ハートがつくるものがたり

 四つ腕をぶんぶんと振り回すカイリキーが【はたきおとす】を構えて向かってくる。豪快な大振り、その一撃を寸前まで引き付けて、淡藤色の四つ足はしなやかな跳躍で優雅に回避。その着地を狙った素早い【バレットパンチ】さえも俊足で振りきながら距離を詰め、気付けばもうその姿はカイリキーの眼前。額の赤い水晶体が太陽の光を浴びて煌めく。


「サイコキネシス!」


 凛とした声。淡藤色の二股がふわりと風に揺れ、強烈な念力がカイリキーを襲い――屈強なカイリキーはあっという間に目を回して横たわった。誰の目にも戦闘不能ひんしであることは明らか、右手が高らかに掲げられる。


「カイリキー、戦闘不能っ!」


 大歓声が上がり、中庭はにわかにお祭り騒ぎとなる。その観衆の輪に帰ってきた“彼女たち”は一人の男子に目がとまり、まっすぐそちらへ駆けていく。


「やったー! 勝てたよ!」

「おめでとうフタバ、サクラ!」

「ありがとーっ!」


 彼女――藤野フタバとその相棒――たいようポケモンのエーフィ、サクラは満面の笑みを浮かべる。その朗らかな表情に釣られて笑う彼――門前もんぜんマコト。二人は今年高校に進学したばかりの幼馴染で、中でもフタバのバトルの腕はかなりのものだ。既に実力はちょっとした話題になっていて、こうして休み時間にバトルを観戦しにくる学生も多い。

 不意に鳴り響いた予鈴。蜘蛛の子を散らすように去っていく人の群れに混じって教室へ急ぐマコトを凛とした声が呼び止める、「そういえば、マコトのタマちゃんはどうなったの?」振り返るとフタバが微笑んでいた。


「どうなったって――ああ、そういうことか」

「そ! サクラ、最近進化したばっかりだから。もしかしてタマちゃんもそうかなーって!」

「……タマも、実はつい最近進化したばっかりなんだ」

「へー、ほんとに! どの子になったの?」

「あー、……」

「いっけない、次移動教室だったのすっかり忘れてた! またあと話そ、またねっ!」


 スカートを翻し、フタバは中庭をたたたと駆けていく。さっきまでが嘘のように静まり返った場所で、その様を見送るマコト。はあ、とついたため息を聴いていたのは、まるで「どうして?」と問いかける様に揺れる、モンスターボールの中の相棒――タマだけであった。




☆0→4☆




 フタバはマコトの憧れであった。

 少し内気で照れ屋なマコトに対して、フタバはいつも堂々としていて、明るくて、そして誰にでも気さくに接することが出来た。マコトは“いつか自分もあんな風になれたらなあ”と憧憬し、密かに目標の人物像としていた。

 十歳を迎え、ポケモンを所持することを正式に認められたとき、マコトは真っ先にフタバにはじめてのポケモンは誰にするのかを聞き、そしてすぐに同じポケモンを選んだ。気持ちだけでも、フタバの後ろではなく横に並び、同じスタートラインに立てるように。そこからフタバを追い抜いて、今度は自分が前に立てるように。
 小学校・中学校と実力を伸ばしていくフタバを前に、マコトは殆ど勝利することはできなかった。それでもいつかは追い抜いてやると、マコトは奮起していた、が――マコトが歩もうとした道は、高校入学と同時に大きく変えられてしまうことになる。二つの、大きな理由によって。

 一つ目は、フタバの雰囲気が変わったこと。進学と同時に結んだ長い髪を下ろし、スカートを短く折った。その姿を見たマコトは「高校デビュー?」と笑ったが、これまで半ば同性のように見ていた相手が急に色気づいたことに内心では激しく動揺した。急に様変わりしたフタバを相手に、今後同じようにライバル視を続けられるのだろうか、と。

 そして二つ目の理由は――


「……タマ、出ておいで」


 モンスターボールから現れたマコトの相棒、タマ。フタバのサクラがそうであるように、もうタマもマコトと初めて出会った日の栗毛色の姿ではない。ない、のだが――


 その額に赤い水晶体はなく。

 その体毛は淡藤色ではなく、透き通るような白に明るいピンクで。

 二股に分かれた尻尾ではなく、これまた明るいピンクの一本尾で。

 艶やかな体躯ではなく、純白のリボンがまるでプレゼントボックスのようにその身を包んでいる――


 そう、二つ目の理由は。

 ポケモントレーナーとなって五年間、ずっと同じ道に立ってフタバを追いかけ、その同じ道で追い抜かすことを目標としていたのに。


 相棒の姿がフタバのサクラとは異なる姿となってしまったこと、つまり全く同じ道を歩みながらフタバを追い抜かすということが出来なくなってしまったということである。


「……はーあ、よもや、こんなに……可愛くなっちゃうなんてなあ」


 すり寄ってくるタマの頭を優しく撫でてやりながら、マコトの脳内にフタバの言葉が何度も何度もこだまする。『どの子になったの?』と。あのときすぐに「タマはニンフィアになったんだ」と言えなかったのは紛れもなく、まだ自分の中でフタバと同じ道を歩みながら追い抜いてやろうという気持ちに踏ん切りがついていなかったからであり、そしてその気持ちは今も解決していない。

 ふと、真っ白な背中にぽつりと佇むピンクの水玉が目に留まる。まだ栗毛色の頃にも同じ位置に白い水玉模様が浮かんでいて、それを見たマコトが“タマ”と名付けたのだ。そう、姿かたちが変わったとしても、タマはタマ――自分の相棒であることに変わりはないのだ、その一点に揺るぎはないのだ、でも、でも、でも――

 もやもやとしたやり場のない感情に顰め面を浮かべているマコトの脇で、携帯電話がぶるぶると震える。画面いっぱいに表示されているのは入学式で撮ったツーショットの写真と≪着信:フタバ≫の文字。


「もしもーし! 今日ヒマ?」

「あーうん、何にも予定ないよ」

「それならさ、一緒に公園行かない? お花見しよーよ!」

「いいね、すぐ支度する」

「やったー! タマちゃんもちゃんと連れてきてよね、進化してから会うの初めてー! あー楽しみだなっ、じゃあもうちょっとしたら行くね、バイバーイ!」

「あっ、」


 はあとため息ひとつ。まだ寝間着のままの身体は再びベッドへと倒れこみ、その視線は宙を泳ぐ。「お出かけですかー?」と嬉しそうな顔のタマが馬乗りになって見つめるも、マコトの表情は暗い。

 色気付いたライバル、少しだけ違う道を歩むこととなったライバル。二つ、大きな理由が二つ。そのどちらも解決していないまま訪れたお披露目。まだ入学式の衝撃から僅かに一週間、タマがニンフィアとなってからは三日ほどしか経っていない。ポケモントレーナーとなり、フタバをライバルとして定め、同じ道を追いかけ続けた五年という歳月と比べて、あまりにも短すぎる――

 不意にチャイムが鳴る。まずい、と思ったのとほぼ同時に「マコトー! フタバちゃん来てるわよー!」と母の声が階下から響いてきた。近所だということもあるが、相変わらず行動が早い。いまいく、と返しながら着替えてタマをボールに入れて部屋を飛び出し、階段を駆け足で降りてそのまま玄関を開く。鉢合わせたフタバは吹き出すように笑った。


「おはよっ……なにその髪ー! ふふふふっ、まだ起きたばっかりだった? 急でごめんね、鏡見てからまた出てきて、ふふふふふっ!」

「っ、ちょっと直してくるから待ってて!」


 マコトは慌てて扉を閉めて洗面台へ走る、顔が熱かったのは、決して恥ずかしかったからだけでは無かった。気のせいだろうか、別人のように綺麗だったようにも見えたが、まだ寝ぼけているのか? 髪型を直してから何度も何度も顔を洗い、意を決してマコトはドアを開ける。


「おっ、ちゃんといつものマコトになったね!」

「あっ――うん……まあね」

「じゃあ早速行こっかー!」


 『フタバはなんだかいつもと雰囲気が違うね』と言うタイミングを逃し、マコトはただ無言で並びながら歩く。けれどもやはりあれもこれも気になって、ちらちらと時折フタバを見てはそっぽを向いて、それを何度か繰り返してるうちにフタバがまた吹き出す。


「どーしたのもう、さっきからー! 私、なんかおかしいかな?」

「いや、そのさ……なんか、いつもと違っていうかさ、こう、……綺麗だな、って?」

「……えへへ、そうー? よかった、最近ちょっとおしゃれしてみようかなって思って意識してたから、ね!」

 
 淡いピンクのシャツにデニムのジャケットを羽織り、下はシースルーの白いチュールスカート、どれもこれも、今まで一度も見たことがないものばかり。こんなことなら俺ももう少し気を遣った格好でもしてくるんだったかな、などと軽い後悔をしながらいつもの道を悶々と歩くマコトに「あー、はやくタマちゃんに会いたいなー!」と無邪気に笑うフタバ。その言葉が更に追い討ちをかけ、マコトの歩みを僅かに鈍らせる。

 それでもあっという間に辿り着いたいつもの公園、幼い頃から遊びに来ていた場所。ぶらぶらと暫く歩くと誰もいない桜の木を見つけた、「ここにしよ! ちゃーんと準備してきたよ、ほら!」と荷物から飛び出してきたのは、デフォルメされたかわいらしいポケモンたちが一面にプリントされたレジャーシート。今度はマコトが吹きだした。


