僕はぬいぐるみ

ドードリオに食べられた金剛石
「波音」「マスク」「神経衰弱」
僕はぬいぐるみ

目を開けると優しそうなおばあちゃんのしわだらけの指が僕の顔を撫でた。

おばあちゃんの後ろではネイティオがどこか遠くを見ながら佇んでいる。

ネイティオが見ているのは未来か、過去か、僕にはわからない。

でも、なんだかそのネイティオに僕と同じものを感じた。

「大丈夫、あの子は何もしないわ。見るだけだもの」

おばあちゃんがそう言って僕の額から頬へ指を動かす。

僕はおばあちゃんの指の温かさに目を細めてすり寄ってみた。

あったかい。

そう思うと同時にとても懐かしい気持ちになる。

「あなたは可愛いねぇ」

おばあちゃんはそんなことを言う。

僕は可愛い。とっても嬉しい。

おばあちゃんの指が僕の頭を撫でると途端に僕のやることが出来た。

僕の使命が、その瞬間生まれたんだ。

うん、わかった。

「守ってくれる?」

もちろん。あなたの願いだもの。

「ありがとう」

そういうと僕の体を大事そうに抱えて僕を段ボールに入れた。

それから僕は長いこと段ボールの中で揺られながら、寝ては起きて、まだ、着かないことに落ち着かなくなって段ボールを叩いてみたりしながらその時を待った。

暫くして体が宙に浮く感じがした。

「ママ、それなぁに?」

「おばあちゃんからのお荷物。ふくちゃん宛てだって。おばあちゃんからプレゼントかもよ?」

「ほんとに?」

ふくちゃん。

僕はその名前を何度も何度も繰り返す。

ビッと段ボールに張られていたガムテープがはがされる音がした。

ついにその時。

段ボールが開いて何日かぶりの光に目を焼かれそうになる。

わぁ!と感嘆の声を上げた小さな生き物は満面の笑みを浮かべると僕を乱暴に持ち上げて少しよろめきながら強く、ぎゅっと抱きしめた。

僕の体は、君には少し重かったかもしれないね。

「白いロコンだ!」

そう叫んで僕のふかふかに顔をうずめる。

おばあちゃんとは違う温もり。

力強く、今を生きている温かさ。

「ふく、そんなに強く抱きしめちゃだめよ、ロコンちゃん、苦しそうじゃない」

すらりと背の高い生き物がそういうとふくと呼ばれた小さな生き物はあ、そっかと我に返ったような声を出して僕をそっと腕の中に収めた。

「なんだ、朝から騒々しい…」

お腹の出っ張ったいかにも寝起きと言う感じの生き物が奥の方から出てきた。

「パパ! 見て見て! おばあちゃんのロコン!」

「おぉ~、お袋、昔からこういうの得意だったもんなぁ。よかったな、後でありがとうって電話しような?」

「うん!」

なるほど。あの背の高い生き物が「ママ」で、あのお腹の出っ張ったのが「パパ」。

で、この小さな生き物が「ふくちゃん」もしくは「ふく」。

「お、首に何かついてるぞ? ……この子の名前は『コウちゃん』です。ふくちゃん。お友達になってくれるかしら? だってさ。ふく、コウちゃんとお友達になるか?」

僕の胸がバックンバックンと大きく波打つ。

「うん! よろしくね、コウちゃん!」

ふくちゃんは満面の笑みで僕の目を覗き込むと僕の頭を撫でた。

どこか、おばあちゃんに似た撫で方をするふくちゃん。

くすぐったいよ。

僕からも、よろしくね、ふくちゃん。

「うん!」

ふくちゃんは僕の声が聞こえたかのように頷いた。

「コウちゃんは何か言ってた?」

「よろしくおねがいします、だって!」

パパはそっかそっかとにこやかに笑うとふくちゃんの頭を少し乱暴に撫でた。

僕はそれにちょっともやもやしたけどふくちゃんが嬉しそうだったから良しとする。

「さ、ご飯食べよう。きっとコウちゃんもお腹空いてるぞ?」

「あさごはん食べてないのパパだけだよ~、わたし、食べたもん!」

