ゼンリョク祭とチャンピオンの苦悩

「ミヅキさん!」
 今日も頑張るかぁ、と家を出たあたしとロトムの目の前に、いきなり土下座する少年と、その隣にいるイーブイ。
「僕を……弟子にしてください!」
 あたしは目を丸くする。イントネーションが、耳に懐かしいカントー弁だった。
「お願いします!」
 しばしの後、あたしたちは叫ぶ。
「はぁっ?!」
「ロトーっ?!」


 その少年の差し出した素麺を頬張りながら、あたしは博士の家で彼の事情を聞いていた。イーブイもいるということで、イーブイを育てた経験のあるハウにも、一緒に聞いてもらっている。
「うーん、まさにKanto's cultureって感じ! 懐かしい……」
「それをわざわざ別の地方の言葉で言わなくてもいいと思うよー」
 あたしの声にハウが呆れて呟く。ククイ博士が少年相手に問いかけた。
「それで、いきなりミヅキの弟子になりたいって、どういうことだ?」
「……パパから、ポケモンのタマゴをもらったんだ」
 最初から語り出す気満々の少年の言葉を遮って、あたしは気になる所を尋ねた。
「前置きはいいから、とりあえず本題ね。カントーから来たんだよね、イントネーションからして。わざわざ、あたしを探して?」
「いや……たまたまパパが仕事でこっちに来るって言うから、頼んで連れてきてもらったんだ。ミヅキさんに会いたくて」
「……光栄だけど、それでどうしてあたしを?」
「カントーにも、話は聞こえてきます。アローラで世界を救い、初代チャンピオンになったカントー出身の少女、って」
「まぁ、ミヅキは凄いもんねー」
 ハウの間延びした声が、穏やかに響いた。
「で、弟子入りってことは、バトルで強くなりたいんだよねー」
「はい! あの……」
「あ、おれはハウー! ミヅキの友達だよー!」
「そしてあたしの最大のライバルよ。こっちはククイ博士。リーグ設立の立役者にして、あたしにポケモンのいろはを教えてくれた恩人。
 そういや、あなたは」
「あ、名前言ってなかった……。僕、レンって言います。こっちは相棒のイーブイ。よろしくお願いします」
「ブイ」
「それで、どうしてバトルで強くなりたいロトー?」
「……僕、カントーでいじめられてて。イーブイのことまで雑魚だって言われて、無理矢理逃がされそうになって……」
「はぁ?! そいつら、許せない」
「だから、強くなって、見返したくて……」
「乗った! あたし、あんたを鍛えるよ! 目にものみせてやれ!」
「え、い、いいんですか?!」
「ハウ、未来の若者の育成は島キングの役目のひとつ! 手伝ってくれるよね?!」
「えー! そのつもりだけど、強引過ぎるよー!」
「はは……。さすがミヅキだな」
 博士の苦笑も、目には入らなかった。レンとイーブイのことを助けてあげたい。その衝動に包まれていた。


「で、なんでエーテルパラダイスに向かってるのー?」
「……正直ね、あたしじゃ駄目なの。ポケモンバトルにおける挫折を、あたしは知らないから」
 ハウの問いかけに、あたしはそう答えた。外部の人がいる以上、リザードンライドに頼る訳にもいかず、あたしたちはハウオリから出ているエーパラ行の船に乗り込んだ。
「負けも知らないあたしが、こういう役目を担えるとは到底思えない。負けを乗り越える強さを知ってるハウと、初心者の気持ちに一番近いリーリエがこの件は適任だと思う。
 わざわざあたしを頼ってくれたからには、あたしもできる限りは協力するけどさ」
「まあ、それは確かにそうだよねー」
 そう。あたしはポケモンバトルで負けたことがない。エーパラでリーリエを助け出した時も、ウツロイドの毒からルザミーネを助け出した時も、それからリーリエが帰って来て、エーパラがRR団に乗っ取られたあの事件でも。そしてもちろん、島巡りでも、リーグでも。
 今まで経験した全てのポケモンバトルで、あたしは勝って来た。だからこそ、負ける気持ちがわからない。どれだけ寄り添おうとしたって、どれだけ理解ろうとしたって、あたしはその根本を知ることができない。
 だからこの件は、本質的にあたし向きではない。あたしはあくまでも、乗り越えるべき、目標となるべき壁だ。
 アローラの眩い海にイーブイと共に目を輝かせるレンの方を見て思う。
 きっと、2人があなたのことを鍛えてくれる。
「ホント、ミヅキには敵わないよ」
 ハウはそっと呟いた。その笑みはしかし、ほんの少しの悔しさを滲ませているようだった。あたしはそっと、海の向こうを見つめる。もう少しでエーパラに着くというアナウンスが聞こえた。


「なるほど……」
 レンとあたしで事情を話すと、リーリエは頷いた。ちなみに、グラジオは今、ポケモンの保護に向かっているという。
「わかりました。お手伝いさせていただきます!」
「ありがとうございます!」
「ブイ!」
 レンとイーブイが頭を下げる。あたしは彼らの頭をがしがしとしながら言った。
「これでもカントージムを制覇した実力者だからね、リーリエは。カントーで戦うんなら、あたしよりも適任だよ」
「ジムを?! 凄い……」
「まぁ、ほとんどほしぐもちゃんのお陰ですが……」
 当然、レンにほしぐもちゃんと言って伝わるはずはない。ハウが「アローラの伝説ポケモン、ルナアーラのことだよー」と補足した。
「え、伝説?! 伝説のポケモンを……?!」
「まぁ、はい」
「すげぇ……見せてくれますか?!」
 レンの息せき切った声に、あたしはふと思いつく。
「ねえレン、イーブイの技は?」
「え? えっと……“たいあたり”“でんこうせっか”“つぶらなひとみ”“ほしがる”です」
「ブイ!」
「よしリーリエ、ほしぐもちゃんで相手してあげなよ」
「え?! でもそれでは……」
 リーリエの困ったような声を遮って、あたしは問う。
「いいからいいから。RR団事件の後バトルフィールドを新設したんだよね」
「まぁ、はい」
 RR団事件において、諸事情があり、ルザミーネたちの家は完全に倒壊してしまった。新たに作られた家は簡素なものであり、空いたスペースでバトルフィールドを作ったそうだ。
「行こ!」
 ハウとロトムは何も言わない。レンは「伝説のポケモンとバトル……頑張ろうな!」とイーブイに語り掛けていた。その目は輝いている。
 リーリエだけが「でも……」と小声で呟いていた。あたしはそっと、耳打ちする。
「あぁ、なるほど。わかりました」
 それで、リーリエには伝わったようだった。早く行きましょうと叫ぶレンのことを、あたしたちはすぐに追いかける。


「では、勝負は1対1。どちらかのポケモンが戦闘不能になった時点で試合終了だよ!」
 あたしは叫ぶ。レンとリーリエが頷いたのを確認して、あたしは続けた。
「じゃあ、バトルスタート!」
 ハウの「どっちも頑張れー!」という間延びした応援が響く。2人は、各々のモンスターボールを放り投げた。
「ほしぐもちゃん、よろしくお願いします!」
「イーブイ、お願い!」
 2匹のポケモンは、吼え声をあげてフィールドに降り立つ。ルナアーラの羽ばたきに、レンは「すげぇ……」と漏らしていた。
「でも、負けないよ! イーブイ、“つぶらなひとみ”!」
 そのかわいらしい眼で、ルナアーラの方を魅了するイーブイ。けれど、ルナアーラにはあまり関係のないことだった。
「“シャドーボール”です!」
 漆黒の塊が、イーブイめがけて飛来する。どう出るか。あたしはレンの方を注視した。
「避けてイーブイ!」
 やっぱりだ。イーブイはジャンプでシャドーボールを回避する。もっとも、普段のシャドーボールはあたしのジュナイパーでもかわすのがやっとな速度で、だからこれはかなりの手加減が含まれている。
 それに気付けというのはさすがに酷だが、しかしこれはキチンと知育してあげなければならない。
 あたしは額の汗を拭った。さすがにアローラの夏は暑い。いつまで経ってもこれには慣れない。
「“たいあたり”!」
 リーリエは、ルナアーラに何も指示しない。イーブイはルナアーラに攻撃し――当然ながら、一切のダメージは発生しない。
「効きませんよ!」
 そこから、レンは2度、イーブイに攻撃を指示する。
「じゃあ“しっぽをふる”!」
「……それからすぐに“でんこうせっか”!」
 けれど当然、それも無駄だ。
「な、なんで……」
「“シャドーボール”です!」
 動揺しているのか、レンは回避の指示を出さない。イーブイは目を固く引き結んでその直撃を受けた。
 けれど、ダメージはない。当然だった。
「え、き、効いてない……? よし、行くぞイーブイ!」
「“サイコキネシス”!」
 リーリエがそう叫ぶ。ルナアーラはひとつ吼えると、翼をはためかせる。と、イーブイの体の動きは止まってしまった。ルナアーラがもうひとつ吼え、そしてイーブイの体は宙へと持ち上げられる。
「イーブイ逃げてっ!」
 遅れて届くレンの声。しかしもう、イーブイの体はイーブイの意思の下にはない。勢いよく地面に叩きつけられる――寸前で、その体は止まった。
「解除です、ほしぐもちゃん」
 リーリエはそう告げる。
「レンー。そのイーブイじゃ、永遠にルナアーラには勝てないよー」
 ハウの間延びした声がそう告げる。
「なんで、ですか?」
 レンは声を震わせてそう訊いた。あたしは最後に告げる。
「タイプ相性。今からあんたには、ポケモンバトルのいろはのいを叩き込むことになるよ」


