デザインジーニアス

この作品はR-15です


 さいしょのきおくは温かい水の中。とても眠くて温かい。誰かがわたしに言っている。ゆっくり生まれておいでと。その声はとてもやさしくて、わたしはうれしくてごぼごぼと泡をはいた。



 「……どうしてこうなった」
 重い瞼を開けるなり、ドゥーズは呟く。初めに視界に入って来た景色は見知らぬ白い天井、周囲を取り囲むように付けられたカーテンレール、そして傍で自分の顔を覗き込むように眺めている淡紅色の体毛を持つニャスパーと、横に座っている壮年の男の髭面。
「寝起きの第一声がそれか、可愛げねぇな」
 ドゥーズの露骨に表した嫌悪の表情を見て男が広げていた新聞に目を戻す。
「寝起き一発目に小汚いおっさんの顔見たら誰だってそう言うさ。ニャスパーに罪は無い」
「ソイツは良かったな」
 少女のような顔立ちで辛辣な言葉をぶつけても、男は大して気にも留めず適当な返事を返してきたので少々腹立たしさを感じた。その力で身体を起こそうとするも、途中で力尽きて先に上げた頭がやや硬めの枕へと吸い込まれていく。それを見たニャスパーがドゥーズの腹の上に乗ってきたのでやんわりと手で退かした。
「…ここはどこ?」
「ハウオリシティのポケモンセンター」
「病院じゃなくて?」
「お前を庇ったポケモンの方が重傷なんだよ。お前のは擦り傷と軽い打ち身」
「てっきり病室かと」
「人間用の医務室も入っているからな。アローラでデカい街だし」
 男は新聞から顔も上げずに言った。どうやらこの部屋には自分達しかいないらしい、カーテンの隙間から覗く近い壁やキャビネットの位置からこの部屋はそう広くないと推測する。
「…トレーズ」
 視線を天井へ戻し、ドゥーズが横で新聞を読み耽る男の名を呼ぶと不機嫌そうな短い返事が返ってきた。
「何だよ」
「私はどれくらい眠っていた?」
「一日半。予想よりも消耗が少なかったからその程度で済んだ」
「…違う。消耗が少なかったんじゃない、消耗する『暇が与えられなかった』からだ」
「…手強かったのか、ソイツは」
「一言で言うと、Monstre(化け物)だね」
 新聞から顔を上げたトレーズはドゥーズの顔を見て何かを察する。彼の右目と同じアメジストの色を持つドゥーズの左目の中に確かな怒りの感情が燃えているのが見えたからだ。
 自分の最も得意とするポケモンバトルで采配が上手く取れずに敗北した時、ドゥーズはよくこういう目をする。普段はにこやかに振る舞っていても腹の中では利用できそうな者の弱味を探ってくるような嫌味な性格だが、ポケモンバトルだけは純粋にルールを守る人間だ。相手の全力をポケモンバトルの範囲内であらゆる角度から叩き潰して負かさないと気分よく勝てないらしい。
「今回、財団から依頼された捕獲対象って…」
「ウルトラビースト、通称UB。今回の捕獲対象は『BEAUTY』と呼称されている。初見の感想は人間に近い見た目の白い虫だから正直言ってキモかった」
「散々な言われようだな」
「実際捕獲するのは私の仕事じゃん。トレーズがいても弱いから邪魔なだけだし」
「よく言う。ボールも場所も財団通して俺が用意したようなもんなのによ。それがこのザマとは笑わせてくれるぜ」
 皮肉混じりにトレーズがサイドテーブルに置いたのは粉々に破壊された青の破片で、本来なら黄色の爪のような装飾と全体にスカイブルーの光が格子状に展開した近未来的な印象を感じさせる造形のボールなのだが、今目の前に置かれたのは紛れもなくゴミと呼ばれる捕獲用具の成れの果てである。これが一つでウン百万円する代物だったものだと言われても素直に頷けるようなものではない。
「人に捕獲丸投げしといて失敗したら怪我の心配せずに金の話ですか、これだから金の亡者は…」
「いちいち煩ぇ奴だな。いつも得意気に『私、強いから』とか言っておいて失敗したから呆れてんだよ」
「Ta gueule(黙れ)」
 いい気味だと言わんばかりにベッドの上に横たわる自分を見下ろしてせせら笑うトレーズにドゥーズが早口に吐き捨てるように言い放った。
「見てろ、次は成功させる」
「出来るのか? 11(イレブン)だってロクに回復してないのによ」
「BEAUTY(アレ)は逃げたりしないさ。こっちだって本気出す前にやられたから手の内全部晒せてないし、一回動き見てるから対応は可能だよ。じっくり攻めてくさ」
「大した自信だな。何で奴は逃げないと言い切れるんだよ?」
「………私と同じ思考をしているからさ。アレは『あの場所』から動かない。200ユーロ賭けてもいい。でも念には念を入れて私達が回復するまであの場所は見張っておいて。捕獲は今回私が全部引き受けるんだからそれくらいの働きはしてもらわないと」
 そう言ってドゥーズはトレーズの返事を待たずに背を向けるように寝返りを打った。布団が引っ張られ、ニャスパーはベッドから転がり落ちる寸前で温もりの中へと滑り込む。
「200ユーロとは大した自信だな。また敗けた時ちゃんと寄越せよ、50ユーロ札に分けてな」
「…――――――Un con(バカ野郎)」
 顔は見ていなかったが小馬鹿にしたようなトレーズの嫌味はしっかり聞こえていたので、ドゥーズは彼が部屋を出て行く音を確認しつつ自分の顔の近くにやって来たニャスパーの毛を弄りながら小さく悪態をついた。




 わたしはまだうまく言葉を離せない。言っている言葉は分かるけど、わたしのくちからは「あー」か「うー」しか出てこない。わたしに言葉を教えてくれるのはカナメ。わたしと同じ顔のおとな。あとはわたしときょうだいだという11(イレブン)。
 わたしはすぐ泣く。けれどもカナメは他の人みたいに怒ったりしない。わたしがべんきょうでいいせいせきをだすといつもキャラメルをくれる。甘くておいしい。カナメはだいすき。やさしいからだいすき。