ふくちゃんは胸を張って言い切る。

「そっか、そうだったのかぁ。じゃあ、俺とコウちゃんだけで食べよっかなぁ!」

パパはわざと語尾を強めて言う。

「だめーーー! コウちゃんはわたしといっしょにいるんだもん! コウちゃんもそう言ってるもん! ね? ほら!」

僕の意思とは関係なく、ふくちゃんに決められた。

別にお腹空いてないからいいけどさ。

「そうなのかぁ…でもコウちゃん、ずっとなにも食べてないからきっとお腹空いてると思うなぁ。可哀想だなぁ、何か食べさせてあげないとなぁ」

ふくちゃんはムムム…と頬を膨らませてパパを睨む。

きっとパパはふくちゃんと一緒にご飯を食べたいだけなのだろう。

そのための材料として僕を引き合いに出されたことは非常に不愉快ではあるけれど、まぁ、僕には何もできないし、どうしようもない。

「じゃあわたしもたべる!」

パパの勝ち。

僕はそう思った。

「あら、じゃあ、アマーチェでも今から作りましょうか。ふくも好きだもの、コウちゃんもきっと好きなはずよ」

「食べるッ!」

ふくちゃんは僕の脇に手を入れて高々と持ち上げる。

「コウちゃんも食べるって!」

ママはくすくす笑うと解きかけたエプロンをもう一度結びなおす。

「じゃあ、私は今から作るからふくちゃんとコウちゃんにはお仕事をお願いしようかなぁ」

「おしごと?」

ふくちゃんはきらきらと目を輝かせてママの顔を見る。

「このコウちゃんの入ってた段ボールをぺちゃんこにしてもらいたいの、出来る?」

「うん! ふくちゃんにおまかせあれ!」

段ボールを受け取って僕を傍らに置いて段ボールを力任せに踏みつけた。

そんなふくちゃんを横目にママは椅子に座りかけたパパを呼び止める。

「あなたはとっとと顔を洗って、髭を剃って、着替えてきなさい」

「え~、俺もふくと…」

「はやく!」

「はぁ~い」

パパは気の抜けた返しをするとよたよたと重い足取りでキッチンから出て行った。

「おりゃっ!」

ふくちゃんが力強く段ボールの底を引きはがした。

「ママ! できたよ!」

「すごい! とっても早い! ご褒美にイチゴも付けちゃうわね」

「やった! イチゴだぁいすき!」

ふくちゃんは嬉しそう。だから僕も嬉しい。

「ふぅ~くぅうう!」

「キャー! じょりじょりおばけ~!」

背後からふくちゃんに抱き付いて自分の顎を押し付けるパパ。

きゃあきゃあとそのじょりじょりを押しのけたり、すり寄ったり、僕には意味の分からない行動をふくちゃんはする。

「またやってるの?」

「おう、ふくはこのじょりじょりがたまらないんだもんなぁ」

ふくちゃんは、うん! と力強く頷いてにっこりと笑った。

その笑顔につられて、パパもママも笑う。

そんな三人を見て、あぁ、ここに僕の居場所はないのかもしれないとふと、思った。

僕はぬいぐるみ。

君たちみたいに生きてないから仕方ないことなのかもしれないね。

…ちょっと寂しいけど。

そんなことを思っていると、ふくちゃんがパパの頬ずりをすり抜けて僕の元に駆け寄ってきた。

「コウちゃんにもしてあげる。わたしが、いっちばんすきなこと!」

そう言ってふくちゃんは僕の体を抱き上げて、僕の重さによろめきながらぎゅっと抱きしめてくれた。

「コウちゃん、これからずっと一緒だからね?」





ふいに目が覚めた。

でも僕の視界は相も変わらず真っ暗。

くぁっと欠伸をひとつしてさっきの幸せな夢の余韻に浸る。

あのころは幸せだった。

ふくちゃんとずっと一緒にいたんだ。

夏休みには家族旅行で、パパとママとふくちゃんと僕の四人で海に行ったときは、僕を抱えて海へと駆け出したもんだからママに止められて、僕は海で遊ぶふくちゃんを眺めるのと波音を聞いてるだけになったけど。

