、味、見た目、触感、それに、シチュエーションだって大事なんだからね!」

 私はオーロットから果実をもぎとり、微笑む祖父の目の前で、見せつけるように、思いっきり皮ごと齧る。
 瞬間、酸味を強く含んだジューシーな果汁が、私の口一杯に広がった。



*◇*◇*◇*◇*



 ジュリは眼を開く。
 見えるのは、相変わらずの灰と白。
 
 だが、状況を認知する前に、彼女はむせた。
 口の中が、「えらいこと」になっていたのだ。

「げほっ、げほっ……!」

 再び意識を失ってから、一体どれほどの時間が経ったのかはわからない。
 だが、体温は残っている。腕と指も動く。どの部位も、重度の凍傷は負っていなかった。

「す、酸っぱいぃ……」

 一方で、何故、口の中がこんな状況になっているのか?
 その理由だけは、直ぐに分かった。

 オーロットの指の隙間から滴る汁。
 彼が握りつぶした、酸味の強いナナシの実の果汁が、ジュリの口に注がれていたのだ。

「…………」
  
 オーロットの片腕に抱かれるジュリは見た。
 雪にばらまかれた、大量のナナシのミイラを。そして、オーロットの身体に生えた、瑞々しく艶やかなナナシを。

「はは……。私はまだ夢を見ているのかなぁ……?」

 オーロットはその問いに答えない。
 ジュリの口元にナナシの果汁を注いだまま、彼の眼は閉じられ、その全身は白で覆われていた。

「……オロウ……」

 ジュリがオーロットに呼びかけたその時、突如吹雪は止み、ジュリは太陽を見た。
 青空を背景にし、「救助隊」のシンボルが貼られたソルロックが天に現れたのだ。

「ガヤヤヤッ」

 「日本晴れ」を展開し、吹雪を晴らしたソルロックは、主である救助隊トレーナーの元へと発見報告に向かう。

「…………」

 注がれる陽光はジュリを暖め、周囲は雪の反射光で、夏以上に煌めいている。
 青空の下、ジュリは痛む指を動かし、彼女を抱くオーロットの腕から、冷たいナナシをもぎ取った。
 
「ねぇ、オロウ。木陰の下。雪晴れの青空に、瑞々しい果実。これは浪漫溢れる、最高のシチュエーションだよね……?」

 ジュリの為だけにつくられた、ジュリだけのナナシ。
 雪解けの汗をかき、溢れんばかりの果汁を湛えた柔らかな果実を、ジュリはゆっくりと口に運び、丸かじりした。

「…………まずーい…………」

 だけれどもその果実は、ジュリの求める「浪漫」の味には未だ至らず。

「オロウはわかっていない。これじゃあ、水っぽ過ぎる。酸味も強すぎ」
「シチュエーションは良いけど、これじゃ浪漫には程遠いよ」
「だからさ……オロウ」
「また、私に作ってよ。もっと美味しいのを」

 冷たい風の吹く、木漏れ日の中。
 滴る雪解け水を浴びながら、ジュリはオーロットに「お願い」をした。


「……………………」


 緩やかに灯った紅の瞳が、ジュリを見つめる。

 まだまだ続く、お願いという名の無茶ぶりを予感して。
 けれどもそれが、嬉しくて。

「……ズォオ……」

 相棒の、我儘で可愛い孫娘に。
 オーロットは少し困ったように、微笑んだ。