 ハウオリシティの空はカラリとした暑さと太陽の熱がじりじりと肌を焦がすような快晴だった。傷が癒えたドゥーズはポケモンセンターを後にして、建物やパームツリーの日陰づたいに街を散策していた。元々ドゥーズは体力に自信が無い。肉付きの乏しい細い身体にパステルカラーの青いシャツから覗く真っ白な肌がいかにもアウトドアを好まない容姿であることを主張しており、少し歩いては休憩、また少し歩いては休憩を繰り返してアローラの暑さに難色を示しては方々の露店を眺めている。
「…Il fait chaud(暑い)……カロスに帰りたい」
 近くの露店で購入した冷えたパイルジュースを飲んでいると、ニャスパーが物欲しげに手を伸ばしているので残りを全て譲ってやる。途中でお腹いっぱいだと返されても潔癖気味の性格なドゥーズは躊躇なく残りを捨てるつもりでいた。パイルジュースで一息ついたところで改めて周囲を見渡すと、少し先の広場でエーフィとブラッキーを連れたトレーナーが大切そうにタマゴを抱えている姿が見える。その先頭を急かすように歩くイーブイがチラチラとタマゴを気にして振り返ったり、周囲の安全を確認して得意気に胸を張っている。どうやらあのエーフィ達の子供でタマゴの上の兄弟なのだろうとドゥーズは思った。自分が弟(妹かもしれない)を守るんだと張り切っている様子に、パイルジュースを飲んでいたニャスパーが羨ましそうに「にゃふ…」と鳴く。
「そうだね、あの子は丁度キミと同じくらいの年なのかもしれないね」
 ドゥーズにはニャスパーの気持ちがよく分かっているつもりだ。嬉しい時は淡紅色の毛が膨らみ、寂しかったり悲しい時は濡れたように毛がすぼんでいく。あの光景を見た今は毛がすぼんでいるので恐らく寂しいのだと感じている。ドゥーズの持つポケモンは肉体的な意味でも精神的な意味でもレベルが高いのでなかなかニャスパーの気持ちに同調して構い続けられるようなポケモンが少ない。最も根気強く遊んでくれるのは付き合いの長いゲッコウガくらいだろうか。それでも唐突に湧き出る寂しさだけはどうにも消せるものではないので、気を紛らわせようかと近くのマラサダショップを指させばすぐに食いついてくれた。子供で助かったとドゥーズはその単純さに感謝する。大抵の場合は腹を満たせば満足してくれる場合が多いので、自らも小腹満たしに店の中へと入って行った。

 冷房の効いた店内で休息と腹ごしらえを済ませた後、再び当てもなく辺りをぶらついていると見知らぬトレーナーから勝負を挑まれた。当然お互い初対面ではあるが、大らかで気さくな人間が多いアローラでは初対面のトレーナーとでも気軽にポケモンバトルを楽しもうとするらしい。ドゥーズとしては賞金の出ない非公式の野良バトルには気乗りしないタイプであったが、小腹を満たして感じてきた眠気を覚ますには丁度いいかと考えて了承の返事を出した。
「言っとくけど、私強いよ」
 やる気満々のトレーナーを横目にさらりと言い放ち、ショルダーバッグからモンスターボールを取り出す。軽くスローイングすると青い細身だが筋肉質なポケモンが姿を現し、口から赤い舌を首に巻き付けるように伸ばして戦闘態勢に移行する。対する相手は青のボクシンググローブのような鋏を持ったポケモンを繰り出してきた。
「マケンカニか。ゲッコウガの弱点は突かれるけど、力業でねじ伏せればいいか」
 ファイティングポーズを見せて攻撃を誘う相手を見ながらドゥーズはゲッコウガに一言。
「動かず、技も使わないで」
 相手はドゥーズの指示に何故だと尋ねるが、答える代わりにゲッコウガが地を蹴って距離を詰めてきた。本人達は答えるつもりなど一切無く、勝負は僅か五分足らずであっさり決まってしまった。結果はゲッコウガの圧勝、ドゥーズの言った通りにその場から一歩も動くことも技を使うこともなく強引に舌で相手を巻き取って数回地面に叩きつけてノックアウトさせてしまった。相手は勿論悔しがっていたが、すぐに笑顔でドゥーズと握手してから目を回したマケンカニを抱えてポケモンセンターの方角へと走って行った。
 対するドゥーズは先程までにこやかな笑みをトレーナーに向けていたが、彼がいなくなった途端に酷く不快そうな表情に変わる。握手した手を黒手袋越しに見つめ、軽く服に擦り付けてから下げると吐き捨てるように呟いた。
「弱過ぎる。勝負にすらならなかった」
 バトルを終えたゲッコウガを労うことも楽しいバトルだったと振り返ることも無く、ドゥーズの中では時間を無駄にしたような苦い気持ちしか残らなかったようだ。そんな主人をいつものことだとゲッコウガは小さく息を吐いて自分からボールへと戻っていく。彼自身「技を使うな」と指示された時から察していたことで、それはドゥーズにとって勝って当然のバトルなのだから別に褒めて欲しいとは期待していなかった。むしろ褒められれば気持ち悪がってしばらく距離を置こうとする。
 実際、ドゥーズもゲッコウガを褒めるつもりも勝負に負けるつもりもなかった。当初の目的通り腹ごなしも済んだし眠気も消え去った。ただ、どうしても胸の内に引っかかるものがある。これがなんとも不快で、普段は感じないトレーナーとのバトル中にもそれが肥大化して今感じている苛々に繋がっているのだとしばらく経ってから気づいた。目を覚ましたあの時、トレーズと会話した時から始まっていた違和感だ。
「……楽しくない」
 ふとぽつりと零した言葉は驚く程すっと自分の胸の中へと入っていく。ああ、と自分の中で納得した時、肩に乗っていたニャスパーの体温と重みが消えた。振り返ると、きつい目つきの美女がニャスパーを抱いて首元を掻いている。ドゥーズと同じ淡藤色の長い髪とアメジストの色が映えた目に細身のドゥーズとは正反対のプロポーションが魅力的な美女が、真っ直ぐドゥーズの目を見つめていた。
「…何、11(イレブン)?」
【機嫌が悪そうですね、12(トゥエルブ)】
 美女は口を開くことなくドゥーズの脳内に直接声を響かせる。テレパシーだ。およそ人間業ではない行為に動じることなくドゥーズは美女の名前を数字で呼ぶと、彼女もドゥーズを数字で呼んだ。
「別に、つまらないバトルをしただけだよ」
【貴方の気持ちが乗らなかったのですね】
「相手が弱かっただけさ」
【貴方が『敗けた』から気持ちが乗れなかったのでは?】
 11と呼ぶ美女の言葉にドゥーズは眉間に皺を寄せる。指摘した当の本人は何食わぬ顔でニャスパーの毛並みを堪能している。
「――――腹立たしい。完敗だよ? 天才の私がボッコボコだよ? ありえない、あんな羽虫ごときにさ」
【天才かどうかはともかく、傷ついたのは貴方ではなくゲッコウガ達の方です。にも関わらず復帰したての身でバトルなどは感心しません。自棄を起こして戦っても奴には勝てませんよ】
「知ってる、分かってる、煩い」
【私の力でも勝てるかどうか怪しいですね】
「Non(やだ)。勝たなきゃ私の気が収まらない」
 11の言葉にふくれっ面で腕を組むドゥーズ。
「…私が敗けるなんて許さない。別の世界から来た生き物だろうと何だろうと絶対倒す。私は勝てる勝負しかしたくないの」
 じゃなきゃ気分が悪いままだ、とドゥーズは溜め息を吐いた。それに対して11は冷めた表情で波止場の向こうの海をじっと見つめている。
【今回の仕事は捕獲ですよ。自尊心の高さもここまで来ると面倒ですね】
「はいはい悪かったね面倒な子供で」
 無表情のまま淡々と言葉を返す11に腹を立てたドゥーズはふくれっ面のままさっさと歩き出す。11はその後ろをニャスパーを抱えたまま無言でついてくる。11が何も言わないのは、行き先や目的を尋ねようと拗ねたドゥーズに話しかけてもとことん無視されるのでほとぼりが冷めるまで好きに行動させるのがいいのだ。
【12、気分転換に何処か行きたい場所はありますか?】
 無駄だと分かっていても11はあえて尋ねる。無視したら無視した後に更に塞ぎ込むので今の内に機嫌取りの様子でも見せておいた方が無駄に不貞腐れることはないかと思っての質問である。天邪鬼なドゥーズの扱いは非常に面倒だ。案の定、自分の心中を心配するような言葉に僅かながらドゥーズの頭がこちらを気にするように少しだけ揺れたのを11の目はしっかり捉えていた。会話の度に考える、この子が幼少の時のまま素直だったらどんなに楽に扱えたかを。
「………〝聞こえているよ〟11」
【〝聞こえるように〟考えていました】
 11の返しにドゥーズは何も言わなかったが、代わりに舌打ちの音が聞こえてきた。




