海神さまの使い
オ・フトン
「波音」「マスク」「神経衰弱」
――どうしてこうなった。
私は涙目になりながら、どうにか手を頭の後ろに組んだ。周囲から懐中電灯の明かりを当てられ、各々所持しているのであろうポケモンに威嚇され、さらに服はびちょぬれだし、もう最悪である。とある船旅の最中、海のど真ん中で進路を失い、何とか陸にたどり着いた頃には太陽はかくれんぼに熱中していた。高波にぶつけられて濡れた体と心を引きずって陸へ這いあがったところでまさかのこのザマだ。神様は私をいじめたいのだろう。この畜生め!
「ゆっくりと地に膝をつけろ」
私を囲っている輩の中で恐らく一番高齢で白髪のおじさんが、懐中電灯を振りながら前へ出る。彼の言う通り、私は濡れた衣服と皮膚の接触に気持ち悪さを感じながら地面に膝をついた。その瞬間、後ろからジュプトルに取り押さえられ尻もちをつかされる。濡れたジーンズに砂がつく感覚がして思わず舌打ちをしてしまった。神のバカ! ふぁっきん!
「名前は? どこから来た? 目的は?」
「べー!」
私は舌を出す。上陸しただけで取り押さえられて気分は最悪。どうして個人情報を訳の分からない奴らに教えなきゃならんのだ。そのじいさんはため息をつくと「やれ」と合図を出した。
その合図にうなずいた栗色の髪の女性は私に近寄り、あろうことか私の体を触り始めた。「わー! チカンー!」など宣ってみたものの、冷ややかな目線が返ってきただけなので無駄に騒ぐのは諦めることにする。右の尻ポケットを探っていた女は、その中のものを取り出した。
「ポケモンレンジャー?」
そう、そこに入っていたのは、ずぶ濡れで顔写真のところやらが滲んでいるポケモンレンジャーの免許書だった。しかも特級である。これは政府公認の資格で色々な免除が受けられたりする便利アイテムであり、しかも特級は警察権限も兼ね備えているという、エリートの証だ。これを機に私はこの状況から離脱を試みる。
「その通り! 私は偉大な駆けだし特級ポケモンレンジャー! 海のポケモンの調査をしてたら遭難しました!」
ざわざわ、と周囲が騒ぎ始めた。これでこの扱いから解放されるだろう。暖かいお部屋に案内してくれるだろう。暖かい布団で眠れそうだ。明るい未来にニコニコするのもつかの間、何故かおじさんがさらに険しい顔になり、大声で叫んだ。
「巫女様のもとに連れていく! 絶対に逃がすな! 他の者はボートを調べろ!」
弾くような返事をしたジュプトルは私を無理やり立たせた。じいさんとジュプトルが私と共に歩き始める。それ以外の男女とポケモンがボートの中へ乗り込んでいった。確かあのボートの中にはモンスターボールとポケモンレンジャーの道具が入っていたはずだ。この流れだと恐らく取り上げられてしまうだろう。もうこの流れで明るい未来は水の泡となって消えた。
せっかくの外出だったのに。
私はうなだれて肩を落とした。
△
しばらく森の中を進んでいた。さっきまで聞こえていた波音はもうない。聞こえるのは私たちの足音と草むらが怪しく揺れる音のみ。暗闇の中を歩かされていた。ジュプトルのほか、私の後ろからあのおじいさんが着いてきている。
後ろを向いてまた舌でも出してやろうかと思ったが、こんな暗いのだから私が舌を出したところでじいさんは見えないだろうし、ジュプトルに気づかれてど突かれそうだ。
5分ほど歩くと、苔の生えた石階段が前方に表れた。嫌な予感がして上を見てみると、かなり高いところまで続いている。これを登るのは骨が折れそうだ。しかも、忘れているかもしれないが、私の衣類は濡れていて歩きにくいったらありゃしない! しかも砂やら森の中を通ったせいで細かいくずや葉っぱが張り付いている。レディにはぜひとも優しくしてほしい。が、顔を見る限りあのじいさんは世が男尊女卑だとか未だに思っている化石だ。これだから頭の固いご老人とは関わりたくない。
