サマー・スプラッシュ・フェスティバル!!

えいえんのなつやすみ
「波音」「マスク」「神経衰弱」
「トーモーキー! あっそぼうぜー!」
 じりじりと太陽が身を焦がす炎天下。自然豊かで広大な大地の片隅。タンクトップに短パンと、暑さを凌ぐには打ってつけな格好をした少年は、一軒の家の前で高らかに声を上げる。目標は、二階部分に見える窓の向こう。影だけは見えるのだが、とんと反応する様子もない。何かを思いついた少年は、二つのボールを手にしてポケモンを繰り出した。
「はぁ。さすがに聞こえてないわけないっての。それで出て来ないなら、諦めて帰れば良いのに」
 ぼやく少年が何を見つめているのかと言えば、こちらは自室の机に突っ伏していた。顔の下敷きにしているノートは、勉強用の大事なものでありながら、この雑な扱いのお陰で見事に皺が寄っている。だが、このうだるような暑さの中、トモキにはそれどころではないのだ。何しろ先程から執拗に聞こえてくる友人の声に、集中など出来るはずもなかった。追い返すような事もしたくないが、応答するのも嫌と来た。
「本当、何でこんなタイミングでなんだか」
 呼ぶ声が突然止みはするが、油断はしない。気になって窓から顔を出すのを今や遅しと待っているのかもしれない。疑えばキリがないが、今は術中に嵌らないように息を潜めようと決心する。小さく溜め息を吐きながら窓の方をぼんやり眺めてみれば、あまりのしつこさに洗脳でもされたかのように、ガラス越しに友人の顔が映る。なるほど、精神的にも揺さぶられつつあるのかと、目を擦って深呼吸をしてみれば。窓の向こうの少年は、こちらに向かって白い歯を見せて笑ってきた。あれは、幻覚などではない。アシマリを抱えて、しっかりと目を合わせて手を振っている。
「はぁあああ!? お前、何してんの! ここ二階だけど分かってる?」
 窓を開けるや否や、熱烈な怒声で大歓迎。それでも目の前の少年は笑顔を絶やさない。呆れて項垂れてみれば、ここまで上がってきた痕跡が残っている。アシマリが作ったバルーンを白い方のロコンが凍らせて、それを足場にして辿り着いたらしい。トモキは一際大きな溜め息を吐き、友人の手を引っ張って部屋に招き入れる。その様はもはや泥棒と見間違えられても仕方ないくらいである。
「カイト、本当にすごいね。馬鹿なんじゃないの? この暑さで頭でもやられた?」
「いやあ、そんなに褒められると悪い気しないぜ! それにほら、オレ達には見えない翼がある。どこにだって行けるし、何にだってなれるのさ!」
「褒めてないから! これ皮肉だから! そしてかっこつけたところで、何したか分かってるから、馬鹿な真似をしたのはごまかせないからね!」
 引き入れるんじゃなかったと、即座に後悔が襲ってこなくもなかった。だが、放っておいたところで面倒ごとになるのは容易に想像がつく。とっとと用件だけ聞いてお帰り願おうと、トモキは椅子に座り込む。座って良いよとも言っていないのに、カイトはベッドの方に腰かけた。
「で、わざわざ押しかけてきて、何の用? 呼んでみただけとかだったら、さすがに怒るよ」
「んなわけねーだろ! いやな、一緒に祭りに参加しようぜって誘いに来たんだよ!」
「祭りって、あれ? サマー・スプラッシュ・フェスティバルだっけ?」
「そう、それ」
 サマー・スプラッシュ・フェスティバル、略称をSSFという。アローラ地方のカンタイシティで毎年開催されている祭りで、年月を経る毎に盛り上がりを見せているとかいないとか。その実は、カントー地方のオレンジ諸島にあるナツカンジムのジム戦の形式をいくつか模倣し、イベントが執り行われているというもの。みずタイプのポケモンによる射撃対決や、海上での波乗り対決、水鉄砲による対決などさまざま。