 大きな音を立ててギャラドスが倒れた。やった、勝ったんだ! 喜ぶわたしと反対に11は当然という表情。紫色の長い尻尾をゆらゆらさせて倒れたギャラドスも一緒に戦ったわたしのことも見ていない。カナメは沢山褒めてくれた。精神接続(リンク)も順調に安定してきて、かつ短時間で効率的な攻めで敵も倒せる力が身についたって。これなら普通のトレーナーなんかに敗けることはないだろうって。当然だよ、なんたってわたしは「天才」だもの! 言葉を覚えるのもバトルの基礎を覚えるのも誰より早かったし、誰にだって敗ける気なんてしなかったもの! 誰にも負けない為に痛い注射も苦い薬も我慢できるえらい子だもの! 誰もわたしに勝てる奴なんていない。わたしの「きょうだい」だってわたしには絶対逆らえない。わたしは選ばれた子だから。特別な力が与えられた子だから。
 だから今日も沢山カナメに甘えるんだ。抱っこしてもらって頭も撫でてもらって甘いキャラメルもちょっと多めにねだってみたいな。沢山可愛がってもらうには沢山いい結果を出さなきゃね。もっと頑張らないと。わたしはその為に生まれてきたんだから。



 ドゥーズと11はスーパーメガやすにいた。特に何かを買おうとした訳でもなく、再び涼を求めて冷房の効いた店内へと逃げ込んできただけだ。このスーパーは最近オープンしたもので、アーカラ島にある支店の経営が軌道に乘った頃にメレメレ島へも進出してきた支店だ。ウラウラ島でカプの怒りに触れた一件から慎重に検討し続けてきた計画もあって立地条件にはかなり拘り、それ以上に客に対するサービスにも力を入れている。実際、アローラの中でも大きな都市に当たるハウオリシティに支店を置いた途端、オープン当初から連日客足が途絶えることはなく、今日も多くの買い物客で賑わいを見せていた。
「好きなの買っていいよ」
 財布の中の紙幣を確認しながらドゥーズは11に抱かれているニャスパーに告げる。11にも好きなものを買ってくるように紙幣を渡そうとするが自分は特に買いたいものが無く、ゲッコウガの方が適任だと断られた。確かに抜け目なくチーム全体の機微を主であるドゥーズよりも感じ取ることができるゲッコウガは幼く若いポケモンの面倒をよく見ていることが多く、子守役には適役である。実際に彼をボールから出せば既に自分の役割を理解しているようで、ドゥーズ達の指示を待つことなく11からニャスパーを受け取って菓子コーナーを探している。涼みたいが故に入店しただけのドゥーズ達も品揃えを観察しつつゲッコウガについて行った。
 菓子コーナーは案外すぐに見つかり、辺りは何人かの子供で賑わっている。中には制限された数より多くの菓子を強請って駄々をこねる子供や残り少ない人気の菓子を取り合って喧嘩を始めて親に叱られる兄弟もいる。
 ニャスパーを連れて堂々と菓子コーナーに突入するゲッコウガを見つけて早速取り囲まれる子供の群れを遠巻きに眺めるドゥーズと11。ポケモンを連れていると大体子供に群がれる。トレーナーとして旅をしていないから近所で見かける以外のポケモンが珍しいのだろう。カロスから来たドゥーズのポケモンは殆どがアローラで見かけることの無い珍種として扱われるので特に注目を集めやすいのだ。
「子供は嫌いだ。煩くて頭痛がする」
【同感です。特に駄々をこねて泣き喚く自己主張の激しい子供とか】
「……ねぇ、何で私の顔見て言う訳?」
【昔、一つしか与えられなかった知育菓子を「もっと頂戴」と要求して大泣きしていたのを忘れたのですか?】
「だって作って食べるタイプのお菓子とか創作意欲湧くもんじゃない? それなのに限られた材料で作れって……足りないに決まっているじゃん」
【子供の胃には一つで充分ですよ。後に控えている食事に影響が出ますし、安易に失敗しても次があるだなんて甘い考えを捨てさせるには丁度いい教材です】
「深いなー……知育菓子。そういう意図があるのか知らないけど」
 陳列棚に置いてある少々値の張る菓子箱を一つ手に取るドゥーズ。アローラ限定品の五種類の具材が作れるマラサダ風味の菓子で本物のマラサダショップに似た絵柄がパッケージに描かれている。
「昔より種類増えたよね、興味無くなったから気にしてなかったもあるけど。ねぇ、カントーやジョウトで食べたSUSHIとかも置いてある」
【……本物を食べればいいと思うのは私だけでしょうか】
「作ることでしか味わえないものもあるんだよ、11」
 ひとしきり知育菓子を眺めて棚に戻した時、ニャスパーが転がるように逃げ込んで来た。好奇心の塊である子供達に容赦なくもみくちゃにされて半泣きになっている。
「あーあ、せっかく毛並み整えたのに…」
 ニャスパーの後を追いかけてきた子供達はトレーナーであろうドゥーズを見るなりバツが悪そうに足を止めて様子を窺っている。流石に幼子相手に怒る真似などしないが、乱れた毛並みを彼らに見せて「Non Non(ダメダメ)」と指を振って見せた。それだけで何人かは小声で謝ってそそくさと親の所へ走って行ってくれたのでゲッコウガもようやく子供の輪から抜け出してふらふらと戻ってくる。実のところ、以前の激しい戦闘で消耗した体力が完全に戻り切っていないのもあって子供達にべたべたと触られたり叩かれている間はじっと動かず耐えていたようだ。忍耐力の低いポケモンならストレスで暴れてしまうのだが、常に誰かを振り回す主人のパートナーを務めてしまってからというもの、下手な我慢癖がついてしまったらしい。ゲッコウガを公共の場に出す機会が多いのはそれが理由だ。
 ともあれ、流石のドゥーズも疲れたゲッコウガに子守の続きをさせるのは気が引けた。それに店内を回って十分に涼めた為、彼の好物であるおいしい水やサイコソーダを買って店を出ることにした。勿論、途中でニャスパーが欲しがったポケモン用のおやつや自分達が食べるアイスも買って会計を済ませたが、どれも心配になる程の安値だった。




 今日もいい結果を出せなかった。カナメ以外の研究員は最初にいい結果を出した時は喜んでいたけれど、最近はわたしをじゃまもの扱いしている。わたしはいい結果を出して当然らしい。そうでなければ存在する価値がないといつも怒っている。11もそう。他のきょうだいもそう。わたしたちはいい結果を出す為に生まれたのだから、その為にどりょくしないといけない。でもわたしには他のきょうだいのように物を動かしたりぺしゃんこにしたりする力がない。わたしにあるのは誰かのこころがよめちゃう力。誰かのこころにはいりこむ力。誰かのこころを思い通りにできちゃう力。でもわたしはそれが上手く使えないから他のきょうだいよりもずっと劣っている。小さくて弱くて目に見えない力だからどりょくが足りないと怒られる。どりょくなんて必要ないじゃない。わたしは天才なんだから。頑張らなくてもいい結果を出して当然なんだから。
 誰かに手を握ってもらわなくても、ひとりになっても、誰にも怒られるひつようなんてないし、やくたたずと言われるひつようなんてない。おまえらなんて誰ひとりいらない。わたしをほめない奴はいらない。わたしをほめてくれて優しくしてくれるのはカナメだけでいい。カナメさえいてくれれば、いい結果を出さなきゃって思えるから。




