綺麗な雨上がりに

ロンロン
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「あー、なんでだなんでよなんでさ。こんなに大雨が降るなんて予報されてたかよ?」

 山道を進む途中、俺は突然の集中豪雨に全身を打たれ、酷く疲弊しながらも見つけた洞穴に飛び込んで、そう呟いた。
 レインコートで守りきれずびしょびしょになった九本の尻尾の水気を飛ばしながら、ザックの中のLEDランタンを取り出し暗い空洞の中を照らす。

「ズバットが住み着いてたりしないよな?……まぁそんなことはあり得ないか。ここで暫く雨宿りしよう……」

 洞穴の中が安全である事を確認したあと、俺は息をついてその場に寝転がった。じゃりじゃりした地面のせいで毛並みが荒れるだろうが、そんな事は気にしてられない。そりゃあキュウコンである俺じゃなくたって、こんな大雨に打たれたら、疲れて動けなくなるのは当然だ。はぁ~聞いてないぞこんなの……

「もう、やっと七合目まで来たって言うのにこの有様!だから雨は嫌いなんだ!つか荷物が重くて進みにくいったらありゃしないっての!やっぱりここ登るの止めときゃ良かったか?あぁ~!?」

 雨のように止まない愚痴をひたすら溢しながら、ザックの中のタブレット端末を取り出し、電源を入れた。

「Hi,Pokeneed help. 今日の天気予報教えて」

 合言葉を発すると、ピピッという音と共に液晶の画面が変わって音声入力を受け付け始める。そして俺は機械にこの先の天候の行方を尋ねた。

『はい、今日の天気予報です』

 機械はそう言って、今日の天気予報を表示した。今の時刻はpm 3:30、天気予報には曇り、降水確率は30%と表示されている。

「うわ~嘘ばっか……それに二時間後から雨マークが付いてるし、こりゃ長い事ここに留まることになりそうだな」

 そう一匹で呟いた後、洞穴の壁にもたれて雨の音を聞きながら携帯食を口にした。携帯食は小麦に木の実等を混ぜ込んで加工された栄養補助食品で、味も抜群に美味しい。さらに安価で市販されているのでアウトドア活動にはピッタリな代物だ。
 水筒の水を一口飲んだ後、これから暇になりそうだし同僚に電話でもしようかなと思い立ち、タブレットを操作した。
 コール音が洞穴に鳴り響く中、何について話そうかなと考えてみたりする。そうだ、山頂に着いたら写真を撮ってアイツに送ってやろうか。

 プルルルルル…………プルルルルル…………

「…………全然出てくれないんだけど。なんだよ仕事中か?今日は日曜だぞ?まあいいや、適当にメッセージ送っておこう」

 [急に大雨降ってきたんだけどそっちは大丈夫か?]というメッセージを送った後、タブレットをスリープモードにしてザックの中に仕舞った。さて、これからどうしたものか。焚き火をするにしても洞穴の中じゃ少し通気が悪いし、体が乾けば次第に辺りは暖まってくるので特に必要はない。
 ……というかそんなことより。

「体が砂利まみれになって気持ち悪い!何でここに寝転がろうと思ったのか十分前の自分に問いただしたい!バカッ!俺は気高きキュウコンだぞ!?自覚が全然足りてない!まぁこれまで生きてきて自分を気高いとか思った事、一度も無いけどッ!」

 頭の悪い文句を吐きながら俺は金色の毛に絡まった砂利を落とし始めた。それから暫くの間、ずっと一匹で独り言を喋り続けていた。────ちなみに同僚に送ったメッセージは数時間後に読まれたが、そっけない返事を返されて終わった。俺の愚痴はさらに加速することとなった。
 
 
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「さて、そろそろ出発するか。一晩過ごしたせいで、この場所に結構愛着が湧いてきた所だったけどな……」

 洞穴の中で一夜を明かした俺は、朝食を済ませてレインコートを羽織った。雨は昨日に比べれば幾分小振りにはなっていたが、やっぱり体が濡れるのは勘弁願いたい。しかし本来はこの山の頂上でテントを張って一夜を明かし、今日中に山を下りるつもりだったので、これ以上此処に留まっている訳には行かなかった。