「それ、小学生のときのやつじゃん、もう俺たち高校生だよ!」

「でもかわいいじゃん、ほらここ!」


 フタバの人差し指の先には、おめめぱちくりにデフォルメされたエーフィ。「……だからこれを持ってきたの?」と聞くと「そうだよ?」とまっすぐ凛とした返答。それを聞いてまたふっと吹き出しながらマコトは安堵する、ああやっぱりこの子はフタバなんだなあと。
 広げたレジャーシートの上に腰を下ろし、モンスターボールが宙を舞う。中から現れたのはマコトのパートナー、サクラ――遂にこのときが。まだ気持ちの整理はついていないが、いつかは向き合わなければならないことだ。マコトの手を離れたモンスターボールが桜吹雪の中で光を放つ。


「わー! タマちゃん、ニンフィアになったんだー! かーわいー!」

「……うん」


 『どうせなら、フタバと同じエーフィがよかったなあ』――本当は口にしたかったセリフを胸の奥にしまい込み、マコトはタマを抱えあげてやりながら優しく撫でる。わー、と目を輝かせながら色んな角度から眺めていたフタバはやがて背中に浮かんだピンクの水玉模様に気付いて「あー! やっぱりちゃんと残ってるんだね、タマちゃんの模様!」と叫ぶ。タマはそれに応えるように尻尾をぶんぶんと振って喜び、フタバもサクラもにこやかな笑顔を浮かべる。そんな中、マコト一人だけが暗い。

 ニンフィアもエーフィも、仲間トレーナーとの絆によって進化するポケモン――つまり、同じ進化の道を辿る可能性は十分にあったのだ。それだけに、今こうして目の前で、全く違うサクラとタマの姿を目の当たりにするのがまだ、辛い――


「ねーえ」

「……ん?」

「マコトってさ、タマちゃんのことどう思ってるー?」

「どう、って?」

「なんだか辛そうに見えちゃったからさ、タマちゃんの姿が変わっちゃってショックなのかなあって」

「ショック……なのかな、うまく言えないや」

「……私も最初はちょっとびっくりしちゃってたんだ、五年くらい一緒にいた姿と全然変わっちゃったから、最初はちょっと受け止められなかったってところも正直あるんだ。でもね、すぐに大丈夫になるよ!」


 マコトはサクラを抱えあげてにこやかに微笑み、凛とした口調ではっきりと言い切る。「だって、サクラはサクラなんだもん! 姿かたちが変わったってそこだけは変わんない、私のだーいじな相棒パートナーだから!」抱きかかえられたサクラがにっこりと笑い、タマもそれにつられて甘えた声をあげる。「そう、だね」とはにかみながらも、マコトの内心は穏やかではない。

 姿かたちが変わることへの抵抗はない、タマはタマのままで、大事な相棒であることに変わりはない。
 けれどもこうしてサクラとタマが並んでいるのを見てしまうと、決意し、受け止めた“つもりだった”現実が揺らぐ、ああもしタマがエーフィになれていたのなら、これほど悩む必要はなかっただろうに――

 そこからは殆ど上の空で、とりとめのない話をしているうちにあっという間に時間が過ぎた。話のネタも尽きてきたところで「そろそろ帰ろっか」と切り出し、二人は公園を後にする。
 田舎道をてくてくと歩けば、フタバの家もマコトの家ももうすぐそこ――なのだが、不意に隣のフタバの歩みが止まる。なんだろう、と思うとそこは馴染みの骨董品店の前、品物整理をする店主への「おじさん!」と呼ぶ声が重なった。


「おー、誰かと思えばマコトくんにフタバちゃん! 久しぶりじゃのう、もう中学生になる頃じゃったか」

「お久しぶりです。俺たち、この前高校生になったばっかりですよ」

「そうじゃったか、歳をとるとボケていかんのう……言われてみれば二人とも随分大きくなって、特にフタバちゃんは綺麗になったのう」

「えへへっ、ありがとうございます!」

「まあ、立ち話もなんじゃ……汚いところじゃが上がりんさい」


 ここに入るのも久しぶりだね、などと話しながら二人は店内へ。久方ぶりに入った店内は二人の身体だけが大きくなったようで、雰囲気も陳列も殆ど記憶のままだった。


「そういえば二人はまだトレーナーをやっておるかな? 最近面白い品が入ったんじゃが」

「面白い品?」


 店主が脇を抱いて持ってきたのは古ぼけた人形であった。大きな耳と歯車のような頭部、バルーンのような円形の下腹部、そして空っぽな胸部――二人が首を傾げていると店主が口を開いた、「実はこれ、大昔の人造ポケモンなんじゃよ」と。えっ、と二人が驚嘆するのを笑いつつ、店主は人形の説明を続ける。


「これは“じんぞうポケモン”マギアナ、およそ五百年ほど前に創られたと言われておる。人の気持ちを理解するお世話好きなポケモン――のようじゃ」

「――?」

「実はこの身体、ただの器のようなものでな……本体はほれ、これじゃ」


 差し出されたのはハート型のペンダントのような――ちょうど、胸部にすっぽり嵌りそうなもの。まさか、と指さす二人に店主はにっこりと頷く、「そうじゃ、これがマギアナの本体――“ソウルハート”じゃ」と。赤と青に点滅しているそれは、弱くくすんだ輝きを放っていた。


「どうやら長い年月の間に機能を失っておるらしくての……死んではおらぬが随分と弱っておるらしい。あれこれ調べてみたのじゃが、どうやら再生させるためにはポケモンのタマゴ同様に元気なポケモンのそばに置いておく必要があるらしくての……そこで、じゃ」

「……もしかして、私たちにこれを?」

「そうじゃ。別にお代も何もいらんよ、このマギアナもタダ同然のお値段で引き取っておるからのう。もしこのマギアナが動くのならば、わしはただその姿を見てみたいだけじゃよ」


 朗らかな笑顔で手渡されたソウルハートを受け取り、二人は帰路に就く。これ、どうしようかと話しているうちにあっという間にフタバの家にたどり着き、門をくぐったフタバはスカートを翻してくるりと周り、ソウルハートを手に笑った。


「これ、二人で交代で持つようにしよっか? とりあえず私が持つって感じで!」

「そうだな、そうしよっか。じゃあまた学校で」

「うん! バイバーイ」


 手を振りながらフタバと別れ、五分と歩かないうちに家に辿り着き、自室へ直行してベッドにその身体を投げ出して、マコトは真っ白な天井をぼんやりと眺める。
 綺麗に着飾ったとしてもフタバは昔のフタバのままだということはよくわかった、『姿が変わっても中身が変わらないんだよ』という言葉はポケモンだけでなく自分たちにも当てはまるんだなあとも思った。だが一方で今日はっきり意識してしまったのだ、ずっと“ライバル”としてしか見てこなかったフタバのことを、“異性”として。もはやこれまでのように対抗心百パーセントで向き合うことはできそうにない。
 そして、タマのことも結局解決していない。いつかは向き合わなければならないと決心したのに、並んだサクラとタマを見たことで、かえってショックを受けてしまった、タマがエーフィだったらとさえ思ってしまった――

 頭の中はぐちゃぐちゃだった、ライバルを異性として意識してしまって、純粋に同じ道を後ろから追い抜くということもできなくなってしまって。
 不意にタマのモンスターボールと目が合って――なんだか気まずくなって、マコトは逃げるように階段を駆け下りていった。




☆4→7☆




 相対しているのはナットレイ――はがねタイプとくさタイプを併せ持つ、要塞とも形容される堅固なポケモンである。ぎろりと突き刺すような視線を浴びるも、サクラは身動ぎ一つしない。その凛とした様に、寧ろたじろいだのは相手のトレーナー。タイプ相性の有利をとっているのに狼狽えないだなんて、どういうことなんだ! その焦りに似た気持ちを吹き飛ばすように、先に仕掛けたのは要塞側。勢いよく放たれたのは【やどりぎのタネ】――迂闊、焦ったわねとフタバは拳を握る。

 淡藤色の身体を包む、摩訶不思議な鏡のような柔肌――≪マジックミラー≫は放たれたタネをいとも容易く跳ね返し、跳ね返ったそれは要塞のもとで発芽し花開いた。くさタイプゆえに宿り木に体力を奪われこそしないが、発芽した蔓はしっかりとその身体に絡みついている。もう簡単には外せないわよ! フタバの拳に一段と力が入る。


「めざめるパワー!」


 放たれた球体がナットレイを襲い――鋼が、蔓が、じゅううと音を立てるほどに灼け、苦悶の表情を浮かべた要塞は呻き声さえあげることなく、静かに地に伏せ陥落した。ナットレイが現れてから、ほのおタイプの【めざめるパワー】を浴びて一撃で沈むまで、その間僅かに二分程。鮮やかという言葉で形容するにもまるで足りないほど、一瞬刹那のひと勝負。場がわっと沸き立った。
 一方でマコトの身体は委縮していた、よりにもよってこれほどのバトルの後なんて――臆病風に吹かれるマコトのもとにフタバが駆け寄り、ばしっとと大きく肩を叩いた、マコトの身体が跳ねる。