秋には、パパの友だちとキャンプに行って、テントの中で神経衰弱したりしたんだよね。

……結局、ふくちゃんは一回も勝てなかったけど。

あ、そうそう、ふくちゃんが風をひいたとき、ふくちゃんは僕におそろいのピカチュウ柄のマスクをプレゼントしてくれたんだ。

『コウちゃんにうつったらいやだから』

だってさ。

嬉しかったなぁ。

なにより、おそろいっていうのが一番うれしかった。

でもね、僕は心底、ふくちゃんのことを心配したんだ。

…………でも。

それはもう過去の話。

もう、ふくちゃんは僕と会わないほうがいいんだ。

だってさ、僕とふくちゃんがまた出会っちゃったら、僕の使命を果たさなきゃいけなくなる……。

「おかぁ~さ~ん、この冬服はどこいれんの~?」

僕の中身が一斉に色めきだった。

ふくちゃんだ!

ガラッと音がして勢いよく光が飛び込んでくると、光と一緒におっきくなったふくちゃんの顔が見えた。

ふくちゃん、ふくちゃん、ふくちゃん!

今にも踊りたくなるくらいに僕は嬉しくなった。

どれくらいぶりだろう。

ずっと君に会えるのを楽しみにしてたんだ!

さぁ、僕はここにいるよ、今すぐに抱きしめて!

僕はふくちゃんに願った。

でも、ふくちゃんは僕の横に雑に段ボールを投げ込むと遠ざかって行ってしまう。

まって、どうして、僕を一人にしないで!

「おりょ?」

その願いが通じたのか、ふくちゃんは変な声を出して一歩、二歩と下がってくる。

「コウちゃんだ! ヤバッ、こんなとこにいたの? マジで? うわぁ、ごめんねぇ、わたし、忘れん坊だから、ずっと君のこと忘れてたわ。ほんとうにごめん。一人で寂しかったでしょう?」

そう言って僕のことを強く抱きしめてくれた。

昔のふくちゃんと違って言葉遣いがめちゃくちゃになってるけど、優しいのは相変わらずだ。

「ちょっと美福! あんたのまだたくさんあるんだからはやく持ってってちょうだい!」

「はーい」

返事をするや否や、僕を置いてどこかに行ってしまう。

え、ちょっと、僕また一人?