「まぁ、ここの雨はすごい綺麗そうだし、多少濡れても問題は無いだろ」

 俺はそう呟き、重いザックを背負って木々に囲まれた山道を再び進み始めた。舗装されていない道をバランスを崩さないように進みつつ、やたらと段差の大きい階段を一段一段ジャンプしながら上って行く。大変な道のりだが、こうやって体を動かすのは嫌いじゃない。

「にしても空気が澄み渡ってるよなぁ、ホント。いや、ちょっとじめじめしてるけど。雨降ってる訳だし……でもやっぱり良いな」

 新鮮な空気の味、湿った土の感触、コートを打つ雨の音。自然の中で感じられる全ての感触に心を傾けてみる。

「ここでしか感じられない貴重な体験な訳だしな……いやでもこの雨はさっさと止んでくれ。頼むって。雨は嫌いなんだよ……これ昨日も言ったよな?」

 そうやって馬鹿みたいに自問自答をしながら、俺はひたすらに山道を進んで行った。昨日から一匹で退屈なせいか、明らかに独り言の数が多くなっている訳だが、俺自身はその事に気付いていなかった。



 雨は止んだ。でも相変わらず尻尾はびしょ濡れだ。

「うぇぇ……何が多少濡れても問題無い、だよ!ニ時間前の自分に問いただしたい!アホッ!そもそもなんで俺は九本も尻尾があるんだ!?三本ぐらい捨てても良いよッ!いやそれロコンじゃん!」

 この山を下りたら絶対に九本の尻尾を全部覆ってくれる使い勝手の良いレインコートに買い替えてやる、と心の中で決意して、山道の脇に立てられていた看板に目を通した。

「あーっと、なになに?[この先頂上]…………おお、よっしゃ!ついに来たわけか!!」

 ついさっきまでの苛立ちもどこ吹く風。その文字を読んだ瞬間に俺の心は喜びに溢れ返り、自然と足取りが軽くなった。ここまで本当に長かったんだ。もしかしたら退屈で時間が過ぎるのが長いように感じていただけかもしれないが。

「もうなんだっていいさ!頂上までダッシュ、ダッシュ!」

 雨に濡れた木々に挟まれて続くがたがたの土道。その一番先に白い光が差し込んでいるのが見える。きっと空が輝いて映っているのだろう。俺は全力で道を駆け抜け、光の先へと飛び出した。そして、その美しい光景を目にした。

「う、うぉおおおおお…………!」

 山頂はまるで広い高原のようだった。辺り一面に背の低い草が広がっており、とても開放的だ。遠くを良く見れば、ちゃんと木々が生えていて、山は下へと続いているという事が分かった。
 そして空を見上げると、雲の上に澄み渡った青空が広がっており、それを修飾するように美しい虹の橋が一本、架かっていた。

「すげぇ……綺麗だ……!」

 それからもう一つ、草原の中にもいくつか大きな木が生えていた。その木には黄色くて大きな木の実がたくさん生っている。俺にとって……いや、俺達にとっては滅多に見る事の出来ない貴重な木だ。

「オボンの木…………」

 もっと近くに寄って見てみようと思った時、オボンの木の下に一匹のジャノビーが立っているのが見えた。ジャノビーもこちらの方に気付き、その木の葉のような手を振ってくれた。

「他の登山客かな?ちょっと話を聞いてみるか」

 俺はジャノビーに前足を振り返してから、走ってそちらへ向かい、挨拶をした。

「こんちわ、ここは景色がとっても綺麗ですね。空気も美味しいですし」
「ええ、こんにちは。確かに綺麗ですよね、私もとっても気に入りました」

 ジャノビーは親しみやすい笑顔でそう言った。自分と同じく大きなザックを背中に背負っているため、この景色を見に来た登山客で間違いないだろう。

「これって野生のオボンの木ですよね。俺、初めて見たんですけど、ずいぶん立派なんだなぁ」
「私も野生のモノを見るのは昨日が初めてでしたよ。ちょっと感動を覚えました」
「昨日?昨日からずっと此処に居たんですか?」
「はい。本当は昨日にでも山を下り始めて八合目にある小屋で休もうと思ってたんですけれど、急に大雨が降りだしてきてしまって……」
「あ~……」

