PRB

バーティカル・モンチョーネ
「波音」「マスク」「神経衰弱」
編集済み
 目と目があったらポケモン勝負!

 冒険を始めたばかりの駆けだしトレーナーが短パン小僧から教えられるようなこの世界のルールを、ヨウは忌々しく思い返していた。ウラウラ島はポータウン、雨の降りしきるスカル団のアジトに乗りこんでから数時間。したっぱと幾度ものバトルを繰り返し、手持ちもかなり消耗していた。半壊した民家の軒下を伝い、人目のつかないガレージで休息を取ろうとした矢先、座りこんでいた3人組と鉢合わせてしまったのだ。
 とっさにキャップを目深にかぶり直した。嫌な汗が雨に濡れたボーダーシャツを背中に貼りつかせる。見逃してくれ――彼の願いは雨雲に遮られ天まで届かない。バッチリ合った視線を捕まえて離さないような老成した眼光で、大柄な男がヨウに立ちふさがる。

「ほォ、侵入者ってのはあんたみたいなガキだったのか。おら、さっさとポケモンを出しな。俺はリックだ」
「く……っ、僕はヨウ」

 リーダー格らしきリックはズルズキンを連れていた。トレーナーと同じ髪型の赤トサカをゆらゆら揺らし、やる気は十分だ。ペアルックよろしく首の皮を引き上げ大きな口許を隠している。
 リックだけならともかく、3人と連戦はキツそうだった。横目で見れば、ヒョロっちい青髪の男はエイパムを、気だるそうなピンク髪の女はネマシュを控えさせている。
 チッ、と心の中で舌打ちして、ヨウは渋々ボールを投げた。閃光を裂いて飛び出してきたニャヒートは傷だらけで、疲労を悟られないよう低くうなっている。

「正念場だよニャヒート、がんばってくれ! 速攻フレアドライブでたたみかけるぞ――」
「オイオイ待て待て、ポケモンバトルはやらねぇぞ。俺はトレーナーじゃねぇからな」
「……は?」

 ひらひらと手を振るリックに、ヨウは目をしばたたいた。にゃぶう! と炎をまとい奮い立ったニャヒートも、毛を逆立てたままつんのめっている。
 いつの間にかマイクを掴んでいたリックが、スカルマスク越しに叫ぶ。

「ヘイDJ.ウッキー、カモンセイッ!」

 ドゥ〜ン、ドゥビドゥビドゥビドゥキャキャキュ〜ン!!
 唐突な重低音が雨雲を突き上げる。
 振りあげられたリックの腕に合わせ、雨を避けるように設えられたDJブースでエイパムが華麗なスクラッチを披露する。雷鳴さえ押しのけ響く四つ打ちリズムの電子音、隣では青髪男のヒューマンビートボックスが冴えわたる。スプレーで染色された広いガレージが、照明代わりのネマシュの胞子でまばゆいステージへと仕立てられていた。
 全く状況が掴めずア然とするヨウへ向けて、無線マイクが投げられた。ぱしっと反射的にキャッチすると、でかいスピーカーをうならせてリックのダミ声が反響する。

「さァ思いっきり俺のズルズキンをdisってみろよ。準備はいいか、バトルはバトルでもポケモンラップバトル――PRBで勝負だMC.YO? 難しい言葉は要らねぇ、1度きりのセッションを楽しもうぜ」

 マスクの奥でリックがニヤリと笑うのが分かる。目と目があったらポケモン勝負、もう逃げるわけにはいかないのだ。ヨウはマイクを握りしめた。





 次の日、ヨウはまた同じステージに立っていた。
 キャリーと名乗ったピンク髪の女が眠たげにマイクを操っていた。リックへリベンジする権利をもぎ取るため、ヨウは彼女の小手調べを受けているのだ。「スカ」でしか韻を踏めない青髪男はもう撃破していた。
 DJ.ウッキーのプレイはこの日も好調だ。大音量のユーロビート調に、キャリーがまったりした歌詞――リリックを刻みこむ。揺れる体はさながら艶やかに雄を誘うエンニュートのよう。

【シッポ立たせたつり目のニャヒート、きっとキミには懐いてないよ、悪タイプ付いてないのに悪態つくその態度、可愛げないし冒険やめて保健所で引き取ってもらったらどうよ? ダサすぎ首から下がったアクセサリ、ここでキミの冒険は終わり、すり減ったしきたり島めぐり、目ざわりバイバイバタフリィ!】