「ヤバヤバ、コウちゃん忘れてた」

慌てて戻ってきたふくちゃんはマジやべぇと言いながら僕を抱き上げると隣の部屋のベッドの上に僕を乗せた。

まったくもう。

「コウちゃん、ちょっと待ってて。今、片付けしてるとこだから」

そう言って、今度こそ、僕から離れていった。

うん、待ってる。

手を振って扉の向こうに消えていくふくちゃんを見送ってから、周りを見わたす。
うん、よく整頓されている。

ベッドの上以外は。

どういうわけかベッドの上だけ、なぜかごちゃごちゃしてる。

他はカラリとした風が抜けそうなくらいすっきりしてるのにベッドの上だけ筆箱やらノートやら教科書やら配線やらがうっとおしいくらいにこれでもかと乗せられている。

しかしよく見ればほかの整頓されてる場所はなんだか生活感のない、無機質な空間と言う感じがした。

「わ~かったってば! 段ボールに詰めるものはこれで全部! あとは私が車で持ってくから大丈夫なの!」

大丈夫ったら大丈夫なの! と念を押すような声が遠くから聞こえてきた。

お出かけでも行くのかな。

もし、そうなら僕も行きたいなぁ。

小物と一緒に僕を小脇に抱えて玄関に向かってずんずん進んでいく。

途中、パパとママが心配そうに部屋から出てきた。

僕の記憶にある顔より、ずいぶん皺が増えたように見える。

ふくちゃんはゴンッと車を揺らすほど重い段ボール箱を車に積み込むとクルリと振り返ってパパとママの顔を見た。

「おとーさん、おかーさん、今までお世話になりました、これからもどうぞよろしくお願いします」

ふくちゃんは仰々しく言うとぺこりと頭を下げた。

「あんたねぇ、別に嫁に行くわけじゃないんだから…」

ママはそんなことを言いつつも、なんだか悲しそうな顔をしている。

「彼氏とか連れてこなくていいからな? 結婚の報告のときだけでいいからな?」

とパパ。

「やーだよっ、私は独り身を謳歌するんだから! だれが結婚なんてするもんですか!」

とふくちゃん。

パパは苦笑い。

もしかしたら内心、ほっとしているのかもしれない。

「じゃ、そういうことで!」

急いで車に乗り込むと助手席に僕と小さな箱を置いてパパとママにそれじゃ、と窓越しに挨拶をする。

「気を付けてね」

「気をつけろよ」

「うん、じゃあね」

ふくちゃんはあっけらかんとして答えたが二人の気を付けてにはどうもいろいろな感情が籠っているらしい。

僕にはわかる。

ふくちゃんがエンジンキーを回すと懐かしい体を揺さぶるようなエンジン音が車内に響く。

「じゃ」

そう言ったのを最後にパパとママは遠くに行ってしまった。

「さて、コウちゃんと初デートだ。どこ行こう?」

なんて笑いながら僕に話しかける。

デートは初めてだね。

じゃあ、僕はふくちゃんの彼氏ってことになるのかな?

「途中に海でも寄ってく? あの場所だよ。お父さんに連れってってもらった海。覚えてない?」

覚えてないわけがない。

今でも鮮明に覚えてるよ。

君との思い出は全部ね。

「だよね、あの時はずぶぬれにしちゃって悪かったね」

僕にそんな記憶はないけどなあ。

「あれ、私がずぶぬれにしたのお父さんだっけ? まぁいいや」

そうだね、ふくちゃんが座って砂を引っ掻いてたパパを押したんだよ。

ケラケラ笑ってたっけ。

べーーーっと音がして窓が開いた。

窓の外から潮の香りがして、すぐにどこまでも広がる海が見えた。

こんなに近かったのかと僕は驚ろく。

僕の記憶ではもっと遠くにあったような気がしたんだけど…。

「さ、着いたよ。コウちゃんは十数年ぶりかな。どう? なにも変わってないでしょ」

ううん、違うよ。

まったく違う。

僕がここに来たときは君はもっと小さくて、まだ一人じゃ何にも出来なくて、寂しくなったら僕を抱きしめてたか弱い女の子だった。

今のふくちゃんは車も運転できるし、重いものも一人で持てる。

……もう、あのころのか弱いふくちゃんじゃないんだね。

僕、安心したよ。

これで、心おきなく使命を果たせる。

ふくちゃん、おっきくなったね。

波音だけはあの頃と変わらない、一定のリズムを繰り返している。

多分、何十年、何百年とこの音を繰り返してきたのだろう。

何も変わっていないことが僕には少し、羨ましく思えた。





「さ、とーちゃく!」

ふくちゃんが意気揚々と車を停めたのは小さな、少し寂れたいくつも部屋がくっついた建物の前だった。

「104…104……あ、これか」

僕をまた小脇に抱えてたくさん鍵の付いたクレッフィ型の鍵束から一本の真新しい鍵を取り出すと鼻歌を歌いながら扉を抜ける。

「コウちゃん、ここが新しい私の『家』だよ」

家?

家…にしては狭いような気がしないでもない。

どちらかというと『部屋』じゃない?