案の定、私はクソ長い階段を登らされた。ちゃんと登り切った私を誰か褒めていいと思う。それで、登り切った先にあったのは小さな神社だった。しかしお賽銭を入れる箱は見つからない。そのまま境内へ入り、閉ざされていたふすまを開けた。中は割と広くて屋根を支える支柱が数本あり、ろうそくに火がが灯されている。そしてその奥には巫女装束の女の子が座っていた。私と同じ年ぐらいなので17ぐらいか。
その女の子の前まで歩かされると、途端に座らされて両腕を縄で縛られた。その後、また別の縄で柱に括り付けられる。抵抗するも残念なことに足掻きにすらならなかった。
私を縛り付けたあと、じいさんを先頭にして床へ正座し、一斉に
「そちらの方は?」
「島へ流れ着いた者です。所持品からして、名はハルナ。ポケモンレンジャーとのこと」
じいさんは答える。
「神への供物として、いかがでしょう」
「……いいわね。明日まで私が見張ります」
巫女の言葉に奴らはありがたそうに頭を深く下げた。供物、確かにそう聞こえた。私の聞き間違えだろうか。今世紀、一番嫌な予感がする。
「失礼します」
奴らは立ち上がり、再び頭を下げると外へ出て行った。私は奴らが完全にいなくなったことを確認すると、縄を解こうとするがびくともしない。
「……大丈夫?」
そんなことをしていると、意外なことに、さっきまでの威厳はどこへやら、気の抜けた雰囲気で例の巫女が声をかけてきた。私は改めて彼女を見る。紫色に近い黒い瞳に、白い短髪。着ている服はやはり巫女装束。
「私の名前はカサネ。巫女で神の使いよ」
「そうか。ならアンタと話すことはない。神は嫌いだ」
ふんす、と私は明後日の方向に目を反らした。カサネは困ったようにアタフタしたと思ったら、急にしゅんと縮こまった。
「ごめんなさい……。貴方を巻き込んでしまって」
涙目になって謝罪を述べるカサネ。しかしそれだけでは私は動かない。さっきまで私も涙目だったのだ。これでようやくおあいこだ。
「ハルナちゃんの気持ちは分かるよ。私と話したくないっていうのも。だけど、これだけは知っておいてほしいの。心の準備が必要だと思うから」
嫌な予感が胸を押しつぶしそうだ。そして罪悪感も一緒になって押しつぶしてくる。カサネはマジに私へ申し訳ないと思っている。
私はため息をつくと、彼女と向きなおした。
「ごめん。私も態度悪かった。まあ、あのじいさんよりはマシな感じするけどね。それで、私は何を知るべきなの?」
「ありがとね、ハルナちゃん。……知るべきことっていうのはね」
カサネが息を呑む。私の中で嫌な予感がマルマインとなって肥大化し爆発寸前だ。起爆せずに萎んでほしいと願うばかりであるが、さてはて。
「貴方は明日、海神さまの供物として、捧げられてしまうの」
マルマインが起爆した。全てを荒野に変えた。
「……いやいやいや、海神さまって誰よ? ポケモン? なんでそんなわけわからん奴の供物にならなきゃいけないの」
身を乗り出してまで私はカサネに不平を述べる。確かに私は島へ不法侵入してしまったのかもしれない。しかし、だからといって問答無用で供物にされてしまってはたまったものではない。
「海神さまは、私たちとポケモンたちを結び付けてくれる神さま。海神さまのおかげで、この島の人間とポケモンは争うことなく協力しあって平和に暮らせているのよ。だから、私たちは感謝のしるしとして、
カサネの表情を見る。それは心なしか憂いているように見えた。それは暗闇の中で灯るろうそくの明かりがそう感じさせたのか、それとも私の贔屓か、もしかしたら本当にそんな気持ちでいるのか。会ってまだ数分の私では見当がつかない。けれど、これはとんだアホなことであることを、どこかで理解していてほしかった。供物を求める神なんてものは所詮人間が生み出した永遠の心の拠り所。安堵するための器に過ぎないのだから。本物の神は供物を要求したりはしないだろうし、人間とポケモンの営みに手を出せない存在なのだと思う。