 根底にあるものは単純明快。砂浜でポケモン達と水浴びをして楽しもうではないかというのが、企画立案者の趣旨であった。その理念に賛同した者達によって開かれた祭りは、徐々に規模を大きくしていったという。もっとも、名前がフェスティバルよりカーニバルの方が良いという立案者の希望は、あっさり却下されたとの噂であったのだが。
「あれってペアを組んで参加するものなんてあったっけ?」
「ん? 別にねーけど」
「じゃあ、何で一緒に参加しようなんて」
「そりゃ、楽しいからに決まってんじゃん!」
 言葉に被さるように食い気味に反応を寄越す少年の目は、太陽に負けないくらいきらきらと光り輝いていた。その瞳の眩しさに、トモキは直視が叶わず目を逸らす。
「楽しいのは間違いないだろうけどさ、僕は遠慮しておくよ。勉強しないといけないからね」
「そのしわくちゃになったノートでか?」
 目ざとく机の上の代物を見つけられ、トモキは慌ててノートを畳んで引き出しの中にしまい込んだ。何事もなかったかのように咳払いを一つして、カイトの方に改めて向き直る。
「お父さん、点数が良くてもそこまで褒めてくれない癖して、勉強だけが出来てもダメだぞって言うからさ。見返すためには、もっともっと勉強しなきゃって思うからね」
 その視界の中心には友人を捉えてはいない。泳ぐ視線の先では、カイトのアシマリと自室にいたマリルとがじゃれ合っていた。マリルの尻尾の先を、アシマリが鼻先に乗っけてバランスを取って、ぽんぽんとリズミカルに弾ませる。仲良さそうに遊ぶ光景は微笑ましい。
「一日くらい勉強しなくたって死にはしねーって。な! この通り! 一生のお願いだ!」
「それ、何度目の一生なんだか」
 呆れて三度目の溜め息。口を衝いて出るそれとは裏腹に、トモキの顔に付随する笑みに、嘘はない。
「分かったよ。一緒に出よう。ただし、万が一向こうで抜け出した事がバレないように、変装とか出来たら好ましいんだけどな」
「それならオレに任せておけ! そうと決まれば、今日は何して遊ぶ?」
「やっぱ遊ぶんだ。じゃあ、トランプでもして遊ぶ? 神経衰弱とか」
「それってさっき、勉強が嫌になってたお前が神経衰弱状態だったから?」
「うっさい」
 窓の外から覗かれていた時に、みっともない顔をしていたのだろうかと思うと、トモキは苦笑を浮かべざるを得なかった。



 透き通るような青の広がる空。遥か地平の彼方まで伸びる蒼穹は、やがて交差点の見えぬ線で海と入れ替わり、同じ青の煌めきを放っている。海底を望めそうな程に澄み切った海の水は、眩しい陽光を受けてプリズムを映し出しながら、穏やかな波音を伴って砂浜に打ち寄せていた。
 照りつける日差しで灼熱と化した白い砂浜の上には、参加者たる人とポケモンが多く集っていた。海に飛び込んではしゃぐ者、日傘の下でじっとする者、砂浜でボール遊びに興じる者と十人十色である。
「やってきたぜーっ! カンタイビーチ!」
「相変わらず元気だなあ、カイトは。で、これは何」
 薄手のシャツにサーフパンツと、海辺仕様の出で立ちをするカイトの横には、長袖のシャツに身を纏ったトモキが立つ。異様なのは服装以上に、顔に着けたマスクであった。体調の優れない時に口元に着けるものではなく、顔を覆い尽くす仮面の方。
「親父さんにバレると良くないんだろ? だから、念のためにこれで顔を隠した方が良いだろって思ってさ! 仮面って考えるとかっこよくないか?」
「仮面と言うか、これどっちかと言うとお面。そしてかっこいいか議論するのに大事なこの顔が、ゴクリンの顔なのは別に良いとして、そもそもこれいる? 目立つ気がするんだけど」
「ほら、面白いだろ?」
「やっぱそんな理由か!」