「明日には荷物届くけど、今日は何もないんだよね…。電気もガスも、水道もめんどくさくて明日にしちゃったからさ…アハハ…」

なんとなく、僕には明日にしたのではなく、明日になってしまったが正しいような気がした。

ふくちゃんのことだ。きっとそうだ。

長いこと会ってないけど、僕はふくちゃんの考えが手に取るようにわかるんだもの

「でも安心して! 布団は持ってきたから二人で一緒に寝れるよ!」

ふくちゃんはちょっと待っててね? と言うと車に向かって走って行った。

二人で寝る!

いつぶりだろう!

今日は一人で眠らなくていいんだ!

いつ終わるともわからない闇に怯えなくていいんだ!

僕はふくちゃんのいないこの部屋で天井に向けて手を伸ばした。

明るい。

なんて素晴らしいんだろう。
上げた手をもとに戻してふくちゃんが戻ってくるのをワクワクしながら待つ。

「オマター。じゃーん、どう、懐かしいでしょ」

わぁ! 懐かしい!

僕とふくちゃんが一緒に寝てた布団だ!

「さて、やることないしお昼寝しよっかな。コウちゃんも一緒にどう?」

もちろんと僕は心の中で思った。

ボスッと柔らかい布団の上に僕を置くとその横にふくちゃんがごろりと寝ころんだ。

「おやすみ」

こそっと僕の耳もとで言うもんだからむずがゆくて僕は身震いした。

おやすみ、ふくちゃん。





カチャン


小さな物音が聞こえて、目が覚めた。

横を見れば静かな寝息を立てているふくちゃんの姿。

押入れの中じゃなくてほっとする。

「ありがと、僕にたくさんの幸せをくれて」

僕はふくちゃんの頬にアローラロコンを模した白い体を押し付ける。

君の温もりを感じられるのはこれが最後。

君と一緒で本当によかった。

「じゃあね、ふくちゃん。元気でね?」

少し名残惜しかったけどそう悠長なことも言っていられない。

僕は四つ足で歩いていく。

あぁ、動けるっていいな。もっと早く動けばよかった。

そしたらもっとふくちゃんといられたかもしれない。

僕が動けるって知ったらふくちゃんはどういう反応するかな。

怖がるかな、嫌がるかな、もしかしたら受け入れてくれたりして…。

僕はそんなことを思いながら大きな鉄製の扉の前に座る。

もちろんぬいぐるみとして。

あはは、だめだよふくちゃん。チェーンくらいかけないと。

今度からはかけてよね。次は守ってあげられないんだから…。

キィッと小さくきしむ音がして扉が開く。

扉をくぐって出てきたのは何とも真面目そうな若い青年だ。

青年は僕を見るなりびくっと体を震わせたがぬいぐるみとわかるや否やチッと舌打ちをした。

「いけっ」

青年の後ろからやってきたゴーストがすっと壁を抜けて部屋に入ってくる。

ゴーストの進む先にはお昼寝中のふくちゃんが。

「かなしばり」

青年がそんなことを口にした。

させない!

僕は虚無だった場所から黒い塊を作り出し、ゴーストに向けて放つ。

ボンッと言う音を立ててそれは当たるとゴーストは怒りに満ちた目でこちらを見た。

ほら、お前の敵はこの僕だよ。

青年は目を真ん丸に見開いて僕を見ている。

君は僕みたいな『中身だけのジュペッタ』は初めて?

ほかのぬいぐるみと見分けがつかないでしょう?

