舞台袖のひと勝負

ポン・デ・ソルガレオ
「波音」「マスク」「神経衰弱」

とうとう、ここまで来たんだ。
ホウエン本島から少し離れた、海と花とポケモンの楽園。
そこは、私達のような最強のポケモントレーナーを目指す者達にとって、夢の舞台でもある。
ホウエン地方ポケモンリーグ。 8つのバッジと、ここまで苦楽を共にしてきた6匹の仲間を引き連れ、私はここにいる。
正面ゲートの自動ドアが、よくぞここまで来たと言わんばかりに私の目の前にそびえ立つ。 いかにこの海に囲まれた小さな島が、ポケモントレーナーにとって神聖な場所か、私は改めて実感した。
この静かな島は、大都会では珍しくない喧騒も人々の笑い声も、ほとんど聞こえない。 微かに聞こえるポケモンの鳴き声と、クレッシェンドとデクレッシェンドが繰り返される波音だけが、この空間を彩るバックミュージックだ。



* * *



ここまで来るのに、本当にいろんなことがあった。
ジョウト地方のアサギシティから、パパのいるこのホウエンに引っ越して来たその日、パパの友達のオダマキ博士が野生のポケモンに追いかけられているところを助けて、成り行きでポケモントレーナーになった。
この大きなホウエン地方に関して土地勘もなくて、トレーナーとしても不慣れな私。
そんな私を支えてくれたのは、旅先で出会った人々、いつもそばにいてくれたポケモン達。 特にオダマキ博士から貰ったポケモンは、今もこれからも私の大切なパートナー。 その証拠に、私達は人とポケモンの絆が起こす奇跡____メガシンカという力を手に入れたんだ。

あ、あと……どうしてもこういう話をする時に欠かせないのは、オダマキ博士の息子さんで、私の家の隣に住んでる子。
最初は「ジムリーダーの子どもって聞いてたから勝手に男だと思ってた」だの、「ポケモン持ってないならオレが代わりに捕まえてきてやろうか?」だの、何言ってるんだってこともたくさんあった。
でも、旅先で力試しを繰り返したり、ポケナビのエントリーコールでお互いに励まし合ったりするうちに、彼の存在は次第に大きくなっていったんだ。
特に1番それを実感したのは……最後のジムバッジを掛けたバトルに挑もうとした矢先のこと。
あの、ホウエンを襲った大災害。
目覚めの祠でホウエンの未来を託されるように渡されたスーツを身にまとって、超古代ポケモンとのバトルを控えたあの時。

「テレビナビでルネのニュースを見てたらお前の姿が映ってたから、とにかく助けに行かなきゃって思ったんだ」

あの言葉を聞いて、情けないけど私は涙が出そうになった。
正直、私は怖かったんだ。 この私にホウエンの運命がかかっていて、もしかしたら自分の身も、ポケモン達も生きて帰ってこれるか分からない。
そんな危険な賭けに挑もうとした時、おでこを濡らした彼が慌てた様子で駆け込む姿を見て、私は凄く凄く安心した。
私の知らないところで彼がミナモデパートでぬいぐるみを買っていたように、私もまた、彼に見せていなかった姿があった。 ジムバッジを集めながらポケモン達と高みを目指していく傍で、理想郷を作ろうとする大人達の陰謀に巻き込まれていたんだ。
旅先でそんな集団と出くわすたびに、私は「本当にいいのかな」って何度も思ったけど。 でも今は、それもいい経験だったって胸を張って言える。
そうしたこともあって、あの時の彼は敢えて何も聞かなかった。 自分にできることを探してやれるだけやってみる、って。
そして、彼はニカっと歯を見せながら、目を細めてこう言った。

「……いつも、ちゃんと応援してるからさ。 1番の友達として!」

多分、彼の後押しがあったから、私は超古代ポケモンと心を通じ合わせられたし、マグマ団やアクア団とも分かり合うことができたんだと思う。

それからミクリさんとのジム戦を経て、わたしはポケモンリーグへ挑戦する資格をもらった。
チャンピオンロードに入る時も緊張したけど、流石に正面ゲートとなるとまた違う緊張感がひしひしと私に迫ってくる。
でも、せっかくここまで来たてまえ、怖気付いてなんかいられない。
私は拳をぎゅっと握りしめながら、正面ゲートをくぐった。