 のっぺりした仮面の裏で、開いた口が塞がらなかった。何か顔を隠そうとする事自体は悪くないアイディアではある。だが、その隠すものがお面と来ては、さすがに面食らうものがあった。カイトに任せた少し過去の自分に後悔しつつ、トモキは先を行くカイトに付いて砂浜に降り立つ。
 海の家のような店舗もいくつか展開されていて、祭りは賑わっていた。競うものには直接参加しない人たちも、老若男女が海を、砂浜を、太陽を、それぞれに楽しんでいる。お面のいささか狭い視野越しではあるが、トモキも初めてのイベントに胸を躍らせる。
「なあなあ、これやってみないか!」
 カイトが指し示す先には、看板に射的屋と書かれた出店であった。よく縁日などで見かけるのは、コルク栓を詰めた銃によるものであるが、この店は一風変わっている。自分たちが連れてきたみずタイプのポケモンのみずでっぽうという技が、銃と弾代わりという事らしい。
「おやっさん、二人分! トモキの分もオレが払う!」
「おっ、やんちゃ坊主が太っ腹だねえ。しかし、トモキって言ったかい。こらまた、何てみょうちきりんなもの着けてるんだ」
「細かい話はなしなし! さ、オレが先にやるぜ!」
 二人分のお金を確かに店主に渡し、カイトがボールから相棒を呼び出した。愛らしい鳴き声と共に現れたアシマリを抱きかかえ、指定の位置に立つ。背丈の低く小柄なポケモンなどは、トレーナーが支えて撃つのがルールとなっている。
「ぶっとい水を出して薙ぎ払うってのはなしだからな! 忘れるなよ!」
「わかってるって! よーし、アシマリ、行くぜっ。みずでっぽう!」
 アシマリは窄めた口から、圧縮した水を噴き出す。第一射目、注文通りに細く収束された放水は、狙った的を正確に撃ち抜いた。第二射目、カイトが体を捻って照準を合わせ、アシマリはそれに応えた。どちらもど真ん中を撃ち抜き、終了後に一人と一匹は喜色満面の笑みを浮かべる。
「へー。カイト、やるじゃん。伊達にバトルの特訓してないって感じ」
「へへっ、すげーのはオレじゃなくてアシマリなんだけどな!」
「あしゃまっ!」
 カイトがガッツポーズをすると、アシマリがそれを真似て足を上げてみせた。その通じ合っている様子が微笑ましくもあり、トモキとしては羨ましくもあった。
「さあ、次はお前の番だぜ!」
「う、うん」
 カイトに背中を押され、トモキは射的のラインに立つ。足元にいるマリルを持ち上げようとすると、ずしりと重みを感じた。久しく抱えた事がなく、外にいる事もあって体力が奪われているのもあった。
 しかし、やる気が削がれたわけではない。むしろ何だか燃えてきた気さえする。柔らかく冷たいマリルの体をしっかり支えて、久方ぶりの言の葉を紡ぐ。
「マリル、みずでっぽう!」
 マリルも精一杯息を吸い込んで、放水を始める。それと同時にトモキを衝撃が襲い、気が付けば思い切り仰け反って、頭が熱された砂の上にあった。真っ赤に燃える鉄板でも押し付けられたかのような熱さに、トモキは急ぎ飛び起きる。
「トモキ、大丈夫か?」
「あっつい! 大丈夫だけど、失敗しちゃったかあ」
 てんで狙いは逸れて、的に掠りもしていなかった。普段は技を打つ時の反動はポケモン自身が負うのだが、この体勢だとどうしてもトレーナーがそれを受ける形となる。ある意味、ポケモンとトレーナーの意思疎通が試されるのだ。
「踏ん張りが足りなかっただけだ。もっと足腰に力を入れて、それさえ注意すれば、次は上手くいくって!」
「うん。もう一回チャンスはあるんだもんね。やるよ、マリル! みずでっぽう!」
「りるるっ!」
 トモキもマリルも、未だ気合いは充分。両足を広げて腰を据え、二度目のトライ。今度はトレーナー側の支えがしっかりしているお陰で、倒れることなく水は突き進む。アシマリの放水に比べれば太く正確性に欠くものではあったが、確かに的には直撃を果たした。それが見えた瞬間に、トモキは大声を上げて喜び、マリルをさらに強く抱きしめた。