 また船に乗って、ハウオリの方へと向かう。行きと違って、すっかりレンは意気消沈していた。ハウがレンに話しかけている。
「……こういうのは、あたしじゃ駄目なんだよなぁ。ハウに声かけてよかった」
「まあ、そうでしょうね」
 リーリエも苦笑しながらそう言う。船が海を切り開いて生み出す白い泡を眺めながら、あたしは呟いた。
「……きっとハウなら、新たなスカル団を生み出すことのない、立派な島キングになれるんだろうね。あたしじゃ無理だ。あたしには、ハウこそ凄く見えるよ」
 リーリエは何も言わない。
「ま、もちろん、あたしにもあたしの凄さってのはあるしね。だからリーリエ、気にしないでいいよ、あたしのこと」
「え?」
「……あたしたちの関係は恋愛なんかじゃない。でしょ? もっと複雑で、もっと……とにかく、あたしに遠慮する必要なんて、何一つないよ」
「はぁ……」
 リーリエは、ハウの方を見た。あたしはもう見えなくなってしまったエーテルパラダイスの方を眺める。
 一応、あるきっかけがあり、あたしたち4人の間に2組のカップルが成立したことになっている。だけど、あたしとリーリエはどうも、一歩踏み切れないような気がして。
 なかなか2人っきりになる機会に恵まれずに言えなかったこの感覚を、ようやくあたしは伝えた。リーリエも、小さく頷く。
「わかってます。私も、いつまでもミヅキさんにばかり頼っていてはいけませんから」
 ハウオリに着くというアナウンス。ハウたちの方はと見ると、レンは明るい表情を取り戻していた。さすがはハウだ。なんて声をかけたのだろう。気にはなったが、あたしの知るべきことではないかと思い直す。


「ここは……」
「トレーナーズスクール。あたしもハウも、最初はここで鍛えてもらったんだ」
「そうなんですか?!」
 レンは興奮したように言う。
「ま、じゃあ行って来なさい。先生に話は付けてあるから」
 モクローが相棒のあたしにはニャビーを、アシマリが相棒のハウにはモクローをぶつけて来た先生が、みっちりと鍛えてくれるだろう。
 あたしたちはレンがスクールの中でバトルしている待ち時間、ポケセンのカフェスペースでお茶していた。あたしはパイルジュース、ハウはミックスオレ、リーリエはモーモーミルクを飲みながら、雑談している。
「しかしまぁ、懐かしいよねぇ。先生はホント強かった」
「おれ、なかなか勝てなかったもん」
「私は戦ったことがありませんが、やはりお強いのですか? いえ、バトル自体は見たことがあるのですが……」
「まぁ、そりゃ今戦ったら秒殺できると思うよ。でも手持ちがモクローとアゴジムシだけなあたしじゃ、なかなかね……あの先生、相性いいポケモン選ぶからさ。リーリエはカントー行ってヒトカゲを相棒に決めたんだよね」
「は、はい」
「まだロクに手持ちポケモンも揃ってない状態で、水タイプを相手にしてる感じ」
 リーリエは露骨に嫌そうな顔をする。それからひとつのモンスターボールを取り出す。
「今ならキレイハナさんがいますけど、ほしぐもちゃんなしじゃそれは勝てないですね……」
「でも、ミヅキは一発で勝ったんだよ、凄いよねー」
「アゴジムシのどろかけのお陰だよ。コイルもニャビーも地面には弱いからね。それにそのお陰で、モクローが技を避け続けられた訳だし」
 あたしはモンスターボールを取り出し、中にいるクワガノンに呼びかける。懐かしいね、と。
「凄いなぁ、ミヅキ」
「凄いです、ミヅキさん……」
 凄い、が重なってハウとリーリエは見合わせる。あたしは笑いながら、「誉めても何も出ないよお似合いさん」と煽る。リーリエは真っ赤になって俯き、ハウも「どういう意味ー?」とジト目だ。
「それでハウ。呼び出しといてなんだけど、そろそろゼンリョク祭なんだよね?」
「うん。今年から、おれがバトルの司会をやることになったんだー」
「そうなんですか?!」
 リーリエが驚いた目を向ける。ロトムがいきなり出て来て、「そうロトよ~」と会話に参入してくる。
「ゼンリョクのバトルをカプに捧げる……か。正直あたし、あれよくわかってないんだよね」
「まぁ、みんなではしゃぐだけだからねー。でも、バトルかぁ。今年はあんまりバトルのできそうなトレーナーがいないんだよねー」
「初々しいバトルじゃないと駄目なの?」
「そうなんだー」
「……なら、レンが参加してもらえそうならしてもらえば?」
「……なるほど。でも相手はどうしようか……」
 と、軽快なメロディがなる。リーリエが「すいません私のです」とスマホを取り出す。
「もしもし、お兄様……はい。はい……わかりました」
「どうしたのー?」
「いやそれが……オハナタウン近郊で捨てられたタマゴを保護したそうで……。それで私に面倒を見て欲しいみたいなんです」
「タマゴ……?」
「行って来なよー。きっと、グラジオも困ってるよー」
「ですね。行って来ます!」
 リーリエは腕をガッツポーズの形にして、それから立ち上がると、お金を置いて立ち去った。
 なぜか1000円もあった。3人分払ってもお釣りが来る金額だ。あたしとハウは、見合わせて苦笑した。


 スクールに戻ると、レンはちょうど、4人抜きを達成した所だった。
「あ、ミヅキさんハウさん! リーリエさんは……?」
「ちょっと用事ができたみたいで先帰っちゃったんだー」
「それで、今から先生に報告しに行くんです! ところで……もしかして、ルナアーラってゴーストタイプだったりしますか?」
「正解! そう、相性なんだよ、あたしが学んでほしかったのは」
「……そんなこと、教わった記憶もあるんだけど、すっかり忘れてた。こんなに相性が大事だなんて」
「そう。結構相性はバカにならないよ。それに気付けたからご褒美って訳ではないけど……シャドーボールの技マシン、使っていいよ」
「いいんですか?!」
「減るもんじゃないしね」
「これでゴーストタイプとも戦えるぞ! イーブイ!」
 しかし、イーブイの返事は元気のないものだ。体こそ薬で回復しているようだけれど、その耳はすっかり垂れ下がっていた。あたしはその頭をがしがし撫でる。
「そんなしょぼくれた顔しない! あんた勝ったんでしょ! もっと自分の力に自信持ちなよ」
 それからもふもふの中に手を突っ込む。さわさわと撫でてあげると、イーブイは気持ちよさそうな声をあげた。イーブイの表情がほぐれて来た辺りで、あたしはその手を離し、それから軽く、イーブイの頬を張る。
「あんたは強いよ! 自信持って!」
「ブイ!」
 イーブイは鳴き声をあげる。レンはそのあっという間のあたしの掌心術に「すげぇ……」と感嘆の声をあげる。
「ポケモンって、トランプで言うとジョーカーみたいなもんだよ。ジョーカーって、どうやって使うかで強さが変わって来るじゃない。それと同じ。あたしたちトレーナーにできるのは、ポケモンの強さを引き出してあげることだけだからね。そのためには、ポケモンのメンタルケアも大切だよ」
「はい!」
「それじゃこれ、使って」
「ありがとうございます!」
 レンはイーブイに技マシンを使った。たいあたりを忘れて、シャドーボールを覚えさせたらしい。
「じゃ、あたしたちも見ててあげる。先生とバトルしてきなさい!」
「はい!」
「ブイ!」
 2人の威勢のいい声が重なり、それから2人の笑いが響いた。
「頑張ろうな、イーブイ」
「ブイ!」
「ところでミヅキー」
「何?」
「……バトルするってこと、言っていいの?」
「あ」