 やっぱり大雨の被害に遭ってたポケモンは他にも居たんだな、と俺は意味も無く共感を覚えた。続けてジャノビーが空を見上げて話しだす。

「でもむしろ良かったです。降った雨はとても綺麗でしたし、こうやって素敵な虹を見る事が出来たので」
「なるほど……まぁ、この虹を見ることが出来たのは俺も嬉しいですけど……」
「雨に濡れたら毛がじっとりして大変そうですもんね」
「あはは……」

 大体察しが付かれていた様で、俺は苦笑するしか無かった。なんとも、純粋に雨を楽しめる気持ちがあるのは羨ましい限りだ。
 若干気まずい雰囲気を作ってしまい、俺は何を話そうかな、と考えながらオボンの木を眺めた。雨に打たれたオボンの実は艶があってとても美味しそうだ。サイズ的にも今が食べ頃だという事が分かる。

「それ、一つ食べてみます?美味しいですよ」
「え、勝手に食べちゃっても大丈夫?」
「はい、大丈夫って聞いてますので、是非一つ!」
「あー、じゃあ折角だし一つ頂こうかな」

 俺は木に生っているオボンの実の中から、一番大きいものを一つ前足でもぎ取り、そのまま丸かぶりした。

「んっ!?……ウマッ!すごいみずみずしい!」
「でしょう?」

 木の実を噛んだ瞬間、口の中で弾けるように果汁が広がった。果肉もしっかりしていていて、まろやかに整った味とほどよい酸味が絶妙にマッチしていた。
 多分、こんなに美味しい木の実を食べるのは初めてかもしれない。栄養食にだって引けを取らない美味しさだ。

「ん、ふぅ……ご馳走様!とっても美味かったよ」
「本当に、よく育ったオボンですよね。私もついつい、三つも食べてしまいました」
「その気持ちは俺も分かるかも。こんなに美味いんだし、幾つか持って帰って友達に差し入れようかな」

 ザックから小さな袋を取り出し、オボンの実を数個もぎ取って袋に入れた。ザックの中に入れるとすぐに腐りそうだと思ったので、ザックの外側に括りつけておく事にした。

「この木を見てると、木の実狩りの事を思い出しますね。私も小さい頃は良くやってたんです」
「へぇ~……今じゃ野生の木の実なんてほとんど生えてないですもんね」
「……ええ、そうですね。野生のオボンの木だって、この国の中では、ここ以外に生えているというのは聞いたことが無いですし」
「……やっぱり大気汚染が原因ですかね」
「多分……」

 ジャノビーが少し深刻そうな顔をした。俺もこれが重大な問題である事に気付いていない訳では無い。

「我が国は工業化がとても進んでいますからね……ちょっと早すぎるぐらいに」
「確か、30年ぐらい前から急速に発展したんでしたっけ?俺、あんまり詳しくはないんですけど」
「えぇ、そうです。それ位から工業の発展が著しくなって、今や世界中でトップの先進国になっている訳ですからね」
「俺も一応とある工場で働いてるんですよね。それがどうしたって話なんですけど、その、なんというか、工場の周りって……」
「排気ガスのせいであまり環境が良くないんですよね?」
「まぁ、そういう訳……」

 俺達の国では、日に日に工業の技術が発展していっている。自動車や船を大量に作って輸出したり、近年では電気製品なども多く作られるようになった。でもこれは本当に最近の話だ。以前までは、此処は本当にただの小さな島国だった筈だ。

「最近は酸性雨が酷いみたいで、これが植物を枯らしてしまう原因になっているみたいです……」
「酸性雨……うぇ、俺が一番嫌いなヤツ。濡れると毛が荒れて全身が痒くなるんだよなぁ」
「えぇ、そうやって植物だけでなく、ポケモンの体にも悪影響を及ぼすので、早急な対策が求められている筈なんですけどね……」

