非完璧の街と非正義のトレーサー

 たとえば、廃墟が好きかと言われたら、私は「半分嫌いだけど半分好きだ」と答えるだろう。
 私は基本的に薄汚れた所はあまり好きじゃないし、そこに落ちている古臭い物には微塵も興味を惹かれない。でも一つ、打ち捨てられた廃墟には他には無い魅力がある。

 それは障害物がたくさんあることだ。
 ボロボロに崩れて底が抜けている足場や、天井から落ちてきた瓦礫の山、あるいはその廃墟に残された数々の用具の跡。それらを全て避けて、跳んで、走り回るというのはなんとも爽快で、他では味わえないスリルがあった。

「ほっ!」

 とある廃マンションの廊下。私は設置されていた室外機の上に飛び乗り、そこから勢い良くジャンプして目の前の抜け落ちた足場を飛び越した。
 そのまま廊下の突き当たりまで走り切って、曲がり角にあった階段を3段飛ばしで登る。割れたガラス窓を横目に見ると、そこには真っ暗な夜空が映っていた。

「また瓦礫で塞がってる……」

 マンションの6階まで登ってきた私は、さらに上の階へと続く階段が瓦礫で塞がってしまっているのを見てそう呟いた。
 別の階段を探そうと、再び扉の立ち並ぶ廊下を走り抜けようとしたその時、手すり壁の外に上の階へと続くパイプが伸びている事に気が付いた。
 私は手すり壁をよじ登り、細い足場の上に両足を乗せた。今この状態で少しでも右に体重を傾ければ、私はマンションの6階から地面に向かって落下する事になるだろう。

────まぁ、そんなヘマ死んでもしませんけどね。

 私は手すり壁の上から勢い良くパイプに向かって飛びつく。ガンッと体を少しぶつけながらもパイプをしっかり掴んだ私はそのまま上へと登っていき、7階の手すり壁へと再び飛びついた。
 目的の部屋は704号室。扉の横に付いている消えかかったナンバープレートを読み上げながら廊下を進んでいくと、その部屋はさほど苦労せずに見つけることができた。
 私は深呼吸をする。高ぶる気持ちを抑えながら、私はゆっくりと右足を持ち上げ……

「おじゃましまぁぁぁっっす!!!」

 ドアノブに向かって勢い良く右足を突き出し扉を蹴り開けた。

「うおぉびっくりしたぁ!?」
「ホーークッ!?」
「さ、サァン!?」

 我ながら豪快な入室の仕方だなと思わなくも無かったが、深呼吸しても落ち着ききれなかったのだからしょうがない。案の定、部屋の中に居たムクホークと、そのムクホークをブラッシングしていた少しガタイの良い男性、そしてソファーの上で眠っていたサンダースが驚いた声を上げながら私の方を見た。
 さらにもう一人、デスクの上でノートパソコンを弄っていた少しダンディな黒人の男性が、声こそ上げなかったものの驚いた表情を浮かべながらこちらに話しかけてきた。

「お前さん……一体誰だ?」
「レーベンタウンから来ました、アシュリー・フォックスって言います!」

 私は元気良くそう自己紹介をした。
 私の名前はアシュリー・フォックス。白い肌で、栗毛の髪をポニーテールで結んだ、走る事だけが趣味の19歳の女性だ。

「あぁ、そうか……ようこそ『ライムシティ』へ。残念だが、この廃マンションは文化遺産でもなんでもない。観光をするなら他を当たった方が良いだろう」

 ダンディな方の男性が席を立ち、私の方に歩いてきながらそう言った。

「大丈夫です! 私、LCトレーサーになりたくてここに来たので!」

 笑顔でそう言うと、ダンディな方の男性は「何?」と呟いて二度目の驚いた表情を浮かばせた。その一方で、ムクホークをブラッシングしていた方の男性が嬉しそうな声を上げる。

「おいおい聞いたかレイ! この嬢さん、LCトレーサーになりたいだってよぉ!」
「ホーク!」
「サン、サァン!」

 『LCトレーサー』という言葉に反応して、ムクホークとサンダースもなにやら嬉しそうに一鳴きした。そして、ムクホークをブラッシングしていた方の男性が小走りでこちらに近づいてきて、手を差し出してくる。

「オレの名前はフランシス・ジャガー、フランシスで良い。よろしくな!」
「ちょっと待てフランシス、気が早いぞ。それで……アシュリーだったか、お前さん、どうやってこの場所を見つけた?」
「あらゆる手段を使って、ですよ。私、ニュースで見たんです! ライムシティの街中をパルクールで飛び回りながら、犯罪現場にその足一つで赴き、暴動の鎮圧を行ったり情報を収集してひっそりと警察に提供する謎の人物の噂を! 先日も銀行強盗犯を警察が駆けつける前に取り押さえてましたよね!?」

 興奮気味に私がそう言うと、フランシスと名乗った男性はブンブンと首を縦に振った。

「ほら! やっぱオレ達有名になってきてるんだぜ! レイ、この嬢さんを歓迎してやろう! 彼女はLCトレーサーの新たなるメンバーさ!」
「フランシス! 一旦落ち着け。はぁ~……こんな少女に俺らの隠れ家を見つけられるとは、こりゃ警察のガサ入れが入るのもそう遠い未来じゃないな」
「その前に、オレはこの廃マンションが解体されるんじゃねぇかと思うぜ?」

 フランシスとレイと呼ばれたダンディな男性がそんな会話をしていると、私の足元に先ほどソファーで眠っていたサンダースが歩いてきていた。私がそっと手を伸ばすと、サンダースはすんすんとその手の匂いを嗅ぎ出した。

「アシュリー、よく聞いてくれ。もしお前さんが正義の味方になりたいって言うのならLCトレーサーになるのはオススメできない。確かに、俺達はライムシティの犯罪現場にいち早く赴いて犯人を取り押さえたり、証拠品を集めたりをする事もあるが、その実態はただのパルクール好きのならず者集団さ。警察にだって何度も目を付けられてる」
「全然平気です! 私、走るのが大好きなので! 警察に追われた経験はないですけど……パルクールだって4年は特訓を積んでます!」

 そう言いながら、私は気を許してくれたサンダースの背中を優しく撫でた。
 パルクールというのは、走る、跳ぶ、登るなどといった移動術の事で、カロス地方から発祥したスポーツである。移動術といっても、柵やベンチなどの身近にある障害物を乗り越えるところから、危険な高所のビル群を駆け抜けて行くところまで、その内容は多岐に渡る。
 そして、LCトレーサーというのはそんなパルクールを今人気の観光地として話題になっているライムシティで行いながら、裏でライムシティの治安を守っている謎の集団の事だ。走る事が大好きな私はそのLCトレーサーになりたいと、街外れにあるこの廃マンションまでやって来たのだ。
 ……まぁ、こんな薄汚れた場所を拠点にしていると聞いた時はどうかと思ったものだが。
 でも704号室自体はそれなりに手入れがされているし、電気もどうにしかして用意してるみたいだから問題は無いのだろう。

「ほら見ろよ! あれはちゃんと覚悟ができてる顔だぜ、レイ! しかもこのボロボロで崩れまくったマンションをまさかのスカート姿で登ってくる嬢さんなんて、ただもんじゃねぇ! ホークもそう思うよなぁ?」
「ホォーク!」

 ムクホークはフランシスの言葉に賛同するように元気にそう鳴き、翼をばさっと広げた。それに呼応するようにして、サンダースも「サァン!」と鳴いて私の事を見上げる。

「はぁ……そうだな。覚悟ができてる顔かどうかは知らないが、わざわざこんな所にまでやってくるのだから、LCトレーサーになりたいという気持ちは本当なんだろう。俺の名前はレイ・ヴォルフ、LCトレーサーの一応のリーダーさ。アシュリー、お前さんを歓迎するよ」
「本当ですか!?」
「あぁ、でも楽じゃないぞ? ただのならず者集団とは言ったが、時には悪党をとっ捕まえる危険な仕事をするんだからな。無論、ボランティアで」
「大丈夫です! 任せてください、ボス!」
「ぼ、ボス……?」

