オカルトマニアのメランコリィ

オカルトマニアマニア
「波音」「マスク」「神経衰弱」
 問題。深夜に汗だくで帰宅したら、暗がりのリビングにぺたんと座り込む異様な形の頭をした少女の影を見たらどのような反応を示せば良いか。なお、戸締まりはしっかりと行い、留守番も置いていたし、合鍵を渡している者は居るが、しかし彼女は海を渡って常夏の島で休みを満喫しているものとする。
 思考を止めればいいのか。背筋を凍らせればいいのか。状況を整理すればいいのか。毎回悩むが、まあ、三つ目だな。
 そういうわけで座り込んで動かないそれとその周辺へ視線を回す。因みに、留守を任せていた亡霊がその目の前でふよふよと浮かんでいるがそれは今はどうでもいいので無視をする。侵入を防げたとも思っていない。そもそも俺が居ても防げない。
 カーテンの隙間から入ってくる月の微かな光に照らされるそれ。歳は、十代中盤ほど。髪は短い。顔はガスマスクを被っているので見ることは出来ない。服装は薄手の長袖シャツにカーゴパンツ。腰のベルトにはモンスターボールが三個。靴は明るい色味の登山靴。ガスマスクをしている以外はこれは特に変わりない。前回と服装は若干違うが何時も通り動きやすさを優先した服装。何故ガスマスクをしているのかはわからない。そして、ガスマスクよりもよくわからないのは。周囲には大量の小銭がばら撒かれていて、それらが入っていた筈の硝子瓶が転がっている。
 そして何故かマスク越しにそれらをっと眺め、その内の二枚を指さして留守番である俺のポケモン、黒い躰に赤い眼をしたやじろべえの様な姿の亡霊デスマスの『おもかげ』にめくらせている。
 色々と意味不明だ。特に、
「おいコラ。遂に常識というものも失ったかバカ妹」
 この意味不明なガスマスクガールが俺の妹というのが最高に意味がわからない。溜息混じりにリビングの灯りをつけて声をかける。ついでに塩でもかけてやろうか。
「おー。可愛い妹を待たせ続ける駄目お兄様のお帰りだー」
 ゆるりとマスクを被った頭がこちらを向いて、くぐもった声で何やら言ってくる。それを華麗にスルーして、背負っていたリュックをソファに投げ置く。ぎしりとスプリングを軋らせて沈み込む重さのそれは、夜の山道を分け入っていくのに必要なものを詰め込んである。
「根暗な外見に似つかわしくない重そうな荷物を背負ってお兄様は何処へ行ってきたのかしら? せっかく訪ねてきた可愛い可愛い妹を待たせておいて」
 ちら、とその様子を見て、小首を傾げてわざとらしい口調でガスマスク少女が尋ねてくる。
「ああ? 毎回毎回いつの間にか来てやがるのを待てるか。つーか靴を脱げ。そして小銭ばらまいて何してんだ」
 日が暮れても粘つく暑さに辟易しながら、苦労して山奥の廃病院の門扉をこじ開けて侵入したものの、得られた成果がこれまた意味不明だった事への八つ当たりも込めて適当にあしらう。これの相手をするよりも、俺は早くシャワーを浴びてさっぱりしたい。
「ああ、そっか『おもかげ』ちゃんよろー」
 言われてようやく気がついた。といった体で自分の足へと視線を向けて、素早く登山靴を脱ぐ妹。そして躊躇ためらいなくそれをふよふよと浮かぶデスマス『おもかげ』の両手にあたる部位に引っ掛けている。
 俺を見る赤い眼が、助けを求めているような気もするが自分でどうにかしてほしい。俺には無理なので。というか、必要になりいつも持ち歩いている仮面を借りたので、代わりにとガスマスクを持たせておいたのにそれも奪われている時点で諦めろ。
 後ろ髪を物理的に引いてきそうな視線をふりきってシャワーを浴びて、リビングへ戻ってくるとそこには、
「いや、だからなんなんだよその小銭は。嫌がらせか」
 相変わらずガスマスクを装着した妹が、ばら撒かれて広がった無数の小銭を凝視していた。
 暗くても明るくても怖い。
 というか意味がわからない。