 ハウオリシティから少し離れた霊園。広く群生するウルヘを掻き分けて入っていくといくつもの墓標が鬱蒼とした木々に囲まれ静かに佇んでいる。周囲にはフワンテやムウマなどのゴーストポケモンが彷徨うように飛び回り、訪れた人間が色とりどりのレイを沢山供えていくので墓自体はカントーやジョウトのような薄暗いイメージとは違って華やかだ。ドゥーズはニャスパーを伴い、11と共にハウオリ霊園を訪れる。ゲッコウガはボールの中で休息を取っている。ここに親族や面識のある者の墓は無い。殆ど陽の当たらないこの場所がアローラの中で訪れたお気に入りの場所の一つだっただけで、ここを訪れたのは気まぐれなのだ。
「死んでも行ける場所があるのは羨ましいよ。私達には故郷と呼べるものが存在しない」
【そうでしょうか。人間でも故郷に帰らず、死んでも骨を埋める場所が無かったりしますよ】
 ドゥーズの言葉に11が首を傾げる。
【そもそも貴方はノスタルジックなタイプではないと思いましたが、人間とポケモンの差なのでしょうかね】
「厳密には私達は『どちらでもない』生き物で、それを線引きして詳細に証明できることも不可能だ。11だって今は〝ヒトの姿〟であっても人間の感情を理解していない。同族であっても他者の感情を理解しない奴は一定数いるけどね」
【……確かに。財団で作られた生き物も様々な生物を合成していましたが、皆がポケモンだと認識していた。そしてそれは異世界の住人だろうとヒトでない姿ならポケモンと認識される。この世界での人間とポケモンの境界など、曖昧なのかもしれませんね】
「そう。でも分けたがる奴は私達の中身を見て分けるだろうね。ソイツの物差しなんて数ある価値観の一つだから知ったことじゃないし、私としては興味の欠片も湧かないけど」
 ドゥーズはボールからゲッコウガを出し、メガやすで買ってきたサイコソーダを手渡す。瓶を傾けて美味しそうに喉を鳴らすゲッコウガを見て、ニャスパーが自分のおやつをドゥーズに強請ってきたので封を切ってチューブ状のそれを口元へと持って行くと手に爪を立てるようにチューブにかじりついた。普段は大人しいのだが、このおやつを口にする時だけは飢えた獣のようにがっついてくる。僅かだがにじいろポケマメが生地に練り込まれているので殆どのポケモンを虜にする魔性のおやつだ。当然食べかすがぽろぽろと自分の肩に落ちるのが嫌なのであらかじめ地面に降ろしておいた。
「さて、もう間もなく日が暮れる。夜の戦闘は一際危険だよ、11」
 あっと言う間に空になった瓶を受け取り、引き換えに渡されたおいしい水を頭からかけて喜ぶゲッコウガを眺めながらドゥーズは11に尋ねると、呆れたような溜め息が返ってくる。
【それは一般のトレーナーに言うセリフですね。我々は夜戦が最も得意なのですが】
「一応ね、意思確認。今度は本気出していかないと。下手したら殺す勢いで戦らなきゃならなくなる。そうじゃないと、私かゲッコウガが先に殺される。最悪の場合、どっちも」
【あの時は昼間の戦闘でしたね。UBはこちらの常識を知りませんからヒト相手でも全く躊躇しませんでしたし、ゲッコウガが咄嗟の判断で貴方を庇わなければ今頃肉片の雨になって花園の肥料になっていたかもしれませんしね】
「しれっとした顔で恐ろしいことを言うな」
【事実を述べているだけです。それに一番難しい捕獲を前提に戦うのですから、例え「本気で戦って」「手違いで」殺したとしても財団的には死体サンプルを回収できますし、マイナスではない筈ですよ。12の案に乗ります】
「11って人間のプラス面を理解していないけど、人間のマイナス面はよく理解しているよね」
【それは誉め言葉ではないですね】
「だって褒めてないもん」
 中身を吸い尽くされたおやつのチューブから口を離し、ニャスパーが物欲しげにドゥーズを見上げても無視する。このニャスパー、食欲旺盛なので最初にマラサダも食べている。この調子で食べさせれば肥満体へと進化させてしまうのを意識して何でも好き放題に与えてはならないという意味での無視だった。ちなみにメガやすで買ったドゥーズのアイスは霊園に来るまでに食べきってしまっているので奪われる心配はない。
 ゲッコウガは空になったペットボトルを片手に目を細めて座り込んでいる。体が濡れたことで幾分か調子が良くなったらしくリラックスしてケロケロと喉を震わせ、ドゥーズがもう一度UBと戦うことを告げても特に反対する様子を見せなかった。ゲッコウガとしては常にやる気がある訳ではないがドゥーズが「戦う」と言ったらそれは大体勝算があると言っているようなものなので、その辺りは主人の判断に任せているらしい。
「今から行けば夜中には着くかな……それまでゲッコウガは寝てて。11はオンバーンに乗って行って」
【分かりました】
 ショルダーバッグから二つのモンスターボールを取り出すして投げる。一つからは身体に青々とした草が生い茂った大きな捻じれ角を持つ四足のポケモンが、もう一つからは大きなスピーカーのような耳と皮膜を持つ大型のポケモンが出てきた。四足のポケモンであるゴーゴートにドゥーズが近づくと主人が乗りやすいように身を屈め、大きなスピーカーの耳を持つポケモンであるオンバーンの背には11がひらりと飛び乗った。
「11達の方が先に着くから、向こうでトレーズと落ち合って。ついでに仕事サボってないか見てきて」
【あの人のことですからサボったりはしていない筈です、多分】
 オンバーンの羽ばたきで一気に上昇する11。そのまま北東の方角へと消えていくのを確認すると、ドゥーズもゴーゴートの脇腹を軽く蹴って前進の合図を出す。このゴーゴートはバトルもできるが主な利用手段が移動になっているので長時間乗っても股が痛くならないように鞍と手綱を付けている。
 実を言えばアローラでは交通規則が厳しく、ライドポケモンとして登録されたポケモンのみでしかポケモンに乗ることが許可されていない。ドゥーズとしてはゴーゴート以外のポケモンに乗ると高確率で落ちるか酔って移動どころではなくなるので、わざわざ自分のゴーゴート(正確に言えば自分の安定した移動手段)の為にライセンス登録をしてきたのだ。特にドゥーズが嫌がったのはケンタロス。何度か乗って落下したり激しい揺れで尻を痛めたので二度と乗りたくないと思っている。
 並足で霊園から移動を始めるドゥーズは、既に西に傾いた太陽を横目で見て目的地までに掛かる時間を計算する。周囲が寝静まった深夜だと流石に自分も疲れるので幾分かショートカットして一息つく時間は確保したいと考える。手綱を操り、ゴーゴートを岩場の近くへと誘導する。小高い山の上にはカプを祀る神殿とリリィタウンがあるのだが、流石に一山超えるのもドゥーズの体力的に苦しい。これから本気で戦わねばならない相手の元に行かなければならないので、体力だけは極力残しておきたいのだ。そこで整備された2番道路と3番道路を進むよりリリィタウンのある山の麓から回り込むように移動する。殆ど人の通らない岩場なので硬い蹄と強靭な脚力を持つゴーゴートだからこそ移動できる場所。そこを通れば多少なりとも時間短縮できる。
 本当はオンバーンに二人乘れば良かったのだが、オンバーンに乗っても酔うことがあるドゥーズ。それにオンバーンに二人の大人を抱えて飛ぶのは少々厳しいので先に11だけを行かせたのだ。今回のバトルでジョーカー(切り札)となるのは彼女の力なので、先に行って精神を集中してもらいたいという目論見もある。揺れるゴーゴートの背の上で、ドゥーズの頭の中では二度目の対戦となる敵の攻略をいくつか組み立て始めていた。