青年が慌ててゴーストに指示を飛ばす。

「シャドーパンチ!」

床から、壁から、何もない空間から無数の拳が出てきて僕を殴る。

僕の白い四肢が、体が、尻尾が、拳によって引き千切られていく。

その千切られた場所から真っ黒な綿が溢れ出す。

その綿は少しずつ白みを帯びていき、やがて真っ白な普通の綿になった。

その様子を静かに見守っているとふいに視界がぐるぐると回って床に叩きつけられた。

どうやら、頭と体を引き離されたらしい。

僕の頭を引き千切ったゴーストは高らかに笑い声をあげると糸の切れた操り人形のように力なく倒れた。

青年は何が起こったのかわからないようでボー然とゴーストを見ている。

みちずれ。

僕のとっておきの技。

今日、この時のために用意した技。

あの日、ネイティオにこの未来を見せて貰ったときから使おうと決めていた技。

「ひ、ヒィイイ!」

青年が必死の形相で走り出そうとする。

させない。

僕は最後の力を振り絞って青年に金縛りを掛けた。

急に固まった体のせいで青年は大きく前のめりに倒れ込む。

僕は『僕だった』ロコンの体を見て我ながらひどいなぁと思った。

ジュペッタだったころはこのくらいじゃ千切れたりしなかったのに……。

「こ、コウちゃん…?」

どうやらふくちゃんが目を覚ましたようで僕の姿を見付けたらしい。

「コウちゃん…?」

もう一度僕を呼んで恐る恐る僕の体を拾い集めた。

後ろ足、前足、体、尻尾、そして最後に頭。

「なんで…コウちゃんがこんなことに…?」

ふっと顔を上げると開け放たれた玄関の向こうに青年が倒れている。

まだ、僕の金縛りが効いてるらしく、ビクンビクンと時折痙攣している。

「警察…警察呼ばなきゃ…」

うん、それがいいよ。

それと…。

ごめんね、僕もう疲れちゃった…。

君が寂しくないように君のとこにずっといたいけどちょっと無理みたい。

………。

出来たかな…君からもらった幸せの恩返し。

僕を君に会わせてくれたおばあちゃんへの恩返し。

ばいばい、ふくちゃん。

いままでありがとう。

一緒にいてあげられなくてごめんね…。





「美福~…そろそろ卒論の課題決まったぁ?」
「うん、決まった」
「マジで?」
「マジマジ」
大学の構内で私は同じ研究室の友人とお昼を食べながら論文のことを話していた。
「何にすんの?」
「教えてほしい?」
「もち!」
「私はね、ジュペッタにおける人から与えられた感情による性格の変化っていう題」
友人はまた変なものを…という顔をしている。
「そういうあんたはどうなの?」
「私はね、ドードーおよびドードリオが摂取する石の種類と大きさについてってやつ」
今度は私がまた変なものを…と言う顔をする番だった。
まぁ大学の卒論なんてこんなもんだ。
「ところで…なんでジュペッタ?」
「うん?」
「うちにゴースト専門の教授いないのになんでかなぁって」
「あ~、ん~…あんたなら話してもいいかぁ。この大学に入る前にさぁ、うちのアパートに変質者が入ってきたのよ。なんでも私の一個前の住民がそいつの元カノで合鍵持ってたらしくて」
「なにそれこっわ」
「んで、そいつが彼女に会いに来たら弱弱しい私が部屋に入ってくのが見えたから襲ってやろうと思ったんだと」
「弱弱しいwww」
「そいつは私が空手二段なの知らないからね。で、話はそっからが本題」
目の前の友人は口いっぱいにとんかつを頬張って相槌を打つ。
「私がそいつを見たときにはすでに動けなくなってて、ゴーストが倒れてた」
「は? あんたなんもしてないじゃん」
「まぁまぁ、話は最後までリスニング」
友人は変な顔をしている。完全に滑った。
「で、私の部屋で唯一、壊されているものがあったの。私が大事にしていたロコンのぬいぐるみ。警察でそいつはぬいぐるみが動いたって言ったらしいの。シャドーボールを放ったって」
「え、でもぬいぐるみだったんでしょ? ジュペッタじゃなくて」
「そう、ぬいぐるみのまま。ジュペッタじゃなかった。だから、愛情を目いっぱい与えられたぬいぐるみはぬいぐるみのまま『ジュペッタ』になるんじゃないかって」
ふ~んと友人は言って、それであの題かと呟いた。
「そのぬいぐるみは?」
「もちろん、縫い直したよ。綿もそのまま使って。それでポケモンセンターに連れてったけど、ジュペッタじゃないって言われた」
「ふ~ん、なんとも不思議な体験をしたわけだ」
「うん、で、こちらがそのぬいぐるみのコウちゃんです」
友人はぎょっとしたような顔をした後、コウちゃんを見て笑った。
「そりゃそうよ、前足と後ろ脚が間違ってるし尻尾なんて上下逆じゃない、そして縫い方THA 雑って感じ! これじゃ、コウちゃんもジュペッタになれないわ! ちょっと貸してみて、手芸部の本気をみせたげる」
友人はリュックの中から裁縫道具を取り出すと丁寧に私の雑(と言われた)縫い糸をプチプチ切って行く。
「あ~、こりゃ布足さないとだめだな…、こんなに傷んだ布を無理やり縫い付けちゃダメ」
と言ってチャカチャカご飯をかき込むとあんたも早く食べちゃいなさいよ、コウちゃん治すんでしょ?と言って私を急かす。
「白いファーなら部室に端切れがたくさんあるし、今日中には治るでしょう。そんなに大きくもないし」
「ほんと!? コウちゃんと話できる?」
そう目を輝かせて聞くと、いや…できるかは知らんけど…と言葉を濁した。