「次はマコトの番だよ、頑張ってね!」

「……うん」

 ファイト、と拳を握るフタバに手をあげて応え、マコトはフィールドに立つ。「先輩が胸を貸してやる、ゼンリョクでかかってきな!」反対側で構える自信たっぷりの先輩を相手にマコトは怯むも、ぐっと拳を握った。

 学校が誇るポケモンバトル研究部、二人がいるのはその新入生向け親善試合の場である。足切り試験というわけではなくあくまでも新入生の実力を測るためのものであるため、決して相手の先輩に勝利を収める必要はないのだが、先に戦ったフタバは鮮やかに勝利を飾っている。ならば――


「いくよ、タマ!」


 投げられたボールから現れたタマはかわいらしくも力強い雄たけびを上げる。相対するのは、こおり・フェアリータイプを持つリージョンフォームのキュウコン。フェアリータイプ同士の対決、フタバのときと違って相性の有利不利はない。これならいけるかも、マコトは震える脚にぐっと力を込め――試合開始の合図が出る。


「れいとうビーム!」

「ひかりのかべっ!」


 一直線に奔る冷たい光線は【ひかりのかべ】に弾かれ、広がった冷気の靄が煙幕のようになって小柄なタマを覆い隠した。チャンス、とマコトは声を張る。「とっしん!」地を蹴ったタマが冷気の靄を払いのけながら勢いよくキュウコンにぶつかり、大きく後退させる。よし、このまま畳みかけるぞと追加の指示を出そうとしたマコトを遮るように先輩の声が響く。


「あられ!」


 高い天井に黒い雲が沸き、氷の粒がフィールド全体に降り注ぐ。パチパチと弾けるような音は粒が地面を叩く音、そしてタマの身体を打つ音。じわりじわりと体力を奪う【あられ】を前に長期戦は不利、一気に攻撃を決めたいところだが――今度は相手のキュウコンの姿が降り注ぐ氷の粒に隠れ消えていく。


「≪ゆきがくれ≫……!」

「その通り、そして【あられ】を活かす攻撃ももちろんあるぞ……ふぶき!」

「っ、ひかりのかべ!」


 氷の粒を吹き飛ばしながら巻き起こる激しい吹雪。直撃寸前でタマは【ひかりのかべ】を展開して防御を図るも、霰が混ざったこともあって先程の【れいとうビーム】よりも強烈な一撃となった【ふぶき】を前に壁はあえなく砕け散った。タマ、と思わず叫ぶと白いリボンがゆらりと立ち上がった、ほっと胸を撫で下ろすもその体力はかなり心もとない様子。【あられ】も相まって長期戦はかなり危険、一気に勝負を決めるぞとマコトは拳をぐっと握り叫ぶ。


「スピードスターっ!」

「何っ」


 タマは雪に足跡を付けて飛び上がり、無数の星を降らせる。放射状に散った星々はやがて一点をホーミングするように集まり炸裂する、≪ゆきがくれ≫で隠れているキュウコンのもとで――!
 【スピードスター】は威力こそ低いものの絶対必中――隠れていたキュウコンが姿を現した、今だ! 反撃を隙を与えまいとタマは空中から一気に勝負をかける。


「決めろタマ、サイコショック!」


 先程の【スピードスター】とは比べ物にならないほどの強烈な一撃を至近距離で浴びたキュウコン、苦しそうに首をもたげ――暫く立ち上がろうとするもついに力尽き、雪上に倒れる。キュウコンの戦闘不能コールを聞いてよっしと強く拳を握ったマコト、その健闘を称えるべく対戦相手がやってくる。


「まさか≪ゆきがくれ≫を破る技を持ってるとはな。俺は三年の角元つのもとユウ、よろしく」

「先輩のキュウコン、強かったです……俺は一年の門前マコトです、よろしくお願いします!」


 ユウに一礼しフィールドを出たマコトを今度はフタバが出迎える、「やったねおめでとう!」弾ける笑顔にちょっぴり顔が熱くなるも「手強い先輩だったけど、ベストを尽くせたから勝てたんだと思う」とマコトははにかんだ。
 周りからはさまざまな声が聞こえてきた、「見かけによらずかわいいポケモンを使うんだな」「強かったけど、強いというよりは息ぴったりって感じだったね」「連携がすごく早かったのは信頼関係が出来てるからなのかもな」先輩とも同級生ともわからない相手から褒められるのがなんだか擽ったくて、表情が蕩けそうになるのをマコトは必死に堪えた。


「どうする? まだ仮入部期間だし今日はそろそろ帰ろっか?」

「そうだな、おじさんのとこも行きたいし」

「おっけー!」


 二人が通う学校から自宅および骨董屋までは自転車でおおよそ二十分ほど、クラスの話や今日の試合のことを話していればあっという間の距離。話に夢中になっていた二人はいつもの帰り道同様に骨董屋を通り過ぎようとして慌ててブレーキをかけた、スキール音が甲高く鳴り響く。折角寄り道するために早く帰ろうとしたのにねと笑っていると、音を聞きつけた店主が顔を出した。


「おお、お前さんたちじゃったか」

「うるさくしちゃってごめんなさい、ここに寄ろうと思って来てたのについいつもの癖で通り過ぎようとしちゃって」

「ほっほ。またこうして二人と話すきっかけができてわしゃ嬉しいよ、まあ上がりなさい」


 古ぼけたレジスターの傍に、項垂れたような格好でマギアナは置かれていた。「言うならばこの店の“ますこっと”のようなものじゃな」と笑う店主にフタバが手渡したソウルハートは微かに光を帯びていた。心なしか受け取った時よりも輝きを増した用にも思える、三人はごくりと唾をのんだ。
 胸の窪みにソウルハートがかちりと嵌まり、マギアナは本来の姿を取り戻す――が、ぴくりとも動かない、うんともすんとも言わない。一分程の長い沈黙の後店主がついた長いため息に二人も弛緩する、そして落胆する。


「残念です、この一か月ほど交代で持ちながら過ごしたんですが」

「うむむ……まだ目覚めるには何か足りんということなのかのう」

「……そうだ、私とマコトがバトルしてみるのはどう? ソウルハートを持った者同士のバトルなら、何か変わるかも!」

「ほほう、それは面白いかもしれんなあ。マギアナにも見せてやろうじゃないか」


 店主は脇を抱えるようにして抱き上げ、「見ての通り今のマギアナはとても軽いんじゃ。文献によると八〇キロほどらしいのじゃが、どうやら目覚めを果たすまではこの通りらしい……わしのような老人には有難いがのう」と笑いながら店先に出て行く。それを追うように「久しぶりだね、負けないよ!」と元気よく出て行ったフタバ。大きく深呼吸ひとつして、マコトはその背中を追う。

 店の脇にある空き地。昔はここでよく互いの腕を競っていたが、サクラがエーフィに、タマがニンフィアに進化してからは初めてのバトル。思い出の地、よりにもよって同じポケモン同士を競わせていた思い出の地で、進化して別の道となった俺たちが交差するなんて――マコトの下唇が音もなく潰れる。


「サクラ、いくよっ!」

「……タマ、行こう!」


 たいようポケモンとむすびつきポケモンが、マギアナを挟んで向かい合う。周りの景色は殆どそのままなのに、あの小さかったライバルは別人のように綺麗に成長して、タマと瓜二つだった栗毛色は淡藤色に変わって。願わくば、あの日のままで、できる限り、同じ道を、並んでいたかったのに――


「それでは、始めっ!」

「サイケこうせん!」

「っ、ひかりのかべ!」


 考え事に耽っていたマコトの反応は遅れたものの、素早く的確な指示がサクラの攻撃を退ける。キュウコンの【れいとうビーム】より速く、そして強烈な光線が壁の前に拡散して打ち消され、フィールドに僅かな土煙。「やるわね!」とフタバは笑い、続けざまに指示が飛ぶ。


「サイコショック!」

「こっちもサイコショックだ!」


 実体化した念動波が二匹の間で衝撃し、辺りの空間が陽炎のように歪む。赤い水晶体と水色の瞳を爛々と輝かせて技を放つ二匹はほぼ互角の勝負をしていたが、やはりタイプが一致しているサクラには敵わない。じりじりとタマが力負けしていき、拮抗が崩れ、相殺し損ねた余波がタマを襲う――


「【とっしん】だ、突っ込め!」


 突然のその指示に困惑しながらもタマは大地を蹴った、その身が加速した勢いのままに余波へと衝撃し――その勢いに乗ったタマの身体が宙高くふわりと舞い上がり、しなやかな着地で再びフィールドに立つ。“わざ”にぶつかっただけあって無傷とは言い難いが、まだ戦えるだけの体力は残っている。うまく受け流せた、なんとか負けじと立ち回れてはいる。相手が格上である以上、勝負の決め所を見極めるまでは堅実に守勢を取るしかない――マコトは次の一手を見極めようとした、が。


「くさむすびっ!」

「何っ」


 サクラが前脚で地面を叩くなり、タマの足元で繁々と蔦が生い茂り四肢を縛り上げた、何度ぐいぐいと引っ張ってみても抜け出せない。「これで動けないわね!」とフタバが凛と叫び、サクラの水晶体が赤く煌く。ああ、とマコトは察した、察してしまった、これからくる一撃は間違いなく最高火力、それに負けないためには――


「サイコキネシスっ!」


 屈強なカイリキーをも締め付けて大地に組み伏せる、サクラが誇る最強の攻撃技【サイコキネシス】。強烈な念力による攻撃をまともに受けてしまえば敗北はまず免れない。だが残り体力的に【ひかりのかべ】では防ぎきれないし、避けようにも【くさむすび】が邪魔をして動けない。決め技はまず相手の動きを奪ってから放つ、フタバが昔から得意としている戦法。それを破るためには、どうすればいい?