 探検に出かけた部屋で見てしまった。わたしのことが沢山書かれたノートやパソコンに記録されたわたしの映像。わたしの部屋にあるカメラでずっと見ていたこと。わたしは唯一の「せいこうれい」なんだってこと。わたしの他にも「12になれる個体」は沢山いるんだってこと。その証拠に、今わたしの目の前にある大きな水槽には沢山の「わたし」がいた。みんな眠っている。わたしと同じ顔で、わたしと同じ体で、わたしと同じ色のわたしが沢山眠っている。カナメが前に言っていた。わたしはポケモンと〝きずな〟を作れるのだと。どんなに仲が悪くても〝きずな〟を作ってその力を好きに使えるのだと。わたしは特別な子なのだと。
 カナメ以外の研究員達が言っていた。お前の代わりはいくらでもいると。お前が使えなくなったらお前のデータを「次の12」に役立てるのだと。お前だけが特別だと思うな。お前は役に立たなければただのうるさいたんぱくしつのかたまりなのだと。
 わたしはわたしたちが眠っているボタンに手を伸ばす。わたしの代わりなんていらない。ここはわたしの場所だ。わたしの代わりに別のわたしがカナメに甘えるのなんて許さない。お前たちの場所なんていらない。わたしの場所を取らないで。取られるのだったら、次なんていらない。わたしが上手くやればいいだけなんだから。わたしは天才なんだから。わたしが、12番目のミュウツーだから。
 ごぼごぼと音を立てる水槽の中で沢山のわたしが崩れていく。その中でたった一人が目を覚まして、わたしの目を見た。「なんで?」と問いかけるあの顔が、あの目が、今でも忘れられない。でもこれでいいんだ。わたしは悪くない。わたしはひとりでじゅうぶんなの。




 岩場を伝って移動時間を短縮したお陰で、予定よりも早く目的地へと辿り着けた。メレメレの花園と書かれた看板の傍で予定通り先に着いていた11が目を閉じて静かに佇んでいる。その近くでオンバーンに褒美のポケマメを与えていたトレーズがドゥーズに気づいた。
「よぉ、やっとご到着か」
「仕事、サボってなかった?」
「化け物の近くでサボれるかっての」
 トレーズの言う「化け物」は誰のことを言っているのだろうか。一瞬だけドゥーズはそう思ったが、気持ちを切り替えて本題に入る。
「UBは?」
「動きなし。数は一体。幸いにも花園に住むポケモンの気性が荒くないから向こうも下手に暴れてこない」
「ボールは?」
「三個だ。十個程頼んだが財団的にはコストがデカいボールの大量生産ができないからこれが限界だと」
「十個もあったら無能でも捕まえられる。それだけで十分だ」
「言うねぇ。だったら今回は敗けないんだろうな?」
「敗けたら全員死ぬ。だから今回は勝つ以外許されない」
 ゴーゴートをボールに戻し、ゲッコウガ以外のボールとニャスパーをトレーズに押し付けるように渡すと、ドゥーズは近くの岩に腰掛けた。11と同じように目を閉じて意識を深く自分の中へ落とす。視界が闇に包まれると周囲の音が遠ざかったように小さくなっていき、自分の存在を中心に意識が波紋となって周囲に広がる。まるでレーダーのように波紋となった意識が捉えるのは生き物の気配。それはドゥーズ自身が持って生まれた高いセンシビリティーが十数年かけて磨き上げられた末に辿り着いたドゥーズだけの持つトレーナーとしての独特のセンス。自らの感覚で相手の実力を瞬時に測り取るセンスは、道を究めた熟練者が時として他者の持つ才能や気配に敏感に反応するものに等しい。
 ドゥーズが気にした反応は大きく分けて三つ。一つは11でもう一つはゲッコウガ、どちらも高い実力を持つのでどうしてもレーダーに引っかかってしまう。最後の一つは最も離れた位置、メレメレの花園の奥にいるであろうと考える気配だ。現在感じ取れる反応の中で最も大きく、強い。ドゥーズとしては避けるべき相手だと本能が告げているのだが、一度その存在に惨めに敗北されられている身からしたら本能よりも強い自尊心が行けと命じている。何よりドゥーズ自身、その存在の力をもう一度見たいという好奇心もあるのだ。そしてその存在を超える実力で負かしてしまえばどんなに気分が良いのだろうと、内心では相手を屈服させたいという欲も奥底で鎌首をもたげていた。
「11、ゲッコウガ、行くよ」
 意識を現実に戻し、一呼吸整えてからトレーズから捕獲用のボールを三個受け取る。ポケモンセンターのベッドの上で見たものと同じ色をしているが、無残に砕け散った欠片ではない青いカラーリングに黄色の爪の装飾が付いた近未来的なデザインのボールだった。ショルダーバッグから取り出したボールを投げ、目を細めていたゲッコウガと瞑想していた11を呼ぶと、ドゥーズはゆっくりとした足取りで花園へと向かう。
 UBの目撃情報以降、花園への入場規制が敷かれていたのでトラテープの間を潜り抜ける。短いトンネルを抜けた先には視界一面の黄が広がっており、夜風に吹かれて花弁が舞えば柔らかな月明かりが一枚一枚を照らして光の雪を降らせる美しい光景が見る者の心を虜にする。
【…静かですね】
 幻想的な景色に一瞬だけ見とれていた11だったが、ふと我に返ってそんなことを呟く。ドゥーズもゲッコウガも同じことを考えていたらしく、小さく頷いて周囲を見回す。夜だから大多数のポケモンは眠っているのだろうが、それでも夜間に活動するポケモンだってこの花園には生息している。なのに今は耳が痛い程の静寂が辺りを支配している。生き物の気配はするのに息を潜めているように鳴き声一つ聞こえやしない。
「UBの異質な気配に怯えてるんだ」
【位置は分かりますか?】
「わざわざ探さなくても向こうから来るよ」
 ドゥーズがそう言って奥の岩場を指さす。そこに異様な姿の生き物が立っていた。今夜が立待月であるせいか白い羽根を持つ細身に月光を浴びた妖艶で異様な生き物がじっとこちらを見下ろしている。距離が離れていても感じる程の敵意がドゥーズとゲッコウガに向けられている。あれこそドゥーズが一度敗北させられ、何としてでも雪辱を果たしたい相手であるウルトラビーストだった。