だから、私はこの目の前にいる少女に語り掛けた。
「悪いけど私は供物になんてならないし、そもそもそんなモンを信じてる人はイカれてるとしか思えないね」
「……いかれてなんてないわ。だって、海神さまはいるもの。ずっと、昔からずっと、私たちを見守ってくださっているの」
カサネは両手を合わせ、祈るように語る。その行為はどうも辛気臭くて胡散臭く見えた。だからは私は棘を出してみる。
「
「なっ!」
「カサネ、だっけ? アンタはいいご身分だね。巫女なんでしょ? どうせ海神さまを呼び出せる特権かを持ってて、島民にちやほやされてるんだろうなあ。しかも自分は儀式の時にみんなの前に出てテキトーな祝辞を述べて、供物を投げ捨てるだけ。そんだけで人生安寧! 遊びまわっても誰も咎めない! この島はまさに
身勝手な憶測と皮肉をふんだんに詰め込んだ
私の言葉に、カサネの反応は薄い。顔を伏せてしまった。怒り狂って罵詈雑言を浴びせても良いぐらいの失言だったはずなのだが。さすがに言い過ぎたか、と私が謝罪の言葉を口にしようとしたとき、カサネは空気中に霧散してしまうような言葉を紡いだ。
「……巫女は儀式の一週間前に選ばれるの。そして、巫女に選ばれた者は、供物を捧げた後に"本命"として身を差し出す。つまりね、ハルナ、私も貴女と同じなのよ」
「……ごめん」
私が完全に悪かった。島民たちと話していたときの威厳が2人だけになった瞬間に取っ払われた理由がまさしくそれなのだろう。この発言が真実とするならば、彼女も私と同じく犠牲者というわけだ。それはつまり、私と境遇を共にする、いわば仲間ということになる。だから、彼女も私と同じことを願っているはずだ。
「――逃げよう!」
「……」
「カサネだって海神さまなんて存在しないこと、薄々気づいているんでしょ? こんなことに命を捨てるなんてもったいないって! 一緒に、逃げよう」
彼女だって逃げたいと、そう思っているはずだ。しかし彼女は私の言葉に耳を貸さなかった。ただじっと私を見つめたフリをして、どこか空虚を見ているようだった。
「無理よ……。こればかりは、仕方ないよ」
それは弱り果てて飛べないムックルのよう。何が彼女をそこまで縛っているのか、私には到底理解できない。だからこそ、私はまだ吠える。
「無理じゃないよ! 私の乗ってきたボートがある。夜だったら見張りの目も盗めるし、それで脱出できる」
「……言葉選びを間違えたわ。嫌、というべきだったわね」
今度はさっきとうってかわって強く迷いのない声だった。私は思わず言葉に詰まる。まさかの意思による否定――その事実に面食らってしまった。気持ちを吐き出しそうになり、私は何とか激情を抑えた。人間というのは学習していくべき生き物であって、私はさきほど過ちを犯したばっかりにこういう状況に陥っているのである。さすがに感情に身を任せ行動するのではなく、一旦停止して頭を整理してから行動した方がよいことは身に染みていた。
すると彼女の背負っている背景が見えてきた。同時にカサネは語りだす。
「……正直、海神さまを本当に信じてるひとなんて、この島にはもういないと思う。けど、それがこの島のルールである限り、それに逆らえば淘汰されてしまう……。巫女が私に決まったとき、真っ先に両親は私を逃がそうとしてくれたし、みんなが寝静まったころに友達が心配して駆けつけてきて、逃げる計画を立ててくれたりしたの。でもそれはダメ……。私が逃げ出せば、家族は見捨てられるわ。……この小さな島で見捨てられるということは、あまりにも残酷なこと。そんなの、私みたいな子供だって分かる。だから、私は貴女と逃げることはしないし、
「……そうかい。本当にそう思うのね。なら私は貴方には期待せず、神風にでも期待しようかな」
「そうね。……ええ、そうよ」