 女子高生のようなキャリーの歌い方と独特なワードセンス。マイクを握ったふたりの間では、牙を剥くニャヒートの背中を、ネマシュがゆったりとよじ登っていた。3つの笠がそれぞれの方向へレーザービームを飛ばし、赤色の舞台照明を演出している。キャリーのラップに合わせ、3本の触手がニャヒートの着けている石の首飾りに触れる。炎の鈴とぶつかって、鬱陶しげな高い音がした。
 8小節を終えたキャリーが挑発するようにマイクを突きつける。ネマシュの胞子が赤っぽいものから青っぽい色へと変化した。いよいよヨウのターンだ。
 キャリーのリズムに呑まれないように、息を大きく吸ったヨウはマイクに第一声を放つ。彼女とは対照的にヨウのテンポは速く攻撃的だった。

【あんたのカッコ怪しすぎ、だから威嚇するニャヒートが僕は大好きYeah!】

 前日の及び腰が嘘のように轟くヨウの1小節目、見違える成長ぶりにキャリーが片目を吊り上げた。ニャヒートはネマシュに低いうなり声をあげるものの、炎を吹きつけはしない。それがPRBのルールだからだ。
 反撃の勢いは弱まることなく、ヨウがたたみかける。

【他人のポケモンがダサいダサいってあんたこそなんだよそのカッコ、風邪引いてんのかよクソでかいマスク、子どもにしかウケないぜ泣きっ面スカル、ガキの落書き街じゅうにばら撒き、他人のもの奪い何でもブッ壊す、何がスカル団、社会理念ひとの意見無視するのカッコいいとか思ってんのかカッコ悪い、そのくせあんたの歌い方眠くなるんだよ波音かよ、ネマシュと寝ましゅ? ダジャレはここじゃいらないよ敗者、島めぐりドロップアウトしたあんたらはつるんで街を乗っ取るまねっこしかできない、小っこい車庫でダッサいラップシャウトがお似合いだなBADGIRL!】

 最後の8小節目をまくし立て、ヨウは相手を睨みつけた。ライバルを見つけたような顔でキャリーが睨み返してくる。コテンパンにされた前日、ヨウがポータウン外の交番でクチナシに相談したところ、夜通しラップの基礎を叩きこまれた。いつもニヒルな笑みを浮かべた枯れ顔が強者の風格を取り戻した彼の姿は、ただ者ではないとヨウが確信するほどで。途中で諦めるとも言い出せず、ハニー蜜を舐めながらの大試練は数時間に及んでいた。付け焼き刃のラップでは、韻を踏む気の利いた言葉なんて即興の中ではぜんぜん出てこない。
 それでも闘志は燃え盛っている。2年前、ヨウは父親からラップを教えてもらったことがあった。彼が商店街で営んでいた帽子屋を放っぽり出し失踪する前の、父親に関して残っている最後の記憶だ。
 だからMCバトルには、どうしても勝ちたかった。
 ネマシュの照明が再び暖色系に戻る。マイクを握りなおしたキャリーが、噛みつくように腕を振りリズムをとる。

【青髪フィーロはボイパで島代表、モヒカンリックは元社長。あたしはスプレーで壁に絵を描く新感覚、って言われてお偉いさんから依頼まできた、それに比べてキミはどうよ、主人公気取りのbaseball-capにママの選んだ夏休みT-shirt、ネコのトリミングもできやしないで、おんぶにだっこの島めぐり? そこのけそこのけ通るドラ猫、フレアドライブでどこ行くつもり、偉そうに垂れんな人生講釈、ひとりでやってろ神経衰弱!】

【あんたが能ある絵描きなら、なんで廃墟で濡れネズミだよ? ラッタみたいな泥棒風情、今すぐ辞めて生まれ変われbirthday、ピカピカ光るネマシュの胞子浴びて闘志燃やせ、長雨ダメnever諦め、僕のニャヒートより熱く燃えなきゃ、あんた足元すくわれて逆さ吊り、ネマシュみたいにそう……スカルマークさ! ぼっと突っ立ってないで街に出て浴びろspotlight!】

 DJ.ウッキーがセクション終了のスクラッチをがなりたて、一瞬の雨音ののちにオーディエンスが沸きたった。ナマコブシにアママイコ、ケララッパ、ウソッキー、レアコイル。拳を突き上げ、体を揺すって歓声を響かせる。みなヨウの手持ちポケモンだ。
 場が落ち着きを取り戻したところで、進行役の青髪男が叫ぶ。

「判定は付いたスカ? そんじゃあ……JUDGE!」

 5匹には事前に赤い札と青い札が1枚ずつ配られていた。手に手に掲げられたのは、チャンピオンの赤札2枚に、チャレンジャーの青札3枚。辛くもヨウが勝利をもぎ取った形となった。内心そっと息をつく。今の今まで口汚く罵りあっていたキャリーと固い握手を結んだ。ラップで繋がった友情に、スカル団もなにも関係ない。