「それじゃあ、バトルを始めるよー! スタート!」
 ハウの審判でバトルが始まる。
「イーブイ、よろしく!」
「コイル、お願いっ!」
 2匹のポケモンがバトルフィールドで向かい合う。
「そちらからどうぞ!」
 先生がそう言った。レンはイーブイに指示を出す。
「“シャドーボール”!」
 漆黒の塊がコイルめがけて飛んで行く。
「鋼タイプにノーマル技はあんまり効かないからね」
「なるほど……学習の成果という訳ですね。“でんきショック”!」
 攻撃を食らって少し痛そうにしながらも、コイルはイーブイめがけて雷を撃ち出す。かわせそうなものではあるが、レンはテンパってしまったのか回避の指示を出さない。
 跳ね飛ばされたイーブイは、しかしその直撃のダメージを堪え、立ち上がる。
「イーブイ! まだ行けるよね?! “シャドーボール”っ!」
 先生も、これは意図的なのだろうけれど、回避の指示を出さない。そしてコイルは、地面に落ちる。たぶん、演技だ。見ればわかるし、先生がハウに目配せしたことからしても間違いない。
「コイル戦闘不能!」
「やった!」
「ブイ!」
 2人はそれには気付かない。あたしの時も、もしかしたらこうして手加減してくれてたのかな、とふと思う。それなら、そんな手加減しなくていいから、あたしに負ける気持ちと乗り越える強さを教えて欲しかったけれど。
 でも、あたしの無敗伝説において、ほとんど最初に位置する苦戦がこれな訳で。それを辛うじて超えた辺りから、あたしはどこかおかしくなってしまったような……そんな気もする。
 もう、そんなの過ぎたことだけれど。
「それじゃあ、この子に勝てるかな? リオル、よろしくっ!」
 バトルフィールドに、リオルが降り立つ。
「薬はある? 回復していいよ」
 先生がそうやって余裕を見せた。あたしの時にはなかったものだ。けれどハウも何も言わない辺り、たぶん実力というよりはみんなにやっている。いや、あたしは運ゲーで突破した訳で、怒ってカットしたんだとしても仕方ないけれど、なんだか納得行かない。勝てたからいいのだけれど。
「運ゲーだって立派な戦術ですーだ」
 小さく呟いた声は、たぶん誰にも届かない。
 レンはイーブイを回復させ、それから再びバトルに戻る。
「イーブイ、“しっぽをふる”! それから“でんこうせっか”で突っ込んで!」
 防御を下げ、物理で殴る。正しい作戦だ。その連携はかなり上手いと言える。
「“はっけい”で受け止めて!」
 リオルはなおも動かない。タイミングを見極め、その掌を突き出す。その衝突に、小さな爆風が発生する。イーブイは後ろに飛び退いて、見事に着地する。リオルの方はと言うと、まだその表情には余裕を湛えていた。
「“でんこうせっか”で接近!」
 リオルに指示を出した先生。リオルはそれに従ってイーブイに急接近する。
「えっと、“シャドーボール”! で迎え撃って!」
 距離を詰めるリオルに対し、イーブイはその闇で立ち向かう。また小さな爆風。もっと大きなものに慣れているあたしとしては微笑ましい光景だ。そして、ムーブとしては正解だ。避けられないなら迎撃。レンにはきっと、センスがある。
 リオルはまだ、倒れない。勢いを削がれ、その拳がイーブイに与えたダメージもそれ程はなかった。
「“でんこうせっか”で走って!」
 レンの指示にイーブイが駆け出す。そして、そのままレンが指示を出した。
「走りながら“シャドーボール”!」
 先生はリオルに回避の指示を飛ばす。
 ――しかし、走る勢いに相対速度の加算されたシャドーボールは、その回避の足を超えた速度でリオルめがけて飛んで行った。
「リオル、戦闘不能! よってレンの勝利だよー!」
 ハウの声が響く。リオルはまた、戦闘不能の演技だ。上手いなぁと呆れてしまった。
「お疲れ様、コイル、リオル」
 先生がいたわる。あたしもフィールドに降り、ハウと共にレンたちの所へ向かった。
「凄いじゃないの。どこぞのミヅキの戦い方より何倍も清々しくて!」
「……ごめんなさい」
 こいつ、根に持ってやがる。
「どういうことですか?」
「真っ当なトレーナーは知らなくてよろしい。ルール上一切の不正はないけれど、こうやって数年根に持たれるような酷い戦法だよ」
 あたしの声にレンは不思議そうに首を傾げた。
「まぁ、それはいいとしましょう。簡易的だけど、スクールの集中講義はこれにて終了! レン君、イーブイと一緒に、これからも成長してね!」
「はい!」
「いっぶい!」


 ハウオリのポケセンでイーブイの回復を待つ間、ハウがレンに打診していた。
「ええっ?! でも、俺、アローラ出身じゃないし、来たばっかなのに?!」
「あたしだってゼンリョク祭、来て1週間もしないうちにハウとバトルしたんだよ」
「大丈夫だよー。さっきのバトル見てたけど、レン、充分強いしー。おれたちが冒険始めた頃ぐらいはあると思うよー」
「ほ、ホントですか?! たちって……」
「あたしとハウのこと。ま、イーブイの実力を見事に引き出してあげられてたと思うよ」
 レンの肩をポンと叩くと、彼の顔には満面の笑みが広がって行った。と、ポケセンの扉が開いた。
「ミヅキさん! ハウさん!」
 リーリエの声だ。あたしとハウはおーいと手を振る。リーリエは体の前にロコンを抱えていた。
「うわ、何あのポケモン!」
 レンの声に、あたしは「あーそっか」と呟いた。
「僕にお任せロト! あのポケモンはロコンロト!」
「……え? でも赤くないよ?」
「あたしも最初はビックリしたよ。あのロコンはアローラの姿。氷タイプなんだ」
「リージョンフォームロト! アローラ独特の変化を遂げたロコンロトよ~」
「で、リーリエ、そのロコンどうしたのー?」
「いえ、それが……私がタマゴを拾い上げた瞬間、ちょうど孵りまして……」
「コーン!」
 ロコンが鳴き声をあげた。
「それで、今こうしているという訳です。世話も私に一任されましたし、とりあえずミヅキさんたちと合流しようかなぁと」
「生まれたてロコンかぁ……」
 あたしはその頭をそっと撫でた。ロコンは気持ちよさそうに鳴き声をあげる。
「あたし実は、タマゴ孵したことなくってさ。ハウは?」
「おれもないー」
 ふと思い出す。レンのイーブイは……。
「あ、僕あります! あのイーブイはタマゴから孵したんで」
「私もタマゴを孵したことはないので、よければいろいろ教えてもらえますか?」
「うん!」
 レンは興奮して立ち上がった。あたしの頭の中に、ひとつの選択肢が浮かぶ。
「リーリエ、そのロコンでゼンリョク祭に出たら? それならレンのイーブイともいい勝負になるんじゃないかな」
「え? ですが私、カントーの……」
「うん、知ってるよ。リーリエはカントーのジムを制覇した。結構な実力者だよ。だから、それまでにレンを鍛えなきゃね。目標は高く!」
「え……マジですか?!」
 改めてカントー制覇の言葉を聞いたレンが衝撃に目を丸くする。あたしは笑った。
「まぁ、生まれたてのポケモンだしね。お祭りはリーリエともある程度息のあったバトルがちょうどできるようになる頃合いじゃないかなと」
 と、そのタイミングでジョーイさんがレンの名前を呼んだ。
「あ、はーい」
 レンは駆けて行く。リーリエはロコンの方を見降ろした。
「こーん?」
「頑張りましょうね、ロコンさん」
「コーン!」