彼女は踵を返すと、立ち上がって寝室と思われる部屋の襖をあけ、中へ入っていった。
私は情緒不安定で感情に波音を立てている彼女を思うと、なんともやりきれない気分になる。この島の集団意識が少女を縛り付け、海底へ引きずり込もうとしているのだ。しかし私にはどうすることもできない。彼らを変えるほどの言葉を私は知らなかった。
色々な感情が軋む中、私は静かに瞼を閉じる。
日差しが神社の中に差し込んできていた。朝だ。心なしかポッポの鳴き声が聞こえる。
「あ、起きたのね」
彼女の声だ。眠気でかすむ瞳をこすりながら顔を向けると、そこには服装の変わったカサネの姿があった。
真っ白な装束。昨日の巫女服のような赤と白の派手目なものとはうってかわり、今日のは清楚という言葉が憎らしいほど似合っている。なるほど、これが生贄用コスチュームか。
「儀式のときはマスクも被るの。顔の全部が隠れるマスク。巫女に人格はいらないって、そういう……」
カサネは言葉につまった。瞳を見るとうっすら涙が浮かんでいる、ような気がした。そうあってほしいという私の望みかもしれない。
「個人の存在を全否定か。そんなモンに従いたくはないよね」
「うん……。でも私は選ばれちゃったもの」
カサネは私の言葉に目に見えて反抗はしなかった。そのまま私から背を向け、マスクをかぶり、彼女は小さく呟く。
「がんばらなきゃ」
あの後すぐ昨日の奴らが来て、また歩かされた。
あのクソ長い階段を今度は下り、歩くこと数分。今度は海がよく見える大きな崖に連れてこられた。そこにはすでに島の住民とポケモンたちが待機していた。そして、崖の先には小さな石の祭壇が建っている。なんともそれっぽい感じがして、私は苦笑した。
「どうした。そんなに嬉しいか」
苦笑した私を見て、昨日のじいさんは笑う。
「んなわけねーだろ」
だから私は真顔で返した。じいさんは舌打ちをすると私を取り押さえているジュプトルに指示を出して私を座らせる。同時にカサネが祭壇のところへ歩き始めた。
さっきまでざわざわしていた島民とポケモンたちが一斉に静かになった。聞こえるのは波音のみ。カサネはゆっくりと祭壇へ向かう。私もその後ろ姿をじっと見ていた。
ふいに草むらをかき分ける音が聞こえた気がした。
「海神様――」
カサネが儀式の口上を述べ始める。この場にいる者全ての意識がカサネへ向いた。私はそれに乗じて逃げようとするも、すぐに気づかれ地面へ叩き伏せられる。
儀式についてよく分からないが、残念ながらつかみは順調っぽい印象を受けた。どうしようかなあ、と地面とご対面しながら考える。
地面に付き伏せられたまま、周囲の状況をできる限り見てみた。未だ隣にあのじいさんがいて、懸命に言葉を読み上げるカサネを真剣に見ていた。
「いい天気だね。これも海神さまのご加護かな?」
「……はて。ところで、カサネに何を吹き込んだ? 彼女に迷いが見える」
「特に何も。実在しない神を崇め祭り上げるバカな人々の話をしてあげたぐらいかな」
儀式は順調に進んでいく。じいさんは私の言葉を聞いて、特に激昂することもなくただカサネを見つめていた。その瞳には何が映っているのか。私はため息をついた。
「もうとっくに引き返すことができない袋小路だ。……にしても、彼女のことをよく見てるんだ。私には彼女に迷いなんて見えないよ」
「当たり前だ。島民のことなど、なんでも知っておるわ」
じいさんの言葉に、私はどう反応すればよかったのだろうか。何も言えることはなかった。私の器では彼に最善の答えは与えられない。
結局、私たちの会話はそれ以降発生することはなかった。
「――流れたり」
カサネの詠唱のような長い台詞が終わる。カサネはその場でお辞儀をして一歩下がった。そしてまたお辞儀をしたところで私はまた立たされる。じいさんとその隣にいたジュカインが離れていくのを私は見た。
「一言声をかけてくれない?」