「んー? いつまで経っても帰ってこないので暇な私が生み出したゲーム、パーフェクト神経衰弱のことかしら?」
「なんだそれ」
「小銭の元号と年数をどちらも合わせる」
「ガチで神経が衰弱するわ」
 数多ある組み合わせが偶数枚で揃っているわけがないのでまずゲームが終了しない。不毛を極めている。
「暇つぶしにもまだなにかしらあんだろ。不毛すぎる」
「加湿器を限界まで酷使して湿度百パーセントを目指すってのも考えたけどそっちが良かった?」
「やめてくれ」
 天を仰ぐ。仰いでも視界に映るのは築年数のいった天井。そこからじゃ見えないかもしれないけれど、天国のじいちゃんとばあちゃん助けておくれ。正直俺だけの手には負えません。
 なんて祈っても誰も助けてくれないので、ため息混じりに片付けるように再度言う。ガスマスク姿の妹はくぐもった声で「はーい」と返してくるが一枚たりとも拾う様子はなく、結局『おもかげ』が片手に妹の靴を持ち直して黙々と集めている。
 その様子は非常に不憫である。なので。
「あーもう仕方ねえなぁ『くらやみ』、一緒に拾うぞー。『あかり』と『ぽち』はそのガスマスク頭の周りをぐるぐる回っとけ。なるべく目障りに」
 他のポケモン達をボールから出して戦力を増強する。
 ずい、と単身理不尽な仕打ちをうけていた『おもかげ』の傍にずんぐりとした亡霊、ゲンガーの『くらやみ』が近づいて頭をぐりぐりと撫でて労い、俺も加えた一人と二体で小銭を拾う。
 他方、シャンデリアに憑いた亡霊の様なシャンデラの『あかり』と、地獄の番犬の様な姿のヘルガーの『ぽち』は俺の言葉通りに妹の周りを顔の周りと足下をぐるぐると旋回する。
「わわわっ! もー。私も『ギャロ』と『タロ』出しちゃうぞ」
「それはやめろ」
 腰のベルトに付いたボールホルダーに装着された傷だらけの三つのボールの内、二つを手にとって構える妹。それを見て、ズバッと指まで指して静止する。一軒家で狭くはないが、しかしギャロップとケンタロスが出てくると明らかにキャパを超える。
「むぅー。じゃあ『ジオジオ』、ゴー!」
 ポケモンを出さない。そういう選択肢は愚妹の中には生じなかったらしい。手にしていたボールはホルダーに戻し、代わりに残っていた一個へと持ち替えて、それを開放する。
 傷だらけで細かなクラックすら入った紅白のボールから、開放されたのは同じく罅割れ所々欠けた巨大な氷の仮面。結晶ポケモン、フリージオ。
 リィィンと軋んだ鳴き声を上げて登場した妹のポケモンを見て、『あかり』と『ぽち』は旋回を止めて相対。どちらも火の粉を散らして臨戦態勢に。
「明日から俺が家無しになっちまうから。意味なく出すな。意味があったら絶対に出すな」
「先に出してきたのお兄ちゃんだけど聞き分けの良い素敵な妹なので、はーい」
 自称素敵な妹が何か言いながら、手持ちを戻す。俺も、俺を守ろうとしたのだろう二体に礼を行って、足元に寄ってきた『ぽち』は頭を撫でて、未だにガスマスク女をゆらゆらと見据える『あかり』には苦笑してボールに戻す。
「てか、家失くなったらお兄ちゃんもトレーナーとして旅に出れば良いんじゃない? パパとママや私みたく」
「自称ベテラントレーナーで育児放棄してどこぞを放浪してるクソ親や、お前みたいに成り果てたくはない」
「あらひどい」
 物心付いても会った記憶がほぼないし、生活は祖父母任せで恐らくは養育費も出していない両親など思い出したくもない。妹も妹でぶっ飛んでしまったし。色々と。
「すまん『おもかげ』『くらやみ』あと任せた」
 思い出したくないのにとても嫌なものを思い出してしまった。小銭を拾う二体の亡霊に断りをいれて嫌なものを流しさる為に、冷蔵庫から缶チューハイを取り出して流し込む。どちらも、片手を上げて人間で云うサムズアップで返してくれるからよく出来た亡霊達である。
 強いアルコールが喉を焼く。ソファにだらりと座ってつまみに六ピースのチーズを食べていると、