 レンは博士の家に寝泊まりすることになった。リーリエはあたしの家にお泊りだ。
「あら、リーリエちゃんいらっしゃい」
 ママがおおらかな笑みを浮かべながら言う。ニャースもふにゃぁと鳴いた。
「よろしくお願いします!」
「そんなに畏まらないでいいのよ。いつもミヅキと仲良くしてくれてありがとうね。あら、そのロコンは……?」
「エーテルで保護して、私がお世話することになりました」
「へぇそうなの! 見たところ生まれたてって感じだけど……」
「そうなんです。赤ちゃん用のフーズをハウオリで買って来ました」
 あたしが袋を掲げる。
「という訳でまぁ、ママ、あたしとリーリエ、それからポケモンたちの料理をよろしく」
「もう、料理のひとつできないの?」
「自慢じゃないけど旅は全部ポケセン飯!」
「……威張ることじゃないです」
「……はい」
「私も手伝いますね」
「あら、ありがとう!」
「うー、なんで女なんかに産まれてしまったんだぁー!」
「あら、男も女も平等に家事をする時代じゃない。だったら、外で動く能力がある女子だって家事から逃れられる理由にはならないよ。男子がそうなのとおんなじ」
「適材適所でいいじゃんもうー」
 あたしはソファに体を投げ出した。ニャースが呆れたような目でこちらを見ているのを感じる。別に男が女がとかではなく、みんなが万事できればベストなのはわかってる。だけど、あたしの才能は全てポケモンに吸い取られていたのか、こういう方面はからきしなのだ。
「別に苦手なことわざわざやんなくてもさぁ……」
 乗りかかって来たニャースをそっと撫でる。ニャースは心地よさそうに声をあげた。えいとくすぐってみる。仕返しだ。ニャースを大爆笑の渦に叩き込み、満足したあたしは彼のことをまた撫でた。


「まぁ、お兄様は家事も割とそつなくこなしますけどね」
 あたしの部屋で、リーリエは苦笑とともにそう言った。ロトムはもう寝ている。早寝だなぁなんて笑っていたら、これである。あたしはビックリしてリーリエの方を見た。
「何それ初耳」
「ビッケがそう言ったスキルは叩き込んでくれたので……」
「2人に?」
「はい」
 エプロンを付けて料理をするグラジオを想像し、あたしは思わず吹き出す。漆黒のハンバーグみたいな厨二全開の料理名にこらえきれない。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、グラジオなら闇夜のカレーライスとか言いそうだなぁって」
「……もう少し、酷いです」
 リーリエは赤面しながらそう言う。あたしはお腹を押さえた。
「もう無理……」
「もう! 笑わないでください!」
「やー最高!」
「……一応彼氏彼女の関係のクセに」
 むくれたようにリーリエはそう言う。あたしは「だって面白いもんは面白いもん」と笑う。
「それよりも! です!」
 リーリエの声に怒気が混じって来たので、あたしはさすがに笑いを引っ込めた。
「それよりも?」
「ロコンさんの方も鍛えないと駄目じゃないですか、どうするんですか?」
「えー? そりゃまぁ、どこかでバトって鍛えるっきゃないでしょ」
「生まれたばかりですよ?!」
「もちろん、この子本人がじゃないよ。あたし学習装置持ってるからさ……」
「あぁ、なるほど」
「という訳でリーリエ、ちょっと交換してくれないかな、ロコン。朝一で特訓して、明日の朝には返すよ」
「わ、わかりました……。え、どの子と?」
「うーん、別にリーリエだったら誰でもいいような気もするんだけど、ジュナイパー以外で一番付き合いの長いクワガノンでいいかな。一日だけだからごめんね、クワガノン」
 あたしはボールから出して、そっとその大きな体を撫でた。それからボールに戻す。
「はいリーリエ。一晩だけど、クワガノンをよろしくね」
「……今晩はミヅキさんとずっと一緒にいるつもりですが」
「わかってるよもー。リーリエ、冗談よ。よろしくねロコン」
 モンスターボールの中のロコンに声をかける。どうももう眠っているらしかった。モンスターボールの中は快適なはずだ。生まれたてでもゆっくり休めることだろう。
 あたしたちは、ロコンを加えて計13個のボールを机の上に置く。
「あれ……? このサインは?」
「あ、カントーのジムリーダーのサインだよ。……もう、いらないけどね正直」
 超えてしまったから。間接的にとはいえ。あたしはリーリエの方を見て、それからリーリエを布団に押し倒した。
「え、み、ミヅキさん?!」
「……今はアローラのみんなのバトルの方が好き。博士の、グラジオの、リーリエの、そして何よりも、ハウのバトルの方が好き。だからリーリエ。アローラ代表として、あたしの感謝を受け止めて」
「は、はい?!」
 あたしは黙り込む。リーリエの体温が、あたしの体温と溶け合う。リーリエが生唾を呑み込む音が聞こえた。しばらくの後、あたしは体を起こす。
「ありがと、リーリエ。……リーリエ?」
「い、いえ……近いです……」
 リーリエは真っ赤になっている。悪いことしたなぁとは思うけれど、抑えきれなかったのだから仕方ない。
「な、なんでもありません! おやすみなさい!」
 布団を被ってしまった。いくら冷房付けてるとはいえ、暑くないんだろうか。
「おやすみ」
 あたしは小さくそう呟いた。電気を消して、布団に潜り込む。
「ミヅキさん」
「ん?」
「狡いです」
「……ごめんね」


 翌朝。あたしはひとり起き出して、モンスターボールを手に取った。それからリザードンを呼び出して、ポニへ飛ぶ。その首筋を撫でてから、あたしは広野を駆け抜け、何人かのトレーナーとバトルした。
 学習装置は、バトルの映像をモンスターボールの中に鮮明に映すアイテムだ。なくてもある程度は見られるそうであるが、経験になるほどではないらしい。これを使うことで、身のこなしやら技の出し方やらを学べるそうだ。
 ちなみに、バトルは楽勝だった。半分寝てても勝てそうなぐらいには。それでもきっと、ロコンには刺激的なものになったはずだ。きっとロコンも、様々な知識を蓄え、すくすくと育ってくれるであろう。


「ただいまぁ」
「あ、お帰りなさいミヅキさん」
「お帰り」
「にゃー!」
 帰って来ると、もうみんな起きていた。あたしはふあぁとあくびする。
「やっぱあたしの手持ちはあの6匹じゃないと落ち着かないよ。リーリエ、クワガノン返してー!」
「もちろんです」
 リーリエはモンスターボールをあたしに向けて差し出す。あたしもロコンのボールを渡し、再びの交換をした。
「ふぅ、これで復活だー! やっぱりこの6匹じゃないと駄目だね」
 あたしは椅子に座ると、ママの作ってくれていた料理を見て舌なめずりをする。
「いっただっきまぁす!」


 朝食をかっこみ、リーリエとあたしはまた博士の家へ向かう。レンたちも待っているはずだ。
「はっかせー! おはよー」
「おはようございます」
 あたしとリーリエのあいさつに、博士も笑顔で返した。レンは「おはようございます!」と元気そうだ。
「ハウは今日辺りからお祭りの準備に本腰を入れるらしいからな。リーリエ、レン。話は聞いた。2人とも、ゼンリョクを見せてくれよな!」
「はい!」
 2人の声が揃った。
「よーしそれじゃ」
 あたしは声をあげる。
「特訓だよ!」


 という訳で、リーリエとレンで、砂浜で練習試合をすることにした。もっとも、いくら今朝の学習装置があったと言っても、まだロコンとリーリエは出会って1日だ。リーリエ本人の経験と照らしても、まだレンの有利だろう。
 と思っていたのだけれど……。
「……なんでムンフォとか覚えてるの」
「タマゴ技ロトね……」
 ロトムの調べによると、このロコンは“ムーンフォース”を覚えているらしい。それでもレンの有利は揺るがないだろうが、ちょっとビックリだ。
「どんな技を覚えていようと、このロコンがここにいるという事実は変わりません。私、やりますよ!」
「コン!」
「僕も負けません! リーリエさん、よろしくお願いします!」