突然立たされたので、何か言ってやろうと思ったのだ。さっきまで伏せられていたのに、などとぶつぶつ文句を言うと、なんとジュクトルは私の首の後ろ辺りを殴った。その衝撃で意識が若干遠くなるも、なんとか耐え抜く。監禁に加え暴行とは、挙句の果てに私が
「お前みたいな女々しいジュプトル初めて見た! 人間さまをど突こうなんて5万光年早いんだよ!」
「黙れ!」
女の怒声。そしてそれを合図に人間からもポケモンからもブーイングの嵐が生まれた。この島は代々人間とポケモンとで、対等な関係を築いて生活しているのだろう。だから人間とポケモンの間柄は私の知っているそれとは異なるご様子。それゆえ、人間もポケモンもその垣根なく私を罵倒していた。
「黙らんか!」
「――ッ!」
例のじいさん、そしてその隣にいたジュカインが咆哮した。瞬間、ブーイングの嵐は消え去り静寂の太陽が顔を出す。
「さあ、供物を海神さまに」
じいさんが静かに言った。ジュカインもそれにうなずき、ジュプトルは私をよりいっそう強く掴んだ。
つかつか。すべての目線が再び私へ集まる。それはカサネのものも例外ではない。カサネの隣を通る。ちらっと彼女の顔を見てみると、そこにはマスク越しにも分かる、なんと涙を瞳にためたカサネがいた。だからあえて笑って見せる。
崖の先まで来た。そこで私は立ち止まる。下を覗いてみるも、ここから落ちたら命はないことが分かっただけだった。
カサネが息を呑み、儀式の口上を述べる。
「海神さま、今宵の供物です」
ジュプトルに押され、私は崖の先に立たされた。ちょっと踏み出してしまうだけでも落ちてしまいそうな位置だ。潮風がなんだか気持ち良い。
「――」
すべてのものが息を呑む。
聞こえるのは波の音だけ。
ジュプトルが私の背中に触れる――。
「ダメーッ!」
カサネの声がその静寂を突き破った。
同時に
「―――――ッッッッッ!!!!!!!!」
水面が大きく盛り上がり、それはそれは大きなポケモンが劈く咆哮と共に姿を現した。大量の水しぶきを飛ばし、その美しさでその場にいたもの全ての意識を一瞬で刈り取った。大きな羽を広げ、島の住民どもを威嚇する。
正直、ここまでは私の思惑通りだった。だって"畜生"だの"ふぁっきん"だの心の中で悪口は叩いたけど、本気ではないし、家出した娘を探し出してくれると信じていた。
――しかし、ここからは予想外。
今度は海とは正反対。草原の方から突風が吹き荒れ始めた。すべての島民の視線は今度はそちらへ向かう。
突風と共に現れたオレンジパーカーを着て帽子を被った数人の男女。そして彼らが従える数々のポケモン――。
「私は特級ポケモンレンジャーのハルナ! 窃盗の罪で貴女の身柄を拘束します!」
ビシィ! と彼らの先頭に立つハルナと名乗るポケモンレンジャーの女は私を指さし、足元のライボルトは威嚇すると共に電気をバチバチと打ち鳴らす。
▽
それはもう、会場は大パニックだった。
海から現れた神々しいポケモン。森の中から現れた現代人と彼らが従える鍛え抜かれたポケモンたち。そして自然の中で伝統に沿って生活してきた島民とそのポケモンたち。
「海神さまだ!」「なんだこやつら!」「隊長! あの女性を拘束します!」「なんだ……あのでかいポケモンは!」
まさにカオス。カサネも目を丸くして硬直してしまっている。しかしシイナはこういう状況が嫌いなわけではなかった。ほんのひとさじだけのスパイスを加えるだけで味が変わってしまう状況。シイナは嬉々として叫ぶ。
「我は海神さまの使いなり! 海神さま曰はく、その無法者どもを叩き潰せ!」
カサネの驚いた目線が今度はシイナにくぎ付けになった。
島民とそのポケモンたちはその言葉をもって、戸惑いながらお互い顔を見合わせる。数秒の戸惑いのあと、そばのポケモン達と一緒にポケモンレンジャー達に襲い掛かった。すぐそばにいたジュプトルもポケモンレンジャーへ飛び込んでいく。突然の襲撃に天下のポケモンレンジャー達もさすがに驚き、防戦一方だ。