「ほら、やれば出来るじゃねーか」
「カイトが教えてくれたお陰だよ」
 景品のお菓子をポケモン共々頬張りながら、二人は射的屋を後にする。実際、涼しい顔をしていたカイトに比べればまだまだであったが、我ながら良く出来たと内心嬉しくもあった。
 やや浮かれ調子で海岸を歩く内に、今度は先程のとは異なる競技の場へと辿り着く。そこはクレー射撃の要領で空中を飛ぶ的を撃ち抜くタイプで、オレンジ諸島から輸入したというものであった。
「よっし、今度はこっちやってみようぜ!」
「これ、さっきのより難易度高くない?」
「でも、楽しそうだろ!」
「君の行動原理って、いつもそれなの」
 そうぼやいてはみるが、目の前で生き生きとした表情で楽しむポケモンとトレーナーを見ていると、トモキの心の中で何か疼くものがあった。久しく忘れていた何かに、火が灯ったような気がした。
「カイトの言う通り、確かに楽しそうだ。やってみよう!」
「うん、そうこなくっちゃな!」
 ルールは簡単。用意された複数の射台から射出される素焼きの皿を、みずでっぽうで撃ち抜いていく。達成枚数や時間を記録していき、友達同士で競い合うもよし、自分の限界を試すもよしといった感じになっている。二人と二匹は早速申し込み、それぞれ別の区画で挑戦する事に。
 射的と勝手こそ違うが、求められている事はさほど変わらない。隣でやっているカイトとアシマリの方も気になるが、今は自分達の番だと集中する。
「マリル、みずでっぽう!」
 視界を横切る素焼きの皿を、真っ直ぐ伸びる水が貫通する。最初の一投目の成功を喜ぶのも束の間、立て続けに次のクレーが横切る。トモキとマリルも油断していたわけではないが、次弾に向けての精度が甘かった事もあり、二投目はそのまま通過してしまう。続いて三投目、焦りがそのまま拭えないままに、みずでっぽうの軌道にぶれがそのまま現れる。
 先程まで抱いてなどいなかった思いが、心の隙間から徐々に溢れ出してくる。だが、それは本来自分に似つかわしくないものだと、トモキはそう割り切る。割り切ってしまう。故に、もやもやの晴れないままに続きに臨んでみても、尽く外れるか掠めるかのどちらかに終わってしまった。最初の一投目以外は不甲斐ない結果に、トモキは失意の内に膝を折っていた。
「トモキ、どうだった?」
 顔を上げると、相変わらず眩しい笑顔がそこにはあった。カイトの成績の良さは、時折聞こえてくる歓声と破裂音で何となく察しがついている。こうも結果が対照的だと、劣等感を抱かざるを得なくて、トモキはお面の裏側で視線を逸らしてしまう。
「結果、散々だったよ。言い訳じゃないけど、こういう方面の努力、怠ってたし」
「なーんだ、それは残念だったな。でもさ、それはまだ伸びしろがあるって事じゃねーか!」
「伸びしろって、君はそう言うの? 下手くそって笑っても良いのに」
「何で笑うんだよ。慣れてない事一発で出来る奴なんて、そうそういねーよ。それよか、それだけ見て馬鹿にするなんて、トレーナーの風上にも置けないしな! 例え最初は弱くても、一から一緒に強くなってなんぼなのは、ポケモンも人間も同じだと思うぜ」
 カイトの事が眩しく見える理由が、トモキには少し分かった気がした。バトルが自分より強いからだけでも、ポケモンとの関係が良好に見えるからだけでもない。自分の好きな事に対して、卑屈な姿勢ではなく真っ直ぐに向き合っているのだと、徐々に気付かされていったからだった。
「本当に、カイトといると飽きないね」
「そうか? オレは勉強も出来て、いろんな事を知ってて、何でも吸収できる。そんなトモキと一緒にいる方が楽しいし、強いと思うんだけどな」
「まったく、強いのは君の方だってのにさ」