 2人のバトルは均衡していた。リーリエサイドはロコンとのパートナーシップの問題を、レンサイドではレン本人の実力という問題を少しずつ克服できるような、そんな気がする。
 バトルが途切れ、2人と2匹は休憩と日陰の方に避難する。あたしもそこへ向かった。
「お疲れ様。よかったよ」
「力具合もいい感じにピッタリだったロト!」
「ありがとうございます!」
 2人の声が重なった。あたしはどすんと腰を下ろす。
「いい勝負だった。お互い成長できてる感じ。……ごめんね。リーリエ、エーテルの活動なんだとしたら、そのロコンって後で野生に戻してあげるんでしょ?」
「はい。でもいずれにせよ、誰かが野生で通用する程には鍛え上げないといけません。特にロコンの生息域であるラナキラマウンテンは……」
「厳しいもんね。ポニを除いてアローラ最難関だもん」
「え、どういうことですか?」
 ついて来られないようで、レンが話に割り込んで来る。
「あー。エーテル財団って団体があってさ。アローラで傷付いたポケモンを保護して、野生に戻る手助けをしてあげるグループ。リーリエはそこの娘でね」
「財団職員でこそないのですが、いちトレーナーとして活動に協力することはありまして」
「なるほど……それで、ロコンのこともいずれは野生に返さないといけない、ってこと?」
「そういうこと。むやみやたらに手持ちに加えてもしょうがないしね……。トレーナーには多くても6匹がちょうどいいの」
 レンはうつむいてしまった。あたしは笑う。
「まあ、レンには関係ないことだよ。思いっきり、ロコンの相手をしてあげてね、イーブイ」
「いっぶい」
 あたしはイーブイのもふもふを撫でた。その中に手を突っ込んで、「あったかいな」と思わず声が漏れる。
「バトルで熱くなっちゃったかな。お疲れ様。ポケセン飯でも食べよっか」
「ぶい!」
「こーん!」
 ロコンまでもが声をあげた。あたしは2匹をもう一度撫でる。温度差が酷かった。
「ロコン、とりあえずボールの中でゆっくり休んでください」
「イーブイも!」


 ごはんを食べてしばらくポケセンで休憩してから、あたしたちはまた砂浜でバトルの練習をしていた。
 ロコンの“こなゆき”をイーブイがかわし、“シャドーボール”を“ムーンフォース”で相殺して。互角の勝負はしかし、イーブイの足元がふらついてその均衡を破ってしまう。
「イーブイ!」
「今です! “こなゆき”!」
 ロコンの口から冷気が漏れ出し、イーブイに直撃する。あたしは駆け寄り……
「イーブイ戦闘不能! よって勝者リーリエ!」
 あたしはかばんから薬を取り出しイーブイに吹きかける。瀕死にまでは至っていない。これで大丈夫なはずだ。
「手当はすませたよ。ボールに戻してあげて」
「は、はい」
 レンは慌ててイーブイをボールに戻した。
「ごめんね、負けちゃった」
 レンはイーブイにそう語り掛けた。
「まぁ、悪くはなかったよ」
 あたしはそう、励ました。
「ロコンさん、お疲れ様です」
 リーリエもロコンに薬を吹きかけて、そして優しくいたわっていた。
「……ミヅキさん、僕、勝てるのかな」
「さぁ。それはこれからレンとイーブイがどうするかだよ」
「……ですね。イーブイ、ゆっくり休んだら、また頑張ろうね!」
 あたしはニコリと笑う。そして、今日はもう解散にしようということになった。


 その日の夜、あたしとリーリエはまた、あたしの部屋で寝転がっていた。話題はというと、ポケモンにバトルについて。より正確に言うなら、あたしについて。
「それにしても、ミヅキさん、どうしてそんなに強いんでしょうか」
「……どうしたのいきなり」
「いえ、改めてこうやって後進の育成に励むミヅキさんを見て、不思議だなぁと。ミヅキさんのやり方は、別に何か不思議なものがあるという訳ではありません。それなのに、どうして……」
「……わかんない。言ってしまえば、天才なんだろうなと思うし、だからカプ・コケコもあたしに石を託したんだろうなと思う。まぁ、強いのはあたしじゃなくてポケモンたちだし、あたしはその100%を引き出せてるかというとそんなことはないと思うけどね。まだ上を目指してる」
「……凄いですね、ミヅキさん」
「ありがと。うーん……あたし、ポケモンを撫でるのは得意なんだけどさ。不思議だよね」
「……一緒に旅をして、強さの秘訣はポケモンさんとの絆なんだと思いました。信じる心だって。だけど、自分だけで旅をして、そしてお兄様やハウさんともバトルできるようになって、そうしたらミヅキさんのことが、なんだかわからなくなってしまったのです。
 強いトレーナーさんは、確かにみんなポケモンさんと心で繋がっています。だけど……それだけじゃないと思うんです、ミヅキさんは。あのお兄様やハウさん相手に、ミヅキさんは一度も負けていないんですよ?」
「……その秘訣、なんてものがあればよかったんだけどね。これは単に、あたしの才能としか言いようがない」
「……それでも、少しは追い付きたいです。私も、たぶんお兄様も、ハウさんも」
「……ありがとね」
「ミヅキ! リーリエちゃん!」
 ママの声だ。あたしは「どうしたのー?」と返す。
「博士!」
 ママの言葉にあたしは跳び起きて、玄関へと駆けた。そこには、レンのイーブイをタオルにくるんで抱えた博士が立っていた。
「イーブイ……熱っ」
 ぐったりとしたイーブイに触れると、想定外に熱く、あたしは思わず手を引っ込める。
「たぶん熱中症だ……。順を追って、“でんこうせっか”で説明するな」


 博士によると、レンとイーブイは、晩ごはんの後も特訓していたという。しかし、イーブイは少しふらついていた。それに気付かずに、レンはイーブイに技を指示していたんだという。ありがちなミスだ。だが、かなりしんどいミスだ。
 博士が気付いた時には、まだイーブイはやる気を見せていたんだという。しかし触ってみると、今の通りの温度だ。レンを注意した後、手当てしようとした。そうしたら、レンは「ごめんなさいっ」と走って逃げてしまったそうなのだ。
「レンを捜しつつ、イーブイの手当てをするのは、“かげぶんしん”でもしないとできないからな。ミヅキたちに手伝って欲しいんだ」
「私がイーブイの手当てをします! 首筋のリンパ腺を冷やせばいいんですよね」
 リーリエが冷静に指摘する。確かに、その方が効率的に体全体を冷やせる。
「それからスポーツドリンクね。私が買って来るわ」
 ママはそう言って、もう家を出て行った。ポケセンにあるから、すぐだ。
「あたしはレンを探しに行きます」
「ありがとう。俺も捜す。リリィタウンの方に行ったから、島巡りゲートの都合もあるしそう遠くにはいけないはずなんだが……」
「わかりました。ダッシュで行きます」
「手分けして探そう」
「はい!」
「リーリエ、イーブイをよろしくな」
「はい!」
 あたしと博士も家を飛び出した。