 逡巡、僅かな時間。タマの眼前にはもうサイコキネシスが唸りながら直撃を待ちわびている、もう迷う暇はない、マコトの出した答えは――

 ――こちらも最高火力の決め技をぶつけるしか、ない!


「サイコキネシス!」


 フィールドに土埃をたて、念力同士が激しく鬩ぎ合う。目には見えない不思議な力が、低い唸りを立てながら相手の勢いを削ぎ落としていく。両者が放ったわざは同じ、けれどもやはり【サイコショック】と同じように、タイプに利のあるサクラが優位に立ってぐいぐいと押し込んでくる、タマが一歩また一歩とマコトに向かって後退りさせられている、嗚呼、もう鬩ぎ合いも限界に達する――


 ぎゅん、と空間の歪む音。


 タマの【サイコキネシス】は敢え無く力負けして消滅し、打ち勝った強烈な一撃が、足をとられ避けることさえ叶わなくなったタマを激しく打ち付け、それでもなんとかタマは踏ん張り立っていた、が――足元の蔓が消えると同時にその身体は地に伏せた、限界であった。もはや誰が見ても明らかに戦闘不能ひんし。ジャッジを待たずしてマコトはタマの元へ走る。

 目を回したタマはぴくりとも動かない、掛け値無しに最後の一滴まで力を振り絞った姿であった。その身体を抱き上げ、無言のままにボールに格納する。顔を上げるとフタバと店主が立っていた。


「タマちゃん……大丈夫?」

「……うん、試合で頑張ったからもう疲れて動けないだけ。心配してくれてありがとう」

「よかったあ……。タマちゃん、強かったよ、それにマコトも! 昔から上手だった“攻撃を受け流す立ち回り”、もっと上手くなってたと思う!」

「ありがとう。フタバの“決め技を確実に当てに行く立ち回り”もすごいや……頑張って追いつかなきゃ」

「……ほっほ、二人とも本当に大きく立派になって、この前までこんな小さかったのにのう……。残念ながらマギアナは目覚めんかったが、ソウルハートは前にも増して輝きを増しておるような気がする。引き続き二人には、これを持っていてほしいんじゃが」

「じゃあ、それは俺が受け取りましょう……タマのことが心配だから、今日はもう帰りますね、ではまた」


 店主の手からソウルハートを受け取ったマコトはそのまま無言で歩いて行き、自転車に跨って去って行く。「マコト、」と呼びかけようとするフタバを店主が制した、「お互いベストを尽くして戦って、そして負けた……悔しいのもあるじゃろう、そっとしておきなさい」去りゆく長い影を、フタバはただただ見送ることしかできなかった。




☆7→10☆




 モコモココ雲がもこもこと立ち昇る暑い日の午後、ポケモンバトル研究会第一バトルフィールドは過去最大級の盛り上がりを見せていた。研究会発足以来の逸材と名高い先輩を追い詰めるトレーナーが現れたのだ――フタバである。
 フィールドでは先輩のボーマンダとサクラが相対していた、共に息を切らし傷を負い、あと一撃決まればそれ即ち勝敗を決するという状況。しかしボーマンダは【りゅうのまい】によってこうげき・すばやさが上がり、機動力でサクラと大きく差を開けている。残り体力はほぼ五分五分ながらも圧倒的に不利なのはサクラ、だがフタバもサクラも狼狽えない。


「ここまでよく追い詰めたな、だが意地でも負けない! ベイたろう、ドラゴンクロー!」


 ベイたろう――ボーマンダは大きな翼で飛翔し一気にサクラと距離を詰め、巨大な爪を光らせた――受ければ一撃で戦闘不能ひんしは必至、だがフタバもサクラも狼狽えない。


「今よ、みきって!」


 迫るベイたろうの爪を【みきり】でやり過ごしたサクラが宙を舞い、すぐさま反撃に転じる――【りゅうのまい】によって機動力が上がっているベイたろうに動かれる前に、一撃をかわされた相手の虚を衝かなければならない――サクラの水晶体はもう光を集め始めていた、フタバの指示を受けずして既に、反撃の準備は整っていた。


「トリックルーム!」

「な、にっ?!」


 水晶体から放たれた赤紫の光がフィールド一帯に広がり、ベイたろうの動きが途端に鈍る、観衆がわああっと沸き立つ。もはや勝敗は誰の目にも明らかであった。


「決めるわよ、サイコキネシスっ!」


 ベイたろうの翼が羽搏きをやめ――どすんと音をたててフィールドに落ちる。「勝者、フタバのエーフィ――サクラ!」ジャッジが右手を掲げた途端にフタバはサクラに駆け寄って抱き上げ、スカートの裾から膝を見え隠れさせながらやったやったとくるくる回る。


「負けたよ、まさか在学中に敗れるとは思わなかった――それも、一年生にね。でも自惚れてた自分を見直すいいきっかけになったよ」

「いい試合でした、こっちはほぼ完璧に思い通りの動きが出来ていたのに何度もダメージを通されちゃって……ベイたろうくんがよく鍛えられてるなあとすごく思わされました、私たちももっと強くなります!」


 がっちりと握手を交わし、観衆から称賛の拍手と喝采があがる。“神童”と評され、相棒のベイたろうは進化後勝率九割をマークするほどの腕前であったのだが――まだ五月に本入部したばかりのルーキー、それも女子トレーナーに敗れたとあって会場は大盛り上がり、だがフタバの心はここにあらず――


「ヘドロばくだん!」

「っ、ひかりのかべ!」


 猛毒のヘドロの塊が壁に阻まれて飛び散り、地面を溶かし燻る。負っているダメージはお互いに決して軽くはない。次の一撃が決まれば恐らく勝負が決するだろうという状況、マコトはぐっと唇を噛む。
 第二フィールドで行われているマコトと先輩の対戦も同じく佳境に入っていた。相手のベトベトンはかなり耐久力に長けていて、何度もエスパータイプわざを決め続けてようやく次の一撃がとどめとなりそうなところまで追いつめた。だがその過程で苦手などくタイプの攻撃を受けてしまい、更にどく状態にもなってしまった。これ以上戦いが長引くとタマの体力がもたなくなってしまう。もはや受け流す戦いをしている余裕はない、こちらから打って出なくては――!


「いくぞタマ、シャトルループだ!」

「ん、?!」


 聞きなれない指示に先輩の思考が一瞬固まる、好機だ。タマは自分の後方めがけて【スピードスター】を放って跳び上がった、相手めがけてホーミングする星々は空中で円を描くように方向転換してベトベトンへ一直線に向かう軌道をとり――タマの身体がその星々の流れに乗って空中を滑るように高速で飛翔した、どよめきが歓声に変わった!
 “スピード”を冠するだけあって星々の動きは素早く、そして絶対必中の精密性を併せ持っている。もうタマの身体はベトベトンのすぐ目の前だ、これまで耐えられ続けてきたエスパータイプの攻撃をゼロ距離で叩き込める! タマの瞳が水色に輝き、最高威力の【サイコキネシス】が――


「突け!」

「っ」


 早口、僅か二文字の指示。一瞬にしてそれを汲み取ったベトベトンは素早く毒を腕に集め、【スピードスター】に乗ってやってきたタマが【サイコキネシス】を発動するよりも素早く、その腕を突き出した。太く力強い毒手が放った渾身の【どくづき】がタマの胸を打ち、その白い身体をマコトの方へと打ち返した――残された【スピードスター】がベトベトンを激しく打ち付けるも、倒れるには至らなかった。


「……お疲れ様、タマ」


 モモンのみを与えてどく状態を回復させ、タマをボールに格納したマコトはフィールドを去り建物の外へと無言で出ていく、声をかけようと待ち構えていたフタバさえも無視したまま。扉に手をかけたマコトに待って、と声をかけようとしたフタバの肩にぽんぽんと手が置かれる――振り返るとユウが立っていた。


「藤野、ここは俺が行く」

「っ、でも」

「まあ任せとけって」


 ひひっと笑いながら掌をひらひらと振って、ユウはマコトを追うように扉の向こうへと駆けていく。誰にも聞こえないくらいの小声でお願いします、と呟いたフタバは踵を返し、次の試合の観衆に加わった、右手をきゅっと握りしめて。


 木陰のベンチで、マコトはすごいキズぐすりを与えながらぼんやりと考えていた。フタバは相性の不利を覆すようなバトルができているのに、自分にはそれができなかった。自分の戦い方が上手くいってないわけではないのになかなか勝てない、フタバとの試合でもそうだった。どうして、どうして、どうして――そうだ、