「あ、お兄様お兄様。わたくし、チーズフォンデュが食べたいわ」
「そんな洒落たもんは無い。つーか作れても、仕事あがって家帰って直ぐに山奥の廃病院行ってきて疲れてる俺は作らない。アラサーの体力の衰えを舐めるな。お兄様をもっと敬え」
「うーん。無理かな! ……今日はどんな怪異狙いだったの? 『おもかげ』ちゃんがデスマスクの代わりにガスマスクこれ持ってたのってそういうことでしょ。というかなんでガスマスクこれ?」
 トンッ、と軽やかに。跳ねる様にソファの横に近づいて、ガスマスクを被った顔を近づけて問うてくる。
 流石に付き合いが長い。俺の趣味、最早ライフワークか? それでの収入なぞ無いが。……兎も角、それが怪異スポット探訪である。
 大抵、デマかやらせか勘違いか、それかポケモンが何かしらやっているのが真相だが、偶に本物と云うより他ないモノもある。『おもかげ』を連れて行くとよくそういうモノに出くわすので連れていきたいのだが、ゴーストタイプの癖にビビりのヘタレなので最近は仕方なくデスマスクだけ借りて留守番してもらっている。
「それはなんか有毒ガスの実験か何かをしてたっていう廃墟に、それ被って入ると犠牲者の霊に襲われるっていう話があって試した時のだな。肝試ししてたカップルを恐怖に陥れて俺が怪異になったけど」
 誠に遺憾である。
「あはは! 俺自身が怪異になることだッ!!」
「丁重にお断りします」
「それでー? 今日のは?」
 ずい、と更にガスマスクが寄ってくる。
「あー、まあ今日のは、本物っちゃあ本物だった、のかねぇ?」
 まあ求めている様な事は起きなかったが。アルコール度数の高いチューハイを更に呷る。
「山奥の廃院のナースステーションで、ラジオの周波数を五八六キロヘルツに合わせると異世界に繋がる。ってやつだったんだが」
「へぇ。それでそれで?」
「苦労して門をどうにかして侵入して、ラジオ合わせたらなんか軽快に話すコガネ弁の男性パーソナリティとめっちゃ良い声で笑う男性アシスタントの番組が流れてきて“それでは次の曲は、前回の紹介から早めの再登場! 実力派二人組男女ユニット『とらとらとら(風)』で恋の上昇気流は反比例!”って言った後に急に聞こえなくなった」
 それだけ。と話を終える。一瞬の沈黙。そしてその次瞬。
「あははははははははっ! なにそれめっちゃその曲聴いてみたい!」
「検索したけどそんなアーティストも曲も無かったからちょっと別世界行ってこいよ。そんで帰ってくんな」
 酒を呷りながら、腹を抱えて笑うガスマスクガールにしっしっと手を払う。
「ひどいなー。そんな邪険にしなくてもいいじゃない。可愛い可愛い妹なんだから。あれかな彼女にでも振られた? あのおっぱいの大きな」
「振られてねーわ。あいつ今アローラにミミッキュ捕まえに行ってるわ」
「一人で?」
「一人で。年末年始一緒に行くし、ちょっと土地勘つけてくるねー! って言ってたな」
 見た目はステレオタイプなオカルトマニアだが中身は中々アグレッシブなのである。
「流石、行動派オカルトマニア。あれ、出会いも海外だっけ? なんか連続殺人事件が起きた場所的な。ていうかアローラ行くのうらやま」
「ざまぁ。あー、うんにゃ、連続人食い事件だな」
 意気投合したら住んでいる所も近かったので今に至る。
「カニバリズム入ってたかー。クワバラクワバラ」
 ガスマスク頭が手を合わせてむにゃむにゃと言っているのも中々シュールだな。なんてチューハイを飲みながら思っていると、散乱した小銭を拾い終えたらしい『くらやみ』と『おもかげ』がソファの横にやって来た。
「さんきゅー。おつかれー。元凶には何か奢ってもらえー」
 片付けてくれた亡霊達には感謝の言葉を。散らかしてそのままの奴には非難の言葉を。あと、隣のソファに置いた荷物から借りていた金色のデスマスクを取り出して『おもかげ』に返却する。
「いつもありがとなー」