 リリィタウンのあの舞台の陰に、レンは座り込んでいた。あたしは彼に駆け寄る。
「……ミヅキさん」
「うん」
 あたしは彼の隣に座った。レンは俯いてしまう。
「……僕、トレーナー失格です」
 あたしは黙って、続きを待つ。しばらくの後に、レンは続けた。
「イーブイの体調不良に、気付いてあげられなかった。ポケモンの強さを引き出すのがトレーナーなのに、僕は……」
 目が潤んでいる。そんな中、あたしの頭によぎったのは、「イーブイの方がしんどいんのにあんたが泣いてどうする」だった。さすがに口には出さない。代わりにひとつ伝える。
「レン、イーブイのことはリーリエが手当てしてる。大丈夫。熱中症は適切に処理すればすぐに治るよ。ポケモンの生命力は凄いからね」
「……そっか、よかった」
「……どうして、手当てもしないで逃げ出したの?」
「……僕なんかがいても邪魔になると思ったから。ミヅキさん。僕もう、イーブイといたくない」
 え、とあたしは彼の顔を見た。闇に紛れてその表情はよく見えない。
「僕なんかがいても、イーブイのこと、幸せにできないよ」
 そしてレンは、あたしに行った。
「ミヅキさん。イーブイのこと、引き取ってくれませんか?」
「……それはできない。あたしの手持ちは、アローラの旅にずっと寄り添ってくれた6匹だけ」
「なら、逃がします」
 急速に、体温が下がるのを感じた。感情が荒ぶると、顔があの笑顔で固定されてしまう。あたしの悪癖だ。
「そうしたら、エーテル財団で引き取って……」
 その荒ぶった笑顔のままで、あたしは言い放つ。
「いい加減にして。あのイーブイにとって、『おや』はあんたひとりなんだよ。そう簡単に逃がすなんて……」
「だって! だって僕じゃまた、イーブイのことを不幸にしちゃう! そんなおや、いない方がいいんだ!」
 苛立ちがあたしの中を駆け巡る。イーブイのことを想っているようで、その実自分本位な論理だ。イーブイの言葉に耳を傾けず、そのエゴだけでこんなはた迷惑な行動に出ないで欲しい。
「イーブイ、熱中症になってもあなたと一緒に特訓しようとしてたんでしょ。そのぐらい、あなたといたいってことでしょ」
「……だとしたら、なおさら!」
 レンは叫んだ。
「なおさら僕じゃ駄目だよ……」
「どうしてそんな風に切っちゃうの! あんたは……」
「ミヅキさんはわかんないでしょ! 挫折も知らないクセに!」
「……やめて」
「ポケモンのこと、絶対に不幸にしないなんて、無理だよ。ミヅキさん以外には……っ!」
「やめて!」
「ミヅキさんみたいな天才じゃない僕には無理――」
「やめてって言ってるでしょ!!」
 レンがビクリとその体を跳ねさせる。あたしは「ごめん」と意識を落ち着けて、そして言った。
「……わからないよ。あたしはあなたじゃない。だからあなたの気持ちを100%理解するなんて無理。負けを知らないあたしには、弱さに共感することは許されない」
「……だとしたら、それが何?」
「……だから、あたしは理想を語ることしかできない。ごめん」
「理想なんて、意味ないよ……。イーブイのことを幸せにしたいだけだもん……」
 あたしは黙り込むことしかできなかった。
「ミヅキさんならきっと幸せにしてくれる」
 そして、レンは駆け出した。遺跡の方だ。あっちには崖がある。
 あたしは彼を追いかけた。


 彼の足は速かった。ケンタロスを呼び出す時間が勿体ない程に。ひたすら走るより他にない。
 山道を登りきり、吊り橋の前。彼は立ち竦んでいた。
「まさか自殺なんてしないよね」
 あたしの問いかけに、レンは答えない。やっぱり、あたしにはできないことなのだ。スカル団のことを、忘れてはいない。けれど、彼らを立ち直らせることは、あたしにはできないのだ。
 彼の目線に、あたしは刺される。あたしは息を吐いた。
「イーブイのためなら……」
 彼は崖の方を向いた。あたしはモンスターボールに手をかける。レンはふっと飛び降りる、モンスターボールからクワガノンが飛び出す、クワガノンは崖を急降下し、しばらくの後にレンを連れたクワガノンが浮かび上がる。
 その間わずか2秒。思考の区切りもない程にあっという間の出来事だった。
 あたしはレンを抱きしめる。
「そこまでポケモンのことを思える人が、悪いトレーナーな訳ないよ……っ!」
「……え?」
「ポケモンのことを思いやる。それさえできれば、トレーナーとしては合格。ミスして、そこまで思い悩めるレンは、立派だよ」
 レンは、俯いたままだ。あたしは「ま、今すぐわかれとは言わないけどね」と吐き出して、レンのことを離した。
「……あなたはきっと、強くなれる。アローラチャンピオンのあたしが保証するよ」
「誰もが、ミヅキさんみたいに頑張り続けられる訳じゃない」
 ふてくされた表情のままで、彼はそう言った。
「……イーブイのことをバカにされて、許せなかった。だけど、イーブイがバカにされるのは僕のせいだって思ったら……」
 声に涙が滲む。
「僕のせいで、イーブイに迷惑をかけたくないよ……でも僕は弱いから……いつかまた失敗しちゃうから……」
 嗚咽も混ざり始めた。あたしはその頭をそっと撫でる。
「ちゃんと自分の弱さと向き合えるあなたは偉い」
「……イーブイは、僕といたいの? こんな僕でも?」
「そんなレンだからこそだよ。帰ろう。向き合うべきは、自分とポケモンだよ。イーブイの所へ帰らなきゃ」
 レンは頷いた。
「泣きたいなら泣いていいよ。見ないであげる。あたしの家まで後から追いかけて来て」
 それだけ言うと、あたしは山道を下り始めた。背後で泣き声が聞こえた気がする。


 ……本当に、キツイ仕事だ。半端な同情は断罪され、本心からの理解は不可能で。あたしはずっと、悩んでる。それでもあたしは、スカル団を生み出した闇から目を背けてはいけない。アローラのチャンピオンとして。アローラで最も強いトレーナーとして。
 そんなあたしの「弱さ」を改めて突き付けられたようだった。
 一度も負けたことのないトレーナーなんて、このアローラにはあたし以外存在しない。だから、この悩みは、誰にも相談できない。弱音を吐けば、それは強者のエゴになる。強いあたしは、悩んではいけないから。
 勝ち続けることの。負けを知らないことの。
 そして「最強」であることの苦しみなんて、『存在してはいけないから』。
 だからあたしは勝ち続ける。それが悔しさや劣等感、嫉妬みたいな感情を産みだすんだとしても、あたしは、完全無欠、最強無敵なチャンピオンであり続ける。それが、あたしの責任であり、義務だ。
 あたしは6つのモンスターボールを見た。そして、小さく笑う。
 あなたたちのこと、大好きだよ。
 リーリエにすら話せない。あたしの闇を受け止めてくれるのは、6匹だけだ。
「みんなに助けられてばっかりだ。人間だからってあなたたちのあるじ面してるけど、ホントはあたしの方が助けられてばっかだよ。ごめんね」
 ポケモンたちをボールから出しはしない。出してしまえば、あたしの苦しみを受け止める義務を与えてしまうから。あたしはまた、歩き始めた。
 アローラの月が、あたしの歩く道を照らしていた。今の気分には不似合いなぐらい、明るく眩い月だった。


 家に戻ると、眠りについたイーブイと、それを見ながら何やら話していたらしいリーリエとママがいた。当たり前だ。
「お帰りなさいミヅキさん。イーブイの体調も安定……ミヅキさん?」
「お帰りなさい、ミヅキ」
 え、とあたしは鏡を見た。それで気付いた。目が赤い。頬にも涙の後が付いている。あたしはそれを拭った。
「大丈夫。しばらくしたらレンは来る。きっとわかってくれたはずだから。疲れたから、寝ちゃうね。おやすみ」
 あたしは部屋に戻って、そのまま布団に倒れ込んだ。


 翌朝目を覚ますと、リーリエの寝顔があった。あたしは体を起こす。部屋に出てみると、イーブイはいなかった。きっとレンが連れて帰ったか、朝一でポケセンにいったのだろう。ママも起き出してない。お腹も空いていたし、あたしはポケセンに向かうことにした。博士の家にいる可能性よりかは高い気がした。
 そういえば、博士はあの後どうしただろうか。捜し続けはしていないだろうが……