幾つもの技や罵声が飛び交う中、シイナはふうーっと一息ついて両腕に縛られた縄をほどこうとするも、やはりほどけない。
「えと、その、ハルナ……?」
何が何だか分からない、といった表情でシイナをのぞき込むカサネ。
「この方が、海神さま? 本当にいたの……?」
「うーん、たぶんていうか絶対違う。こいつはまあ一応海の神らしいんだけど、私の育て親。ルギアっていうらしい。私ね、ルギアとちょっと喧嘩して家出してきたの」
苦笑して答えるシイナに、しばらくカサネは呆けていたものの、耐えきれなくなって噴出した。それにつられてシイナも声を上げて笑う。
会場はいろんな技が周囲を飛び交っており、実質参加者たくさんのバトルロワイヤルが行われている。そんな中、ハルナのライボルトがシイナに向かって駆けだしてきた。それにハルナも続くが、そのライボルトの進行をあのジュカインのリーフブレードが遮った。間一髪のところでそれを躱し、足を止め威嚇をするライボルト。それに続いて出てきたじいさんと、ハルナはその場でにらみ合う。
「さあて、私は帰ろっかな。これ以上面倒ごとはゴメンだし」
そんな状況の中、シイナは笑い終わると立ち上がった。
「えっと、あの、私ね! 何を言えば、いいや、そのっ」
涙ながらに思いを伝えようとするカサネ。シイナはにんまり笑って縛られたままカサネの手を取り、握手した。
「また来るかもね。そん時は、この騒動を機にこの島も何か変わってるといいんだけど……。また供物扱いは御免よ」
「……うん、そうだね」
「つーかまた会うまでにカサネがいなくなってたら困る。だからまあ、なんというか、無責任ですっごい難しいことを言うけど、伝統を壊すのはきまって若者、らしいよ」
「……ふふ。私ね、なんだかんだこの島が好きみたい。だから、頑張ろうと思う」
シイナは彼女のまっすぐで生き生きとした瞳を見て、なんだか恥ずかしくなってしまった。すぐにそっぽむくと、そのまま海上で待機しているルギアに向かって飛び出した。ルギアはそれをもふもふな背中で上手に受け止める。
「あっ! 待ちなさい!」
シイナに色々と理不尽な行為をされていたハルナは、じいさんとジュカインとの戦闘の最中であるのにも関わらず、シイナのもとへ向かおうとした。も、ルギアが羽ばたき、その風圧で全員がひるみ、全て注意がこちらへ向いた。
シイナにできること、シイナがしたいこと。それは自然と言葉に還元されていた。
「海神さまは貰っていくね! もうお腹いっぱいだってさ!」
シイナはカサネにウインクをした。否、普通に失敗した。それを見てカサネがちょっとほほ笑んだ気がする。ジュカインが吠えて、あの超憎らしいじいさんの口元が少し綻んでる気がしたのだけは、いい気分ではなかったが。
まあそんなことをしてもシイナが犯罪を犯した者であるのには変わりない。しかし、それでもロケット団やらの本格的な奴らよりは数倍マシなのではないだろうか。そんな子悪党に手を貸しているルギアもルギアで悪党なのだが、何十年も小さな島で巫女の生贄を要求してくるどこぞの神よりは数億倍マシだろう。
ルギアは高く高く浮上していった。こちらを見上げる顔が小さくなっていく。シイナはそれをずっと、小さくなってもずっと、豆粒みたいになってもずっと、雲の上に到達するまでずっと見ていた。
〆
地上が雲に隠れてしまったころ、シイナは地上から目を離し、ルギアの背中で改めて正座する。それを感じたルギアは小さく鳴いた――。
「ごめんね、ルギア。いろんなひとに迷惑かけちゃった」
「え? 心配なんてしてなかったって?」
「うそだー」
「……そうだね。めちゃくちゃにしちゃったもんね。早いうちに謝りにいかなきゃ」
「ん?」
「ふふふ。うん、私がこれを言っちゃいけないと思うけど、ルギアの前だから言っちゃうね」
「楽しかったよ。ルギア、だいすき」