 レイと名乗ったダンディな男性、もといボスは、困惑した顔を浮かべる。その後ろでフランシスが「イェーイ!」と嬉しそうな雄叫びを上げ、ムクホークやサンダースも喜んで翼をはためかせたり、部屋の中をぴょんぴょんと跳び回っていた。

 こうして、私は今日からLCトレーサーの一員となった。





────私がライムシティについて知っている事といえば、それはポケモンと人間が共に寄り添って暮らしている街だという事。
 ここにはモンスターボールも無ければ、トレーナも居ないし、ポケモンバトルだって起こらない。本当の意味で、人とポケモンとの調和が取れた街だと言えるのだろう。
 そしてこの街の創設者はハワード・クリフォードという人物で、今はその息子のロジャー・クリフォードという人物がこの街のトップの権力を持っているという。

 ……とまぁ、ここまで全て私がレーベンタウンからライムシティに行く途中の電車のモニターから知った情報なのだが、これくらい説明すれば十分だろう。
 実際、私が初めてライムシティに足を踏み入れたとき、ポケモンがボールに入らず普通に街中を歩いている姿を見て衝撃を受けた。そして、ものの数分間街中を歩いただけでその光景を自然と受け入れてしまっている自分自身にも衝撃を受けた。
 ポケモンが社会の一員として溶け込んでいる事が当たり前の街。ライムシティは良く統治された素晴らしい街なのだな、と私はそういう感想を抱いた。

「ライムシティは完璧な街じゃない」

 私がLCトレーサーの一員になって4日が経った日。ボスはそのような事を口にした。

「ライムシティはまだまだ発展途上だ。確かに街の中央部は開発が進んでいて人気の観光地となっているが、少し街外れに出れば木々だらけの田舎道があったり、この廃マンションのように長い間放置された建物が残っていたりする」

 私はボスの話を聞きながら、新しい黒色のスポーツウェアの着心地を確かめていた。流石にスカートを履いたままパルクールをするのは危険だと、ボスが用意してくれたものだ。

「それから、お前さんの知っている通りライムシティでも犯罪は沢山起こる。今その筆頭となっているのが、ライムシティでの違法なポケモンバトルだな」
「違法なポケモンバトル?」

 私は首を傾げてそう言った。ライムシティではポケモンバトルは行われていなんじゃなかったのか。そう思っていると、ソファーに座っていたフランシスが代わりに話し出した。

「ライムシティ内には多額の金を賭けてポケモンバトルをする事ができる場所が幾つかあるのさ。勿論、それらは全部違法だから、現CNM会長のロジャーが厳しく取り締まっている」
「あぁ。だが、そのせいでライムシティに巣食う違法なポケモントレーナー達は相当なフラストレーションを溜めているようだ。中でも過激な奴らは、近いうちにライムシティで何かしらのテロを起こそうと目論んでいるらしい」

 そう言うとボスはノートパソコンに映った一枚の画像をこちらに見せてきた。

「これは……草むらですか?」
「そうだ。ここからそう遠くない、ライムシティの街外れにある草むらだ。そしてこの草むらの下には、テロを目論む違法トレーナー達の基地があるらしい。そこで、今回お前さんにはとある任務を遂行してもらう」
「なるほど、初任務ですか」

 ついに来たか、と私は興奮気味にそう思った。

「テロの計画表が基地の中に設置されている端末の中に保存されているらしい。お前さんはその基地の中に潜入して、テロの計画表のデータを盗み、テロを未然に防ぐ。どうだ、簡単な仕事だろう?」
「レイ……たぶんそれは言うほど簡単じゃないぜ」
「心配するな。俺がここから通信機を使ってアシュリーに指示を出す。それにバックアップ係にフランシスとホークを付けるし、アシュリーのパートナーポケモンとしてプラズマを同行させよう」

 ボスがそう説明すると、棚の影に隠れていたサンダースが「サン、サァン!」と鳴きながらこちらに飛び込んできた。私はそれを受け止めて顔をわしゃわしゃと撫でてやる。

「プラズマは優秀なトレーサーだ。お前さんのパルクールが折り紙付きの実力なのはここ3日間で分かったが、プラズマはそれ以上に自由自在に動き回れるだろう。勿論、電撃を使った攻撃も強力だから、争い事になってもそうそう負ける事は無いだろうな」
「なるほど……大体分かりました! 要はセンパイと一緒にちゃちゃっとテロの基地に侵入して、情報を掻っ攫っていけば良いわけですね! その任務、やります!」
「センパイって……あぁ、プラズマの事か……」

 私が「よろしくお願いしますね」とセンパイに言うと、センパイは「サァン!」と元気良く返事をしてくれた。その隣でフランシスが「んじゃ、オレも精一杯頑張りますかね」と呟きながらソファーから立って伸びをした。

「作戦は今日の夜決行する。それからアシュリー、お前さんのスマホに俺が既存のものを改良したハッキングツールアプリを入れておいた」
「え、いつの間に」

 私が腰につけたポーチの中から自分のスマホを取り出して画面を確認すると、確かにそこには見慣れないアプリが一つ入っていた。

「このケーブルを使ってスマホと端末を接続すれば、自動で計画表のデータを抜き取ってメモリに保存してくれるはずだ。盗んだデータは基地を脱出した後にフランシスが持っていくノートパソコンを使ってこちらに送信してほしい。後は俺が中身を解析して、警察に送る」

 ボスは淡々とした口調でそう説明していく。

「よ、よく分からないけどなんか凄そうですね……テロが計画されているって情報も、ネットから見つけてきたんですか?」
「あぁ、正確にはネットの裏側からだな。俺は昔はハッカーだったから、こういうのには慣れているんだ」

 へぇ~と呟きながらボスの話を聞いていると、横からポンと肩を叩かれた。視線を横に向けると、そこにはちょっと呆れたような表情をしたフランシスの姿があった。

「まぁ、そういう訳でさ、レイはいつもどこからか犯罪の情報を拾ってくるんだ。だからその犯罪を止めるのがオレとホーク、そしてプラズマの仕事。今回はお前も一緒だな。少々難しい任務になるが、アシュリーならきっと出来るさ。ライムシティの平和の為にもやってやろうぜ!」
「えぇ! 全力でやってやりますよフランシスさん!」
「サン、サァン!」
「ホーク!」

 センパイやホークが鳴き声を上げるのを聞きながら、私はニッと笑ってフランシスと腕を合わせた。



 時刻は午後8時ぐらいを回った頃。
 私達はボスがパソコンの画像で見せてくれた草むらの場所まで、ホークの背中に乗り、『そらをとぶ』でひとっ飛びでやって来た。
 そして、少し離れた場所から基地の入り口らしきハッチを発見したが、そのハッチの前に違法ポケモントレーナーであろう見張り人が立っていたので、大体こんな感じで対処した。

「たたたた、大変です~~!?」
「サン、サン、サァァァン!?」

 まず、私とセンパイが慌てたような演技をしながら見張り人に近づく。

「お、おいおい誰だよお前? どうしたんだ?」
「大変なんですよお兄さん! さっきそこでファイアーを見かけたんです!」
「はぁ?」

 予想通り、見張り人が「何言ってんだお前」みたいな反応を見せてきたので、そこで私は見張り人の服を無理矢理引っ張って連れて行こうとする。

「とにかくお兄さんも付いて来てください!」
「おいおいおいちょっと待て! 引っ張るな! そんなガセ俺は信じねぇぞ!」
「サンサァン!」
「何言ってるんですか! ガセじゃないですよ! マジのマジであの伝説ポケモンのフリーザーが居たんですよ!?」
「お前さっきファイアー言ってなかったか!?」

 あっといけない。即席で考えた作戦だったからついポケモンの名前を間違えてしまった。
 しかし、そんなやり取りをしている間にフランシスが草むらの中から見張り人の背後へとこっそりと近づいていき……