「どうよ、ちょっと端切れのところの色が違うけど大体もと通りじゃない?」

遠くでそんな声が聞こえた。

「うん、すごい、私が縫ったやつがどれだけ雑だったかめっちゃわかる」

ふくちゃんの声?

ぼんやりと視界が明るくなっていく。

人が二人。

視界がずっとぼんやりと霞が掛かったようになっていて、いくら待っても霞が消えない。

「で、目の塗装も擦れてたから美術のやつらにプラ用の塗料で塗りなおして貰っておいた。私が縫うときにファーに付くかもしんなかったからマスキングを軽ーく、くっつけてある。これを取れば完成ってもんよ」
「きゃー、ありがとう! あんたが友達でよかったって今初めて思った!」
「それひどくない?」

なんだか二人とも楽しそうだ。

「ほら、早く取ってあげなよ」
「うん」

僕の視界が一気に明るくなって思わず目を少し細めた。

「うご…いた?」

あ、ふくちゃんだ、と思った瞬間、ぎゅっと僕は抱きしめられた。

「もう、もっと早く動きなよ…、そしたらもっと……もっと…おバカッ」

急におバカ呼ばわりされた僕は一体何のことやらさっぱりで、近くにいたもう一人に視線を飛ばす。

「美福はあんたが無茶したのが気に食わないそうよ」

あ、そっか…、ごめんね、ふくちゃん。

初めて、ふくちゃんの背中に手を回す。昔はなんとか届いたけど、もう届かないや。

「ありがとう、助けてくれて、守ってくれて」

ううん、こっちこそありがとう、幸せをくれて、僕を大切にしてくれて。

「あの~、お愉しみのところ申し訳ないけどそろそろ警備の人が来るんで帰りませんかねぇ。私、もうバスないんで美福の車に乗っけて貰わないと帰れないんですけど~」
「あ、ごめん! 今送る! お礼に焼き肉でもおごったげる!」
「マジで!?」

ふくちゃんは車の鍵を握った手で僕の頭を撫でながら友人と話をしながら車へと向かっていく。

暫くして焼き肉屋につくと僕を運転席に置いて額にキスをしてちょっと待っててと言って二人は焼き肉屋に消えていった。

車内で僕はなんだかとっても疲れた気がしてゆったりとした眠気に身を任せて目を閉じる。




僕はぬいぐるみ。

それ以上でも、それ以下でもない。

ただの布で出来た偽物。

それでも愛してくれるなら、僕らは愛してくれる人のために尽くそう。

だから、おねがいだから、一人にしないでほしい。

僕らは一人がとっても嫌なんだ…。