「……やるじゃん。てっきり尻尾巻いてママに泣きついたのかと思ってたんだけど」
「あんたこそグラフィティアート頑張ってよね。僕、この街の雰囲気嫌いじゃないから」

 ウソッキーとナマコブシは赤のカードを出していたが、それは仕方のないことだった。仲間がdisられているにもお構いなしだったのは、ポケモンは極上のラップに正直だからだ。彼らの価値基準では、ヨウよりキャリーのほうが上手だと判断しただけのこと。前日など、リック相手には0-5のクリティカル負けを叩きつけられていた。さすがに手持ちたちに裏切られた気がして、晩ご飯はなかなか喉を通ってくれなかった。
 そう、ヨウはリックに全く歯が立たなかったのである。
 悔しげに目元を歪ませたキャリーが、控えていたリックへマイクを投げてよこす。

「リック……、あとは頼んだよ。あいつけっこう良いバイブス持ってる」
「あいよ」

 メンチを切ったズルズキンがオラオラと進み出る。睨み返すニャヒートのうなり声が、前日のリベンジとばかりに低まった。
 青髪男に促されたエイパムが、明確で乗りやすいビートを送りだす。赤い照明の下、リックのダミ声が鳴りわたる。

【テメェらポケモントレーナー、自分で戦わねぇでズリぃなあ? テメェの正義しょわされたニャヒート、くすぶってンだよやり場ないbeat、フレアドライブは負担怖いぜ、ポケモンはテメェの駒じゃねえ、自慢の鋭利な爪研いだって、向ける先なきゃ所詮はcat-fight、俺はラップで闘ってるぜ? キャリーとフィーロ同じ夢しょった仲間と、最強のhiphopを狙って足掻いてる、yo、yo、MC.YOよ、昨日負けたくせにテメェ何しに戻ってきたよ、もしや俺たちの足引っぱるつもりじゃねーよなあ!?】

 リックのリリックは丁寧極まりなかった。前半は小節の末尾で韻――ライムを刻み、中盤はヨウの粗を的確に突き刺すパンチラインを展開する。ひと言ひと言の重みが違う、ラップと人生の場数を踏んできた者の重圧がヨウを押しつぶそうと迫る。ダンシングフラワー顔負けに頭を揺らすズルズキンが、ひるむニャヒートをぐるんぐるんと睨みまわす。
 しかしヨウも負けちゃいなかった。

【前途有望な若者に説教、ズルズルといつまでもうだつ上がらない、理想ばっか見てないで現実見ろよあんたもういくつだよいい大人だろ、rapで崖から足をslip、飛び膝蹴りミスって骨折するぞ? ズキン被って世間から逃げて、地に足つけるのがそんな怖いか、ポケモンを信じる意志ない大人には、短い間だけど僕とニャヒート、それに仲間たちとの絆も分からないもんなぁ! ひとりじゃできないこともポケモンとなら、何だってイージーなんだよッ――カモン、DJ.MOTOR!】

「おまかせロト!」

 ヨウが叫んだ途端、図鑑からロトムが飛び出した。エイパムから音響卓を奪い取る。プラグを介して筐体に潜りこめば、でかでかと浮き出た両目のスピーカーから、MCバトルにはそぐわない湿っぽいリズムが流れ始めた。
 放心するリックとズルズキンに向けて、ヨウは叫ぶ。それはリリックもライムも何もない、ありったけの心の叫びだった。

「何やってんだよオヤジ! いきなり店たたんで僕たちを置いて蒸発して、やっと見つけたと思ったら不良たち束ねてボス気取り? 島めぐりなんて建前だよ、僕はオヤジを探し回ってた。ずいぶん探したよ、戻ってきてよ……! いくら見た目変えて偽名使ったってバレバレだよ、顔、しっかり見せてよ……ッ」

 ばすんッ! ヨウが足を踏み鳴らし、それを合図にニャヒートが首飾りを引きちぎる。変わらずの石を加工してできたネックレスからまばゆい光が放たれ、包まれたニャヒートの背丈が急激に高まった。光が解けるとそこから、ガオガエンが悠然と見下ろしていた。
 硬直するリックの口許へ炎の豪腕がそっと伸び、覆っていたマスクをずり下げる。ヨウへ晒されるリックの相貌、ぽかんと空いた口が、しかしニヤリと釣り上がった。
 ネマシュの照明が赤くなる。まだバトルは終わっていない、リックがマイクを掴み背を向けた。

【……やってくれるな、したり顔のサプライズ。だがな所詮は猫だまし、こんな父親なんて目のカタキだろ? 御託はいいからかかってこいよ、テメェはぜんぜん変わってないよな、ケツの青いガキはいつまでもニャヒート――いやもうガオガエンか、信じられん……。俺が背後向いてるのは涙見せないためじゃねぇぜ? できる男は背中で語る、テメェがポケモン連れてるように、キャリーとフィーロ、俺たちは心のスカルで繋がってる、その絆が俺たちよりも強いってところ見せてみろよ、独りよがりじゃ響くもんも響かねぇぜ!?】