* * *



建物の中に入ると、外にいた時はあれほど響いていた波音は聞こえなくなっていた。
ジョーイさんと売店の店員さん、そして奥の方には賢そうなトレーナーが2人、行く先を阻むように立ちふさがっている。 きっとあの2人の奥に少しだけ見える暗い道が、ポケモンリーグなんだろうな。
夢の舞台がもう目の前にあるということに、私は高揚感と同時に、恐怖も覚えた。
あの先に行けば、もう後戻りはできない。

「……」

これまでも数え切れないくらいの困難が立ちふさがってきた。 でもそれは、ほとんどが私の意志とはほぼ無関係に、偶然めぐり合わせてきたものだった。 だからポケモンリーグに来たのは、私の意志。
ただ、だからこそ不安もひとしおで。
この先にどんな景色が待っているのかと思うと、震えが止まらなかった。

「ぽ、ポケモンリーグに挑もうとしている、イカしたリボンを付けたお嬢さん!」

後ろから、ちょっと調子に乗った雰囲気を作ろうとしている声が聞こえて来たのはその時だった。
振り向くとそこには、ピエロみたいなマスク____というより、口だけ見える覆面を付けている男の子。
……ちょっとどっかで聞いたことある声な気がするけど、敢えて私は何も聞かなかった。

「オレは大きなポケモン勝負に出る、緊張しているトレーナー達をリラックスさせる……えーと、人呼んで、リラックスピエロ! ちょっとばかりオレとひと勝負していかないか?」

ピエロの愉快な顔とは裏腹に、慣れない様子でたどたどしく話す彼の姿は、ちょっとあべこべにも見える。

「ひと勝負って……ポケモンバトル? リーグに入る前に、あんまり体力は消耗したくないんだけど____」
「ノンノン! ひと勝負っていっても、ポケモンバトルじゃないぞ! せっかくだから、お嬢さんの手持ちポケモン達も出してあげよう!」

ピエロの男の子に促されるままに、私は手持ちのポケモン達を全員モンスターボールから出してやる。 男の子に勧められてロビーのソファーに私が座ると、彼は向かい合わせになるようにもうひとつのソファーに深々と腰掛けた。

「で、ひと勝負って何?」

よくぞ聞いてくれた、とクククと笑う男の子は、懐からカードの束を取り出してザクザクと彼らを切る。 手のひらに収まりそうなその大きさのカードは、トランプだろうか。

「神経衰弱さ! 張り詰めた神経を衰弱させるって意味でも、今のお嬢さんにピッタリだろ? ポケモン達と作戦会議していいからさ!」

ポケモンリーグ前に神経衰弱って……しかも手持ちのポケモン達まで出させて、この男の子は一体何を考えているのだろう。
でもまぁ、旅に出てから____特にトクサネシティのジム戦を突破してからは、こうした子どもっぽい遊びをあまりしてこなかったかもしれない。 ポケモン達とも、こうして穏やかに触れ合う機会もなかなかなかったかもしれない。
せっかくだから、私はこのピエロの男の子との神経衰弱に付き合うことにした。



* * *



「うわぁ……あなた凄く記憶力がいいんだね!」
「お嬢さんこそ、ポケモン達とのコンビネーションバッチリだ。 お嬢さんのポケモン、体力だけじゃなくて頭の回転も早いんだね。 よく鍛えられているよ」

たしかに、バトルの戦略を考えたり、そのうえで能力値をいじる栄養ドリンクを使ったりしているせいか、ポケモン達もバトル中に自分達で考えて、時には私がビックリするような動きを見せることもある。

「さて、残るは……」
「あと2ペアだな」

男の子は、時間が経つにつれて神経衰弱に夢中になっているのかピエロのキャラ作りがだんだん崩れていってる。 顎元に手を当てて考えるポーズをしている彼の姿は、ちょっと何処かで見覚えがあって。
時間が経てば経つほど、私は彼の正体にある『予感』を募らせていた。 もちろん、確信は持てないんだけど何となくそうかなー、って感じの雰囲気が男の子から伝わってくる。
たかが神経衰弱でも一生懸命になって、ペアを引くとそれこそ子どもっぽく喜ぶあどけない姿。
そんな彼の姿に、私は馴染みのある1人の男の子の姿を重ね合わせていた。