「タマが、エーフィになれてたら良かったんだ」


 マコトの膝で微睡みながら傷を癒していたタマがはっと顔を上げ、マコトを見つめる、悲痛な瞳で。
 それでもマコトは止まらなかった。


「タマがニンフィアじゃなくてエーフィになっていたら、フタバと同じ道を歩けた、迷ったり苦しんだりせずにまっすぐ追いかけられたんだ、そしたらきっと今よりももっとフタバに近づけていたはず、追いつけてたはずなんだ。エスパータイプのわざだってもっと威力があったはず、ベトベトン相手に相性不利の戦いをしなくてよかったし、もっと早く俺の勝ちで決着が付けられていたはず――」

「……その辺にしておきな門前――タマちゃんが悲しい顔してるぜ」

「っ、角元先輩」


 はっとなってユウの目を見て、そしてすぐに目線を落として。

 悲しそうな水色の瞳、しゅんとしょんぼりとしてて。自分と目線を合わせてくれなくなった相棒を見てやっと気付いて、自分がどれだけのことを言ってしまったのかようやく実感して、胸の奥の空間がぎゅうっとしぼんだような、心臓を誰かに鷲づかみにされたような、言いようのない苦しみが襲ってきて。


「……どん詰まってるんです、俺」

「?」

「フタバ――藤野と俺は昔からの仲で、同じ頃に同じポケモンを貰って、同じスタートラインでライバルになったから、どうしても俺は同じ道を追いかけながらいつかはその背中を追い抜いてやるって強く思ってたんです。でも、でも、あいつのサクラはエーフィになって、俺のタマはニンフィアになって。同じ道、歩けなくなっちゃったわけじゃないですか、それで俺、まだ気持ちが迷ってて……俺がいけないんです、俺がいけないってわかってるんだけど、今、絶対に言っちゃいけないことを口にしてしまった……」

「……なるほどな。それならいっそ……こういうのはどうだ?」


 ユウはベルトからモンスターボールを取り外す。光の中から現れたのは、親善試合で戦った真っ白いキュウコンであった。気高き表情でマコトを見つめるその姿、ユウの意図、何もかもがわからず立ち尽くしていると、ユウがボールを差し出し笑う、「俺の相棒の力、貸してやるよ」ますますわからずきょとんとするマコトに静かに語りが続く。


「要するにだ、今の門前は中途半端なところにいるわけだよ、エーフィとニンフィア……違う道だけど、ちょっと前までは同じ道を歩いていたから、その未練が残っているから困ってるわけじゃん」

「……まあ」

「だろ? だからさ、いっそのこと全然違う道に進んじゃえばさ、もう諦めがつくんじゃねえかなって。俺のイナカにはこんな言葉がある――“Indecision is often worse than wrong action”、ってな」

「い、いんでし……?」

「“決断しないことは、ときとして間違った行動よりもたちが悪い”――いつまでも燻ってたっていいことないぜ、どうだ? 俺の相棒は喜んで手を貸すってよ」

「……でも、」


 それはつまり、タマを手放すって事でしょう、先輩はキュウコンを手放すってことでしょう、自分の大切な相棒を――言葉に出せなかった、確認するのが怖かったのだ。タマはマコトにとって、本当に大切な相棒だから。どんな姿になったって、離れるつもりなんか欠片もないから。


 だが。


 そんな相棒に、酷い言葉を浴びせたのは自分で。

 その言葉を紡いだ、心のどこかに溜まっていた思いを言葉に固めて、吐き出したのは自分自身で。

 道に迷って、踏み切れず、決断できず、勝たせてやれずにいるのは、間違いなく自分のせいだから、だから――


「……決まったみたいだな、じゃあついてきな」


 校舎の片隅に置かれたパソコンは、まるで二人を待っていたかのように静かに起動した。青い画面にポップアップした≪こうかん≫をタップすると装置のカバーが開き、ボールをセットする台座が二つ現れた。ユウはキュウコンの入ったボールを少し見つめてからそれを置いた、マコトもボールを見つめて、見つめて、見つめて――目をぎゅっと閉じて台座にセットした、「いいんだな?」ユウの声に静かに目を開き頷く、装置が起動する。
 ボールが機械に吸い込まれ、ジジジと電磁音が鳴り響く。画面に表示されたローディングメーターがだんだんと百パーセントに近づいていくその様を、マコトは複雑な思いで見つめて、そして。
 交換処理の終わったボールが排出される、ユウはそれを手に取って「タマちゃんのことは俺に任せておきな」と笑う。マコトは目の前のモンスターボール、格好だけタマの入ったボールとおんなじで、中身が全然違うそれを手に取って、ゆっくりと、こくりと頷いた。


「俺のキュウコン、ササメって名前なんだ。よろしくしてやってくれよ」


 タマの入ったボールを手に、ユウは廊下を歩き去っていく。思う以上に事はあっさりと済んでしまった、タマはユウの元へ、そしてマコトの元にはササメが。右手に光るモンスターボールはモンスターボールのまま、それに違和感を感じるのは、その中身を繰り出したときなのだろう。けれども受け入れるしかないのだ、自分の弱さが進む道を躊躇わせたのだ、決断しなければいつまでも自分は迷い続けるのだから、これでいいんだ――

 ふと取り出したソウルハートは鈍く輝いていた、薄暗い廊下で赤と青に光っていた。その仄かに増した輝きが、自分が前に進んでいることの証であることを願いながら、マコトは自転車置き場に向かった。




☆10→14☆




 砂利道を走る自転車に後ろから声がかかる、「おはよー!」振り返るとフタバがそこにいた。眩しい笑顔にぎこちなくおはよう、と返してマコトは俯く。
 空き地に試合で負けて以来、フタバと話す機会は減っていた。別に仲が悪くなったわけではない、本気で戦って負けたという事実がまるで枷のようにのしかかり、自分からはどうにも話しかけにくかっただけ。加えて最近の不調続きもあって部活中は余計話す気にもなれない。フタバは好調に腕をあげているから尚更だ。
けれどもそれも昨日でもう終わり、今日からは新しい自分が始まるのだ。完全に違う道を歩む決意をした、同じ道から追い抜かすことをきっぱりとあきらめた。今度こそ迷わずに進めるんだ。マコトは自転車を押しながらフタバの方を向く。


「ソウルハート、前よりもなんだかいい調子になった気がするんだ」

「ほんとー? じゃあ今日おじさんのところ行ってみる? 部活休みだし!」

「うん、……うまくいかなかったらまたバトルしてほしい、今度は負けないから」

「ふふっ、望むところよ!」


 砂利道はあっという間に舗装された道路に変わり、気付けば二人は校門をくぐっていた。「じゃあまたあとでね!」フタバと別れ、マコトは自分のクラスへと歩んでいく。

 ――これからいったいどうなってしまうのだろうか、自分はこれでよかったのだろうか? 相棒を手放していいわけがない、でも、いつまでも迷ってしまうくらいならば、自分にとっても、タマにとっても、これでいいんだよ、ね……?

 マコトの心中を表すかのように、空に浮かんだモコモココ雲はもこもこもやもやと肥大化していた。ああ、願わくば嵐なき道であれと願いながら、マコトは教室のドアを開いた。




☆14→14☆  




 日が傾き始めた頃の静かな骨董屋がわあっと賑わう。マコトの手によって嵌め込まれたソウルハートはこれまで以上に強い光を放ち、そして輝いたのだ――マギアナの瞳が!

 ぎぎぎ、と歯車の軋むような音を数音奏でたのちに再びマギアナの瞳は暗く虚ろな状態に戻ってしまったが、三人は手を取り合って喜んだ。マギアナは確実に復活へ向かっている、ソウルハートの機能を取り戻してきている。自分たちのやってきたことがきっと実を結んだんだと小躍りする中でマコトが切り出す、「じゃあ最後の一押しだ、フタバ、バトルしようよ!」フタバは満面の笑みで頷き、スカートの裾を翻し駆けて行く、少し俯いた視線に膝裏が飛び込んできて、顔がふっと熱くなる――今日は大事な転換点だ、集中しなくてはとマコトはすぐにその背中を追う。


 夕暮れの空き地で向かい合う二人、既に店主はマギアナと共に中央でジャッジに入り、フタバはサクラを出して待ち構えている。憧れであったエーフィ、フタバと同じポケモンで歩む道。それを真に振り切るのは今だ、放られたボールに叫ぶ、「いくぞ、ササメ!」ボールから現れた白き九尾の霊獣にサクラが、店主が、フタバが驚嘆する、だが。

 
「……いいわ、本気で行くわよ――めざめるパワーっ!」

「こ、こごえるかぜっ!」


 熱と冷気が激しくぶつかり合って生じた蒸気の靄の向こうで、フタバは複雑な面持ちをしていた、バトルの時に初めて見る表情をしていた。それに動揺するも、「きっと俺の出したポケモンに驚いてるんだ、それでも本気で来てくれるなら、俺もそれを上回ってやる!」とマコトは拳をぐっと握る。


「あられ「にほんばれっ!」」

「っ、?!」


 ササメの作り出す黒い雲、そこから一粒の霰も落ちることなく一瞬にして消える。代わりに空き地を照らす強い日差し、陽炎がサクラとフタバをゆらゆらと揺らめかせ、暑さに弱いササメの膝を折らせる。だがそれ以上にダメージを負ったのはマコトの心――その平静を取り戻す間さえ与えず、サクラの水晶体が光り輝く。