 わたしのからだはにんげんだ。でもこころはミュウツーだ。わたしが温かい水の中にいた時に、何かがわたしの中に入って来た。それはわたしのからだを食いあらし、ながいながい時間の中でわたしをべつの何かに変えていった。痛みで頭がおかしくなりそうだった。わたしの中に違うわたしが入ってきておかしくなりそうだった。
 生まれてから他のきょうだいに会った。みんな同じ姿なのにわたしだけはにんげんだった。生まれた時からきょうだいたちの声が頭の中に入ってくる。ニセモノだ、にんげんだ、ちからがない、しっぽがない、からだがほそい、こころだけがじぶんたちと同じだ、きもちわるい、きえろ、きえろ、きえろ。ニセモノはきえろ。
 でもわたしはにんげんの姿でよかった。カナメと同じだったから。カナメと同じ顔をしていたから。カナメが言っていた。他のきょうだいもわたしと同じようににんげんになれるって。〝おりじなる〟じゃないから、かいぞうしたメタモンの細胞で〝おりじなる〟と同じ姿になっているんだって。そのちからでにんげんにもなれるけど、みんなにんげんの姿が嫌いだからならないんだって。カナメは言っていた。わたしはきょうだいより戦いたいきもちが少ないからにんげんのまま、こころだけがミュウツーになってしまったんだって。だから他のきょうだいにはできないことができる。
わたしはとくべつだって、カナメが頭を撫でてくれた。胸がぽかぽかして、わたしはにんげんであったことを嬉しく思えた。