 結論から言うと、その心配は杞憂だった。あたしの後からリリィに来た博士は、帰る途中のレンと出会ったらしい。そしてレンと一緒にイーブイを朝まで看病して、それからポケセンまで連れて行ったそうだ。
 レンは、ポケセンのソファで寝ていた。このことは、だからジョーイさんから聞いた。
 今日は休ませてあげよう。それから、あたしも休みたい。
 イーブイの容態は全く問題ないらしい。今日にも退院できそうとのことだ。レンとイーブイの間にどんな「会話」があったかはわからない。それは、あたしたちの知るべきではない。傍に誰がいたとしても、知りえない、そういう種類の「会話」は、ポケモンとトレーナーの間でのみ共有されるべきだ。外野が効き出してはならない。
 カフェで軽く何かを食べて、ポケモンたちにもマメをあげて、それから家に戻った。
「あ、お帰りなさいミヅキさん」
 リーリエは笑って言って来る。ママもニコリと笑った。ロトムだけは寝ている間にあった騒動を聞いてビックリしていたのか、「ミヅキ大丈夫ロト?!」とせわしなく頭の周りを飛び回っていた。
「あはは、大丈夫大丈夫。いただきまぁす」
 あたしの分も用意されていた。というより、それを見越してポケセンで食べる量をセーブしていた。
「ねえママ」
「なぁに?」
「……あたしも、料理とか、作ってみようかなって思う。たまたま得意と世間の需要が一致しただけのあたしが楽な道を歩いてるの、ズルいと思うから」
「そう」
 ママは何も言わなかった。それがありがたかった。
 楽な道なのかはわからない。だけど、得意なことだけしていたいが許されるのは、幸運であり横柄だ。
 そう、思った。


「ミヅキさん、凄いです」
 リーリエとリリィタウン方面へ歩いていると、不意にリーリエはそう言った。
「凄くないよ。あたし、何度も間違えそうになる」
「……でも、一番でいる苦しみを自分の中で溶かし続けるのは、楽なことじゃありません」
「……まぁね。でも大丈夫。ありがと」
「ミヅキさん。私は、離れません。ミヅキさんの傍から。友達として……親友として傍にいたいです。だから……話して欲しいのです」
 あたしはリーリエのことを思わず抱きしめる。
「ありがとう。今回はもう大丈夫。次しんどくなったら、頼らせてもらうね」
「……はい!」
 すぐにリーリエのことを離した。あたしは笑う。本心から。
「行こ! ハウも待ってるよ!」
「はい!」


 リリィタウンで今日やるのは、お祭りの準備だ。
「おーい2人ともー!」
 ハウが笑顔で手を振っている。あたしたちはそちらへ駆けた。
「リーリエたちのバトルはなんとかなりそう?」
「レンの方は大丈夫だと思う。リーリエは?」
「私ももちろん大丈夫です!」
「よかったぁ。それじゃー、ミヅキはあっちに人手が足りてないからお願いしていいー?」
「おっけ。言って来るね」
「リーリエはおれと来てー! こっちも忙しいからー!」
「わかりました!」


 そうやってしばらく肉体労働をしていると、憂鬱な気持ちも消えていくようだった。いや、消えてはいない。隠れているだけだ。それでも、だいぶ気分は変わった。
「2人ともありがとー! いよいよ明日が本番だからねー。リーリエ、頑張ってー!」
「はい! ありがとうございます!」
「ハウも、明日は頑張ってね!」
「ありがとー! 楽しんじゃうよー!」
「それじゃ、また明日ー!」
「またねー!」
 ハウに別れを告げ、あたしたちは帰路に就いた。
「そういやリーリエ、ルザミーネにはなんか言ったの? ずっと泊まってるけど……」
「はい。ミヅキさんがロコンさんを鍛えてる間に、ちゃんと連絡は取りました」
「そっか。ならよかった」
 と、ロトムが飛び出して来る。
「いよいよ明日が本番ロトね! いっぱいポケファインダーにリーリエたちの雄姿を収めるロトよー!」
「あたしも手伝うロトー!」
 伸びをしながらそう言った。
「でも、レンさんの方は大丈夫でしょうか」
 リーリエがポツリと漏らした。あたしは頷く。
「あんなにポケモン想いなトレーナーなら、大丈夫。きっとこれから躓いても、イーブイと一緒に乗り越えるよ」
「ならよいのですが……」
「ん? 昨日来た時、なんか不安そうだった?」
「いえ! そういう訳ではなく……ただ、あんなことがあって、今日は練習もできていませんし……明日のバトル、上手くやれるんでしょうか、レンさんは」
「さぁ。やってみないとわからない。でも、ゼンリョクは出しなよ、リーリエ」
「それはもちろんですが……」
 相手のコンディションのことにも意識が回るのは、経験のせいか。あたしは背中をポンと叩く。
「あたしたちがやるべきことは、ゼンリョクでポケモンと向き合うこと、それだけだよ」
「……ですね」


 その夜は、特に何もなかった。レンも姿を現さなかった。博士からレンはうちで預かっているという連絡が来たから、問題はないけれど。
 だからあたしたちは、レンについては特に聞かなかった。リーリエと相まみえるのは、明日の本番だ。


 そして翌日。リリィタウン。街の人たちがめいめいにはしゃいでいる中で、あたしとリーリエは舞台の片方の階段の傍に待機していた。きっと向こうには、博士とレンがいる。ハウの姿はどこにもなかった。ハラさんもいない。最後の指導でもしているのかもしれない。
「リーリエ。こんな騒がしい中でバトルするのって凄く珍しいと思うけど、いつも通りだよ」
「はい!」
 ポニーテールを結び直し、がんばリーリエです! と気合いを入れるリーリエ。あたしは微笑んだ。
 と、そちらの方からハウが駆けて来て、舞台に飛び乗った。
「という訳で! 2人ともー、バトルの準備はできたー?」
「はい!」
 リーリエが頷く。向こうからレンの声も聞こえた。
「それじゃ、2人とも上がって来てー!」
「行ってらっしゃい」
「頑張ります!」
 あたしの振った手に、リーリエはそう言って、ステージに登った。向こうからレンもその姿を現す。
 その顔に――迷いはなかった。彼は、ベストだ。
 ハウが少しの戸惑いを残しつつ、いつになく真剣な顔で声を出す。
「えっとー……島に暮らす命、島巡りを楽しむ者、すべての無事を祈ります。では、これより島の守り神、カプ・コケコに捧げるポケモンバトルを始めます。片やリーリエ」
「はい」
「こなた、レン」
「はい」
「レンさん、ゼンリョクで、楽しみましょう!」
「こちらこそ! よろしくお願いします!」
「2人とも、ポケモンの力を発揮させよ! バトルスタート!」
 ハウが手を振り上げる。それがバトル開始の合図だった。レンがイーブイを、リーリエはロコンをボールから出す。
「そちらからどうぞ!」
 リーリエがそう叫んだ。
「それなら遠慮なく! “シャドーボール”!」
「“ムーンフォース”で相殺してください!」
 闇と光がステージの真ん中でぶつかって、激しい爆発を引き起こす。
「今だ! “でんこうせっか”!」
「“こなゆき”を地面に!」
 イーブイが駆け出す。その足元を瞬く間に凍り付かせた。なるほどな、と思う。足元の摩擦がなければ、慣性の法則に従って等速で滑るのみ。“でんこうせっか”の要である加速を封じる作戦だ。
「それなら“シャドーボール”!」
 滑りながらイーブイは技を繰り出した。速度の足し算で、その勢いは強い。
「“ムーンフォース”です!」
 再び光弾と闇が衝突、爆発。爆風との氷がイーブイを滑らせる。その勢いで逆方向に跳ね飛ばされたイーブイは、凍ったゾーンから抜け出していた。と、同時に。熱中症をも引き起こす程のアローラの熱気の中で、その氷はそう長続きはしない。もうほとんど、融け出していた。
 そして。速度の勢いの分だけ、“シャドーボール”が強かった。ロコンは勢いを減じられたとはいえその直撃を受けていた。くるくると、空を舞う。
「ロコンさん!」
「畳みかけるよ! “でんこうせっか”!」
「空中で“こなゆき”です!」
 回っている最中で、ロコンが技を繰り出す。空気中の水分を凍らせ、自らを取り囲む鎧を作りだすことに成功していた。イーブイがぶつかり、その衝撃を軽減してロコンに伝える。
 凄いテクニックだ。あたしですら思わずビックリしてしまう。
 けれど今の所、リーリエが防戦一方なのも事実。どこかで引っ繰り返さないと、リーリエに勝ち目はない。さて、どうでるリーリエ。
 着地した所に、追いうちのようにイーブイが迫る。
「“たいあたり”!」
「“こなゆき”です!」
 瞬時の判断。しかし、リーリエたちのその攻撃が、その身を救った。“たいあたり”の直撃を受けながらも、イーブイの足元を凍らせることに成功する。
「大丈夫ですかロコンさん!」
「イーブイっ?!」
 動こうともがくイーブイ。しかしリーリエはそこを見逃す程甘くない。
「足元に“こなゆき”です!」
 その氷を、もっと堅牢なものへと仕立て上げる。
「“シャドーボール”!」
「“ムーンフォース”です!」
 苦し紛れの攻撃は、完全に相殺されてしまう。“シャドーボール”を除き、全ての技が物理技か補助技なイーブイには、もう攻撃手段が残されていない。“シャドーボール”が乱発できるような技ではない以上、完全に詰みだ。
 リーリエの作戦勝ちだ。
「“こなゆき”です!」
 遅かれ速かれ、体ごと氷漬けにしてしまうだろう。そうなれば、リーリエとロコンの勝ちだ。勝負ありか、とあたしはハウを見る。けれどハウは、まだ戦況を眺めるだけだった。
「イーブイ! 頑張ってっ! 体をなんとか動かしてっ!」
「ブイ……っ」
 レンの悲痛な声。
「“こなゆき”でフィニッシュです!」
「イーブイ!」
「い……ぶい!」
 と、その瞬間。イーブイが光をまとう。
「え……」
 レンがビックリしたように呟いているのが見えた。これは、進化だ。けど、誰に? イーブイは多種多様な進化先を持っている。どの進化をするのだろうか。
「来たぜ! 進化だ!」
 博士の叫ぶ声が聞こえ、それで一気に、このお祭りに集まっている観客たちの興奮のメーターはマックスになる。歓声が響く。
「ふぃあふぃーあ!」
 光が消えて、そこに立っていたのは、淡いピンク色のポケモン、ニンフィアだった。
「進化したロトー!!」
 ロトムが写真を撮る音。
「きっと“チャームボイス”を使えるはずだぜ!」
 博士がレンにそれだけを伝える。それ以上は不公平な助言になるが、このぐらいならセーフだろう。レンはさっそく、“チャームボイス”を指示した。
「ロコンさんっ!」
 チャームボイスを相殺できるのは、別の音技だろう。ロコンの持つ技では駄目だ。そして、“チャームボイス”は避けられない。絶対に。
「こぉぉぉん!」
 ロコンの叫び声。辛そうな表情を浮かべながら、それでもニンフィアに向けて威嚇するかのように唸ってみせる。
「“ムーンフォース”です!」
「“シャドーボール”で相殺して!」
 あたしは息を呑む。次で決まる。そんな気がする。爆風の中、2つの指示が響いた。
「“チャームボイス”!」
「“こなゆき”です!」
 これは同時。
「フィアー!」
「こーん!」
 これも同時。
 技が届くのも、同時だった。