「めざめるパワーっ!」

「う、うっ、……ふぶきっ!」


 太陽の加護を受け力を増した球体が、ササメを仕留めんと襲い掛かる。まともに受けてしまえば大ダメージは避けられない、なんとしても受け流さなくては――迷った末に咄嗟に選んだ【ふぶき】、だが今は≪ひざしがつよい≫状態、加えてササメのコンディションも悪い――勝てる見込みなど、何一つなかった。
 【ふぶき】は次々と溶けて蒸発し、消滅し、打ち勝った【めざめるパワー】が激しくササメを吹き飛ばす。ああ、と悲痛な叫びをあげるマコトをよそに、サクラはもうササメへ距離を詰める、手汗がじっとりと滲む。


「オーロラベール――だめだ発動できない、受け流す術が、」

「……サイコショック、っ!」


 足掻くこともできぬまま放たれた強力な念動波、それをまともに浴びたササメに立ち上がる力は残っていなかった。白い身体を横たえて目を回すその姿を、サクラとフタバは複雑な表情で見つめていた、そしてマコトも――
 二度目の敗戦、二か月前と同じ結果。マコトはまた、無言のままボールにササメを格納して、そして。勝ったのに喜ぶ素振り一つ見せないサクラとフタバに向き合う、不意にフタバが差し出した右手は握手のつもりのものではなかった。


「……一対一の勝負とは言ってないわ、さあ、次のポケモンを出して」

「……」

「やっぱり……タマちゃん、……どうしちゃったのよ」


 フタバは怒っているようで、驚いているようで、泣いているようで、色んな感情、喜怒哀楽が全部混ざったような顔つきをしていて――脳裏によぎったのはタマの顔、あの時の悲しい水色の瞳。直視できなくなってマコトは俯く、俯いたまま心情を吐露する。


「……俺、フタバを追いかけてたかったんだ、同じ道で。だからサクラがエーフィになって、タマがニンフィアになって、足が止まったんだよ、同じ道、同じ条件で競って勝ってこそ、本当にフタバを追い抜けるんだってずっと信じてたから! でも……それができなくなったことをなかなか受け入れられなくて、迷って……そんなときに角元先輩が、これまでとは全然完全に違う道を進んでみるのはどうかって薦めてくれたんだ、だから、……俺は違う道を往くんだ!」

「それで、ずっと一緒にいた、タマちゃんを手放したっていうの……っ?」

「……俺が道に迷ってどうしようもなくなって、タマに、お前がエーフィに進化してくれていればよかったんだって、ひどいこと言っちゃったんだ、そんな言葉が出ちゃう俺と一緒にいたって、タマは苦しいだけだ、ずっと一緒にいた俺がこんなことを言っちゃうなんて、ありえないだろ?! だから……タマは、俺の傍に、いちゃ、いけないんだって、」

「……ねえ、違う道を往く覚悟ができたっていうなら! それはタマちゃんと一緒に歩くべきなんじゃないの……?!」

「……っ」

「だってそうでしょ、マコトの気持ちだってわかるよ……私と同じエーフィで戦って、それで私に勝って。それこそ本当の意味で私を上回ったんだなって、わかるよ。でも! もうそれは叶わない、マコトは私と違う道――違うポケモンで戦うしかないんだよ、そうでしょ?!」

「……うん」

「それなら……! タマちゃんに謝って、また一緒に歩くべきでしょ……? こんなの間違ってるよ、気持ちの通じてないポケモンを選んだって、実力が出せるわけないよ! エーフィの道を諦めたなら、タマちゃんの道をしっかり歩いてよ! ――私はタマちゃんと一緒にいるマコトが好きなのよっ!」


 両手で顔を覆い、わっと泣き出したフタバがマコトを掠めて走り去る、狙ったかのように空も号泣する。ざあああと鳴く空き地に呆然と立ち尽くすマコトに「使ってあげなさい」“げんきのかたまり”とソウルハートを手渡し、マギアナを抱えた店主が店へと足早に戻っていく。
 数分後、傘を手に戻った空き地にはびしょ濡れのまま座り込むマコトの姿が。店主は無言で傘の下にマコトを入れた、嗄れた声が雨に木霊する。


「マコトくん。キミとタマちゃん――フタバちゃんと何があったか、わしにはよくわからん。じゃがな、小さい頃から見てきたからよくわかる。例えどんな壁にぶつかろうと、道に迷い踏み外そうと、それを乗り越え共に歩んでくれるのは――間違いなく旧知の“相棒”なんじゃよ」

「……でも、俺は、その相棒を傷つけたんだよ、深く……。言った瞬間に気付いたよ、なんてこと言っちゃったんだって、酷すぎるって。今の今までずっと後悔してるよ……俺は最低だ、こんな俺が、タマのそばにいていい筈がないって――」

「じゃあ、そんな最低のマコトくんが、そのキュウコンの傍にいるのはいいのかい?」

「……」

「そんな事を言ってしまう自分が最低なら、キミはどんなポケモンのそばにいるのもダメ、ということなんじゃないかのう?」

「そ、れは……」

「違う、と自分でもわかっておるじゃろう。そう――キミの本心はポケモンのそばにおりたいのじゃ、願わくばタマちゃんのそばにおりたいのじゃ。だけども初めてそんなことを言ってしまった自分が許せず、どうしたらいいかわからなくなっておる……そうしてキミが選んだ道が、タマちゃんと離れてみることじゃった」

「……」

「どんなに仲良しでも、ぶつかり合う時だってある、ケンカすることだってある、思い返してみなさい……これと比べればずっとずっと小さなことだとしても、タマちゃんとケンカしたことはあったはずじゃよ――マコトくん、タマちゃんのことが嫌いか?」

「っ、好きです、大好きです、相棒なんだから、……本当は許してもらえるなら、一緒にいたい」

「――キミを責めたフタバちゃんのことが、嫌いか?」

「――いいえ……好き、です」

「そうじゃろう。どうすればよいか、わかるな?」


 店主の傘を飛び出し、マコトは走り出す。日はとうに落ちる時間、これから動いたところで今日はもう遅い、どうにもならないことはわかっているが、身体は勝手に走っていた。店に止めていた自転車のスタンドを起こし、びしょびしょのサドルに跨って家路へ。通り過ぎた空き地に見えた店主の傘に叫ぶ、「明日また来ますっ!」水たまりを弾き飛ばし、タイヤはぐんぐんとスピードを上げて転がっていく。その後ろ姿を、店主は満足げに見送った。




☆14→14☆




 まだ涼しいうちに学校へ来たのは一刻も早くタマに会いたかったからに他ならないが、いつもの時間、いつもの通学路でフタバと出くわすのが気まずかったからという理由もあった。臆病風に吹かれ、マコトは校舎を急ぎ足で歩き、そしてパソコンの前で待つ人影に歩を止める。立っていたのはもちろんユウであった。


「おはよう、……早かったな、ひひっ」

「おはようございます。こんな朝早くにすみません……」

「早かったってのはそういうことじゃない、相棒を取り戻しに来るのがってことだよ……タマちゃん、お前に会いたがってたぜ」


 え、とマコトは硬直する。

 『これほど急に心変わりしちゃってごめんなさい、でもやっぱり俺にはタマが必要になったんです』そう続けようとしたセリフは一瞬にして頭から飛んだ。
 ユウは何食わぬ顔で交換装置にボールを置いてマコトを待っている。混乱したままのマコトがボールをセットすると、静かな朝の校舎に電磁音が響いた。ユウが唐突に切り出す、「俺は最初からこうなるつもりでいたんだぜ」混乱したマコトはぽかんと立ち尽くす。


「お前が相棒との付き合いに迷いを感じてるのはすぐわかった――だからちょっと荒療治だが相棒を一度切り離してやれば目が覚めるだろうと思ったのさ、すぐに気付いてくれてよかったぜ……“過ちては改むるに憚ること勿れ”ってな、ひひひ」

「あや……まち」

「お前は俺に言われるがままにタマちゃんを手放しササメを手元に置いた、立派な過ちさ。いくら相棒との付き合い方に悩んだからとはいえ、自分の相棒と離れてうまくいくわけがないだろう? それをわからせたかったのさ。それに俺は最初から相棒の力を“貸す”としか言ってない、ササメを渡すつもりなんか毛頭ないんだよ。忘れもしない、細雪ささめゆき降る日に出会った俺の初めてのポケモン、大事な相棒を手放すなんてとんでもない……たった一日や二日そこらでも寂しかったぜ、俺は。お前はどうなんだ?」

「……寂しかった、ですよ、初めてあんなこと言っちゃったから、もう二度と元の関係には戻れないのかなって思って、迷いに迷って、先輩の言葉に乗って決断しちゃったけど、目が覚めてやっとわかったんです、タマが俺の傍にいてくれないと――俺は寂しい……」

「……ひひっ、俺の目論見通り――相棒の大切さに気付いてくれたようだな……ほらよ、お前の相棒――ぶつかり合おうがケンカしようが何があろうが、今度こそ絶対、手放すんじゃねえぞ?」


 ユウが差し出したボールを、マコトはこれでもかというくらいにしっかりと掴み、そして胸に抱えるようにぎゅうっと両手で握った、開閉スイッチが押され眩い光が中から飛び出し――まっすぐに、マコトのもとへ。

 