「ゲッコウガ」
 一番手の名を呼べば、忍蛙が静かに前へ出る。長く赤い舌を首に巻き、敵意を向ける生き物から視線を逸らさずに戦闘態勢に移った。ドゥーズは何も言わずゲッコウガと同じく白い敵を見ている。戦う時、ドゥーズは殆ど言葉を発さない。指示は詳細に言わず常に端的に済ませ、ポケモンに自分の意図を理解させて動かさなければポケモン自身の動きが悪くなるのだ。自分も相手も納得して戦わねば最大限の力など発揮できるのは不可能であり、またそれを実行させるのも共に多くの場数を踏んで経験を積まないと互いの呼吸が合わない。現時点でそれが100%実行できるのがゲッコウガと11だけなので、ドゥーズが本気で戦う時にはこの二体を連れて行くのだ。
「11、離れて。ゲッコウガが動けるギリギリまで人間体でいて」
 ドゥーズの指示で11が無言で離れる。同時にUBが動いた。岩を抉る程の衝撃を細い脚から放ち、瞬きする間に一気に距離を詰めてくる。ゲッコウガはその動きをしっかり見切ったうえで高く上空へ跳ねると、彼がいた場所にUBが突っ込んで来た。衝撃で土と黄色の花弁が根ごと吹っ飛び、眠っていた周囲のポケモン達が驚いて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。目の前に空いたクレーターを見てもドゥーズの表情に動揺の色は無い。一度はその力を目の当たりにしているのだ、今更驚く程のものではない。
「《れいとうビーム》」
 上空から急降下してくるゲッコウガの両手から冷気を纏った攻撃が放たれる。UBは素早く反応して横に飛び退いた。一蹴りだけでも瞬間移動したように見える。冷気はクレーターや周囲の花を巻き込んで地を凍らせ、その上にゲッコウガは悠々と着地してUBを見た。
「連続で《れいとうビーム》」
 冷静に指示を出すドゥーズに応え、ゲッコウガは躊躇なく周囲を氷結させながらUBに迫る。対するUBは隙を見てゲッコウガに《とびかかる》姿勢を見せるが、凍った地面に足を取られて上手く力を込められず凍っていない場所に移動してから《とびかかる》。すると逆にゲッコウガが自ら凍らせた地面を滑ってUBの攻撃を紙一重で回避する。ゲッコウガからしてみれば傷が癒えたばかりの本気の一戦なので、まともに直撃を受ければ戦える体力を一気に削り取られるどころか当たり所が悪ければ死ぬ状態だ。攻めると見せかけての攻撃に見えるが、実はいつでも防御態勢に入る構えをしつつUBのスタミナをできるだけ削ってしまいたいというドゥーズの思惑があった。
 この白いUBの武器は何といっても細い脚から出る驚異的なスピードにある。常に距離を取っていなければたった一歩の加速で懐に入られてしまい、その爆発的な脚力から繰り出される蹴りを食らえば人間なら一瞬で肉片と化すだろう。前回の戦闘ではこのスピードに翻弄されて指示が追いつかずに敗北したのが大きな原因だ。一手間違えて懐に入られた時は死を覚悟する間も無く、細い脚が顔面に到達する前に咄嗟に身を挺してゲッコウガが庇わなければ今頃はこの花園の肥料となっていたであろう。
 なので今回はゲッコウガに無理をさせる訳にはいかない。常に真顔で何事にも消極的な彼とはなんだかんだで11の次に付き合いが長く、言葉を交わさずともドゥーズの意思を最も近い意味で汲んでくれる貴重な戦力だ。本気で戦うからには、例えUBを倒せたとしても11やゲッコウガも失うのはドゥーズにとっては敗北も同然のことだった。
「《あくのはどう》」
 息もつかせぬ技の応酬。UBの一挙手一投足に全ての神経を集中させてゲッコウガに指示する限られた技を瞬時に選択する。対するゲッコウガもドゥーズの指示で対応しきれない細かな動きをUBの動きに合わせ、自身の培った経験を想起させて迫りくる強烈な攻撃を受け流したり回避をしていく。この間、ゲッコウガは一切UBに攻撃を仕掛けていない。傷ついた今の彼では最大級の火力を出すどころか攻撃に転じた途端に思わぬ反撃を食らって戦闘不能に追い込まれかねない。かといって他のポケモンでほぼ完璧にドゥーズの呼吸に合わせてこの強大な敵に対応できる者は自分以外いない。自分がやるしかないのだ。自分の力が及ばずこの敵を倒せずとも後に続くアタッカーが必ずこの敵に一撃食らわしてくれる。そうでなければ自分がこんなに傷ついて必死に戦う理由が無駄になる。
 ゲッコウガは自分の役割を理解している。ドゥーズという癖のある司令塔と組んで戦えるのは11を置いて自分しかいない。誰もが貪欲に勝利を目指す中で自分は確実な勝利を手にする一手を仕込めればそれでいい。勝てなくてもドゥーズが勝てば自分の価値でもある。ゲッコウガの考える戦いは自身と主人の勝利の為に己の身を捨てる覚悟すら超えた信念で自らの役目を果たすことだった。
「《れいとう…》駄目だ下がれッ!」
 ドゥーズの怒号でゲッコウガは弾かれたように後ろに飛び退く。そこへしなやかな足が鳩尾にめり込んだ。極限まで筋肉を削ったような軽やかな細身のUBから繰り出される強烈な蹴り。ドゥーズの指示で後ろに飛んでいなければ内臓ごと腹を突き破られていただろう。それでも技の衝撃はゲッコウガの身体に確実にダメージを与え、着地した場所で僅かに酸を伴った水を吐いた。
「来るぞッ!」
 言われなくても分かっている。と言いたげにゲッコウガは既に防御の構えを取る。《れいとうビーム》で凍らせた《みずしゅりけん》の刃で二度目のUBの蹴りを寸前で受け止めた。
「《ハイドロポンプ》ッ!」
 ドゥーズの指示と殆ど同じタイミングでゲッコウガの身体の中心に水の渦が現れる。それを見たUBが渾身の力を込めてゲッコウガごと氷の刃を蹴って距離を取ろうとする。その衝撃でゲッコウガは大きくバランスを崩し、同時に発射した《ハイドロポンプ》の反動にあっさり負けて大きく後ろへと吹っ飛んでいく。幸運にも水流はUBに当たりはしたが、濡れた自分の体を見て嫌そうな表情をしている辺りまだ余裕があるように見える。
「……ここまでか」
【上出来です。傷を負った身にしては善戦したと思います】
 膝を着いて息を荒げるゲッコウガを見てドゥーズと11が顔を見合わせる。
「ゲッコウガ、撤退」
 ドゥーズの言葉に、ゲッコウガは心なしか少しだけ安堵の表情を見せてUBに背を向けず静かに後退する。助かったからではない、自分はしっかり己の役割を果たせたのだと満足しての表情だった。
「11、最初から飛ばす。殺す気で戦って」
【言われずとも、最初からそのつもりです】
 ドゥーズの後ろに下がっていた11は静かに前に出てくる。その姿を見た時、UBの表情が僅かに驚愕の色を示した。
「11、精神接続(リンク)するよ」
【いつでも】
 最初に見た妖艶な姿の美女はどこにもいない。体毛の無い淡藤色の皮膚に自身の身体と同じくらいの紫の長い尻尾を優美に揺らし、首の後ろに太い管を繋いだ細い腕と筋肉質な獣の足、ドゥーズと同じアメジストの色の瞳から氷のような殺気が放たれ、眼前で警戒しているUBの目をしっかり見つめている。これこそ11の本来の姿であり、戦闘の為に生み出された生き物の姿でもあった。
 ドゥーズは11と目を合わせ、自らの意識を飛ばして11の意識を探り当てる。人間としての身体を持ちながら人為的に改造された怪物(ドゥーズ)の意識が11の中へと入り込んでいく。こうすることでドゥーズが声に出して指示を出さずとも意識するだけで殆どタイムラグ無しに迅速な戦闘を行うことができるのだ。互いの心が剥き出しに触れ合うこの感覚を二人は好まない。しかしこうしなければドゥーズが11の力をフルに引き出すことは不可能である為、慣れなければならないことだった。ドゥーズは生物の意識を目を合わせただけで自在に乗っ取ることができるがそれは洗脳と言っても過言でなく、自身に痛みは伴わないが掛かる疲労などの負担が尋常ではない。しかしドゥーズと11のように互いの精神や感覚を共有してしまえば負担は双方が負うことになり、11がダメージを追えばドゥーズにも同様の痛みが走り、11が死ねば恐らく精神も感覚も繋がっていた状態ならドゥーズもショック死する。
 一見デメリットが大きいようにも見えるが、そうするのには理由があった。感覚や思考を共有することで戦闘へのタイムラグを限りなく0にして野生ポケモンよりも高い戦闘技術でトレーナーよりも迅速な自己判断と戦闘が可能になる上に、ドゥーズと11の間に〝奇妙な絆〟が生まれるからだ。その絆は時として本物の信頼よりも複雑に固く絡み合う。文字通り心が繋がっている故に更なる高みへと行けるのだ。
【三分で決める】
【分かっています】
 ドゥーズが黒手袋を外し、胸のループタイに手を当てる。装飾として飾られた虹色の珠に指先が触れた瞬間に眩い程の閃光が11の持っていた珠の光と繋がり、彼女を繭のように包み込む。それは僅か三秒にも満たない時間の中で弾け飛び、UBはその間呆気に取られて様子を見つめていた。光の中から現れた11は身体が縮んでいた。手足は更に小さく細くなり、体も女性的なラインとなって、腰の辺りに生えていた尻尾は後頭部からロングヘアーのように長く伸びている。
 UBのいる世界にはどうやらメガシンカの概念は無いらしい。ミュウツーの姿になった11がドゥーズの持っているキーストーンに反応して自身の持つメガストーンで姿を変える様子を訳が分からないといった表情で見つめていた。けれども次にはそんなことはどうでもいいと考えていた。今度はUBが瞬きした途端に11が瞬時に距離を詰めてきたからだ。その顔には鬼気迫るものを感じ、反射的にUBは大きく飛び跳ねて距離を取っていた。11は構わず両手から大量の影を生み出して放つと、UBは地面を抉りながら次々に回避行動を行う。
【シャカシャカ動いて、まるで本物ゴキブリだね】
【余計な思考を入れないで下さい、気が散ります】
 UBに休憩を入れさせない為に11も間髪入れずに技を撃っていく。自身の波導を練り込んで撃つ《はどうだん》に影の塊を放つ《シャドーボール》、稀にUBが技を撃つ隙を突いてくれば念を練って生成した盾で一時的に身を《まもる》。ドゥーズは考えていた。驚異的なスピードを出せるのは外見から察して極限まで筋肉量を削った体に進化して得たもので、こちらが脅威と考えるのはそのスピードの前に成す術なく倒されてしまうからだ。所謂あのUBは超短期決戦型でスタミナなんて思ったより無い筈。実際にゲッコウガとメガミュウツーとなった11との連戦で最初の頃よりスピードが落ち始めている。なのでゲッコウガであらかじめ奪えるだけUBのスタミナを奪い、ついでに11には戦闘を見てUBのスピードを目である程度慣らしてもらい、メガシンカで限りなくスピードに特化した形態で確実に追い詰める。思ったよりUBがしぶとく反撃に出て僅かにダメージを与えられる以外はこちらの思惑通りに戦闘が進んでくれている。
「痛っ…」
【12、気をしっかり持ってください。貴方の精神接続が切れたら私は―――】
【分かって、る……ッ】
 UBのスタミナはドゥーズが思っていたよりもタフだった。どれだけ攻めても向こうは息を殆ど上げていない。むしろ呼吸しているのかすらも怪しい。おまけにこちらの攻撃の合間に小出しに繰り出されてくる《さきどり》に11の技が奪われ、反応速度が追いつく前に地味にダメージを負ってしまう。そのせいで感覚が繋がっているドゥーズの肉体にも痛みが襲い掛かってくる度に集中力を切らしそうになるので、11に被弾するなと怒っても難しいの一言で返される。一度でもドゥーズが接続を絶ってしまえば11はメガシンカのパワーを維持できない。メガシンカは絆の力。本当の信頼で結ばれたものではない歪な絆で引き出したメガシンカはトレーナーであるドゥーズも同じ負担を背負うのだ。
 UBとの戦いに集中していたせいで11はふと気づいた。思えば随分ドゥーズとの距離を離されている。攻撃の合間にちまちまと攻撃されて大きく避けたり念の盾で防いでいたが、あの生き物にそんな面倒なことをする余裕があったのか? と11がドゥーズの顔を見る。それはドゥーズも同じ考えだった。今、UBの位置は11とドゥーズに挟まれる場所にある。もしこれがUBの考えていた作戦ならば、非常にマズい。11が最大速度でこちらへ戻る前にUBがドゥーズの身体をめちゃくちゃにする方が早い。
 そして、UBがおもむろにこちらを振り向いた。やられた。同時にドゥーズと11の思考が重なる。この虫、防衛本能で戦っているだけかと思いきや既にトレーナーの存在を少しずつ理解してきている。司令塔を潰せば勝算があると思っている。一歩、UBがしっかり地を踏み締めた。やはりこの一撃で決める気だ。そう思うのが早いか、UBの次の一歩の方が早いか、気づけばドゥーズと11は大声で叫んでいた。
「【守れッ!】」
 UBが稲妻のごとく疾走する。11が必死に手を伸ばして加速する。11は間に合わない。ドゥーズの顔面に再びあの蹴りが迫っていた。ドゥーズは自身の思考が加速してUBの蹴りが恐ろしくゆっくりになる光景を見つめている。ドゥーズは願っていた、早く来いと。その願いに応えたかのようなタイミングで視界の端に赤い舌が肉薄してくる。それは蛇のようにドゥーズに迫っていた白い脚を絡め取るように捕まえると、自身の思考が元の速度に戻ったのを感じた。間一髪間に合ったのだ。
「よくやったゲッコウガ! 11、奴を潰せッ!!」
 一瞬の隙を作ってくれたゲッコウガに感謝する気持ちで興奮して叫ぶドゥーズ。自分の攻撃を瀕死間近の生き物に邪魔された衝撃で困惑したUBが認識する間も無く頭上に殺気の念で固めた盾が押し付けられ、ぐしゃりと生々しい音が花園に響き渡った。UBの上から念の盾を出していた11が息も絶え絶えに降りてくる。メガシンカの力はいつの間にか消えており、ドゥーズが11の姿が元のミュウツーに戻っていることを確認した途端、自身も疲労で膝を着いていた。
【……奴は、死にましたか?】
 自分の攻撃の音で無傷ではないことを感じ取っていた11がドゥーズに尋ねる。11に押し潰された形で伸びているUBは不気味な色の液体を口から零してヒクヒクと痙攣を起こしている。生きてはいるが、見たままの感想で言えば虫の息である。
 ドゥーズが無言でバッグから青いボールを取り出す。トレーズから受け取ったウルトラビーストを捕獲する為だけのボール、通称ウルトラボールである。ビースト以外には役立たず同然の捕獲機能なのだが、捕獲対象がウルトラビーストだとその捕獲機能が格段に上がるのだそうだ。
「ざまぁ、みろ……」
 さながら憎い犯人に手錠をかける刑事の気分で軽くボールを当てると、虫の息のUBが中に吸い込まれていく。ボール揺れる度に青い光が淡く放たれ、やがてそれが収まった時にカチッと音がする。捕獲完了の合図だ。
「………もう、動けない」
【私も…強制的に接続が切れたせいで気分が悪いです……】
 UBの入ったボールを胸に抱きかかえたドゥーズが仰向けに倒れ込むと、11とゲッコウガも同じようにその場に倒れ込む。たった一体の生き物にここまで手こずるとある程度予想はしていたが、まさか動けなくなるとは誰も予想していなかった。これからやることはまだ山程あるのだが、今のドゥーズに細かいことを考える余裕は無かった。ただ満点の星空をぼんやりと見上げ、満身創痍ではあるものUBとの戦いを乗り越えられたことへの達成感に自尊心が満たされていくだけだった。