「ふっ!」
「うぐっ!?」

 素早く首を絞めて気絶させた。お兄さんには申し訳ないが、ライムシティの平和の為には致し方ない事なのである。

「……よし、こちらフランシス。見張りを排除して、草むらの中に隠されていたハッチを発見した。ここから基地の中に侵入できそうだ」
『よくやった。他に見張りは居ないな?』

 耳元につけた通信機から、ボスの声が聞こえてくる。この通信機はセンパイやホークを含む全てのLCトレーサーの耳に取り付けられており、耳元のボタンを押し続けている間はこちらから音声を発信することが出来る。

「まったく居ない。どうやら過激派トレーナーと言っても、そこまで数は多くないらしいぜ。この様子だと中に居る見張りもそこまで多くはないだろう」
『そうか、よし、それじゃあアシュリー、プラズマ。ハッチから中に侵入しろ。フランシスとホークは外を見張って、何かあったら逐一知らせるんだ』
「「了解!」」

 私は古ぼけたハッチを開き、真っ暗な穴の中へと入っていく。

「よっ……と」

 トンッと足に硬い感触が伝わってきたのを確認すると、私は腰につけたポーチから小型のライトを取り出して明かりをつけた。

「ここは……どうやら地下通路みたいです」

 私は通信機のボタンを押しながらそう言った。その後ろで、ハッチから入ってきたセンパイが華麗に着地を決める。
 ライトを照らして見えたのは、壁にそって無数のパイプが伸びている地下通路の光景だった

『ふむ……どうやらまだそこは基地の中じゃないみたいだな。先に進んでみてくれ』
「了解です」

 私はセンパイを手招きすると、前へと向かって走り出した。
 地下通路に伸びるパイプは時々通路を塞ぐようにして横に伸びており、私達はそれを飛び越えたり、スライディングで隙間を潜り抜けたりして先へと進んでいく。
 しばらく走り続けていると、そういう構造なのだろうか、数メートルに渡って足場が無くなっている箇所が私達の前にある事に気が付いた。

「センパイ、気をつけてください!」
「サァン!」

 足場は無いが、通路はまだ先へと続いている。私は通路の天井に伸びていたパイプをジャンプして掴み、そのまま振り子の要領で足場の無い箇所を飛び越えた。
 着地と同時に受け身を取った後、チラリと背後を振り返ると、センパイはパイプの伸びていない方の壁を駆け抜けて、足場の無い箇所を乗り越えていた。
 
「ナイスですセンパイ、落ちたら危ない所でしたね」
「サンサンっ」

 壁走りが出来るサンダースなんてこの世に何匹いるだろうか。
 センパイの妙技を見て、ふとそんな事を考えなくもなかったが、私は通路のすぐ先の床から、光が差し込んでいる場所を見つけた。

「ボス、さらに地下へと続く穴を見つけました。梯子が掛かっていて、明かりも点いてます」
『おそらくそこが基地の入り口だろう。中がどれくらい広いのかは分からないが、必ずどこかに端末が設置されている筈だ。よーく探してくれ』
『アシュリー、気をつけろよ。今のところ外に異変はないから、心配なのはお前の事だけだ』
「大丈夫です、フランシスさん。すぐに情報を盗み出して戻ってきますから!」

 そう言うと私は梯子に手を掛け、光の差し込む穴の下へと降りていった。

「……? サン?」

────その時、プラズマは天井から何か気配を感じて、上を見上げていた。しかしそこには誰もおらず、ただ蜘蛛の巣が張られているだけだった。
 プラズマは不思議そうに首を傾げながら、アシュリーの後を付いていくのであった。




 たとえば、スパイ映画などで、主人公がダクトの中を通って潜入したりするシーンを見たことがあるかもしれない。
 実際、私もそういうシーンを見たことがあるし、まさに潜入、といった感じがしてカッコいいと思う。

「でもまさか私がそれをする事になるとは思ってなかった……」
「サン……」

 私とセンパイは今、狭くて汚れたダクトの中をハイハイで進んでいた。
 どうしてこんな所を通っているのかというと、詰まる所ここ以外に侵入経路を見つける事ができなかったのだ。

『カードキーがないと通れない扉があるとはな……テロ集団が集まる基地にしては、やけにハイテクだ』

 ボスの声が通信機から聞こえてくる。
──あの後、私達が地下通路から梯子を降りると、白色が天井や床を埋め尽くす近未来的な空間へと出た。そこで幾つか自動ドアのようなものを見つけたのだが、どれも全く作動しなかったのだ。
 どうしようと私達が頭を悩ませていると、突如として一つのドアが開いた。私達は驚いて、とっさに部屋を支えていた大きな白い柱の後ろへと身を隠した。

 ドアから出てきたのは二人の違法ポケモントレーナー達で、どうやら彼らはテロの事について話しているみたいだった。

「もうすぐ実行の日が来るんだな」
「あぁ、そうだな……あのおっさんに手を貸してから、2年もの歳月が経っちまった。今こそ俺らの怒りをぶつける時だ」

 その会話を聞いて、私はこの近未来的な施設がテロを目論む違法トレーナー達の基地である事を確信し、それと同時、彼らがドアを通る際に何かカードのようなものを横に取り付けられた装置にかざしている所を目撃した。

「あのカードキーが無いと、満足に基地の内部を探索できませんよ。一体どうすれば……」

 私は通信機のボタンを押しながらそう呟く。幸い、入口の部屋には天井付近にダクトが付いていたので、私達はこうして中へ進む事ができているのだが……

『案ずるなよアシュリー、そのダクトを抜けたら、そこらへんに居る適当な見張りをぶん殴ってカードキーを奪えばいいのさ!』

 フランシスの威勢の良い声が通信機から聞こえてくる。そんな事、私に出来るのだろうか。

『あ~……すぐに暴力的な解決方法を提示するのはフランシスの悪い癖だ。でも、どのみち誰かからカードキーを奪わなきゃいけないのは確かだな』
「……なんとかしてみます」

 私はそう言いながら、四角い換気口カバーを力尽くで取り外し、ダクトの中から脱出した。
 ダクトの外は小さな資料室のような場所に繋がっていた。狭い部屋に、引き出しのついた大きなステンレス製の棚が並んでいる。

「人の気配は無い……みたいですね」

 私は自分の服に付いた埃と、センパイの体に付いた埃を払い落としながらそう呟いた。そして、試しに一つ棚の引き出しを開けて、中に入っていた紙の資料を適当に手に取って読んでみた。

「ふむふむ……内容は全然分かりませんが、どうやらポケモンに関する医学について書かれているみたいです、センパイ」
「サン?」

 私はぐるりと狭い部屋の中を回ってみる。すると、部屋の壁の一箇所に、とても興味深いものが貼られているのを発見した。

「これって……もしかしてこの基地の地図!?」

 私は壁に貼られた手書きの地図をよーく眺める。どうやら基地内は迷路のように細い通路で入り組んでいるらしい。

「ボス、聞いてください! 基地内の地図を発見しました!」
『なんだって? そいつは役に立ちそうじゃないか』
「えぇ、なんだか実験室とか製薬室とかよく分からない部屋が沢山書かれていますが……とにかくこの地図によると今居る資料室からすぐ近くの所に情報管理室というものがあるみたいです!」
『ふむ……実験室に製薬室か。まるで何か研究施設のようだな。まぁいい、おそらく端末はその情報管理室にあるだろう。すぐに向かってくれ』
「分かりました、行きましょうセンパイ!」
「サン!」

 私達は部屋に付いていた小さな窓から資料室を抜け、入り組んだ通路を進みながら情報管理室を目指した。
 足音を立てないように気を付けながら、通路の中をスマートに駆け抜けていく。曲がり角では見張り人とばったり遭遇しないように一度壁に張り付いて、様子を伺ってから先に進んでいった。

 そして、到着した情報管理室前。

「センパイ、ストップ! 見張りが居るみたいです……」

 最後の曲がり角を曲がろうとした時、一人のトレーナーが通路の奥からこちらに向かって歩いている事に気付き、私は声のトーンを落として後ろから付いてきていたセンパイを制止した。