 額に赤い水晶体はなく。

 二股に分かれた尻尾もなく。

 淡藤色の体毛でもない。


 けれども。


 他の誰にも取って代わることはできない、世界でただ一匹のマコトの相棒――タマは、マコトの胸の中に思いっきり飛び込んでいた、立っていたマコトが仰け反って廊下に倒れ込むほどの勢いで。
 頬ずりして、甘え声を出すその姿に思わず目頭が熱くなる。脳裏をよぎるのは言わずもがなあの時の台詞――『タマが、エーフィになれてたら良かったんだ』やっと絞り出した「ごめん」の弱々しい声に、弛んだタマの表情が引き締まる。


「俺、お前にひどいこと言っちゃった……エーフィになれなくたって、お前は俺の相棒、タマなんだ……」


 零れそうになった滴を、リボンがそっと拭った。水色の瞳が笑って、目を閉じて、首を横に振った――まるで、「もういいんだよ、気にしてないよ」とでも言うかのように。その身体を強くぎゅうっと抱きしめて、水玉模様のあたりを撫でながら「タマ、タマ」と夢中で繰り返す。
 妬けちゃうねえ、と笑いながらボールを手に取り、「お帰り、お疲れ様――そしてありがとうな、お前のおかげで門前の目を覚ませたよ……やっぱり俺もお前がいなきゃ寂しいよ、ササメ」愛おしそうにボールを撫でながら呟いたユウに、マコトは深々と頭を下げた。


「ありがとうございました、本当にありがとうございました。相棒と離れ離れになって、俺のために……」

「いやいやいいってことよ、俺もおかげさまでササメの大事さを理解できたしな――おや、」


 二人の視線の先、そこにいたのはフタバだった。
 驚嘆の表情を浮かべる二人が心中で発した台詞は全くの同一であった、「なんで時間をずらして登校してきたのに、こんな時間にこんなところに?!」と。二人の表情を見比べてそれを察したユウは吹き出しかけたがなんとか口元を抑えて堪え、おっほんと咳払いを一つ。


「……見ての通り、お互いの大事な相棒は無事、あるべき人のところへ帰ったよ。心配をかけてすまない」

「……よかった、です、色々と聞きたいこともあるけれど、とにかくよかった――マコト、もう大丈夫なのね……?」

「……うん、今度こそもう離れない、決心したんだ。俺はタマと一緒の道を歩く、どんなことがあっても。そして――その道からいつかフタバを追い抜いて、勝ってみせるんだ!」

「……よかった、また昔みたいな、ひたむきにまっすぐ歩き続ける、私の好きなマコトに戻ったのね、よかった……!」


 安堵の表情を浮かべ、それからちょっと固まったフタバは「じゃあマコト、また部活で会おうねっ!」と少し早口で言い放って廊下を小走りで駆けていく。その姿をぼんやりと見送るマコトの脇腹を肘で小突いてひひっとユウが笑う、「今日は部活休みだぜ――決心が鈍らないうちに、リベンジの約束を取り付けておかなくていいのか?」はっとして、マコトは遠くなっていく後ろ姿に叫ぶ。


「フタバーっ! 今日部活ないってよ、だからっ! ……もしよかったら帰りに、いつものところで、リベンジマッチを、受けてくれないかーっ?!」


 後ろ姿がくるりと翻り、合わせた両手が大きなOKサインを作った。そしてすぐまた背中を向けて廊下を去っていくフタバを見つめながらマコトの右手はタマの頭へ、「今度こそ負けないぞ、俺、頑張るからさ!」きゅうん、と可愛らしくも力強い雄たけびを上げたタマをわしわしと撫でる、決戦は今日の帰り道だ。少し凛々しくなったマコトの表情を見てユウは満足げに頷く。


「さあて、教室行くか」

「はい、色々と本当にありがとうございました!」

「いいってことよ。……それより、これから大事な戦いに挑むお前に一つ、角元先輩の地元に伝わるありがたい格言を教えといてやるよ……頭が痛いわけでもない、リンパ腺が腫れたわけでもない、なのになんだか身体が熱い――そんなお前のためにな!」

「……どういうことですか?」

「うぉっほん、“The first symptom of true love in man is timidity, in a girl it is boldness”――ひひひひっ、頑張れよ、門前!」

「えっちょ、あの、意味は?!」

「自分で考えな――ヒントは“臆病”と“大胆”だ、ひひひっ!」

「えええ?」


 英語に明るくないマコトが困惑の表情を浮かべるのをよそにユウは三年生の教室に向かって歩いていく、ひひっと笑みを表情に浮かべながら。「“真の恋の兆候は、男においては臆病さに、女は大胆さにある”――お節介を焼いてやるのはここまでだ、頑張れよ、ひひっ」誰にも聞こえないくらいの小声で呟き、ユウはその場を去った。

「……先輩が何を伝えたかったのかはよくわかんないけど、ともかく今日の帰り道だ、頑張ろうな、タマ!」


 静かな廊下に、雄たけびがきゅうんと響いた。




☆14→15☆




 夕暮れの空き地。フタバとサクラ、マコトとタマが向かい合う。エーフィとニンフィアに進化してからの初勝負から早二か月余り、前回は力及ばず負けてしまったが、今度こそそうはいかない。本当の意味での“違う道を往く覚悟”を決めた、絶対に負けられない戦いである。
 店主が双方を見て頷き、右手を掲げる――試合開始の合図、マコトが先に仕掛ける。


「あまごい!」

「っ?!」


 黒い雨雲がフィールドを覆い、夕暮れの空き地はあっという間に雨模様になった。これまでマコトが見せたことのない、天候を変化させる戦法にフタバは一瞬戸惑う――だが、すぐさまフタバはサクラに【にほんばれ】で天候を奪い返すように指示――その瞬間。


「今だ、思いっきりいけ!」

「えっ?!」


 サクラが【にほんばれ】を発動した瞬間、タマは勢いよく走り始めた。ニンフィアという種族は決して足が速い方ではないが、溜めの隙を狙われればいくら俊足のエーフィと言えども回避はできない。タマ渾身の【とっしん】がその淡藤色の身体を後退させる。だが【にほんばれ】の発動を止めるまでは至らず、空き地は一転してカンカン照りに変わった。


「どういうつもりかわからないけど、天候の上書きは失敗したわね!」

「いいや違う、狙いは別のところにある――サクラをよく見てみるんだ!」

「っ!」


 はっとして目をやると、サクラの足取りが覚束なくなっている。すぐに気付いた、「≪メロメロボディ≫……!」その苦々しい声ににっと笑い、マコトは再び【あまごい】を指示する。カンカン照りが黒雲に阻まれ、空き地はまた雨降りに変わる。


「天気を雨だと、サクラは日光をサイコパワーに変換できない! 天候を取り返そうとしてくるなら、メロメロで足を止めてやるっ!」

「っ! 考えたわね……頑張ってサクラ、サイコショック!」


 サクラはなんとか【サイコショック】を発動するも、念動波は明後日の方向へ飛んでいき消滅した。この機を逃すわけにはいかない、一瞬振り返った水色の瞳、マコトとタマは全く同じタイミングで頷く。
 降りしきる雨の中でタマは両眼を閉じ、精神を集中させ始めた――とくこうととくぼうを同時に上昇させ強化するエスパータイプのわざ、【めいそう】。放っておけばどんどん能力差は開くばかり、なんとかメロメロ状態から立ち直ったサクラに【にほんばれ】を指示している余裕はなかった。


「くさむすびっ!」

「っまずい跳べえ!」


 足元で伸びる蔦が迫るも、タマは間一髪で回避する。集中が途切れたことで【めいそう】も解除されてしまったが、既にサクラに対して互角に戦えるだけの強化は完了している。得意げに笑うタマ、そしてマコト。苦戦を強いられるフタバも思わず笑う。


「やるわね、受け流されるどころか私が押されてるくらいよ!」

「……俺はエーフィに憧れていたんだ、晴れていないとサイコパワーが使えないことだって知っている――かつては俺が自分で戦う時のために覚えた知識を、今! フタバ、お前を越えるために全部使うんだ! 今の俺とタマでできる全部をぶつけて、勝つっ!」


 サクラが先にエーフィに進化し、強力なエスパーわざで華麗に戦うさまを目の当たりにしたマコトは、すぐさまなけなしのお小遣いをはたいて【サイコショック】や【サイコキネシス】のわざマシンを購入した。だがタマはニンフィアに進化し――主力となる【マジカルシャイン】のわざマシンを買う資金は残っていなかった。ゆえにタマはタイプ不一致のエスパーわざで戦わなければならず、同じわざをタイプ一致で使ってくるサクラに対してはパワー負けしてしまう――二か月前のように。
 同じ轍を踏まぬため、かつて憧れたエーフィについて今一度考え、手元に残った僅かな資金とタマの実力、今の自分たちにあるすべてを使ってどうやって勝つかを考えた結果が今である。購買部で安価に売っている【あまごい】のわざマシンとタマのとくせいを活かして戦法を遅延させ、同じく安価な【めいそう】により力負けしないように能力を強化する――


「このまま叩く、サイコショックだ!」

「こっちもサイコショック!」


 フィールド中央で念動波同士が激しくぶつかる。前回は力負けして相殺できなかった分を【とっしん】によりいなしたが、能力が上昇している今は違う。タイプ不一致ながらもタマの放った【サイコショック】は互角の勝負を演じ、両者全くの相殺となって消滅した。よし、と拳を握るマコトの足元でタマも歯を見せる。
 苦い顔をしているのはフタバ、今の対決によりパワーがほぼ互角であることが明らかになってしまった。そうなるとサイコパワーを新たに取り込むことが出来ない今、わざを連発することはできない――【にほんばれ】で天候を取り返そうにも、発動の隙を狙われてメロメロ状態にされてしまえば決定打を浴びせられてしまう。