 フックの様になった尾で器用にデスマスクを受け取って、目を細めて安堵の表情を見せる『おもかげ』。帰ってきてすぐ返すべきだったなあと反省していると、
「おー。じゃあお兄ちゃんと彼女さんに必須アイテムを贈ってしんぜよう。〇.〇一ミリと〇.一ミリどっちが良いー?」
「やめろ」
 予想外の一撃に咽る。何が悲しくて妹に贈られねばならんのだ。
「ああ、サイズの方が大事だもんね」
「黙れ」
 俺の反応に、ガスマスク越しのくぐもった声でケタケタと笑うガスマスクガール。
「あははっ。あー。満足満足。それじゃ、そろそろ行くねー」
 一頻り笑った後、妹はそう言ってきた。
「ああ。とっとと行け行け。そんで帰ってくんな」
「もっと名残惜しそうにしても良くないー? 旅する妹の姿を見れて安心するでしょうー? そんなこと言うとハロウィンの辺りでまた来るぞ」
「毎回毎回恐怖しか感じねえわ」
「もう。ツンデレなんだから」
「デレた記憶がない」
 なんて軽口の応酬を少しして、
「あ、『おもかげ』ちゃん。持っててくれてありがと」
 『おもかげ』が律儀に持っていた登山靴を受け取るガスマスクガール。その間、小柄な亡霊の傍に佇むゲンガー『くらやみ』は、普段はニタリと歪めて笑みを浮かべる大きな口をへの字に結んでそれを見据えている。
 辛うじて常識というものを思い出したらしく、そのまま玄関へ向かい受け取った靴を履く妹。
「じゃーねー。あっ、ごめんこれ、触りすぎたから返せないや」
 そう言って、ガスマスクを外す。いや、外すという表現は正しいのだろうか。妹がガスマスクに手をかけると、ズルリ、と粘性を帯びた影の様にとろけて、妹の影の中へ吸い込まれてしまうことは。
「おーうまあ要らんし構わんわ。……なあ、そろそろ教えてくれないか」
「ん? 何を? ガスマスク着けてたのは特に意味はないわよん?」
 妹の顔をした何かは、妹の声で、妹のするだろう仕草で妹のするだろう返答をしてくる。

「お前は、何なんだ?」

 玄関に立つ、妹の様な何かは。

「何と言われても。神苑波音しんえん はのん神苑山彦しんえん やまひこの妹で世界を旅するポケモントレーナー。超可愛い。一緒にいるポケモン達は超強い。とか答えればいいのかな?」

 わざとらしく小首をかしげ、右手の人差し指を頬に当てて返してくる。
「……嗚呼。そう、なんだろうな」
 妹の顔で。妹の声で。妹の仕草で。妹の記憶で。妹の考え方で。妹の感性で。妹のポケモン達で。限りなく妹の様な、しかし明らかに違う何かは「んじゃ。まったねー!」と笑顔で手を振って、どぷんっと全身が先のガスマスクの様に粘性の影と化して、そして消えた。
 後には何も残っていない。
「そうなんだろうが、けれども、それでも違うんだよなぁ。何もかもが」
 虚空に向かって呟く。
 俺に波音という妹は確かに居る。そして十歳でポケモンを連れて旅に出た。
 そして。旅立って数年後に行方不明になった。
 しばらく後に帰ってきた時には、ああなっていたのだ。本人なのか、別の何かなのかさえわからないがそれ以降、服装以外は姿を変えぬまま、もう十年は時折こうしてやって来る。十年、少女の姿のまま。
 似たモノは居ないものかと色々な所に出向いているが一向に出会えない。何が何だかわけがわからないので最近はもうそのまま受け入れ始めている俺が居る。
 少しの間、立ち尽くしていたらしい俺の手を、何かが握ってきて我に返る。視線を向けると、『おもかげ』が上目遣いに此方を見ていた。
 下方を向いた俺の後頭部をわしわしと撫でられる。浮遊した『くらやみ』が撫でているらしい。
「さんきゅー。大丈夫大丈夫。もう寝よう」
 気遣いの出来る、最高の亡霊達を引き連れて、寝室へ向かう。
 彼女の土産話へのお返しが出来たと思えば、笑い話になるだろう。
 ……いや、ならないな。
 考える事を放棄する。どうにもならない。取り敢えずもう寝よう。明日も仕事だ。