────どうにかしてカードキーを奪えないかな……

 通路を進んでいる途中で見つけた部屋は全てロックが掛かっていた。この様子だと情報管理室に入るのにもカードキーが必要になってくるだろう。
 私は思案する。正面衝突でぶん殴りに行くのはいささかリスクが伴う。となると、ここで待ち伏せて不意を打つか? それとも……
 そんな事を考えていると、突如としてセンパイが曲がり角から飛び出していった。

「サァン!!」
「ちょっ、センパイ!?」
「うわ、何だ!? サンダース!?」

 センパイはトレーナーの体に向かって勢いよく飛び付く。そして、トレーナーを押し倒すと、素早く『でんじは』を放って体を痺れさせた。

「マジですか」

 流れるようにトレーナーを無力化したセンパイを見て、私は思わずそう呟いた。そして、私は恐る恐る倒れたトレーナーの前に立った。

「な、なんだ……あんた……ら……」
「ごめんなさい……ちょっとカードキーを頂きますね」

 痺れて動けないトレーナーの体を漁り、オレンのみの模様が描かれているカードキーを奪う。そして、すぐ目の前の情報管理室でそのカードキーを使い、中へと入った。

「こちらアシュリー。カードキーを奪って、情報管理室の中に入りました。中に人は居ないみたいです」
『お、一体どうやってカードキーを手に入れたんだ? やっぱ見張りをぶん殴ったのか?』
「いえ、それがですね……センパイがいきなり見張りに向かって襲い掛かりにいったんですよ」
『ほうほう……なるほどな。多分、プラズマはお前に良い所を見せようと思ったんじゃないか? 実際、助けになっただろ』

 フランシスにそう言われて、私はセンパイの事を見た。センパイは得意気な顔を浮かべてこちらを見ている。
 私はその場にしゃがみこみ、センパイの頭を撫でながら言った。

「……ありがとうございます、センパイ。おかげでとっても助かりました!」
「サン、サァン!」

 センパイは嬉しそうにそう鳴いた。私は後ろを振り返り、部屋の中にあった大きな機械を眺める。
 おそらく、これがボスの言っていた端末だろう。私はスマホを取り出し、ケーブルをスマホと端末に接続してハッキングツールアプリを立ち上げた。

『情報を盗むのにそう時間は掛からない筈だ』

 ボスの言う通り、ハッキングはものの20秒で終了した。私はテロの計画表が入ったメモリをポーチの中に入れて、部屋を出ようとする。すると、通信機からフランシスの声が聞こえてきた。

『……? レイ、何か様子が変だ。基地の入り口の周りにポケモンを連れた人間がどんどん集まってきてる』
『なんだって?』
『もしかしたら……奴らも違法トレーナーかもしれない。オレらが侵入した事がバレたんじゃないのか?』
『そいつはまずいぞ……アシュリー、プラズマ、一刻も早くその基地を脱出するんだ。フランシス、ホーク、集まってきたトレーナー達を陽動しろ。基地の中には誰一人として入らせるな』
『分かった! 行くぞホーク!』
『ホークッ!』

 ホークの威勢の良い鳴き声が聞こえてきたところで音声は途絶えた。どうやら外はかなりマズい状態になってきているらしい。

────私達も早くここを抜けないと……!

 私はセンパイを手招きして、情報管理室を出るために再びカードキーをドア横の装置にかざした。
 しかし。

「あれ……開かない……」

 何度カードキーをかざしても、ドアは開かない。どういうことだ、と焦りを感じていると、突然、部屋の中に謎の紫色のガスが噴出された。

「な、何っ!?」
「サ……サン、サァン!?」

 センパイが酷く狼狽してガスから身を逃れようとする。私もすぐに床に伏せて、通信機のボタンを押した。

「ボス、ヤバいです!? なんか部屋の中に紫色のガスが!」
『紫色の、ガス……!? いや、まさかそんな事は……!』

 紫色のガスは瞬く間に部屋全体を覆い、私は激しく咳き込んだ。紫色のガスからは鼻を突くような薬品臭がする。

「げほっ、げほっ! センパイ、大丈夫ですか……!?」

 私はガスを手で振り払いながら、床にうつ伏せるセンパイの元へ駆け寄った。

「グ……グルル……!」
「センパイ? しっかりしてください!」

 センパイはかなり苦しそうにしている。私はセンパイの背中を叩きながら必死にそう呼びかけた。

『────アシュリー! プラズマから離れるんだ!!』
「え?」

 ボスが叫んだ次の瞬間、鋭い目つきで、牙をむき出しにしたセンパイが私に向かって飛びかかってきた。

「きゃあっ!?」

 私は咄嗟に横に転がって飛び掛かりを回避する。何が起きたのか理解できないまま、腰を抜かした状態で後ろへと後ずさった。

「セ、センパイ……!? どうしたんですか!?」
『アシュリー! 大丈夫か!?』
「ぼ、ボス! センパイの様子が変です!?」

 先ほどまでとは打って変わって、まるで憎たらしい敵を睨みつけるようなセンパイの目つきに、私は戦慄を覚えた。

『違いない! プラズマは「R」を吸ってしまったんだ! Rはもう全て警察に回収されて世には出回っていなかったはずなのに!』
「なんですか、そのRって──きゃあ!? やめてっ!」

 再び飛び掛かってきたセンパイを無理矢理押し退け、私は慌てて部屋の端まで逃げる。

『Rはポケモンを一時的に凶暴にさせる薬品だ! アシュリー、とにかく逃げ続けろ!』

 センパイは体から電気をバチバチを放出しながらこちらに近づいてきた。

「グルルル……!!」

────こんな狭い部屋で、逃げる場所なんてないですよ……!?

「センパイ……? 落ち着いてください! ねぇ、しっかりして!!」

 気を確かに持ってほしいと、私はセンパイに向かって腹の底からそう叫んだ。
 しかしそれでもセンパイは止まってはくれず、電気を体に纏ってこちらに突進してきた。私はとっさに近くにあった棚の上に登って突進を回避する。

「サァァァァンッ!!!」
「きゃああっ!?」

 電気をめちゃくちゃに放出しながら、センパイはその場で暴れ狂う。すると突如、バチンッ! という一際大きい音が鳴ったかと思うと、先ほど開かなかったはずの情報管理室の出入り口のドアが独りでに開いた。

「ドアが故障した……?」

 おそらく、センパイの放った電撃がドアに関係する何かしらの電子機器を破壊したのであろう。その証拠に、カードキーを読み取る装置から発せられていた青い光が消えていた。
 
 早くここから抜け出さないと。

 私は棚から飛び降り、開いたドアに向かって走り出した。その後ろを凶暴になったセンパイが追いかけてくる。
 通路に出ると、私はすぐに左側に向かって走った。資料室の地図が正しければ、基地の出口はこっちの筈だ。

『クソッ! 大丈夫かアシュリー!?』
「フランシスさん! データは盗みましたがセンパイの様子が変なんです!」
『ああ分かってる! Rはしばらくすれば効果を失うはずだから、そのままプラズマを出口まで誘導するんだ! こっちも今オレのファンクラブ達の相手をするのに忙しくてな! 援護に行けないが、なんとか頑張ってくれ!』
「分かりました! すぐに戻りま──うぐっ!?」

 通路の曲がり角を曲がろうとしたとき、突如、腹部を思い切り殴られるような衝撃を受けて、私はその場に倒れこんだ。

「うぁ……がはっ!」

 あまりの痛みに、私は思わずお腹を押さえて悶え苦しむ。そこに、自我を失ったセンパイがのしかかってきて、私の首元に噛み付こうとした。

「グルルル……! サンッ! サン────サン?」

 しかし、直前に正気を取り戻してくれたのか、センパイは私の体に乗っかったまま、その動きを止めた。

「はぁ……はぁ、センパイ、元に……きゃあ!?」
「サァンっ!?」

 元に戻ったセンパイの様子を確認する暇も無く、今度は足に蜘蛛の糸のようなものを巻きつけられたかと思うと、思いっきり足を引っ張られ私達は宙ぶらりんになった。

「な、何!? ……アリアドス!?」

 逆さ吊りになりながらも視界に捕らえたのは、細い通路の天井を這うアリアドスの姿だった。私と一緒に吊り上げられたセンパイが、蜘蛛の糸から抜け出そうとじたばたと暴れている。