 絶体絶命、窮地に追い込まれた状況。

 それでもフタバは、苦い表情を見せるも凛として。

 その相棒たるサクラも、フタバを信じて凛として。


「――そうだよ、そうやって追い込まれてもっ! 絶対あきらめないで戦う、そういうところがすげえ……好きなんだ! でもこれで決めてやる、サイコキネシスっ!」

「――! サクラ!」


 【めいそう】によって強化された強烈な念力がサクラへ向かう――も、その念力が空中で止まった、【ひかりのかべ】が【サイコキネシス】を受け止めていた。だがそれも威力を軽減するだけ――あえなく【ひかりのかべ】は砕け散り、強烈な念力がサクラを襲う、≪こうかはいまひとつ≫と形容するには余りにも大きすぎるダメージを受け、淡藤色の身体が宙を舞う――


「まだよ、こんなところで! まだ私たちは倒れない!」

「何っ?!」


 宙を舞うサクラの身体が静止する――それが【テレキネシス】を自分自身にかけているのだと気づいたときにはもう、サクラは地上に降りて走り出していた。いくらサイコパワーの残量に制約があるとはいえ、いくらとくぼうが上がっているとはいえ、サクラの攻撃を浴びるわけにはいかない。


「ひかりのかべ!」


 【ひかりのかべ】は、とくぼうではなくぼうぎょを攻めてくる【サイコショック】も軽減することが出来る。万全の態勢、ここで相手にわざを撃たせればサイコパワーの残量は更に減る、ここを耐え抜けば勝機がぐっと近づく――マコトは拳を握る。


「この一撃――集中よ、サクラっ!」


 サクラとタマ、【ひかりのかべ】を挟んで睨みあい――サクラは目を閉じる。タマが、マコトが思わず怯んだその瞬間にはもうカッと目を見開き、サクラは残ったサイコパワーを額に集中させた――


「サイコショックっ!」

「耐えろ、タマあっ!」


 両者の思惑が、願いが、二匹の、二人の全力が、激しく交錯し、実体化した念動波と【ひかりのかべ】が音をたててぶつかりあい、鬩ぎあい、そして。


 サクラの放った【サイコショック】が【ひかりのかべ】を破り、強烈な勢いで激しく打ちつけ、白い身体が雨の中を飛んで――



 雨が、止んだ。


「――っ、タマあっ!」


 タマはなんとか立ち上がるも、【とっしん】による反動もあって既に限界だった、雨に濡れたフィールドに、持てる力全てを出し切った四つ足が倒れた。

 全力を尽くしての、再びのこの結果。言いようの悔しさがこみ上げるも、マコトは心のどこかで満足感を感じていた。タマの頭をそっと撫でてやり、店主とフタバに向けて降参のサイン。タマをボールに格納して立ち上がると、フタバが駆け寄ってきた。


「タマちゃんは、」

「うん、大丈夫。いいバトルだったよ――最後の決め手が、【とぎすます】とはね」


 【とぎすます】、次に繰り出すわざが必ず急所を捉えるというほじょわざ――急所には【ひかりのかべ】や【めいそう】などを全て無視してダメージを与えるという特徴がある。一度は相手の動きを奪う作戦で優位に立つも、最後は攻撃をうまく受け流して決定打を叩き込まれた、マコトの敗北であった。


「……頑張ってエーフィの、サクラの、フタバの研究をしたけど、まだまだ力及ばずだったみたいだ――でも次は負けない、もっといろんな戦い方を研究して、タマの力をもっともっと引き出して、俺とタマで一緒に勝つんだ!」

「――負けないよ、ぐんぐん成長するマコトとタマちゃんに負けないくらい、私とサクラもどんどん上を目指すから、だから!」


 フタバは少し言い淀んで、それから続けようとする――『これからもずっと一緒にいてね、……私だけの、そばに!』心の奥底に隠すようににしまっておいた台詞を取り出そうとしただけでかあっと顔が熱くなって、思わず下を向いたその刹那――ソウルハートが激しく輝いた、顔が熱かったのも忘れてフタバは満面の笑みで叫ぶ、「今なら!」マコトが続ける、「もしかしたら!」二人の足は同時に駆けだし、店主とマギアナの元へ――


 ソウルハートが嵌めこまれた途端、虚ろだったマギアナの瞳に光が灯り。

 ぎぎぎ、と体内から歯車が軋むような音がして。

 座り込んでいた身体が、ゆっくりと立ち上がって。


「おお、おお、おおおおおっ! 遂に、遂に、マギアナが蘇ったぞ! 遥か五百年前のポケモンが、わしの前に……感激じゃ、二人のおかげじゃ、本当に、ありがとう……!」


 完全に機能を取り戻したマギアナは周囲をきょろきょろと見まわして――小さな指先で、店主の涙をそっと拭った。その行動に三人が三人とも驚くが、最も驚きを隠せなかったのは店主だった。


「おお、おお……本で読んだ通り、マギアナには人の心を理解し読み解き、その世話を焼いてくれるとあったが、おお……それを今、わし自らが体験した……」

 
 感動じゃ、感激じゃと咽び泣く店主にそっと寄り添うマギアナ。その様子を眺めながらマコトがそっと呟く、「俺たち、というか俺の方で勝手に、ずっと、もう二人で同じ道を歩けないんだなって思って苦しんでたけど――マギアナを蘇らせるために頑張るとか、こんな風に同じ道を歩んでいくことだってできるんだよね」その優しい表情とまっすぐな言葉に、少し頬を赤らめながらフタバはにっこりと頷いた。


「そうだよ、私たち、いつでも同じ道の上にいるんだよ。歩き方は違うかもしれないけど、いつでも近くにいるんだよ、ね、マコト」

「……うん、フタバ――」


 『フタバが傍にいてくれて、いつも一緒に居てくれると、俺は嬉しいな』そう続けようとして、なんだか恥ずかしくなって俯き、短いスカートに赤面し、そっぽを向く。そこで脳裏をよぎったのは――


「あっ、臆病と大胆って、あ……そういうこと……?!」

「……? どうしたの?」

「あっいや、あの……なんでも、ない」


 ようやく理解した、朝のユウの言葉。

 リスニングは苦手だが男と女、恋という単語はわかった。そしてそこに付け足すヒントで出来上がる、恋・臆病な男・大胆な女という文章。臆病な男、マコトと、大胆な女、フタバ、そして恋――臆病になってた自分は、まさか!? 恥ずかしくなったマコトは俯く、その頭上から店主の声が聞こえてきた。


「……のうマギアナ、わしの涙を拭ってくれたように――マコトくんとフタバちゃん、二人の心を読み取って、なにかしてやれんかのう……御礼がしたいのじゃ」


 マギアナはマコトとフタバをかわるがわるに何度か見て、覗き込むように見て、じっと見つめて――そして。



 右の手で、マコトの手を取って。


 左の手で、フタバの手を取って。




 その両の手を、重ね合わせて、ぎゅうっと握らせて――


「っ!」

「っ?!」


 二人とも顔を見合わせて、見つめあって、ほぼ同時に、繋がれたお互いの手を見つめて、顔が、手が、指先までぼうっと燃えるように熱くなって、目を逸らして――


 フタバは混乱する、高校に入ったのを機に女の子っぽく頑張ってみたりしたのに、マコトは殆ど気にしてくれないし、やっぱり私のことをライバルとしてしか見てくれないのかなって思ってたのに……私の片思いかなってずっと思ってたけど、マギアナはマコトの手も取って重ねてくれてる、あれ……?


 マコトも混乱する、あれ、おかしいな、全部俺の妄想だと思ったのに、? 確かに当てはまる、俺はいきなり色気づいたフタバに対して臆病っぽくなってたし、現に、フタバを、かわいいとも思ってはいたけど――確かに、フタバはなんだか大胆になってたと思う、服装とか態度とか色々……特に、戦いとかでヒートアップしてたのか、なんか、こう、まっすぐな俺が好きだとか言ってた気がするけど、あれ、昂って思わずノリで言っちゃったとかじゃなくて本心だったのか、あれ?! 


 激しく混乱する二人をよそに店主はにこやかに微笑む、「若いってええのう」それに反応したマギアナも不思議な笑い声をあげる、「おおそうか、お前さんも五百歳の老人みたいなもんか……若さが、羨ましくなるのか、んん?」壮年とじんぞうポケモンの不思議な笑い声が、日の沈みかけた空き地に響いた。



 道に迷い、壁にぶつかり、過ちを犯した未熟なハート

 それでも自分の進むべき指針を取り戻し、正しい決心を固め、今また歩き出した。

 これから先も苦難の道を往き、また迷い、ぶつかり、過ちを犯すことになるだろうが、きっと大丈夫だろう。


 なぜなら――




 これからは、同じ道のすぐ隣で、手を握って支えてくれる――心強い“パートナー”が、ずっと一緒に居てくれるからだ。




☆15→16☆ 





ハートがつくるものがたり  ~成就Fin.