 もう自分を欺くマスクなど必要ない。差し伸べてくるカイトの手を取り、今一度立ち上がったトモキは、そのゴクリンのお面をかなぐり捨てた。手首まで伸ばしていた袖も肩のところまで捲り上げ、渾身の笑顔でカイトに向き合う。
「カイト、今度は同じ場所でやって、一投ずつ順番に勝負しよう! カイトと一緒にやってると、僕も強くなれる気がするんだ!」
「おうっ! いいぜ! オレはいつでも受けて立つ!」
 びしっと親指を立てた後で、思い出したように屈んでお面を拾う。勢いで投げてはしまったものの、カイトのものである事をすっかり忘れていた。トモキの「ごめん」の後に、二人は手を取り合って受付へと駆け出していった。
 あくまでも水際で楽しくやるのがこの祭りのコンセプト。本来の遊び方と異なっていようと、それは許容範囲内であり、受付側も二人の案を快く通してくれた。左右に設置された四つの投射機からクレーが放たれ、その回数と時間とを計測してくれるとの事だった。
「よっし、先行はオレだな!」
「あしゃま!」
 カイトとアシマリは意気揚々と構える。おちゃらけた様子とは裏腹に、こういう時の集中力は目覚ましいものがある。右から射出されたのをすぐさま察知し、方向とわざの指示を出す。皿がフィールドの半分を過ぎるよりも先に、悠々と撃ち落として見せた。
「む、やるなあ。でも、僕たちだって負けてられないもんね、マリル!」
「りるっ!」
 一度は割り切った思いを拾い上げ、紡ぎ直す。悔しい。勝ちたい。目の前で競う少年に、自分を見せつけてやりたい。勉強をこなすだけじゃ湧いてこなかった感情に、今一時トモキは支配される。
 神経を研ぎ澄ませ、どの発射台から出てくるか見極める。小さな射出音が聞こえて、先に出すべき技の指示を口にする。クレーが出てくる機械も、方向もばっちり。後はタイミング。反応こそ良かったものの、急ぐあまり一発目は外れてしまった。
「まだだっ!」
 軌道とマリルの溜めを見て、めげずに二回目の挑戦。撃ち出されたみずでっぽうは、ほとんど落下しかけの皿を捉えた。時間の方はさすがにカイトに及ばないが、確かに食らいついていた。
「トモキ、筋が良いんじゃねーの? やるじゃん!」
「あしゃー!」
 カイトとアシマリは、それぞれトモキとマリルにハイタッチを望んできた。仮にも競っている相手に言われるのはむずがゆいが、褒められて悪い気はしない。何よりカイトの心意気が嬉しかった。はにかみながらも、一人と一匹は友人の声援に応じる。
「よっしゃー! オレもまだまだ負けてられないぜーっ!」
 後方で何やらざわつき始めたが、二人の世界に入ったカイトとトモキには、その喧噪すら耳に入らなかった。カイトは変わらず正確なタイミングと指示で成功を重ねていく。一方のトモキも、速度と正確性では敵わずとも、一人で挑戦していた時よりも成績は好転していた。結果、トモキもカイトと共に全クレーを撃ち落とすのに成功していた。少年達の奮闘に周囲が沸く中、一人の男性が人混みを掻き分けて二人の方に歩み寄ってきた。
「お、お父さん」
 トモキにとって今最も見つかりたくない相手に見つかってしまった。しかし、自然と平生を保っていられたのも事実。向き合う時が来たのだと、トモキ自身も覚悟は出来ていたのだ。
「ごめんなさい、勝手に抜け出して。でも、どんなに怒られたとしても、僕はここに来た事は後悔してない。久しぶりに感じたマリルの重み、技を叫ぶ時の感覚。こんな夢中になれるなら、諦めずにもっと早くに挑戦しておけば良かったって思えたよ」
 勉強が第一だと頑なになって、下ばかり向いていた少年が、立ち上がって前を向いた。かつて挫折した事が、今初めて楽しいと思えた。熱情に満たされた。自分を雁字搦めに縛っていたものから解き放たれて、飛び立ったような感じさえする。表情が生き生きとした息子を、父親は黙って静かに見つめ。