「よくやった、ルカリオ、アリアドス。侵入者を捕らえる事が出来たな」

 突然、ボスの声とはまた違った低い男性の声が聞こえてきて、私は宙ぶらりんのまま声の聞こえた方に顔を向けた。
 視線の先に立っていたのは、おそらく私の腹部を殴ったのであろうルカリオと、灰色の髪をして、白衣を身につつんだ初老の男性だった。

「恐らくCNMの差し金といった所だろうが、我らの計画は邪魔させない。盗んだデータを返してもらおうか」

 初老の男性は私達の事を眺めながらそう言う。少々誤解されているようだが、どうやら私達が基地に侵入した事は既にこの初老の男性にバレていたらしい。
 私は答える。

「お断りします。ポケモンバトルが規制されているとかなんだか知りませんが、ライムシティでのテロなんか起こさせません」

 そういうと、初老の男性は顔のしわを寄せむっとした表情でこちらを睨んだ。

「ポケモンバトルは我々の代え難い娯楽だ。ハワードがCNMの会長だった頃はここまで規制は厳しくなかったのだが、ハワードの息子は……ロジャーは、必要以上にポケモンバトルを厳しく取り締まり始めた。我々同志達は、奴を許す事が出来ないのだ」
「……それなら、ライムシティを出て行ったらどうですか? ここはポケモンバトルが禁止されている、そういう街だから、気に食わないなら他の街に行ってポケモンバトルを楽しめばいいんですよ。ま、そこで多額の賭け金を賭けれるかどうかは分かりませんけどねっ!」

 そう言って、私は素早くズボンの右ポケットからポケットナイフを取り出した。ボスがもしもの時にと言ってこっそり私に持たせてくれたものだ。
 右手の指を使って折りたたまれた刃を取り出すと、私は思いっきり蜘蛛の糸を切りつけた。
 糸はプチンと音を立てて切れ、私とセンパイは地面に落下する。そして、素早く受け身を取って通路を走り始めた。

「っ! 奴を逃がすな!」

 初老の男性がそう叫ぶと、後ろからルカリオが走って追跡してきた。

「サン、サンサンッ! サンサァン!!」
「分かってます! さっきの事は気にしてませんから、とにかく走り続けましょう!」

 私達は全速力で通路を駆け抜ける。背後からルカリオが走りながら『はどうだん』を生み出し、それをこちらに向かって撃ち出してきた。

「ウォォン!」
「サン、サァン!」

 はどうだんがこちらに命中する直前に、センパイは素早く背後に『ひかりのかべ』を展開して、その勢いを殺した。
 その隙に、私は曲がり角に飛び込んではどうだんの射線から逃れる。
 ひかりのかべを打ち破ったはどうだんは、勢いを少し失ったのにも関わらず、命中した壁を大きな音を立てて破壊した。

「なんて威力なの……!?」

 私は背後を振り返りながらそう呟く。センパイもルカリオも、まだ後ろをついて来ていた。

『アシュリー、状況を報告しろ!』
「状況ですか!? えーっと良いニュースと悪いニュースがありますねどっちから聞きたいです!?」
『良いニュースがプラズマが無事って事で、悪いニュースが敵に見つかった事って所だな!?』
「ご名答です!」

 そんなやりとりを全速力で前に駆けながら行っていると、私は通路の向かい側に女性のポケモントレーナーが立っていることに気付いた。

「侵入者発見! バイバニラ! 『れいとうビーム』よ!」
「バイバニッ!」

 女性トレーナーのポケモンであろうバイバニラは、通路の床に向かって勢い良くれいとうビームを放つ。すると、みるみる内に床は凍て付き始めた。

────足を滑らせるつもりね!

 私は素早く通路の横の壁へとジャンプし、そのまま壁を3歩駆ける。そして最後に壁を強く蹴り上げ、トレーナーの頭の上を飛び越した。

「よっと!」
「サンッ!」

 同様にセンパイも壁走りを行って凍て付く床を回避した。
 私達の走りはどんどん勢いに乗っていく。

「侵入者がそっちに逃げたぞ!」
「素早くて追いつけません!」

 他にも私達を捕まえようと見張りのトレーナー達がやってきたが、私とセンパイは通路の曲がり角などを上手く利用して、次々とトレーナー達を回避していった。
 そうこうしている内に、私達はなんとか基地の入り口まで戻ってくる。

「センパイ、あの梯子を上れば地下通路に戻れます!」
「サンッ!」

 私は相変わらず真っ白で無機質な空間におさらばを告げて、梯子に手を掛けた。すると、私達の背後からドアが開く音が聞こえてきた。

「奴を逃がせば我々の計画が全て台無しになる! ルカリオ、早く捕まえるんだ!」
「ウォン!」

 ドアから出てきたのは先ほどのルカリオと、白衣を着た初老の男性だった。

「しつこい人達ですね!」

 私は思わず愚痴を零しながら、急いで梯子を駆け上る。
 地下通路へと戻ると、私達は地上に出るためのハッチを目指して、力を振り絞って前へと走った。

「ウォン、ウォン!」
「やばっ!? めっちゃ迫ってきてますセンパイ!」
「サンサンッ、サァン!」

 階段を登ってきたルカリオは物凄いスピードで走り、私達との距離を詰めてくる。すると、センパイは体に電気を纏い、さらに限界までスピードを上げて前へと走り出した。
 そして、センパイは通路の床が無くなっている箇所を再び壁走りで飛び越える。私もそれに続いて勢いよく通路の壁に向かってジャンプした。

「うわぁっ!?」

 しかし、そこで私は足を滑らせてしまった。壁を数歩走る事はできたが、最後のジャンプに失敗したのだ。
 バランスを崩し、私は重力に従って落下する。無くなった通路の下がどれだけの深さがあるのかは全く分からない。
 私はがむしゃらに腕を伸ばし向かいの足場の縁を掴もうと試みた。

「ぐうッ! ……助かった?」

 私はギリギリの所で足場の縁を掴み、間一髪落下を免れる。そして、私の頭の上をルカリオが飛び越えようとしている所が一瞬視界に映った。

「サンサンッ……サァァァァァンッッ!!!」

 その瞬間、センパイは雄叫びを上げながら『10まんボルト』を放った。高電圧の電撃は空中のルカリオを捉え、ビリビリビリッ! と音を立てて感電させる。
 電撃を食らったルカリオは空中で気を失い、そのまま奈落の底へと落下し始めた。

「あぶないっ!」

 私は反射的にルカリオの手を掴んだ。その瞬間、重さのあまり縁を掴んでいた自分の右手を離しそうになったが、なんとか持ちこたえた。日頃の筋力トレーニングの賜物だと思う。

「サン!? サンサン!」

 センパイが慌てて前足を私の腕に挟み込んで、引っ張りあげようとしてくれる。私は思い切り右足を振り上げ、足先を足場に上手く引っ掛けて縁をよじ登った。そのままルカリオを両手で引き上げる。

「はぁ……はぁ……超あぶなかった……」

 息をつきながら、私は気を失ったルカリオを通路の壁にもたれかけさせる。その横で、センパイは「どうして助けたのか」というような視線を私に向けてきた。

「自分でも分からないですけど、とっさに手を掴んでしまったんですよ。高いところから落ちると痛いのは私がよく知ってますからね」
「サァン……サンサン!」

 センパイは何となく納得してくれた様子で、電撃を浴びせたルカリオにぺこりと頭を下げていた。

『アシュリー! まだ戻ってこれないのか!? そろそろマズイかもしれねぇ!』
「フランシスさん! 今地下通路に居ます! もうすぐです!」

 私達は慌てて地下通路を駆け抜けた。
 そして、ようやく地上に出るハッチの元に戻ってこれた。

「よいしょっ……と、うわっ、あっつ!? 何ですかこれは?」

 ハッチから顔を出すと、なんと草むらは辺り一面燃え盛り、煙を上げていた。
 遠くを見てみると、複数のトレーナーが従えたポケモンに指示を出して空を飛びまわるホークを攻撃しているのが分かった。