 技術が進歩するにつれて、工業地帯も多くなっていった。しかし、それが災いして工場から排出される有害物質も大幅に増加してしまうという事態に至ったのだ。この問題はニュースなどで取り上げられる事はあるものの、まだ自然の復元に関する大きな動きは何も無い。本当に自然を生かしたいと思うのならば、今からでも国全体が動いていく必要があるのだ。

「自然が死んでしまったら、私のような草タイプのポケモンや、虫タイプのポケモンも簡単に死ぬでしょう。流石にそうなってからじゃ遅すぎます……」
「でも俺達一匹だけじゃ、どうしようも無いないからな……ポケモン達全員の意識を変えていかないと」
「えぇ、全員で協力して、有害物質の排出を抑え、自然をもう一度再生させていく取り組みが必要ですね。私も、病気で死にたくなんかありませんし」

 ジャノビーの話を聞いて、俺は自分が自然に対してどう接することが出来るか改めて考え直した。環境破壊の一番の原因は工場の排出ガスだが、それは俺個人じゃどうすることも出来ないのが事実だ。工場が撤去されたら俺も職を失って大変なことになる。
 じゃあ他に何が出来るだろう?冷房器具の使用を控えるとか、ゴミの分別をしっかりとするとかか?果たして、それだけで環境を救う事が出来るのだろうか……?

「……例え再生が厳しいとしても、まずは今残っている自然を守る所から頑張っていきたいかな。こんな美しい景色があって、美味しい木の実が生っていて、綺麗な雨が降る場所を朽ちさせたくは無い」
「ですね。自然保護の意識を高めないと、この山もいずれ、開拓の為に削られてしまうのでしょうから……」

 俺達はもう一度空を見上げる。そこには変わらず美しい虹が架かっていた。やっぱり、こんなに美しいものが無くなって欲しいとは思わないな。

「……さて、こんな話に長々と付き合わせてしまって申し訳ございません。私はそろそろ山を下りようと思います」
「そうですか、じゃあ俺も写真撮ったら下りようかなぁ」

 そう言いながら、俺はザックの中からタブレットを取り出してカメラを起動させた。

「あれ、もう下りちゃうんですか?」
「有給、今日の分しか取ってないから明日には仕事に戻らないといけないんだ。はいチーズ」

 「チーズ」という声に反応してシャッターがぱしゃりと切られた。空に架かる鮮やかな虹を写した写真だ。

「そうだ、オボンの木も一緒に写したほうが良いかな?それじゃあこの辺から……チーズ!」

 ぱしゃり。

「あはは、楽しそうですね」
「まぁ、こういうのって登山の醍醐味だし……そうだ、ちょっと俺の事撮ってくれない?」
「え、私がですか?まぁ、良いですよ」

 俺はジャノビーにタブレットを渡し、オボンの木の前に立った。俺、写真映りは良いってよく同僚から言われるんだよな。理由はキュウコンだかららしいけど……

「それじゃあいきますよー、ハイ、チーズ!」

 ぱしゃり。

「……良い感じに撮れましたよ」
「おー、見せて見せて」

 ……うん、悪くないな。後で同僚に送るか。

「ありがとう。楽しかったよ、それじゃあ俺はここら辺で……」
「あ、ちょっと待ってください!」
「?」

 ジャノビーが俺の事を呼び止めて、少し申し訳なさそうに、こう言った。

「あの……折角なので私と一緒に山を下りませんか?」
「え?一緒に?」
「はい…………その、一匹だとどうしても退屈しちゃって独り言が……」
「ああ、なるほど!よし分かった一緒に行こう!」

 帰りも一匹だけで、話し相手が居ないとか絶対嫌だしな!一緒に下りたほうがずっと楽しい筈だ。
 俺達は荷物をしっかりと背負い直して、美しい自然が溢れるこの山頂を後にした。