 ある日わたしの居場所はなくなった。いちばんつよくてこわいきょうだいが研究所をこわしたからだ。みんな死んだ。カナメも死んだ。みんなあかいかたまりになって死んでしまった。わたしは11と一緒ににげた。カナメがさいごにくれた宝物を持って。泣きながらにげた。カナメが言っていた。わたしの代わりはわたしだけだって。他のきょうだいのいちばんうえに立てるのはわたしだけだって。だから11はわたしをまもるんだって。
 わたしにはちからがない。タマゴからでもなくおかあさんのおなかからでもない場所から生まれてきたわたしでも、強くなれるかな。これから会うトレーズって人は、わたしのおとうさんなんだって。カナメは自分が死んだらトレーズをたよれって。でも、わたしのいちばんはカナメだよ。これからもずっとずっと。いなくなってもカナメの夢はわたしがひきつぐから。



 どこまでも広がる青。白い雲と白いキャモメが違うスピードで空を泳いでいく。ハウオリシティの波止場から出航した船の甲板でぼんやりと海を眺める白いえんびポケモンが立っている。
「ブランシュ、勝手に出歩かないでよ」
 白いポケモンが気怠そうに振り返ると、顔に絆創膏を張り付けたドゥーズと美女の姿の11が歩いてきた。
「ほんと、マイペースだよね。キミって」
 ブランシュはアンニュイな表情で欄干に肘をついてまたぼんやりと海を眺めている。あの夜、ドゥーズが捕獲してからずっとこの調子だ。治療をしている間も財団の施設に滞在していた間も大人しくして暴れる様子は無かったが、どこか気の抜けた顔で何事にも興味を失ったような顔をしている。財団の研究者曰く、ドゥーズ達と戦って捕獲されたのが原因かは分からないが、メレメレの花園で会った時のような異常な警戒心は殆ど消えているとのことだった。今では割と素直に言う事を聞いてくれるし、このまま財団に預けて報酬だけ貰ってアローラを去ろうかと思ったが、代表直々に優れたトレーナーの元で保護と観察してもらった方が万が一の事態に備えて対処できるとのことでそのままお持ち帰りが決定してしまった。財団としては定期的に観察結果を報告してくれれば何処へ行こうが特に制限が無いらしく、優れたトレーナーと持ち上げられて悪い気がしなかったドゥーズはまんまとこのUBの世話を引き受けることとなってしまった次第だ。
 後々聞いた話だが、このUBは種族名がフェローチェと呼称されているようで。タイプは虫と格闘とのこと。タイプは繰り出してきた技でドゥーズがおおよその検討を付けており、とりあえず分かりやすい個体名で呼ぼうとブランシュと名付けた。
「キミ、すっかり毒気が抜かれた感じだよね。まぁ扱いやすいからいいんだけど」
 ブランシュはドゥーズ達の言葉を上手く理解していないようで、何言っているんだコイツという表情で常に周囲を見ている。異世界から来た存在だから見るもの全てが珍しいのだろう。しかし見るもの全てをまるで汚物を見るかのような目で見て殆ど触ろうとしない。
「キミの世界は青がいっぱいなのかな?」
 そんなブランシュが唯一じっと見つめるものがある。それは空と海だ。何処までも広がる青い世界をまるで懐かしむような寂しがるような目で夕暮れになるまでじっと見つめている。まだウルトラホールは安定した場所まで行ける技術はこの世界にはない。ブランシュがどれだけ焦がれる世界であっても、いつ戻れるかは分からない。
「まぁ、私も居場所無いからさ。それまで仮の住まいで我慢してよ。生きている間は何とかしてあげる。そうだ、ジョウトとか行ったら素麺食べさせてあげる。あれなかなか美味しいからさ」
 ブランシュはようやくここでドゥーズの顔を見た。ドゥーズも欄干に頬杖を突いて海を眺めているのでブランシュの顔を見ることは無かったが、お互い何かを共感したようでしばらくずっと海を見つめ続けていた。