「あ……っと、次私の番だね」

私は自分の番が回って来ていることを思い出すと、手早くカードを2枚引いた。 慌てて引いたのもあってか、結果はハズレ。 思わずがっくりと肩を落としそうになった私は、いつの間に神経衰弱を楽しんでいたのだろうか。

「ハートの6と……スペードのエースだったかぁ」
「ハートの6とスペードのエースって、まるでお嬢さんとポケモン達みたいだな!」
「え?」

男の子の言っている意味が分からなくて、私は首をかしげる。

「ハートは心を意味する、ってのは見たまんまだけど、スペードの意味って実はあんまり知られていないんだ。 スペードの意味、お嬢さん知ってる?」
「ううん」

首を振る私に、男の子は改まって正面を向いて答えてくれた。

「剣」

剣……って、あの刃物の剣かな。 たしかに言われてみれば、ハートをひっくり返したような形をしたスペードは、そう見えなくもないかも。

「6つのハートは、お嬢さんのポケモン達。 で、スペードのエースはこれまで苦しいことや辛いことを乗り越えて来た、お嬢さん自身」
「私が……スペードのエース?」

男の子は力強く頷いた。

「勇気を持って突き進む、諦めない剣みたいな心を持ったトレーナーが、いろんな色を持ってる6つのハートを携えて、今ポケモンリーグっていう夢の舞台に立とうとしている。 凄くピッタリだと思うよ!」

親指をぐっと立てながら、ニカっと笑うその姿を見て、私の予想は確信に変わった。
あぁ、そうか。 彼は最後の最後まで私を元気づけようとしてくれたんだ。 慣れないピエロの格好までして。
結局、私はまた彼に助けられちゃったのかなぁ。

「次、あなたの番だよ」



* * *



結果はなんと、26対26で引き分け。 私も彼も、全然引けを取らなかったと思っている。

「この勝負は引き分けかぁ」
「どうせなら、またリーグが終わった後に決着をつけようよ。 今度はあなたのポケモンも一緒に」

私がまるで何かを見透かしてるって思ったのか、少年の口元がピクッと引きつる。
もう、やっぱりそうだったんだなぁ。

「ありがとう、私を元気付けようとしてくれたんだよね。 あなたの言う通り、スペードのエースになって6つのハートと戦ってくるよ」

私は彼に感謝の気持ちを述べると、握手を促すように手を差し出した。
受け取った彼の手は、とても温かくて柔らかい。 しばらく会わなかった間に大きくなったのか、ちょっとだけゴツゴツしてきたけど……。

「あなたの名前も、心に刻んで行ってくるね。 だから……」

あの日の言葉、今も心に残していいよね。
あなたがいたから、私は今ここにいるんだよ。

「……いつもみたいに、ちゃんと応援しててね! 1番の友達として!」

夢の舞台を前に、私は心の底から笑えた気がした。
不思議と変な緊張感や恐怖心は薄れていて、今は私を支えてくれてきた人々やポケモン達のことがよく見える。
男の子は____おとなりさんのユウキは、私の顔を見て安心したのか、またニカっと笑って送り届けてくれた。

「もちろんだ! 頑張れよ!」

私はユウキの顔を目に焼き付けると、ポケモン達と共に前に向き直り、一歩、また一歩と前へ進んで行った。
もう振り返らない、後戻りはできない。
でも、後ろにはちゃんと、私をここまで支えてくれた人がいる。 隣を見ればポケモン達がいる。
だったら、後はみんなの思いを胸に、勇気を持って、自分の足で遥か彼方夢の向こうへ進もうではないか!

「全てのジムバッジを集めたトレーナーだけが進めます!」
「トレーナーよ! 君のジムバッジ、確認させて下さい」
「トレーナーよ、己とポケモンを信じて進みたまえ!」