「フランシスさん! 基地から脱出しましたよ! 一体どうなってるんですかこれ!?」
『お、ようやくか! 全く大変だったぜ!? 飛び交う炎と水と草と電気と……他色々を避け続けてたら辺り一面こんな事になっちまった!』
「な、なるほど……じゃなくて! 早く私とセンパイを回収してください!」
『分かった、今行く! ホーク、急降下だ!』

 フランシスがそう言うと、宙を飛んでいたホークが高速でこちらに向かって急降下してきた。どうやらフランシスがホークの背中に乗って指示を出しているらしい。

「跳べ!」

 フランシスの叫び声が聞こえてきて、私はタイミングよくホークの足を目掛けてジャンプした。
 ホークはがしっと鉤爪で私の腕を掴むと、そのまま上へと急上昇する。乗り遅れたセンパイが慌てて私の足元目掛けてジャンプして、しがみ付いた。

「よっしゃ! レイ、上手くいったぞ! 計画表のデータを盗んで、アシュリー達も脱出した! あとはここから逃げればMission completeだ!」
『本当か? お前さん達、良くやったな!』

 ボスの嬉しそうな声が通信機越しに聞こえてくる。私達はホークに連れられて、燃え盛る草むらを後にした。





 違法ポケモントレーナー達の基地からかなり離れた場所。しかしまだライムシティの街外れであると言える場所。
 そんな場所に位置している公園で、フランシスはノートパソコンを開き、私が盗んできたテロの計画表のデータをボスに送信していた。

「どうだ、レイ? 何か分かったか?」

 フランシスがパソコンを弄りながらボスにそう聞く。私はその傍でセンパイやホークのケアをしてあげていた。

『あぁ……分かったぞ、彼らは「R」を使ってライムシティを混乱に陥れるつもりだったみたいだ』
「Rを使って? 一体どういうことだ?」
『アルジー・ルースという人物を知っているか? 彼はライムシティに設立されているポケモン専用の薬を作る製薬会社「オレンソス」の社長で、どうやら裏で違法なポケモンバトルに手を染めていたらしい。パートナーポケモンはルカリオだな』

 私はルカリオというポケモンの名を聞いて、基地で見た初老の男性の事を思い出した。彼がアルジー・ルースなのだろうか。

『アルジーも違法ポケモンバトルの厳しい取り締まりに強い反感を持っていた。そこで、彼は違法なポケモントレーナー達を集め、トレーナーらが持っていたRのサンプルからRのコピー品を大量製作し、テロを起こそうと目論んだんだ。アシュリーが侵入したあの基地はただの基地じゃなくて、そのRのコピー品を作るための研究所だったって訳だな』

 ……大体話が分かったような、そうでもないような。そもそもなんでRなんてものが存在しているのか、私は詳しい事は何も知らない。とにかくそれが危険なものだっていう事は身をもって知ったけれど……

『実際にコピー品の製造方法まで記されている。純粋なRに様々な化学物質を混ぜ込んでかさ増しさせているみたいだな』
「えーっと……それで、そのアルジーさんはRを使って、どうやってテロを起こそうとするつもりなんですか?」
『カイリューにRが大量に詰まったタンクを背負わせて、街中を飛行させるらしい。そうすれば街全体にRがばら撒かれて、それを吸ったポケモン達が次々に人や建物に危害を加えていって……最終的に街は大混乱になるだろうな』
「なんだよそれ……それじゃまるで3年前のポケモンパレードみたいだな」

 またもや私は聞きなれない言葉を耳にして、首を傾げた。

「あのっ、フランシスさん。ポケモンパレードって一体────」

 なんなのですか。
 そう言おうと思った瞬間、私達の頭上で何かが高速で通り過ぎた。
 姿を捉えれたのは一瞬だけだったが、それは翼が生えていて、山吹色の大きな体をしていた。そして何より重大なのは……

「なっ……!? 紫色のガス!?」

 フランシスが驚いたようにそう言った。
 何かが通り過ぎていった跡には、まるで飛行機雲を描くようにして紫色のガスが漂っていた。センパイとホークが慌ててそのガスを吸わないようにと距離を取る。

「ど、どうして……?」
「ボス! 聞こえるか! 今オレらの上を何かが超高速で通り過ぎたんだが、そいつから紫色のガスが噴出されてたんだ!」
『なんだって……!? いや待て、このテロの決行日は明後日だったらしい! もしかしたら、俺達が計画表を盗んだのを見てテロを強行させたのかもしれない!』
「となると、今通り過ぎていったのはRが入ったタンクを背負ったカイリューって事か!? クソっ、アシュリー、止めに行くぞ!」
「え? あ、ハイ! えっと、ノートパソコンは!?」
「そんなものそこに置いとけ!」

 私は半分状況が飲み込めていないまま、ホークの背中へと飛び乗った。とにかく今はあのカイリューを止めないといけないらしい。



 昼間のライムシティ中央部は、人とポケモンが行き交っていてとても活発な様子が見受けられるが、夜はまた一味違っていて、ネオンサインが街のあちこちに設置されている美しい光景を目の当たりにする事が出来る。
 そうして今現在、そんな夜のキラキラとしたライムシティ中央部の上空を、ホークの背中に乗って高速で飛び抜けていた。

「オレはカイリューを追いかける。だからアシュリー、お前はロジャーに会いに行ってこの騒動を知らせろ」

 フランシスがホークの背中に捕まって上手く舵を取りながらそう言った。

「ロジャーって……確かこのライムシティで一番偉い人ですよね? そんな人にどうやって会いに行くんですか?」
「ほら、すぐそこにCNM本社ビルが見えるだろ?」

 そう言ってフランシスが指差した方向を見ると、ずらりと並ぶ高層ビルの中でも一際大きいビルがあるのが分かった。どうやら今は一部の階層で改修工事が行われているらしく、作業を行うための足場が仮設されていた。

「あのビルの最上階にロジャーは居る。今からホークが最上階の窓に向かって突っ込むから、お前は窓を突き破って会長室に侵入するんだ!」
「いやいやいや、めっちゃ豪快なやり方ですね!? 私死にますよ!?」

 私は驚いて叫んだ。なんと無茶苦茶な。

「今すぐロジャーに会うにはこの方法しかない! カイリューはもう街の中に入った! 一刻でも早く警察を動員させてもらわないと、被害が拡大しちまう!」
「ああっ、もう! そういうことなら分かりましたよ! やってやります! センパイも行きますよ!」
「サァン!?」

 私は半ばやけくそ気味にそう叫んだ。ホークは一気に飛行の高度を上げ、CNM本社ビルの最上階の窓をロックオンする。

「よし行け! ホーク、突っ込め!!」
「ホォーークッ!!」

 ホークは会長室目掛けて一気に急降下した。物凄い風圧を体全体に感じる。
 そして、窓のすぐ目の前まで降下すると同時、私とセンパイはホークの背中を蹴って飛び上がった。

「やあああああああああっっっ!!!」
「サァァァァァァァン!!!」

 目前に迫る窓。宙を跳ぶ私達の姿がガラスに反射しているのが見えたその瞬間、思いっ切り足を前へと突き出した。

「ちぇすとおおおおおおおおおおお!!!!」

────バリィィィィィィン!!!