「ロコン、ニンフィア、両者戦闘不能! よってこの勝負、引き分け!」

 ハウの声が響いた。


 お祭りはまだ続く。ハウはここからの指揮をハラさんに任せて、あたしたちの所に来た。
「2人とも、そして2匹ともお疲れ様ー。回復してあげるねー」
 惜しげもなく回復の薬を2匹に吹きかける。それを見届けて、2人はボールにポケモンを戻した。
「にしても、引き分けとはビックリした」
 口火を切ったのは、あたしだった。博士は笑って、「いや、そうだろうなとは思ってた」と言った。
「“つぶらなひとみ”と仲の良さ。ニンフィアに進化する条件は揃ってる」
「なるほロ~。あ、進化の瞬間はバッチリ捕らえたロトよ!」
「それは後でナマカマド博士に送ろうか。2人とも、いい勝負だった」
 博士がリーリエとレンの頭を撫でた。
「特にレン。成長したな」
「……でも、勝ちたかったなぁ、イーブイ、いや、ニンフィアと」
 ボールを見つめてそう言う。
「私こそ、勝てると思ってましたから……」
「でもさー」
 ハウが笑う。
「勝ちたいって、本気でやるからこそ、バトルってのは悔しくて、そして楽しいんだよー」
「……ですね!」
「はい!」
 2人もそれに、頷いた。
「ミヅキさん」
「え?」
 レンの声に、あたしはそちらを向く。
「あの時は、ありがとうございます。ニンフィア、こんなに僕のことを頼ってくれてるんだって、思いもしなかった」
「あなたがポケモンのことを思う気持ちは、ちゃんと伝わってるんだよ。ね、ニンフィア」
 ボールに声をかける。元気な返事が聞こえて来るようだった。
「これであんたとイーブイ、ニンフィアは強くなったよ。これでもう、いじめられて悔しい想いをニンフィアにさせずに済むと思う」
「……ホントですか?!」
「少なくとも、バトルができるようになったしね」
「ありがとうございます! ……でも、そんなんじゃない。ニンフィアと一緒なら、僕はきっと、強くなれます。そして、ニンフィアの強さを、もっと上手に引き出せるような……そんなトレーナーになりたいです!」
 あたしは彼の頭を撫でた。
「よし。ニンフィアと助け合って生きるんだよ! それじゃあ、これで免許皆伝だね」
「ありがとうございます! っと、免許皆伝も下りた所で、さすがにパパと合流しないと怒られちゃう」
「あ、そういえばそうだった。お父さんとアローラに来てるんだよね。どこにいるの?」
「マリエです」
「でしたら、一緒に行きましょうか。ロコンさんも強くなって来たので、そろそろ野生に返そうということになりまして……」
「あぁ……」
 レンの声は、小さくなってしまう。
「逃がす……か」
 あたしもそう呟いた。
「……ねぇ、そのロコン、ホントに野生に還った方が幸せなのかな」
 レンが言う。
「……僕に言ってくれたじゃないミヅキさん。ロコンに聞いてみないと」
 あたしは「だね」と言った。
「元は野生のポケモンなら、話は変わるよ。だけど、生まれた時からリーリエといるんだもんね、ロコン」
「……難しい問題だな」
 博士が腕を組む。そして、すぐにリーリエの方を向いた。
「これは、リーリエとロコンの問題だ」
「……私は、ロコンさんと一緒にいたいです」
 リーリエの声が漏れる。それからロコンをボールから出し、「ロコンさんはどうですか?」と問うた。
「こん? こーん!」
 リーリエの方を向いて、元気よく鳴いた。
「うん。見るからに、懐いてるね」
 あたしは思わず微笑んだ。
「ロコンさん……! 一緒にいてくれますか?」
「こん!」
「決まりだね」
 あたしは頷いた。レンの顔にも笑顔が浮かぶ。
「いつかまたアローラに来たら、リーリエさんとロコンに勝ってみせます!」
「今度こそ、私たちも負けません!」
 レンはニンフィアをボールから出した。そしてレンとリーリエは握手をする。ロコンの差し出した前脚に、ニンフィアの触手が絡み着いた。その顔が笑顔になる。みんな笑顔だった。
「いい勝負だねー」
 ハウののどかな声が、場を上手く〆た。


 ハウオリの乗船所で、あたしとリーリエ、博士はレンを見送っていた。ハウはまだリリィでいろいろとすることが残っているらしい。
「ありがとうございます!」
 レンはもう一度お礼を言って、船へと乗り込んだ。
「行っちゃったね」
「行っちゃった」
 あたしたちはそうやって小さく呟いた。
「……あたしも、変わらなきゃね」
「……でも、私はそのままのミヅキさんも好きですよ? と言っても、ミヅキさんは私がそう言うぐらいで止まらないですよね。そんなミヅキさんのことも、好きです」
「あ、ありがとね」
 博士の笑い声が響いた。
「ミヅキのそういう所が、僕は凄いと思うぜ。そしてリーリエ。ミヅキの見立て通り、レンはきっと、次来ることがあれば物凄いビルドアップしてるはずだぜ。大丈夫か?」
「わかりませんが……ミヅキさんや、ハウさん、お兄様の傍で私ももっと強くなってみせます!」
「きっと大丈夫ロト!」
 ロトムの茶々が入った。リーリエも「ありがとうございます!」と笑う。
「じゃあ」
 あたしは2人とロトムに、言った。
「戻ろっか、リリィタウンに!」