 ヨウの耳奥までリックのダミ声の残響する。そびえる背中へ挑みかかるように、キャップを斜めにかぶり直した。

【オヤジ覚えているか同じキャップふたつ持って僕に言ったワンフレーズ、「おそろいの帽子これが誕生日プレゼント」って、あんたモヒカンになってるじゃんかよ! もう被れないじゃんよ、あのときの帽子どこやっちゃったんだよ! 僕はサイズ合わせてまだ被ってるよ、あんたがそのブ厚いズキンの下にクソ熱いHIPHOP隠してたのはいいよ、なに抜け殻残して脱皮するみたいに家から逃げ出してんだよ! そんでもって不良たちと家族ごっこ? ……それはもう別にいいよ思うところあったんだろうよ深くは聞かないよ、けどさ、久しぶりに会った僕の成長っぷりくらいちゃんと見届けてよ、僕だってやりたいこと見つけたんだよ、今はこうしてみんなと頑張ってるんだよ、ぜんぜん変わってなくないだろうよッ!!】

 歌いきりで昂ったヨウがマイクを地面に叩きつける。耳を潰すようなハウリングが収まると、ポケモンたちが湧き上がった。ナマコブシは中身をポゥポゥと振り上げ、アママイコは葉を舞い散らして踊る。けたたましく鳴くケララッパ、ウソッキーの両手がマラカスの音を生み、レアコイルの金属音がコンクリートにひびを入れる。
 オーディエンスの熱狂は収まる気配を見せない。たまらず青髪男が悲鳴をあげた。

「そ……、そろそろ判定、いいスカ?」

 ポケモンたちが掲げているのは、いずれも青い札だった。満場一致でヨウの勝利、文句を言う者はひとりもいない。静かな雨音だけが残されていた。
 固い握手とハグでお互いの健闘を称えたヨウとリックが、憑き物の落ちた顔で見合っていた。リックが口を開く。

「ひとつ言っておくが、俺はお前のオヤジじゃないぞ」
「え」
「俺はメレメレ生まれのスカル団育ち、カントーなんざ行ったこともねえ。たまたま同じ系統のポケモン持ってるってだけでオヤジの姿を勝手に重ねたんだろ。お前の早とちりだ」
「じゃ、じゃあなんで――」
「嘘ついたかって? そう言ってやった方が、お前は上っ面だけじゃねぇラップができると思ったからよ。実際お前はそれで半端ないリリックを生み出したし、クリティカルで俺は負けた。お前の想いが、しっかりポケモンたちに届いたからだろうな」
「…………」
「ともかく、ポケモンとそれだけ深い絆があるなら島めぐりも大丈夫だろ。応援してるぜ、いつかオヤジと会えるといいな」
「……ありがとう」

 ヨウはもう一度握手を交わした。





 大雨は小康状態になり、雲の切れ間から覗いた太陽が、潤ったポータウンをきらきらと照らしている。
 ガレージの端の水たまりで、ネマシュが久しぶりの日光浴を楽しんでいた。エイパムは大きな尻尾で機材の配線を片付けている。金属音で崩れた壁を補強したキャリーが、スプレー塗料でウォールアートを描き直していた。フィーロはマイクをいじっている。ヨウが打ちつけた拍子にへこんだヘッドケースを取り替えていた。
 そういえば、とフィーロは顔を上げて、ヨウを見送ったまま動かないリックの背中に訊ねる。

「嘘だなんて嘘、ついてよかったんスカ? 久しぶりの再会なんでしょ」

 リックはすぐには答えなかった。握ったままのマイクを指先でいじるだけ。
 ややあって、彼は遠くを見つめながら言う。

「あいつとガオガエンの目を見て分かったよ。島めぐり、当初の目的は俺を探すことだったかもしれないが、今あいつは強いトレーナーになるって目標にひた走ってんだ。一度は辞めたはずのラップを諦めきれなかった俺が、ここで呼び止めて息子の夢に水を差すわけにもいかないからな。あいつは島めぐりでポケモンを鍛え上げる、俺はPRBで名を馳せる。感動の再会は、お互い夢を叶えた後でも遅くないだろ」

 ズルズキンがだぶだぶの皮の中をまさぐり、ヨウのものと同じキャップを探し当てた。くたくたによれ、すっかり型が崩れている帽子。リックがこのスタイルに行き着くまで毎日のように愛用していたそれは、またおそろいで被られる日が来るのをずっと待っているのだ。