「うわぁッ!?」
「何だ何だ!?」
「ぶすたぁ!?」
「ピッカ!?」

 ガラスは粉々に砕け散り、私とセンパイは会長室の床に着地する。顔を上げると、そこにはスーツを着たロジャー・クリフォードとパートナーらしきポケモンのブースター、そしてもう一人、ピカチュウを連れた20代の青年が立っていた。どうやら彼らは何か話をしていたらしい。

「はぁ……はぁ……はぁーーーー!? 今日一日で何回死にそうな思いしてるんだろ私!?」
「サンサン、サァァァン!!」

 私は金色の照明が取り付けられている天井を見上げながら、大きな声でそう叫んだ。

「な、なんだ君達は!? なんで窓を突き破って入ってきた!?」

 ロジャーが酷く驚いた様子でそう言った。

「えっと、私達は怪しいものじゃなくて……あ、いや全然怪しいか」
『ポケモンパレードの再来。ロジャーにはそう伝えろ!』
「そうです! 聞いてください! ポケモンパレードの再来なんです!」

 私がそう叫ぶと、ロジャーと、もう一人の青年は「なんだって?」と声を揃えて驚いた。

「……ところで、一体ポケモンパレードってなんなのですか?」

 私がそう言った瞬間、ロジャーの後ろの窓が再びぶち破られた。その場に居た全員が驚いて声を上げると、一匹のピジョットが、なにやら苦しそうにしながら、部屋の中を暴れ回り始めた。

「ピッカ!?」
「ティム君! あれって!?」
「間違いありません、Rの症状だ! 彼女の言っている事は本当みたいです!」

 ロジャーと、ティムと呼ばれた青年が慌てふためきながらピジョットから離れる。ピカチュウとブースターは暴れるピジョットを止めるために果敢に飛び掛かった。

「そこの君! 一体何が起きているのか教えてくれ!」
「この街でRを使ったテロが起きているんです! 警察を動かして、市民をすぐに避難させてください!」

 私はそれだけをロジャーに伝えると、自分自身で突き破った窓から外へと飛び出した。そして、改修工事に使われている足場の骨組みへとしがみ付く。
 そのまま鋼板の上へと着地し、ダン、ダン、ダン、と駆け抜けると、勢いをつけて隣のビル目掛けてジャンプをした。

「よっ……と!」
「サンッ!」

 隣のビルまではかなりの距離があったが、高低差があったので何とか飛び移る事に成功した。しっかりと受け身を取って私はすぐに通信機のボタンを押す。

「こちらアシュリー、聞こえますか! ロジャーに事情を説明しました! おそらくすぐに警察が動員されるかと!」
『良くやった! 俺は今解析したテロの計画表を警察に向けて送信している。どうやら、街中のポケモンを暴走させるだけでは飽き足らず、違法トレーナー達のポケモンも「テレポート」を使ってこの街に送り込み、暴れさせるつもりらしい……!』

 ボスがそう言うと同時、ビルの下から大きな爆発音が聞こえた。私とセンパイが顔を覗きこむと、道路上の車を投げ飛ばして暴れまわるカイリキーの姿が。

「かなりマズい事になってきてます……! フランシスさん! 状況は!?」
『カイリューを追跡しているが、ガスのせいで背後からは中々近づけない! 後ろと前からで挟み撃ちできればあるいは……!』

 フランシスがそう言ったのを聞いて、私は辺りをキョロキョロと見渡した。

────誰か力を貸してくれる鳥ポケモンは居ないかな……!?

 そう思っていると、突如としてCNMの会長室の窓から一匹のオニドリルが飛んできて、私の前で止まった。
 かと思うと、そのオニドリルの体は紫色に変色していき、ぐにゃぐにゃと潰れて液体状に変化した。

「モンッ!」
「メタモン……? 力を貸してくれるの?」
「モン、モンッ!」

 メタモンは元気良く鳴くと、再びオニドリルの姿に『へんしん』した。
 CNMの会長室から飛んできたという事は、このメタモンはロジャーの手持ちなのだろうか。

「とにかくよろしく、メタモン。急いでカイリューを追いかけよう! ほら、センパイも乗って!」
「サン!」

 私達はオニドリルの背中に飛び乗って、空高く飛び上がった。Rガスが撒かれた軌道を辿れば、カイリューの元に行くことが出来る。
 
「フランシスさん! 私が今向かってます!」
『マジか、どうやって!?』
「メタモンが私達に力を貸してくれてるんですよ! オニドリルに乗っている人間が見えたらそれは私です!」
『オッケーだ、ここから見えるぜ! カイリューを上手くそっちに誘導するから、プラズマ! お前はRガスの入ったタンクを目掛けて「10まんボルト」を放て!』
「サァン!」

 フランシスの指示を受け、センパイは体に電気を溜めて『10まんボルト』の準備を始めた。
 宣言どおり、フランシスは上手くカイリューをこちらまで誘導させてきた。カイリュー自身も背中から吹き出すRを吸ってしまっているのか、恐ろしい形相をしているのが離れた場所からでも分かった。

『いけるぞ! カイリューがそっちに向かってる!』
「センパイ、チャンスです!」
「サンサァァン……!」

 センパイがカイリューの背中に取り付けられたRガスの入ったタンクを目掛けて『10まんボルト』を放とうとするが、その瞬間、カイリューはこちらに向けて口から謎の白い光線を放ってきた。

「きゃあっ!?」
「サァァン!?」

 それを見たオニドリルは、慌てて回避行動に移った。そのせいで私達は体が勢い良く引っ張られ、思わず背中を掴んだ手を放してしまいそうになる。
 間一髪の所で回避した光線は、近くの屋上にあったパラボラアンテナに命中し、粉々に破壊してしまった。

『大丈夫か!?』
「え、えぇ! 何とか!」
『まさか「はかいこうせん」を放ってくるとはな……でもチャンスだ! 奴は今疲れているみたいだぜ!』

 フランシスの言うとおり、カイリューは『はかいこうせん』を放った反動なのか、その場から動けずただ翼をはためかせていた。背中から噴出するRガスがカイリューの体をどんどん包みこんでいく。

「メタモン! ギリギリまでカイリューに近づいて!」

 私がそう指示を出すと、オニドリルは空高く飛びあがり、カイリューの真上を陣取った。

────そして、私は意を決してそこから飛び降りた。

「サァン!?」
『アシュリー!?』

 私は数メートル落下して、そこからカイリューの背中を掴む。Rのキツイ匂いが私の鼻を曲げようとしてくるが、そんな事は気にしてられない。
 私はポケットナイフを取り出すと、カイリューの背中に付けられたRガスタンクのベルト部分を切り落とした。

「げほっごほっ!! あぁ、もういい加減これで終わりにして!」

 私は取り外したタンクを気合いで持ち上げると、思いっきり上へとブン投げた。そして叫ぶ。

「センパイ! 『10まんボルト』ですッ!!」
「サ、サン! サァァァァァァンッ!!」

 センパイはオニドリルの背中の上から、宙へと放り投げられたRガスタンクに向かって電撃を放った。
 電撃はタンクに命中すると、激しい火花を散らし、それがガスに引火して大爆発を起こした。物凄い爆風が辺りに吹き荒れる。

「うわっ! きゃあっ────!?」

 そして、私はその爆風に煽られて、カイリューの背中から手を放してしまった。
 私は咄嗟にカイリューの翼を掴もうとするが、それは叶わなかった。

「うそっ」


 私はビルよりも高い上空から、遥か下の地面に向かって落下した。


 風の音がごうごうと聞こえてくる。自分の息遣いが酷く五月蝿く聞こえる。
 視界が狭まる。遠くで私の名前を叫ぶ声が聞こえる。


 ダメだダメだダメだ、落ちる。衝突する! 死んでしまう!!!