「お前がそう思ってくれた事、私は嬉しく思うぞ」
「へっ?」
 口から出たのは、柔らかい調子の言葉であった。せっかく決まったところで、トモキは素っ頓狂な声を上げる。勉強を放り出して、黙って家を飛び出して遊んでいるのを怒られるのだとばかり思っていた。予想と真逆の答えが返ってきて、整理が追い付かない。
「この企画の主催者、お前の親父さんだって知らなかったのか?」
「何それ、初耳」
「お前なあ、仮にも自分の親だろうが……」
 カイトにまで呆れられてしまった事が何よりも悔しいが、今回ばかりはぐうの音も出なかった。申し訳なさ混じりの苦笑を父親へと向けてみれば、その本人は堪えきれぬ笑いを零していた。
「気にしなくて良いんだ。トモキがこうなったのには、私にも責任の一端があるのだからね。言葉選びが下手で悪かった。本当はもっと外の世界にも良いものはたくさんあるんだと知ってもらいたかっただけなんだ」
「良いよ、気にしてない。僕の方こそ躍起になって、お父さんの真意に気付けなくてごめんね。でも、こいつのお陰で忘れていた大事な事に気づけたから、もう大丈夫」
「そうか。良い友達を持ったな。これからも、息子とよろしくしてやってくれな」
 温和な表情でカイトにそう告げると、トモキの父親はその場を離れていった。残された二人はと言うと、何とはなしに視線を交差させて、ふっと歯を見せて笑い合う。
「さーて、これからどうする?」
「もちろん、まだまだ祭りを遊び尽くそうよ!」
「あー、それもなんだけどさ。祭りじゃなくて、トモキがこれから先どうしたいのかって話」
「その事なんだけどさ」
 一旦しゃがみこみ、足元にいるマリルを抱き上げた。やや重みを感じる自分のポケモンを顔の高さまで持ってきて、視線を遮る形にする。体の良い盾にされて、マリルが少し不服そうに頬――もとい体を膨らませるのもお構いなし。
「カイト、一度島巡りをしたいって言ってたでしょ? 良かったらそれに同行させてもらえないかなと思ってさ」
「言ってたけど、またどうして」
「見聞を広めるためってのもあるんだけど、もっと外の世界を知りたいと思って。机に向かってるだけじゃ分からない事がいっぱいあるって、実感したからね」
「いや、行きたい理由は何となく分かるんだけど、オレにわざわざ付き合う意味ってあるのか?」
 壁にしているマリルをずいと押しのけて、カイトは顔を近づけてくる。せっかく作った照れ隠しを突破されて、トモキは足を一歩退いてしまう。友人の真っ直ぐな瞳に耐えかねて、視線を明後日の方向へと泳がせる。
「言わせないでよ、恥ずかしい」
「言わないと分からないぜ?」
「――ああ、もうっ!」
 父親に謝る時以上に心臓が高鳴っている。顔が火照っている。それでも、カイトの言う事はもっともであると、トモキ自身も自覚している。それならば勇気を出すしかない。家を飛び出した時よりも意を決して、少年は深く息を吸い込む。
「カイトと一緒にいると力を貰えて、僕も強くなれる気がするからだよ! これで満足かっ!」
「おうっ、それさえ聞ければ充分だ。返事は後でな! まずは祭りを楽しもうぜ!」
「あっ、何だよそれずるい! 聞き逃げなんて聞いてないぞー!」
 未だ焼けつくような熱さの砂浜を、二人と二匹は元気よく駆けていく。逃げるカイトの背中に、感謝と照れくささを向けつつ。この少年とならば、灼熱の砂浜だろうと、足を取られる沼地だろうと、どこまでも走っていけるような気さえする。傍にいて、自分の知識で助けになりたい――もう一つの理由は、胸の内に秘めたまま。
 夏はまだまだ始まったばかり。夢を抱く少年達には、見えない翼がある。どこにだって行ける。何にだってなれる。明日の輝きに向けて羽ばたかせ、少年は大きな前進を果たすのであった。