 私は重力に体が引き寄せられていく感覚に酷い恐怖を覚えながら、グッと目を瞑った。

「────ウォン!」

 その時、私の耳に聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきた。
 さらにその次の瞬間、私の体は誰かに空中でキャッチされた。

「えっ……!?」

 その生き物は私を抱えたまま華麗に着地を決める。そして、私の事を優しく地面に降ろしてくれた。

「…………ルカリオ?」

 人通りの無い路地の上で、私はそのポケモンと改めて対面した。
 間違えようも無かった。それは、違法トレーナー達の基地で私とセンパイの事を追い掛け回したルカリオだった。

「助けてくれたの……?」

 ルカリオは頷く。どうしてあの時のルカリオがここに居るのだろうと、そんな事を思ったが、私はすぐにボスの言葉を思い出した。

『────違法トレーナー達のポケモンも「テレポート」を使ってこの街に送り込み、暴れさせるつもりらしい』

 つまり、このルカリオも誰かの『テレポート』をその身に受けてこの街にやって来たという事なのだろう。でも、そのルカリオの瞳を見て私は確信する。

「あなたは……この街を襲うつもりは無いんですね」
「ウォン」

 ルカリオは再び頷いた。私が彼を救ったからかどうかは知らないが、どうやら彼の心境は、最初に会った時とは大きく変わっているようだった。
 私は小さな声で「ありがとう」とルカリオに告げる。

『大変だ、レイ!? アシュリーが! アシュリーがビルより高い場所から落下した!』
『はぁぁぁぁぁ!? フランシス! それはどういう事だ!?』
「あぁあぁ! フランシスさん! ボス! 大丈夫ですって、私はまだ生きてます!!」
『おいマジか!? そりゃ良かった! よし、今からそっちに迎えに行く……ってうおぁ!? カイリューがまだ暴れてる!』

 フランシスの慌てる声が聞こえてきて、ブチッと通信機からの音声は途絶えた。

「……私の方からそっちに向かうんで安心してください」

 私はため息をつきながらそういった。Rガスが入ったタンクは破壊されたから、もうこれ以上被害が広がることは無い。まだ事態は収拾していないが、ひとまずはこれで安心だろう。

「それじゃ、私はもう行かなきゃ。……もしアルジーさんの元を離れて、他に行く所がなくなっちゃった時は、いつでもLCトレーサーになりに来ても良いですからね!」

 私は冗談めかしてルカリオにそう告げると、路地を走って道路へと出た。
 どうやらまだRガスによるポケモンの混乱は続いているらしい。ヒトカゲがそこらじゅうに火の粉を撒き散らしていたり、エイパムが人間を追い掛け回していたり、ドードーが狂ったように道路の上を走り抜けていたり、その道路を塞ぐようにしてカビゴンがいつも通り眠っていたり……

「めちゃくちゃカオスですね……」

 私はその様子を横目に見ながら、すぐ近くにあった街灯の上によじ登って「EEVEE SALON」と描かれたネオン看板の上に飛びついた。さらにそこから建物の二階の窓に足を掛け、屋上へと上っていく。
 屋上に登ると、私はすぐに隣の建物にジャンプで飛び移り、パイプを伝ってさらに高い場所へと登った。

「フランシスさん! 私の事が見えますか!」
『あぁ、見えるぜ! 今向かう!』

 遠くの方から、ホークに乗ったフランシスとセンパイがこちらに向かってくるのが見える。

「あのメタモンはどこに行ったんですか?」
『暴れまわるポケモン達を止めるために地上に向かっていった! さあ、跳べ!』

 私は勢いを付けて屋上に取り付けられた柵に向かってダッシュし、そのまま柵を蹴って高くジャンプした。
 その瞬間、ホークが私の腕をがっしりと掴み、そこから急上昇して私を空高くまで連れて行った。

「サァン……サンッ、サァァン!」
「センパイ……! 私は無事ですよ!」

 顔は見えないが、センパイは私が無事である事を確認すると、とても安心したような様子を取っていた。

「こちらフランシス、カイリューの暴走をなんとか食い止めた。後の始末は警察に任せて、オレらは帰還するぜ!」
『了解だ……ふぅ、これで一件落着だな。お前さん達、本当に良くやった。早く拠点に戻ってこい』
「分かったぜ。さぁ行くぞ、ホーク!」
「ホォーク!」

 ホークは元気良くそう一鳴きすると、飛行のスピードを一気に上げた。私はホークに腕を捕まれながら、キラキラと輝く夜のライムシティを見下ろして、ほっと息を付くのであった。





────私は昔から走ることが大好きだった。

 幼い頃の夢は陸上選手で、友達とよくかけっこをしては毎回一位を取っていた。
 そして、私は幼い頃に両親を失い、叔父の下で育てられた。そんな叔父は、私を4年前にライムシティに連れて行ってくれた。
 初めてライムシティに足を踏み入れたときは、ポケモンがボールに入らず普通に街中を歩いている姿を見て衝撃を受けた。そして、ものの数分間街中を歩いただけでその光景を自然と受け入れてしまっている自分自身にも衝撃を受けた。

 でもそれより衝撃を受けたのは、泊まったホテルでの事。
 私は何気なくホテルの窓から外を覗いた。その部屋はかなり高い階にあったから、道路を挟んだ向かいの建物の屋上がよく見えた。
 そして、その屋上では一人の男が走っていた。男は軽快に建物の屋上を駆け抜けていき、落ちたら危ないというのに、ジャンプで建物と建物の間を跳び越していた。

 私はとても驚いた。姿が見えたのは一瞬だけだったが、私は彼をカッコいいと思い、自分もあんな風になってみたいと憧れを抱いた。
 私はそこからパルクールの練習を始めた。そして、それから4年が経った頃、私の耳にLCトレーサーの噂が流れてきて────


「──おい────おい、起きろ!」
「ひゃい!?」

 私は夢から目を覚まし、ソファーの上で跳ね起きた。

「いつまで寝てるんだ……? 初任務で疲れたのは確かに分かるけどさ、もう10時間以上も寝てんだぞ、そろそろ起きろって」
「あ……ごめんなさい。おはようございます」

 どうやら私はLCトレーサーの拠点に帰った後、疲れてすぐに眠ってしまったらしい。窓の外から明るい日差しが差し込んできているのが分かる。
 私の体の上では、センパイが「サァン……」と気持ち良さそうな鳴き声を漏らしながらぐっすりと眠っていた。

「アシュリー、こいつを見てみろ」

 ボスがデスクから立ち上がり、私の前にノートパソコンを持ってくる。画面にはニュースの記事が開かれており、そこには見覚えのある顔写真が載っていた。

「Rガスによるテロの首謀者を逮捕……? あぁ! アルジーさん捕まったんですね」
「あぁ。あの後警察の働きもあって、テロの騒動もすぐに治まった。これも全部お前さんの活躍のおかげだな」
「良かったな、アシュリー! 名は轟いてはいないが、お前はライムシティのヒーローになったんだぜ!」
「うーん……正直、あんまり実感はないですね」

 私は素直にそう呟いた。確かに、テロ集団の基地に侵入したり、窓を突き破ったり、空から落ちたりと色々と大変だったけど、終わってみれば割とあっさりしていたなと思う。

「アシュリー……あれだけ頑張ったのに実感無いって、お前相当大物だな……」

 フランシスが顔をしかめながらそう言った。

「……なぁアシュリー、お前さんはこれからもLCトレーサーを続けるか?」
「え?」

 ボスが突然そんな事を聞いてきたので、私は困惑してそう声を漏らした。

「いや、そのだな……今回の任務でお前さんは割りと危ない目にあったし、なんなら一度死にかけたみたいじゃないか。これからもこんな仕事をお前さんに続けさせるのはどうかなと思って……」
「そんなの、全然平気ですよ! 私は走ることが大好きです。だから、これからもLCトレーサーを続けます!」

 私はきっぱりとそう言った。ボスは少し驚いたような表情を浮かべ、「そうか」と呟いた。

「まぁ、俺もフランシスも、こいつらも、皆好きでLCトレーサーをやってるからな。俺達はライムシティの治安を裏で守る、とびっきりの変人って訳だ」
「ははっ、ちがいねぇ!」

 フランシスが豪快に笑うと、その隣でホークが翼をはためかせて楽しそうに鳴いた。それにつられて、私もくすりと笑ってしまった。

──私は思い返す。4年前のあの日、屋上を駆け抜けていた男はムクホークを一緒に連れていただろうか?
 はっきりとは思い出せない。だけど、LCトレーサーに入った事で、私はあの日の憧れにさらに近づく事が出来たように思う。


────ガンッ!!


「うおわぁ!?」
「ひゃっ、何!?」
「ホォーークッ!?」
「さ、サァンっ!?」

 突然、本当に、何の前触れもなく、704号室の扉が豪快に蹴り開けられた。私達は驚いて──センパイは目を覚まして──扉の方に視線を向ける。

「ウォン!」
「……マジですか」

 視線の先に立っていたルカリオの姿を見て、私は思わずそう呟いた。